空の子守唄
レンガが俺達の目の前の道路に着地したのは、不死鳥が現れた直後だった。
レンガはその鉤爪で道路を削り、勢い余って俺達の目の前を通り過ぎていった。
しかしすぐに速度を殺し、俺の方に振り返る。
「ギャウ!」
です子さんが死んだ時点で洗脳も解けたらしく、もう先ほどのような敵意を俺に向けてはいない。俺の匂いを嗅ぎつけて、ここまで飛んできたらしい。
「レンガ、無事だったのか」
なら一ノ瀬大将はどうなったんだ?
レンガとの戦いに敗れたのだろうか。
レンガは俺の所まで走ってくると、その場に仰向けに寝転がって地面に顔や背中を擦りつけた。
一ヶ月でさらに成長したらしいレンガの体長は今や10mを超える。レンガが顎を地面につけてやっと視線の高さが俺より下になるくらいだ。
レンガの頭に手を伸ばしてその鱗に触れると、ほんのりと温かった。興奮するレンガの吐息は荒く、火傷しそうなくらい熱い。
「そいつがレンガね。空で暴れてんのは見てたけど近くでみたらやっぱこえーなあ。大丈夫なのかそいつ」
百零さんは俺の背中からもう降りている。足の応急処置は済ませているので、歩くのには手間取るが、肩を借りて立つくらいできるらしい。
「今は多分大丈夫です」
「それよりあっち、やばいわね」
ロールがそう言ったので、しばらくレンガに釘付けになっていた俺と百零さんは不死鳥センへと視線を戻すことになった。
センが空高くへ飛翔し、その翼を羽ばたかせると、地上にキラキラとした炎の粉塵が舞う。
するとやがて、中心街は炎に包まれた。
「煙、そっちはどうなってる」
俺の持つ端末は依然煙さんと繋がっている。ボスは不死鳥の方を向いて顎に手を当てていた。
『溜息と一ノ瀬、千薬と天井峰が交戦中。それ以外はもう撤退を始めてる。が、不死鳥の動き方によっちゃ、撤退は難しい。あれ、センであってるか?』
溜息さんも戻ってきてるのか。
「そうだ。仕方ない。ここにいるメンバーで撤退の掩護に向かう。もうすぐ詩道も戻ってくるはずだ」
『了解』
煙さんはそこで通話を切った。端末をポケットにしまうと、指示を促すように俺はボスを見る。
「死音、レンガは何人くらいまで人を乗せて飛べる?」
「……試したことがないので分かりません。ここにいる四人だけなら余裕だと思いますけど、……乗るつもりですか?」
「ああ。溜息と千薬を回収する」
なるほど。大将二人に拘束されてる溜息さんと千薬さんは撤退が困難だ。センがいればなおのこと。
しかし6人以上となれば、レンガのパワーに不十分はないが、乗るスペースが足りなさそうだ。
成長したとはいえ、首元に乗れるのは6人がギリギリだろう。背中の下の方に乗れば翼を叩きつけられて大怪我をしてしまう。
レンガ自体は何人でも乗せられるポテンシャルはあるのだが。
「やれるか? レンガ」
「ギャウ!」
「良い返事だな」
レンガの返事を聞いて、ボスはそう言った。
「じゃあ順番に乗りましょう」
「いや、待ってくれ。俺はカフェのマスターを連れて別ルートで先に逃げとくわ。この足じゃそいつに乗っても振り落とされそうだからな。デリダ支部で合ってるよな、ハイド」
「ああ」
「じゃあ、また後で」
百零さんはそう言って、足を引きずりながらカフェの方へ歩いていった。
確かにあれじゃ百零さんは足手まといだ。千薬さんと合流して治してもらえれば大きな戦力だが、千薬さんにそんな余裕があるとは限らないし。
とにかく、百零さんをおいて、俺とロールとボスの三人はレンガの後ろに乗って飛翔した。
「レンガ! あっちだ!」
中央街の方を指差して俺が叫ぶと、レンガは速度を上げた。
不死鳥の方もすぐに俺達の存在に気がついたらしく、こちらを向いて甲高い咆哮をあげた。
「ピィィィィィィィィィィイイ!!」
