第十三話
血と臓物に濡れた空間にただよう意識となって、アラン=フリーマン、艶のある黒髪にスカイブルーの瞳の少年、は夢を見る。聖騎士と調律者は心話で深くつながっている。だからだろうか、夢を通してお互いの記憶を垣間見ることがあるのは。しかし、アランは今までカーリーの記憶、自身のパートナーであり日向色の髪を持ち小麦色の肌に無数の傷跡、頭にねじれた角を持つ少女のそれを少年は見たことがなかった。それは、少女が少年から唯一隠しおきたかった、たった一つの秘密、少女にとっての薔薇の花園……。
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始まりは培養槽の中だった、薄暗い部屋のただ中にあるのは、床から天井まで伸びたガラスの柱。キラキラと暗がりの中に浮かび上がる無数のコンソール。ゴポゴポと気泡の泡立つぬるい液体につかった少女、日向色の髪に小麦色の肌、頭にねじれた角を持つ彼女が、うっすらと意識を覚醒させる。すると、頭に入った知識がまわりから聞こえる音を、声として脳に教えるのだ……。
「……バイタル安定、刷り込み完了。一号、覚醒します」
なにやら難しい顔でコンソールをいじっていた小太りの男、よれよれの白衣に無精ひげをはやした彼がそう告げる。すると、ぴっしりと糊のきいた白衣を着た壮年の男性、この研究所の所長が嬉しそうに声を上げる。白髪をオールバックにした、神経質そうな男だった。
「よし、成功だ!」
自慢げに、確信するように告げるその声を待っていたかのように、金髪そばかすに丸ぶち眼鏡をかけた、二〇代後半ぐらいの女性が培養槽に近づいてくる。彼女は嬉しそうにガラスに額をこすりつけると、柔らかく語り聞かせるように少女にいうのだ。
「あなたの名前はカーリー。私はミランダ、今日からあなたの家族だよ!」
はじめのうちは培養槽の中から眺める世界がカーリーにとっての全てだった。毎日訪れるミランダが語る外の世界の内容を聞き流しつつ思う。
「外には、人がいっぱいいてね。空はとっても青いんだよ。知識としては知っているだろうけど、実際に見れば驚くと思うなー」
自分はなぜこのようなところにいるのだろう。ぬるい液体の詰められた円柱状の培養槽に浮かぶ自身の状態は、自分が持つ知識の中の人間の生活とはことごとくかけ離れているのだ。
「あなたも、もう少し大きくなれば外に出してあげられるからそれまで待っててね」
次第にそれも気にならなくなったころ、彼女は培養槽から出されると、普通の部屋へ移された。
「今日からここが、あなたと私のお家だよ!」
真っ白な部屋だった、入り口を厳重に封鎖されたそこには窓はなく、あるのは大きなベッドと机だけだった。初めて吸った外の世界の空気は冷たく、彼女の肺を痛めつけたが、どこか新鮮な喜びともいえる感情を彼女に与えた。
「ふふーん。今日からカーリーちゃんはママと一緒に住むことになりました」
「……ママ?ミランダはミランダじゃないの?」
自信を抱き上げるミランダに、そう問いかけるカーリー。ミランダはその問いかけに微笑むと待ってましたとばかりに語りだす。
「外の世界では、私みたいな人をママっていうんだよ」
「そうなの……ママ。……ママ」
カーリーが確認するようにそういうと、ミランダは感極まったように彼女に抱き着き頬ずりをするのだ。ミランダの力は幼いカーリーからすれば若干強く、まだ満足に体を動かせない少女は抵抗もできずに為すがままにされていたが、心のどこかで今の状態を温かいと思っていた。
「ふふふ、そうだよ。わたしがあなたのママになるんだよ!」
そこから始まったミランダとの共同生活。彼女は聖騎士が竜を倒しお姫様を救う絵本の読み聞かせや、まだ体がうまく動かせなかったカーリーの世話をかいがいしく焼いた。
「そうして、人々を食べていた悪い竜は、聖騎士に倒され。さらわれたお姫様は救われたのでした。聖騎士とお姫様は結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ……」
「竜は何で殺されちゃったの?」
不思議そうに尋ねるカーリーに、絵本を指さしながら答えるミランダ。ミランダはベッドに腰かけると、カーリーを抱きすくめるように絵本を読み聞かせていた。
「それはね、何の罪もない人を一杯食べちゃったからだよ、ガオー!」
「人を食べるのは悪い事なの?」
カーリーは興味深そうにミランダに尋ねた。おおよそ生まれるときに刷り込みとして、一般的な価値観を与えられていたが、それでもどこか納得がいかなかったのだ。
「人間だって、鳥とか牛とか食べるじゃない」
「そうだね……、食べちゃうよね。でもね、カーリーは食べられたら嫌でしょ?」
「うん……」
少し考えたが、そう答えたカーリーにミランダは続けて言う。その光景は幼い娘に道徳を解く母のようだった。
「だからね、人間は自分が食べられると嫌だから、人を殺すことは悪い事だって決めたんだ」
「みんなで決めたの?」
「そう、みんなで決めたんだよ」
その時、カーリーは彼女に聞いたのだ。それは、以前から疑問に思っていたことだ。少女に与えられた一般的な価値観からすると、ミランダのやっていることはひどく非効率的に思えたのだ。
「なんで、こんなことするの?」
「それは、私があなたの家族になったからだよ」
