不協和音
月曜日の朝だ。
俺は筋肉痛の体を机に伏していた。
「おはよ神谷くん」
顔を上げると、大橋がそこに立っていた。俺は挨拶を返して再び机に伏す。
あれ? 弦気はどうしたんだろうか。
凛はともかく、大橋に関しては毎日弦気と登校してくるのに。
気になった俺はすぐに顔を上げて大橋に聞いてみた。
「弦気は?」
「今日は遅れてくるって」
「ふーん、またか」
なんかあいつ学校遅刻してくること多いんだよな。
あいつがいないと弦気ハーレムの面々は大人しい。
俺は教室の隅のロールを見た。
新城ロールさんは、さっそくできた友達とお喋りをしていた。
すると、ロールは俺の視線に気づいて笑顔を向けてきた。
ちょっとドキッとする。
あんな可愛い笑顔を作れるなら普段からやっててもらいたいものだ。
俺は視線を逸らして再び机に沈んだ。
それにしても昨日は酷い目にあった。
投げナイフの訓練ってあんなハードなのかよ。
目を閉じる。今日はこのまま寝倒してやろうか。
「おい、神谷起きろ」
そんな声をかけられて、俺は体を起こす。いつのまにか教壇の上には担任の教師が立っていた。
朝のホームルームが始まるらしい。
「今日からテスト一週間前だ。日程を黒板に貼っておく。しっかり勉強するように」
もうそんな時期か。
いつもそれなりに上位をキープしてる俺だが、今回はあまり良い点を取れそうにないな。
ロールをチラ見して、わざとらしく溜息を吐く。
ホームルームが終わると、入れ替わりで教師が入ってきて、授業が始まった。
俺は机に沈んだ。
ーーー
弦気が学校に来たのは三時間目が始まる前で、現在は昼休みだった。
弦気は基本的に弁当を持ってこない。
なぜなら、凛と大橋が交代で作って持ってくるからである。
羨ましい。しかし別に構わない。
ただ、それを俺の席に集まって食べるのは本当にやめてほしい。
おかげで俺もそのおかずにありつくことができるのだが、なんか虚しい。
「あれ? 今日は風人も弁当? 珍しいな。しかもえらくヘルシーな弁当だ」
弦気が俺の弁当を見て言った。
実はこれ、ロールに作ってもらった弁当である。毎日体に悪いコンビニ弁当やパンだった俺を見兼ねて、作ってくれるようになったのである。朝こっそりと弁当を渡してくれるのだ。
しかし、凛や大橋のとは違って、愛妻弁当ではない。
ロールのは俺を強化するための餌みたいなもんだ。
いや、それはさすがに失礼だな。正直に嬉しいと言っておこう。
ロールは違う女の子グループでご飯を食べている。
あいつの演技は徹底していて、誰に見られていない時でも学校にいる間はあのキャラを通す。
ボロが出たりしないところ、さすがと言える。出会ってまだ数日だが、どんどんロールの凄さを思い知らされていくのだ。
第一印象の悪さはすでに払拭されていた。
「ロールちゃんがそんなに気になる?」
「やっぱり惚れてるか」
「神谷くんにも好きな人ってできるんだね」
こいつらには勝手な勘違いをさせておこう。
ーーー
放課後の話だ。
俺はさっそくアジトに来ていた。
弦気に遊びに誘われたが、訓練を優先したいので断った。
付き合いを悪くしすぎるのもアレなので、たまには遊ばないといけない。
さて、俺はロールの部屋に着いた。
部屋に入ると、機嫌の悪いロールに迎え入れられた。
「ちょっとそこ座りなさい」
言われて、俺はテーブルの前の椅子に座る。
なぜ怒っているのか。
全く心当たりがない。
しかし、ロールが理不尽な怒り方をしないことももう知っていた。
何か俺に非があったのだ。
俺が理由を探していると、ロールは自分の学生カバンからルーズリーフを一枚取り出し、そこにサラサラと何か書き綴った。
そしてそれをテーブルの上を滑らせて俺の前に。
「今日習った内容よ。解いてみなさい」
ルーズリーフに書かれてあったのは数学の問題だった。
今日習った範囲だが、これは応用問題じゃないか。
もちろん寝てた俺に解けるはずもない。
俺は黙り込むしかなかった。
ロールの盛大な溜息が聞こえた。
「アンタね、なんで授業中寝てんの?」
ハードな訓練で疲れていたからだ。もちろんそれは言い訳にはならない。
俺がうつむいたのを見て、ロールの説教が始まった。
「推薦枠をとるには成績も要るのよ?
