心の子守唄
「です子、お前が……Nursery Rhymesのリーダー、だったのか……!」
「そうだよ、でも百零はちょっと黙っててね」
そう言ってです子さんが連続で投擲した二本のナイフが百零さんの裏太ともに突き刺さった。百零さんはうめき声を上げ、その場に崩れ落ちる。
その間、俺は動けずにいた。この状況で安易に動くことは憚られる。
百零さんに放たれたナイフも、俺なら叩き落とすことができたのにただ見ているだけだった。
それだけ、どうしようもない展開。
「しかし長年仕込んできた甲斐があったよ。付き合いの短い死音くんだけが私の唯一の不安要素だったんだけど、都合の悪い方に状況は傾かなかった。というか、死音くんがここにいるってことはやっぱり宵闇は気づいてたんだね」
ロールと百零さん、その他大勢の構成員は、すでにです子さんに思考を誘導されていたのだろう。それがです子さんを疑わなかった理由。
俺だけ疑うことができたのは、彼女も言っている通り、付き合いがそこまでなかったからか。
俺が宵闇さんに修行をつけてもらうことになったのも、下手するとです子さんが起因していたのかもしれない。少なくとも彼女がこの状況を用意するのには相当の時間と労力を必要としたはずだ。
おそらく、煙さんもです子さんを疑ってはいなかった。
だからたった三人でアジト内に突入させたのだ。百零さんがいれば大丈夫だと思って。
完全に孤立してしまった。
クソ、この状況を予測できたのは俺だけだったのに……!
「さあ死音くん、どうする? ロールと百零はもう動けないよ。死音くんもほとんど戦えない状態だよね?」
です子さんは狂気の笑みで言う。
両隣の二人に視線を移すが、もう完全にです子さんに心を掌握されてしまっていた。百零さんはナイフを受けてその場に倒れ込んでおり、ロールはただ立ち尽くして微塵も動けない。
です子さんの能力の一つだ。体の自由を奪う力。その気になれば意識を失わせることもできるはず。
だけどこうなったらもうです子さんの能力に関する知識も宛てにならない。
いつからです子さんがNursery Rhymesだったかは分からないが、元々敵だったなら、これまでです子さんは自分の能力について本当のことを話していなかった可能性が高い。そしてこの思考も読まれていると考えた方が良い。
俺がもう限界だということすらもバレているのだ。こんな状態で心を読める相手に接近で勝てるはずもない。
ロールと百零さんは動けない。
俺にできることはなんだ?
考えれば考える程術中にハマって行く気がした。
心を読めるという事が、どれだけ心理的優位に立てるかが分かる。
絶体絶命だ。俺は意識を張り巡らせ、何とかしてこの状況を打破する方法はないかと考えるが、です子さんの前ではあまりにも無力だった。
考えていることがバレるなら、全て先手を打たれるじゃないか。
「……それが、です子さんの本性なんですね」
結果、俺は一番無駄であろう選択をする。
対話、である。
分かってる。です子さんとの対話は無意味だ。周りを見てみろ。この惨状を。
最善の選択は、です子さんから発せられる音を消して、その状態で戦うことだ。言葉はです子さんの最大の武器だから、それを封じればまだほんの少しの勝機はあるかもしれない。
です子さんはそんな俺の内心を読んでか、にやりと口角を吊り上げる。
「そうだよ。親近感が湧くでしょ、死音くん」
親近感か。嫌な言い方だ。
そしてです子さんは俺との対話に乗ってきた。いや、です子さんに主導権を握られている今、対話にはならないだろう。会話だ。
「それにしても無力って素晴らしいね、死音くん」
「無力……、ですか」
「ほら、そこに倒れてる百零と動けないロールなんかは無力だ。元々力を持ってた人が無力化されると、こうも美しくなるんだよ。多分この感覚、死音くんなら分かると思うんだ。死音くんは身をもって経験してきてるもんね。
能力なんていらなかったって、そう思ってるでしょ? まあAnonymousに入った死音くんは強くならざるを得なくなったわけだけど」
「死音、ダメ……。です子の言葉に耳をかしちゃ……。それがです子の……」
かろうじて声を絞り出したらしいロールが言った。そんなことは分かってる。その上の話をしてるのだ。
「ロールは黙っててよ。私は今死音くんと話してるんだよ?」
「です子……、アンタ、なんで……!」
「しかも、ロールは私よりパートナーである死音くんを疑ったんだから、今更口を挟むなんてどうかしてるよね。大体ロールはよくのうのうと生きてられるよ」
「です子……!」
「家族を皆殺しにしておいて。私なら自殺してる」
俺は目を瞠った。
ロールはあえなく黙り込む。そして新たなナイフを取り出したです子さんを見て俺は慌てて言った。
「……後半のことは知りませんけど、ロールが俺を疑ったのはです子さんが思考を誘導したからでしょう?」
額に汗が滲んでいるのが分かった。
「それもあるけど、それにしてもひどいよ。普通言われたら気づくと思う。私はみんなから私という選択肢を消しただけなんだし。
だから最初に死音くんがもっと論理立てて私が怪しいって主張すればこの展開にはならなかったと思うんだ」
