遠くの夢
彼は夢を見ていた。それは弦気が幼少の頃の夢であった。
「なんだよ弦気。またいじめられてたのか?」
公園で泣きじゃくる彼に駆け寄ったのは一人の少年だった。
弦気は顔を上げる。彼の前に立つ少年の体は土で泥ドロになっていた。
膝は擦りむけ、顔も所々土で汚れている。しかし力強くしっかりと見開かれたその瞳がキラキラと夕焼けに映えていた。
弦気は振り返り、しゃがんだままその顔を見上げる。涙が頬で乾いていくのが分かった。
「風人くん……」
「くんってなんだよ気持ち悪いな」
彼が風人と呼んだ少年はブランコまで走っていき、それに飛び乗った。
「いつも言ってるだろ! 風人って呼べよ! 弦気!」
少年がブランコを漕ぎ始めると、ブランコはみるみると高い所まで登っていった。
弦気は立ち上がり、それをぼーっと見つめる。すると風人はブランコからひょいと飛び降り、前の柵を飛び越えて弦気の前にズサっと着地した。
「嫌なことされたらやり返せばいいのに。俺みたいに」
「でも僕は無能力だから……」
「俺も無能力じゃん。関係ねーよそんなの」
「でも風人は喧嘩強いし……。僕は、強くないから……。足も遅いし」
「じゃあ弦気も俺みたいに強くなればいいんだよ」
「そんなのなれっこないよ」
「なれるさ」
迷わず言い切った風人に、思わず弦気は押し黙った。彼は弦気の瞳を見据えたままだった。
「……風人は無能力なのに、どうしてみんなに立ち向かえるの?」
「俺は自衛軍に入るのが夢だから、強くないとダメなんだ。自衛軍に入って、みんなを守るヒーローになってやる」
「自衛軍に入るのが、風人の夢……?」
「うん。お前の父さんみたいになりたい」
「でも無能力は自衛軍に入れないよ? お父さんも言ってた」
「大丈夫だって。無能力なのは小さいうちだけだってせんせーも言ってただろ? 俺もお前も、もうすぐ能力を使えるようになるよ」
「本当?」
「うん、ぜったい。そんなことよりまたお前の父さんの話を聞かせてくれよ! マジですげーよな、お前の父さん!」
弦気の顔がぱあっと明るくなる。他とは違い、この少年だけは父と無能力の自分を比べなかった。
どんどん能力を発現させていく他の同年代の少年らと違って、この少年だけは弦気のことを馬鹿にしたりしなかった。あの御堂龍帥の息子にも関わらず、未だに能力を発現させていない、弱虫で泣き虫な弦気のことを。
故に弦気は、この少年にだけは気兼ねなく父の自慢をすることができるのだった。
「いいよ。あのね――」
ーーー
「……夢か」
パチリと目を開けると、弦気の視界には丸い電灯が映っていた。
体を起こすと、椅子座る愛花の存在に気づいた。
「おはようございます」
「……おはよう」
時計の針は午前の九時を指していた。
弦気は体にだるさを感じる。どうやら眠りすぎたようだ。
「早いね」
「起床時間が決められていますので」
「そうか。朝ご飯は?」
「先に食べさせてもらいました。弦気さんの分も用意しましょうか?」
「いや、いい。あんまり食欲がないんだ」
「分かりました」
「施設へは何時に行けばいいんだっけ」
「10時です」
「じゃあ、一時間後か」
「はい」
一瞬間に合うか心配になった弦気だったが、急ぐ必要はなかった。弦気達が今いるこの場所は、セントセリア基地に密接しており、施設への距離も徒歩で数分だ。
移住したと言っても、実質基地に住んでいるようなものだった。
「そういえば弦気さん、今日はうなされていましたが悪い夢でも見たのですか?」
愛花にそう聞かれ、弦気は眉をひそめた。
「うなされてた?」
「はい」
「…………」
弦気は夢を思い返す。 うなされるような内容ではなかったはずだ。見ていたのは小さい頃の夢だった。幼き日の彼が、風人に憧れていた夢。
そう考えれば一種の悪夢だったのかもしれない。弦気は内心で納得する。
弦気はぼうっと虚空を眺め、昔のことを思い出す。
『ぐすっ、ぐすっ……』
『オラー! お前らよってたかって一人をいじめてんじゃねーよ!』
『また風人かよ!』
『この格好つけ!』
『うるせー!』