そもそもアンタはね、人に何か教わることのありがたみを理解してない。それとね……」
それからしばらくロールの説教は続く。
最終的に、次のテストで学年20位以内に入ることを約束させられて、説教は終わった。
そして現在、俺は勉強させられていた。
ロールは頭も良いらしく、分からないところは教えてくれる。字も綺麗だし、こいつの欠点をそろそろ探さないといけないところだ。
しかし訓練する気まんまんでアジトに来たのだが、まさか勉強するはめになるとは。
鉛筆が走る音の中、溜息が混ざった。
ロールに「訓練したい」という視線をチラチラ向けるけど、一睨みされて落ち着く。
勉強の進行具合を監視されているので、サボることもできなかった。
そんな時だった。
部屋にノックの音が響いたのだ。
「マイエンジェルロール! 僕が戻ってきました! 開けてください!」
男の声。誰だ。
そう思ってロールに視線を向けると、ロールは眉を寄せて嫌そうな顔をしていた。
「誰?」
「月離よ。面倒くさい奴が帰ってきたわね。一生支部に飛ばされてればいいのに……」
「開けないの?」
「どうせ勝手に入ってくるわ」
ロールがそう言った途端だった。部屋の扉の鍵がガチャリと開いて、扉が開いた。
鍵を持っているのか? いや、開けてくれと言っていたからそれはないか。
何かしたのだ。
ロールの溜息が響いた。
部屋に入ってきたのは、金髪の男。ロールのような天然の金髪ではなく、染めた髪のようだ。
年齢は俺達より少し上くらいだろうか。身長も高く、見た目は完全にホストだった。
その男は、部屋に上がると一直線にロールの元に向かっていった。
そしてロールの手を取ると、その場に跪く。
「マドモアゼル、お元気でしたか?
僕は毎晩あなたを想って過ごしました!」
「……久しぶりね月離。おっさんからはもっと掛かると聞いてたけど」
「ロールのためなら任務も倍速で終わらせます!」
「頼んでないけどね。まあ無事で良かったわ。
じゃ、死音の勉強の邪魔になるから帰ってくれる?」
その瞬間、月離さんは黙りこくった。
そして俺にいちべつをくれると、テーブルをドンと叩いた。
いきなりのことに、俺の心臓は飛び跳ねる。
「なんで僕じゃないんですか!? 僕はずっとあなたのパートナーになれるように頑張ってきた! 今回の難しい任務だって、一人でこなしてきたんだ! そう、可憐で美しいあなたのように!
だけどあなたの心は施錠されたまま!
それどころか帰ってきてみたら他の男に解錠されている! パートナーは一生作らないって言っていたではないですか!」
なんなんだいきなり……。
俺は月離さんとロールを交互に見ることしかできなかった。
「ああ、その件に関しては謝るわ。
パートナー作っちゃった」
「……今まではハイドさんに言われても、誰かに誘われても頑なにパートナーを作らなかったあなたが、随分とあっさりパートナーを承認したそうですね……! なぜですか?」
それは俺も気になっていた。ロールには助けられているが、ロールが俺を選んだ理由は何なんだろう。
ボスに言われたから?