「ギャァォォォォォオオォォォ!!」
不死鳥の咆哮に対抗するようにレンガも咆哮した。
「レンガ、構うな!」
体長はセンの方がレンガより大きい。一回り……いや、それ以上かもしれない。
だが、俺達を乗せていたとしても速度はレンガの方が速いようだった。
「レンガ! 迂回して高度を下げろ!」
レンガの体がぐんと傾く。
俺はレンガの体に手を回してがっしりと掴まった。
溜息さんと千薬さんの位置は、煙さんから送られてきた位置情報で把握している。
中央街は燃え盛っていて視認はできないが、彼女達は地上で未だ戦っているらしい。
不死鳥に構わず戦っているということは、自衛軍にも余裕がないということか。
切迫した状態が続いているとすれば、不死鳥へとターゲットをシフトするタイミングもなかったのかもしれない。
ビルとビルの隙間をレンガは縦になってすり抜ける。
後ろから迫るセンはビルの隙間を強行する。すると、その両サイドのビルは爆発し、上から潰れるように崩れ落ちていった。
レンガにしがみつき、襲う爆風に耐える。
「なにあれ……ビルに爆弾でも仕掛けているの……?」
「死音、あそこだ」
ボスが指差したのを見て、俺は燃える地上に溜息さんと一ノ瀬大将を見つけた。
一ノ瀬大将が相手だからか、本来空中戦が得意な溜息さんは地に足をつけて戦っている。付近にはクレーターが数多く出来ていた。
「溜息さん!」
俺がそう呼んだ瞬間、1mはある瓦礫がビュンと飛んできた。一ノ瀬の攻撃だ。
レンガはそれを躱し、溜息さんの元まで急降下する。
「飛び乗ってください!」
そしてそのまま溜息さんに突っ込んで行くと、彼女はしゃがんでレンガの突進を回避した。
俺は焦って振り返る。すると溜息さんはレンガの尻尾に片手で掴まってぶら下がっていた。彼女は戦闘を途中で中断させられたからか、ムスッとした顔をしていた。
そして一ノ瀬の追尾はない。一ノ瀬には、能力的にもついてこられると辛いので、俺はレンガに速度を上げさせる。
「あとは千薬ね!」
「レンガ、そのまま進め!」
しばらく進むと、今度は千薬さんを発見する。
センはもうついてきていない。レンガは速く、小回りもきくのでそのうち引き離してしまったのである。
俺達の撤退を見て、一ノ瀬がセンと戦っている可能性もある。
千薬さんと天井峰は10m程の間隔をあけ、お互いにうつ伏せで倒れていた。
天井峰の方は、その身の下に血溜まりを作っている。
が、二人共まだ息はあった。
「速度を落とせ!」
「ギャゥ!」
レンガの首元を叩いて叫ぶと、レンガは速度を落として地面に接近した。
「ロール! 頼む!」
「了解!」
ロールはレンガの首元に射出機のワイヤーを巻きつけ、レンガの背中から飛び降りた。レンガの鱗はとんでもなく硬いため、ワイヤーじゃ傷もつかない。
そして地面に着地すると、千薬さんを肩に抱える。それに合わせてレンガは高度を上げて飛翔した。
ワイヤーに引き上げられたロールは、千薬さんを抱えたままビルの壁を数段蹴って、レンガの背中に戻ってきた。
「天井峰大将はどうしますか? まだ息がありますけど」
「捨て置け」
ボスがそう言ったので、俺はレンガにさらに高度を上げさせた。
しかし天井峰にトドメは刺さなくていいのだろうか。いくらこの状況でも、それくらいの余裕はあるはずだ。
何か考えがあってのことなのだろうか。
「ゴホッ……! ガハッ……!」
ロールが抱える千薬さんが、 咳き込みながら目を覚ました。
千薬さんに目立った外傷はない。というか白衣が所々汚れているだけで、無傷だった。
「千薬、大丈夫?」
「……あれは……センか?」
千薬さんの視線の先には不死鳥の姿があった。
ビルの上まで高度を上げると、何かを振り払うようにセンが動いているのが見える。
