死の子守唄
です子さんとボスは睨み合っていた。
いや、ボスの表情は睨むというほど固くない。だが、微かな殺気を漂わせてです子さんを牽制している。
顔を怒りに歪ませていたです子さんだったが、しばらくの沈黙の後、ふうと息を吐いて肩を竦ませた。表情はもういつもと変わらないものになっている。
この状況に諦めたのか、それともまだ何かの策を隠し持っているのか。分からないが、です子さんは嘆息してから言った。
「言い残すこと……、ね」
「ああ、そうだ」
「それなら最後にハイドと話がしたいな。いいでしょ? ほら、これまで色々あったじゃん」
です子さんがそう言うと、ボスはもう一度辺りを見渡した。
ボスにとっては馴染みのあるメンバーの死体がそこら中に転がっているわけだ。俺がもしボスの立場だったなら正気を保てるだろうか。
「その積み上げた過去もお前が破壊してしまったわけだが。まあいいだろう」
嘘だろボス……。です子さんとの会話はボスと言えども危険だ。早く殺してしまった方がいい……!
視線で訴えかけるがボスには届かない。
ボスは依然余裕の態度で笑みを貼りつかせている。です子さんとの会話が危険ってことは百も承知のはずなのに。
「ありがと、ハイド」
「気にするな」
「……初めて会ったのはいつだっけ? 15年くらい前?」
「もっと前だろう」
「そうだっけ? まあとにかく、ですとろいちゃんなんてけったいなコードネームをつけられたもんだよ。これって、ずっと気になってたんだけどハイドは私の本質に気づいてたってことなの?」
「聞かなくても心を読めばいいじゃないか、です子」
「……意地悪だなぁ」
です子さんは困ったような顔で笑ってみせる。ボスとです子さんは、未だに仲間同士のような、そんな空気感の会話を続けた。
「正直な所、お前がこのタイミングで裏切ることまでは予測できていなかった。まさかNursery Rhymesのリーダーだったとはな。
だが、Anonymousではお前のその性癖は満たせなかったのか? 人を殺める任務ならたくさんあったはずだが」
「性癖って言わないでよ。でも、Anonymousでは満たされなかったのは事実だね。だからNursery Rhymesを立ち上げたんだ」
「どこに不満があった?」
「ほら、私の能力は人殺しにはあまり向いてないじゃん? 暗殺は得意だったけど、人を一気にたくさん殺せる能力じゃあない」
「そうだな」
「で、民間人を相手にしても心を読めるだけじゃあ厳しい。自衛軍なんかは言うまでもなく、真っ向からじゃ私は話にならない。
だから私は仲間を殺すしかないと思った。
みんなに私の存在を認知させて、色んな人に付け込んで、戦える奴は全員追い出して、私が王になれる舞台を作り出した。Nursery Rhymesも、全てはこの瞬間のための道具にすぎない」
「なるほどな」
「この後も、徐々に戻ってくるメンバーを順番に殺して行くのがシナリオだったんだけど、失敗しちゃったね」
「これだけ殺してもまだ満足できなかったのか」
「できたよ。……少しはね」
ロールと百零さんは二人の会話をどんな気持ちで聞いているのだろう。少なくともロールの表情は複雑だった。百零さんは倒れ込んでいて分からない。
俺はまだAnonymousに入ってから日も浅いから、二人のこの会話が空虚に感じていた。
です子さんはボスの心に付け入ろうとしているんだろうし、ボスの方はなぜ会話に付き合うのか分からない。
まさか普通に会話をしているだけ、なんてことは流石にありえないよな。
「少しか。俺としては複雑な気分だ」
「あはは……。これでハイドの本当の目的には遠のいたかな?」
「いや、支障はない」
「そっかぁー。まあ、人はまた集めればいい話だもんね」
「そうだな」
そこで会話は途切れた。思ったより続かなかった会話に俺は驚く。
です子さんは、ボスの心に取り入ろうとしていたわけじゃなかったのか……?
