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或るあるシリーズ

或るお風呂の一生

作者: 林 秀明

静寂な空間の中、心音だけが聞こえる。

今日はどれだけ生き永りつく事が出来ただろうか。時計の秒針のように一定音になり響く心音だけがその答えを知っている。私は湯船にゆっくりと腰から肩にかけて身を沈める。

身の内側からどんどんと「暖」の生気が舞い込み、体の芯へと入り込む。仕事終わりの体に天使の聖なるベールが体中に取り巻いたようだ。

 遠くから犬の鳴き声がする。「キミも入りたいのか?イヤそうじゃないだろう」と一人戯言を言ってみる。風呂の中ほど自分の体と語り合うことはこれほどないだろう。自分の体のホクロの数を数えたり、自分の毛が濃いか濃くないか考えたりなど今日も一日平和だったという感情を丸めて思うのも人間の性である。

 私のかの友人は

  「風呂は自分の人生を見直す神聖な場所であるとともに、これ以上頑張らなくてもいいという怠惰を同時に生み出す場所である。頭により快感な刺激があるほど考えなく、流れやすいのも人間の感情の一部である」

と説いた。風呂は一種の中毒だと彼は私に毒ついた。彼は万年水浴びをして過ごしているそうだ。


ふと固形の石鹸に目をくべると、いつしか半月の形になっていた。以前は、(以前と言っても1週間程前だが)満月の形をしていたのに、今はもう半分の姿だ。時というのは残酷であり、石鹸は大きいものから小さいものへ成り、最後は消えていく。人間が成長する過程とは真逆の人生を歩んでいるんだなとぽつりと心に残るものがあった。


私は追加でお湯を足し、一度湯に頭を沈めた。ドドドとお湯が浴槽に流れる中、お湯の中では静寂で別世界へ飛んだみたいだ。再度顔を水面に上げる。現実世界は生きたようにお湯を浴槽に流し続ける。私は生と死がどういうものであるかはわからないが、その曖昧なものの答えを知りたいとゆっくりと目を閉じた。自分が目で見える映像の中は暗いが、耳から聞こえる音は「生」の滝を表している。そして私はいつしか眠ってしまった。


うっすらと目を開けた瞬間私は驚愕した。浴槽の中からお湯が外へとあり溢れており、子羊が農場の柵を越えんばかりにお風呂場の外へと今にも行こうとしている。私には水道代・ガス代という小さな死が近くへと迫っていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] この書き方大好きです、真面目なのにおもしろいという…。風呂ってやっぱり天国ですよね~疲れてるときとか寝てしまいそうになります。ああ…もう風呂で一生過ごせる気がしてきました。
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