やはり一ノ瀬がセンと交戦しているのか。
これで撤退が楽になる。
「そうだ」
ボスが千薬さんの質問に答えた。
「ハイド、センを回収したい」
千薬さんの言葉に全員の視線が集まる。
何考えてるんだこの人。
「何考えてるのよ千薬。無理よあんなの」
ロールは言う。
すると、千薬さんはレンガの背中の上で立ち上がって、その懐からメスを取り出した。
そしてそのメスで自分の手首を切りつける。パックリと開いた切り傷から血が溢れ出した。
「あいつは私の助手だ」
千薬さんはそれだけ言うと、レンガの背中から飛び降りてしまった。千薬さんは自分の血で作った薄い板に乗り、不死鳥の方まで飛んでいってしまう。
そのセンを見る目が、完全に子どもがおもちゃを見る目だったが、本当に助手だと思っているのだろうか……。
「やれやれ。また千薬のわがままか」
「どうします?」
「センを回収するしかない。千薬がああなったらもう」
ボスのその言葉を聞いて、俺はレンガに方向転換をさせた。
千薬さんはすでにセンのすぐ側にまで到達していた。
レンガの滑空。一気にセンへと進む。
「でも、どうやってあのセンを回収するんですか!」
風を切る中、俺は叫んだ。
「人間の姿に戻すしかないわ!」
「どうやって!」
「一度殺せばいい。それで人間の姿に戻るはずだ」
飛び出したのは溜息さんだった。
レンガの尻尾から手を離し、弾丸のようにセンの元に向かう。
千薬さんはセンに血の斬撃を何度も浴びせ、応戦していた。
元よりセンと交戦していた一ノ瀬は、何度も瓦礫やらなんやらをセンにぶつけていたが、それらの全てはセンの炎の体をすり抜けていった。
しばらく付近の一ノ瀬を警戒していたが、彼がこちらへ攻撃してくることはなかった。一時的に共闘するということか。
「ピィィィィィィイイ!!」
センは不死鳥の体をグルンと一回転させ、周りに強烈な熱風を放った。
それによって吹き飛ばされた溜息さんを、俺がレンガを移動させてロールが受け止める。
「くっ……!」
「大丈夫ですか! 溜息さん!」
「……大丈夫だ。それより離れていろ」
溜息さんはそう言ってまたセンの方へ飛んでいった。
言われるがままレンガに距離を取らせると、その間に溜息さんはセンの体の下へ潜りこんでいた。
何をするつもりなんだ。
そう思った時、不死鳥の体が空へと不自然に上昇した。いや、空へ落ちた。
「……!」
あれは溜息さんの技の一つ、"無重力"。
触れた相手の重量を奪い、天へと誘う奥義と言っても良い技。
なるほど。いくら不死身とはいえ宇宙空間にまで放り出せば生きてはいられないだろう。
そして永久に死に続け、宇宙を彷徨い続けることになる。
「ピィィィィィィィィィィイイ!!」
不死鳥センは悲鳴に似た咆哮を上げ、翼をはためかせてなんとか降下してこようとした。
溜息さんはセンを押し出すべく、センを追う。
そこで上昇したのが一ノ瀬だった。
一ノ瀬はセンの体を操ってさらに上昇させる。
さらにその下から千薬さんがセンを追った。
一ノ瀬の能力は今や有名だ。
"空への執着"
その能力は高度を上げるにつれ、強力になっていく。
大気圏外まで不死鳥を押し出せば、その後は溜息さんと千薬さんがやられてしまうかもしれない。
「死音、追え」
ボスも同じことを考えたのか、そう言った。
しかしあれを追えば俺達もその能力の餌食になるかもしれない。
大丈夫なのか……。
「レンガ、追え!」
俺はレンガの首に手を添え、命じる。
「ギャオ!!」
途端にレンガは上昇し、溜息さん達を追うように飛翔した。
センは一ノ瀬の能力と溜息さんの能力によってどんどん空へと押し出されていく。
悲痛な咆哮は空気が薄くなるに連れてか弱いものになっていった。
レンガは不死鳥の周りを旋回する。一ノ瀬を警戒するのが俺達の務めだった。