なんともいえない雰囲気が場を支配する。
ボスはおもむろにナイフを取り出し、それをくるんと手で一回転させてみせた。
殺すのか、です子さんを。
ロールがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
しかし、です子さんはそんなボスを片手で制止する。
「待って、ハイド」
「なんだ?」
「どうせなら、みんなで一緒に死のうよ。私だけ一人なんて寂しいよ」
そう言って、です子さんがポケットから何かを取り出そうとする。が、その動きはポケットに手を突っ込んだまま途中で止まった。
「これか?」
ボスはそう言って自分の懐から名刺サイズの端末を取り出して見せた。
です子さんはそれを見て眉間に大きくしわを寄せた。
「アジト内に爆弾まで設置していたとはな」
「その能力、ほんっっと卑怯だよ」
爆弾なんて設置してたのかよ、です子さん。最悪道連れにできる準備をしていたのか。
それを未然に防いでいたボスもやばいが、です子さんも徹底している。
ボスの能力が発動されていたことにも驚きだ。まるで分からなかった上に、相変わらず謎すぎる能力。一体ボスの能力はなんなんだ。
「思えば、最初に会った時からお前の心は醜く歪んでいたな。だが、それでもです子、俺はお前を組織に置く価値があると思った。こうなるリスク以上に、お前が組織に及ぼす影響にメリットがあると思ってな。
だから幹部で好きなようにもさせてやっただろう?」
「……そんなはずない」
「なにがだ?」
「私の心が醜いって言ったことだよ」
です子さんの顔は徐々に怒りに歪んでいく。どうやら今の言葉が彼女の怒りを買ってしまったらしい。
「なぜそう思う。醜いだろう」
「逆になんでそんなこと言うの? 私の心が醜いはずがないよ。狂ってるだとか、そういうことはいくらでも言っていい。人とは価値観が大きくズレてるのにも自覚はあるよ。でも、私の心が醜いってなんなの?」
「そんなことも分からないのか」
「違う。心の本質は本人が決めることなんだ。ルールや秩序、道徳やあらゆる定義が勝手に決めていいことじゃない」
です子さんの語気は荒くなっていった。
ボスは時折ナイフを回転して見せて、いつしかその微笑を哀れみの表情にすり替えていた。
「ならお前は自分の心が見えるのか?」
「……見えない。でも、私の心は美しい。そう言い切れる」
「そう言うのなら、お前はそう思っていていい。だが俺はお前の心を醜いと思う。俺と同じように、人をたくさん殺してきた。
それこそ数え切れないくらいの人をな。人の憎悪を餌に育った俺達の心は、醜悪で、悪臭を放ち、見るに耐えない形をしているはずだ。だからです子、お前は死ぬその瞬間まで腐った心を美しいと勘違いしたままでいるといい」
「でもハイド、私はあなたが美しいと思う。そこまで歪んで、ただ一つの目的のために生きている。でも本人がそう言うのなら醜いんだろうね。ハイドの心は醜くて、私の心は美しい。それでいいでしょう? 私を巻き込まないでよ」
「お前はもう何が美なのか分からなくなっている。醜いな」
「醜い醜い……言わないでよ」
「じゃあ、死音やロール、百零に同意を求めてみるか?」
「うるさいっ!! 私の心が一番綺麗……。一番綺麗であろうとした私の心が……醜いはずがないんだ!」
です子さんの胸にナイフが突き刺さったのは、彼女がそう叫んだのと同時だった。
「あ……! あぁぁ……!」
です子さんは自身の胸に突き刺さったナイフを見て数歩後ずさる。そしてその場にとてんと尻もちをついた。
俺にかかっていた拘束が解ける。ロールや百零さんにかかっていた拘束も解けたようで、ロールはすぐさまです子さんの元まで駆けていった。
「あー、太もも痛いから動きたくねー」
拘束が解けた百零さんの最初の言葉だった。本当の所何を考えているのかは分からない。
今の二人の会話を聞いて何も感じないはずがなかった。俺でも、考えさせられるものだったのだ。
俺は数歩進んでロールの後ろに立つ。
ロールは倒れそうになったです子さんの体を支えて震えている。
急所に直撃したとはいえ、まだ息があるので危険だと思ったが、ボスは何も言わずにポケットからタバコを取り出して、それに火をつけた。
「あぁです子……! なんでこんな馬鹿なこと……!」
「……馬鹿なことって、何聞いてたのさ……ロールは。というか、よく、私のために……泣けるね」
酷いことも言ったのに、と血を吐き出しながらです子さんは無理に喋った。
それでも、です子さんの言葉はやけに聞き取りやすい。
「当たり前じゃない……! 私が物心つく頃から一緒だったのよ……!」
それはロールには辛いかもしれない。思考を誘導されるとか、それ以前の問題なのだ。
です子さんはロールに抱えられたまま、後ろに立つ俺に視線を移した。
「……ぁぁ、死にたく、ないなぁ……」
です子さんのわざとらしい笑み。俺は笑えない。
「なんで俺に言うんですか……」
「……死音、くん、君はもっと……、人を愛しなよ……。そうじゃなきゃ」
そこでです子さんの言葉は終わった。
否、息絶えた。
何もかも嫌になるよ、私みたいに。
最後の言葉が俺の頭の中に響いている。彼女は最後の最後に余計なことを俺に吹き込んでいったようだった。