いや、です子さんはきっとここまで計算していた。不安要素と言っても本当にそう思っていたのかどうか。確かに俺がもっと強く主張すれば変わっていたのかもしれないが、裏切り者の特定より優先すべき事項をです子さんは作っていた。
Nursery Rhymesや"協会"が一気に攻め込んで来なかったのは、彼ら自体がです子さんの陽動だったからだ。
「です子さんはずっとAnonymousを潰したかったんですか?」
「それは違うよ。勘違いされたら困るんだけど、私は組織のみんなが嫌いってわけじゃない。私はただ、たくさんの人を殺したかっただけ。私にとって殺人は、身を清めるシャワーのようなものなの。
そうじゃないなら、こんな回りくどいことしなくてもいいでしょ? 」
駄目だ。話にならない。
完全に狂ってるじゃないか、この人。
「この腐った世界では、そうでもしないと生きていけないんだよ」
「です子さん……。多分です子さんは、人の心に触れすぎたんだ。人の醜い所だけ見すぎたから……」
俺がそう言うと、です子さんは一瞬きょとんとした顔をして、唐突に腹を抱えて笑い始めた。
「ふふ、ふふふふ! あはは! あはははははは!!」
「何が面白いんですか……?」
「いや、死音くんがまさかそんなことを言うとは思わなくて。建前にも程があるって話だよ。あはは……!」
建前か。確かにさっきの俺のセリフは適当だった。まさに思ってもいないことを言ったから、です子さんは笑ったのだろう。でも、思ってはいなくても事実ではあるだろう。
です子さんは人の心に触れる能力を使ううちに、何が何か分からなくなってしまったのだと思う。
「というか狂ってるって、死音くんには思われたくないなぁ。死音くんも十分狂ってるのに。いや、死音くんは壊れてると言った方が正しいのかな?
君も私に負けず劣らず悲しい運命を辿ってるよね」
「そんなこと」
「言われなくても分かってるって?」
「……」
先に台詞を言われて、俺は言葉を失う。
「分かってないよ、死音くんは」
「何を、ですか?」
「死音くんは勘違いしてるんだよ。自分のことを分かってない。自分が変われたとか思ってるでしょ。違うよそれは。
死音くんは何も変われていない。そういうふうに自己暗示をかけて、自分をだまして、その場しのぎだけで生きてるんだよ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
です子さんの表情が愉悦に歪む。俺は一歩だけ後ずさりしてしまう。
そこからはロールの表情が伺えた。ロールは涙ぐんだ目で必死に何かを訴えかけているようだが、体はやはり動かないみたいだ。
「否定しなくてもいいんだよ、死音くん。君は美しいね。どんなものを犠牲にしてでも、死にたくないもんね。
ロールが死んでも、溜息が死んでも、みんなみーんな死んじゃっても、自分が生きていればぶっちゃけどうでもいいもんね」
「それは……」
その通りだ。
「違わないよ。それが死音くんの本心なんだよ。……まあ確かに、大切な人が死んだら死音くんも悲しむんだろうけど、それだけなんだよ。それで終わり。
もっと言えば死音くんのたいせつなたいせーつな命の重みの再確認ができるよね」
「……」
「違わないって。否定しなくても、それでいいんだよ死音くん。前にも言ったよね?
死音くんは正しい」
「否定なんてしてないだろ!!」
叫んだ瞬間、ズン、と体が重くなった。
しまった、そう思ったがもう遅い。です子さんの術中に、完全にハマってしまっていたのだ。
心に、付け入られた。
「はい、詰み」
です子さんは片目を閉じて言い、足音をわざとらしく鳴らしてゆっくりとこちらまで歩いてきた。
「死って、身近すぎて、儚すぎて、唐突すぎるよね」
唾すら飲み込めない。
許されているのは呼吸をすることと、眼球を動かすことだけ。
「でも死ぬってなんなんだろうね? 心臓が止まること?」
です子さんはやがて俺の目の前まで来ると、俺の頬に軽く触れた。
「私は違うと思う。心の行き場がなくなることを、死ぬって言うんだよ。
私はその一瞬で輝いてみせる人の死が、たまらなく好きだ」
「です子……、さん……!」
「さぁ、誰から死んでみる? 選ぶのは私だけど」
「です子、選ぶのは俺だ」
その男は唐突に現れた。
モニタールームに最前列のデスクボードに腰掛け、いつ部屋に入ってきたのかも分からない。
執行さんの亡骸を見て、この惨状を見渡して、何を思うか分からないその瞳で、だけれども顔にはいつもの笑みを貼りつかせていた。
「ハイド……!? なんでここに……!」
です子さんは勢い良く振り返る。
「本体が動いたものだから、急いで戻ってきた」
「本体……? まさか"観測者"の……?」
です子さんは額に手を当てて考える仕草をする。そして思い当たったかのように目を見開き、執行さんの亡骸に目をやった。
「ということは……」
「ご名答。彼女が最後にマスターコードを作動させてくれなければ、俺がこの場に駆けつけることはなかっただろう」
です子さんは顔を大きく歪ませ、唇を噛んだ。
「執行〜ッ!! 私に気づかれずどうやってぇ……!」
「執行の能力を忘れたのか?」
「"高速処理"……! まさか私に気づかれないレベルの速度で思考を……!」
「その通りだ。さあ、言い残すことはあるか? です子」