でも今までは断ってたらしいし……。なぜなんだ。
ロールに視線を向けると、目があった。しかしすぐに逸らされる。
「月離には関係ないわ。私が誰と組もうと自由じゃない」
月離さんは俯く。
関係ないはちょっと酷いんじゃないだろうか。まあ俺の介入できる問題じゃなさそうだが。
「……同情ですか……? 過去の自分と照らし合わせて……」
「怒るわよ」
ロールのドスの効いた声で、月離さんは押し黙った。
よく分からないが、月離さんは失言をしたらしい。
同情か。
まあ俺が同情されるような境遇にいたのは自覚している。
沈黙の中、月離さんの視線は唐突に俺に向けられた。
「死音、だったか。
ぽっと出のお前がなんで……」
俺だって本当に望んでここにいるわけではない。
発現さえしなければ、俺はそれなりに幸せな毎日を過ごしていたはずだ。
だが、それを今さら言うのはナンセンスだ。
現状に不満があるわけでもない。
将来に不安はできたけど。
そんな俺は月離さんになんて言えば良いか分からなかった。
視線に耐えきれず目を逸らすと、月離さんはポツリと呟いた。
「……殺すしかない。
うん、殺すか」
攻撃は唐突だった。
目の前に迫ったナイフをロールが蹴り弾き、気づけば目の前で戦闘が始まっていた。
月離さんは宙を舞い、ロールの顔面目掛けて蹴りを放った。
ロールはその蹴りを腕で受ける。
そしてそのまま足に腕を絡めると、月離さんを地面へと誘い、叩きつけた。
ロールの攻撃はそこでは終わらない。
無言でその両手両足をバキッと外して、あっという間に月離さんを戦闘不能にした。
殺してしまいそうだった勢いに俺は唖然とする。
月離さんの悲鳴が響き渡るが、ロールはその折れた足を掴んで部屋の外に月離さんを引きずり出し、そして通りすがりの団員に月離さんの処理を頼むと、部屋の扉を閉めてこちらまで戻ってきた。
「危なかったわね。
私にパートナーができただけであそこまで見境なくなるとは思わなかったわ」
「びっくりするな……」
主にロールの動きに、だが。
しかしあんな人がいるんじゃアジトでも油断できないな。
「冷静になれば月離もちょっとはまともなのよ。あれでいてかなり強いからね。
次もこうなるといけないから、おっさんに報告しとくわ」
頼もしいパートナーだ。
しかしこいつの手で触れられる距離にいる間は、命をにぎられていると思っていい。
接近戦に置いてロールの能力は凶悪すぎる。
「さあ続きやるわよ」
「了解です」
勉強は再開した。
勉強の後は訓練をさせられて、俺が家に帰ったのは11時を過ぎる頃だった。
親にはバイトということにしているが、毎日家を空けるのは避けた方が良さそうだ。
ーーー
次の日の放課後。今日も俺はアジトに来ていた。
今はロールと二人で廊下を歩いてる。
俺は月離さんの能力をロールから聞いていた。
月離さんの能力は”完全鍵”
あらゆる物を解錠施錠することができるらしい。
射程範囲は月離さんのその時の気分によって変わってくるらしい。
射程範囲を変えられる訳じゃなくて、本当に変わってしまうらしい。
解錠施錠というが、相手の目を瞑らせたり、握っていた手を開かせたりもできるらしくて、開閉能力でもあるようだ。
しかし月離さんの能力の強みはそんな小細工じゃない。
聞くところによると、実際の実力ではロールと月離さんは同じくらい強いらしい。
しかし、月離さんはロールに能力を使わないため、ロールに勝てない。
能力を使わないのは「あなたは自分で解錠したい」とかいう理由らしい。
そんな月離さんの強みは、相手の能力を一時的に使用不可にすること。
能力施錠というその技と、自身の脳の制限を解錠する技のコンボで基本的に相手を倒せてしまうらしい。
ならばどうやって月離さんを倒せばいいか。
近づかれる前にやるしかない。
「いい? 一撃で決めるのよ? 近づかれたら終わり。殺す気でいきなさい」
「……勝てんのかな」
「アンタが本気でやれば勝てるわ。というか勝ちなさい」
さて、なぜこんな会話をしてるかというと、俺が先ほど月離さんに決闘を挑まれたからだ。
そう、ロールを賭けて。
もちろん断った。しかし、月離さんはボスを仲介してきて、ボスも戦えと言うのだ。
組織内のいざこざはこうやって解決するらしい。
ロールの反対意見も通らなかった。
「……緊張するわね」
「緊張するのは俺だよ。ホント殺されないかな」
「殺されそうになったら止めに入るわよ」
そうこう言ってるうちに、俺達は訓練室の前に着いてしまった。
観察室には組織の人達が集まっていて、黒犬さん達もいる。
見たことない人も多かった。
「来たか」
そう言って俺の前に出てきたのは月離さんだ。
「……こんにちは」
今にも攻撃されそうな雰囲気に圧倒される。
月離さんは先に訓練室の中に入っていくと、所定の位置で立ち止まった。
そして振り返ると俺を睨む。
……素直に怖い。
「……死音、頼むわよ」
ロールは俺の手をとってぎゅっと握った。
そんなエールを月離さんの見てるとこで送られても困るだけだ。
俺は慌ててその手を振りほどいた。
「……行ってきます」
そう言って俺は訓練室の中に入っていった。