彼は弱いものいじめが大嫌いだった。
彼は、弱いものを助けることが夢だと語った。
弱かった弦気にとって、風人はヒーローだったのだ。
『風人君、またみんなを泣かせましたね』
『ちげーよ! あいつらが凛と弦気をいじめてたから俺は!』
『でも風人君、人は殴ったらいけないんですよ』
『殴られたら殴り返すのは当たり前だろ! なんで俺ばっか怒るんだよせんせーは!』
彼は先生に怒られても決して泣いたりはしなかった。
怒られる風人を、弦気は陰から見つめていた。
『凛、僕が発現したことは風人には内緒にしておいて欲しい』
『どうして……?』
『風人がまだ無能力だから……。僕が発現したって知ったら……』
『……そうだね。分かった』
弦気は風人に秘密が出来たことを思い出す。風人に罪悪感を感じる反面、ほんの僅かな優越感を抱いていたことも、今となっては否定できなかった。
『風人、遊びにいこうぜ!』
『いや、俺今日はいいや。だるいし。大橋と凛とお前の三人で行ってこいよ』
『……風人ってなんか暗くなったよね、弦気』
『うん……』
『やっぱり能力が発現しなかったから、なのかな……』
『…………』
中学になっても風人が発現することはなかった。この年齢になればもう発現は絶望的である。風人が自衛軍への憧れを語らなくなったのも、丁度この頃であった。
『嘘だ』
『え? 何が?』
『嘘なんだ……』
『……』
『人の役に立ちたいなんて言った、それは嘘だ。本当は』
『うん』
『俺は復讐がしたい。許せないんだ。父さんを殺したAnonymousが、悪が……!』
『……』
『人の役に立ちたい。確かにその気持ちはある。それは嘘じゃない、でも、俺はそれ以上に復讐がしたい。学校を辞めるのも、復讐がしたいからだ。
親を殺されただけでこんな気持ちになるとは思わなかった。俺は父さんを殺した奴らが、どうしようもないくらい憎い。
殺すくらいじゃ飽き足らないくらいに……!』
『弦気……』
『……ごめん、風人』
あの時、風人はどんな気持ちで自分の話を聞いていたのか。
『……風人?』
『ああ』
『……凛を、……殺したのも?」
『ああ、俺だよ』
「弦気さん」
愛花に名前呼ばれて弦気はハッと我に返った。
「体調がすぐれないのですか? 顔色が良くないですよ」
「ああ……、いや、そんなことはない。考え事だよ」
「そうですか」
「……ちょっとシャワー浴びてくる」
「分かりました」
ーーー
弦気と愛花は施設への道を歩いていた。
要塞都市セントセリアは自衛軍基地を囲むように街が広がっており、その周囲をさらに外壁が囲む。なだらかな丘の頂上を中心に基地が広がっているため、その端からとなると、街の一角を一望することができた。
広漠たる面積の基地の末端に設けられた開発施設から現在弦気と愛花が住む場所との距離はおよそ300m程である。
普通に歩けば3分くらいでつく道のりを、弦気は愛花の先をゆっくりと歩き、たっぷりと時間を掛けて施設に向かった。
そうして施設に着くと、白衣を着た小太りの男が弦気と愛花を迎えた。
「こんにちは。新しく夢咲愛花の護衛を務めることになった御堂弦気です。夢咲愛花を連れてきました」
弦気は一歩前に出ると、一礼してそう言った。
「こんにちは、御堂中将。お勤めご苦労さまです。私は亀井と申します」
「亀井さんですか。よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。それでは、愛花ちゃんをお預かりしましょう」
「分かりました」
二人の会話を聞いて、愛花は亀井の元へ進む。
「さ、愛花ちゃん、今日も検査頑張ろっか」
亀井は愛花の肩に手をポンと置いて言った。
「はい」
「では御堂中将。二時間程したら検査が終わるので、またここに戻って来てください」
「分かりました」
亀井の息が臭かったので弦気は一瞬顔をしかめそうになるが、なんとかこらえて返事をする。
亀井はぺこりと頭を下げ、突き当りの扉に向かって愛花と共に歩いていった。
弦気はそれを見送った後、施設を出た。