カーリーは不思議そうに問い返す、家族という単語の意味は頭に知識として入っているが、いまいち実感がわかないし、なぜそれが答えになるのか解らなかったからだ。
「家族ってなに?」
「一緒に暮らして、助け合って生きていく人たちのこと。お互いに愛して、その人のことを大事に思っている人のこと」
柔らかく微笑んでカーリーにそう告げるミランダ。彼女はベッドに横になると、同じようにベッドへと寝かしつけたカーリーの頭を優しくなで、うんうんと誰にともなくうなずくのだ。カーリーは不思議に思う、自分の知っている世界は狭く窮屈で、温かさに欠けたものだが、この女性だけは自分を人間として扱ってくれる、扱っている。そのことがひどくむず痒かったのだ。
「あなたは私の家族になったの?」
「そうだよ。だからどんどんママに頼ってね」
その日は、二人して互いを抱きしめて眠った。カーリーは知らず涙を流していた。
「今日から、この子が家族になりまーす」
「おー」
それは金色の毛玉だった。ふわふわとして温かく、もこもことして触り心地がいい、その未知の生物にカーリーはメロメロだった。抱きしめたり、ひっくり返したり、匂いを嗅いだり、舐めてみたりもした。
「わん!」
バーナードと名付けたゴールデンレトリーバーの子犬が家族に加わったのは、その時からだった、しばらくまえにミランダが所長へ直談判していたのだ。バーナードはカーリーの情操教育によいという理由で、晴れて家族の一員となった。
「お手、お座り、おちんちん」
「わん!きゅん!くーん!」
「大分なついたね、カーリー」
次々と芸を披露したバーナードを、自慢げに抱きしめるカーリー。ミランダは微笑ましいものを見る表情で、温かいお茶を入れている。そこは、寒々しい研究所の一室とは思えないほどの温かさに満ち溢れていた。
「この子はとってもお利口なの、物覚えがとてもいいのよ!」
「わん!」
元気よく吠えるバーナードを優しく抱きしめるカーリー。少女にとってはミランダとバーナードが世界の全てだった。
「ふふふ、そうだね。カーリーの自慢の弟だもんね」
「そうよ、自慢の弟なの。ずっと一緒にいるのよ」
一人と一匹は来る日も来る日も、仲良く遊んだ。それは本当の姉弟のようで、ミランダはいつもそれを眺めながら、カーリーの大好きな紅茶を入れるのだ。そんな日常が、いつまでも続けばいいのにと祈りながら。
「わん!」
「ふふ、あはは!くすぐったいよー!」
バーナードはカーリーによくなつき、決して噛みつくこともしなかった。カーリーはバーナードが熱をだして寝込めば、一緒に寝ることでその体を温めた。
「バーナードはあったかいね……」
「きゅーん」
バーナードとのお遊びが中心だった生活も、カーリーが成長するとともに魔法の実験をその中心に移していった。彼女の魔法は特殊なもので、ミランダは魔法を使うカーリーの身を案じていた。
「所長、カーリーにまだ魔法は早いんじゃないですか?」
「ミランダ君、君は少々あれに感情移入しすぎじゃないかね?」
研究所の廊下で話し合う二人。すがるような目で見るミランダを、まるで興味のないものを見るような目で眺めつつ所長は言う。
「え?それはどういう意味でしょうか……」
「あれは兵器だ、その存在理由は怪獣を殲滅すること。あれがその存在理由を全うするためならば、我々はどんなことにも手を染め、そのサポートをするべきだ」
ミランダは言葉が出なかった。所長は、この男は、彼女が娘として育てている少女のことを、そこらの銃と同じように考えていたのだ。
「そんな……」
最初は密閉されたアリーナで、動かない的に向けて魔法を放つだけだった実験。それは、所長の指示によってエスカレートしていった。重火器で武装した飛行する複数のドローンから訓練された猟犬へ、猟犬から武装した複数の人間へと……。殺し殺されこそしないものの、その実験とも呼べぬ戦いの日々は確実に幼い少女の心をむしばんでいた。
「ふふ、ふふふふ……」
所長は不思議に思っていたのだ、カーリーの魔法は自身がデザインした、物質転移の魔法から外れてしまっている。彼女の魔法は対象の空間を球形に抉り取り、抉られた物体は本来手元に現れるはずが、どこかへと消失してしまっているのだ。彼はその謎を突き止めようとしていた……。
「おもしろい。大変興味深いよ、一号は……」
所長は腹心の部下、小太りの研究員にそう言って話しかけた。
「どこがおもしろいんです?所長」
「彼女が抉り取った周囲から、高濃度の重力線が検出されたんだ」
「重力線ですか、それがどうしたんです?」
不思議そうにそう聞く研究員に、所長は自慢げに説明をする。その目はカーリーを見ているようで、その実、別の何かを見ていた。
「一号が引き起こす消失は、重力によって周囲の物体を抉り抜いている。ここまではわかるね。ところでだ、ブラックホールには対となるホワイトホールが存在するというのが一般的なんだ。それを踏まえて考えてみると、一号の能力は物体をある地点Aからある地点Bまで転送する能力であるべきだということがいえる……ここまでは事前に私がデザインしたとおり」
所長は実際の実験映像を指さしながら、自身の頭を整理するように続ける。
「しかし、実際には出口であるホワイトホールは形成されず、抉り抜かれた物体はどこかへと消えてしまっている。もしかすると、この世界のどこかにホワイトホールを形成しそこへ飛ばしているのかもしれないが……」
所長はそこで言葉を切ると、考え込むように押し黙り歩き去っていった。