不死鳥センが纏う炎は時々千切れ、彼女の姿はどんどん小さくなっていく。
そしてやがて。
小さくなった炎の中から、人間の姿に戻った裸のセンが現れた。
「あぁぁぁー!! ギブギブ! ごめんなさいごめんなさい!! 勘弁してください!!」
思わぬタイミングでセンが不死鳥化を解いたことで俺は唖然としていた。
彼女は宇宙空間へ放り出されることを危惧し、命乞いという選択肢を選んだらしい。
そこへすかさず飛び出したのは千薬さんだった。
彼女はセンの体を横から飛び抱え、血の薄い膜に乗って降下する。
しかし。
「待っていただけますか」
一ノ瀬の制止がかかった。
その声は空間そのものを支配するように、レンガすらもその場に留まった。
ここは上空およそ5000m……。いや、それ以上か? 分からない。
未だ燃え盛る街は遥か遠く、周囲を見渡せば綿菓子のような雲がぼんやりと透けて曖昧に見えた。
つまり、一ノ瀬の独擅場。
「これだけの高度なら、例え神話級の子どもが相手でも、Anonymous最高幹部の溜息が相手でも……、元自衛軍大将の千地谷楠利が相手だとしても……」
ゴクリと、後ろのロールが唾を飲み込んだ音が聞こえた。
「まとめて僕一人で十分でしょう」
バサバサと翼を羽ばたかせ、レンガはその場所に留まっている。
上下に揺れながら、俺は斜め下の一ノ瀬を覗き込んだ。
一ノ瀬はメガネを中指で上げ、こちらにチラリと視線を向けた。
やはり、予想していた通りになった。
センを無力化すれば、彼が共闘するメリットはなくなる。
「さあ、それはどうかな」
漆黒のコートをはためかせ、ボスがレンガの背中で立ち上がった。
「Anonymous首領……、ハイド……」
立ち上がったボスを見て、一ノ瀬は驚いたような顔をする。
一ノ瀬はボスの存在に気づいていなかったのか。確かに、レンガの上に乗っている人間のことまで気にかける余裕が彼にあったとは思えない。
「一ノ瀬大将、ここは退いてくれると助かる」
ボスの能力は組織内ですら知っている人が限られている。
一ノ瀬も、得体の知れないボスを相手にしたくはないだろう。
しかし、今のセリフがボスのブラフな可能性もある。倒せるなら、一ノ瀬との戦闘を避ける理由はない。
被害を恐れているのかもしれないが。
しばらく仮面を被ったボスと一ノ瀬の睨み合いは続いた。
やがて一ノ瀬はふうと息を吐き、周りをぐるっと見渡して言った。
「ここは退いておいた方が賢そうですね。街の被害状況も心配だ。
これだけの状況、中々作れるものじゃないですが……仕方ない」
そうして彼が選んだのは撤退。
一ノ瀬は肩をすくませると、ヒュンと地上へ向かって落ちて行った。
ーーー
「ああ。この街は終わりだな」
気絶させたセンを無造作に担ぐ千薬さんがそう言ったので、俺は下の景色に目をやった。
現在街の上空。そこから見渡せる炎の景色に、俺は複雑な感情を抱かざるを得なかつた。
俺が生まれ育った街が燃えている。
崩れ行く街の象徴、ネオスレイドビルディング。
一ノ瀬の撤退の後、俺達も高度を下げてレンガの背中から街の様子を見下ろしていた。
メンバーの撤退状況を確認するためである。
煙さんによると、なんとか総員撤退が完了したらしい。
レンガはゆっくりと街から遠ざかろうとしていた。
俺、ロール、溜息さん、千薬さん、セン、ボス。
流石にこれだけ乗るとレンガの背中は人数オーバーだ。
ふと、ボスが懐から無造作に手帳サイズの端末を取り出した。
「それって……」
「情報抹消には丁度いいだろう」
ボスは端末で何らかの操作をすると、街に向かってそれを放った。
「なんか、ちょっと寂しい気もするわね」
街の地響きはいつまでも俺の耳に残った。
七章終




