狂気の子守唄
「とりあえず状況を教えてくれる?」
聞かれて、俺はざっとロールに状況を説明した。Nursery Rhymesと"協会"の侵攻を少人数で食い止めていること、自衛軍の援軍で大将が二人来ていること、レンガが暴走してること……。
ロールの方は比較的近場での任務だったので、すぐに帰ってくることができたらしい。
「レンガはなんで暴走してるのよ」
ロールは上空で一ノ瀬大将と戦っているレンガを見上げて言った。
「……多分、洗脳されてるんだよ。俺の言うことを聞かない。完全に様子がおかしかったし」
「洗脳? 敵にそのタイプの能力者がいたってこと?」
「違う。です子さん」
俺がそう言うと、ロールは眉をよせた。
「です子? です子がなんでそんなことするのよ」
「今、内部の誰かが裏切ったって話になってて、俺はそれがです子さんだと踏んでる。だってありえないだろ、こんな状況。でもです子さんが裏切ったなら合点のいくことが多い。レンガの洗脳だってそうだ」
百零さんと執行さんは違うと言ったが、やっぱりです子さんが怪しいと俺は思うのだ。
「です子に限って裏切るってことはないと思うけど……」
ロールもです子さんの裏切りを否定した二人と同じ反応をした。
「なんでそう言い切れるんだよ」
「だって、です子は仮にもAnonymousの幹部だし、普段はふざけてるとは言ってもこれまで組織のために色々動いてきたのよ? です子はそんなことしないって」
困惑したような表情で言ったロールだが、それじゃです子さんが裏切っていないという説明にはならない。感情論だ。
だけどこうまでみんなが違うと思ってるならやっぱり違うのかな。
俺はです子さんとの付き合いがまだ短くて、正直彼女のことをあまりよく分かってないけど、執行さんや百零さん、ロールの方はそうじゃない。
みんながです子さんは裏切らないという確信を持てる事が過去にあったのかもしれない。だからあんな性格とはいえ信頼しているのだろうか。
「……まあ、とにかく。一旦俺はネオスレイシイドビルディングの屋上に行って、態勢を立て直さないといけない。あそこからなら音が拾いやすくて、逆にあそこに行かないとみんなとの音の接続ができない」
腑に落ちないけれど、今考えても戦う敵に変わりはないので、俺はそう言った。
棺屋との一戦で集音を止めてしまったため、俺は他のメンバーが今どうしているのかは分からない。
雰囲気からして侵攻してくるNursery Rhymesや自衛軍と戦っているはずだが……詳しいところまでは把握できない。
「なるほど。大体分かったわ。死音が指揮をやってるなんて驚きだけど、とにかく私は前線に回ればいいわけね?」
「いや……」
本来ならそうして貰いたいところだが……。
「ロールは俺の近くにいて欲しい」
これは俺のわがままだ。俺は能力を使いすぎたせいで、もうほとんど戦える状態ではない。かろうじて集音のフィールドを立て直せるかどうかといったところだ。
だから敵に遭遇した時、俺一人では危ない。
「分かった」
突っぱねられるかと思ったが、ロールは理由も聞かずに首を縦に振った。
「助かる」
「うん。早く後ろ乗って」
言われてバイクの後ろに跨り俺はロールに捕まる。そしてロールが発進しようとした時、「待て!」と俺達に声がかかった。
振り返ってみると、そこには煙さんがいた。
「こちら煙D、死音ロールと合流」
煙さんはこちらまで来ると、手に持っているトランシーバーに向けてそう声を放った。トランシーバーの向こうからは同じ声で『了解』と複数返ってきていた。
「煙さん……!」
「煙、アンタも帰って来たのね」
「よう、待たせたな死音。さっそくだが俺と指揮変われ」
指揮を変われと言われて、俺は返事をする前に大きく息を吐いた。
その後「はい」と返事をすると、俺は脱力してバイクから転げ落ちそうになる。
煙さんが来たらもう大丈夫だ。この解放された感じ。押しつぶされそうだった。
「俺の分身が他のメンバーとも続々と合流していってる。Nursery Rhymesと"協会"の侵攻は思ったより緩いんだな。俺はてっきりもう壊滅状態だと思ってたんだが、全然そんなことはなかったぜ。まあとにかく、今からは俺に任せろ」
煙さんが指揮をやってくれるならもう安心である。メンバーと合流していってるなら、もう俺より状況を把握しているかもしれない。
「俺達はどうすればいいですか?」
「先に撤退しとけ。これ以上もう時間を稼ぐ必要はないだろ。人員も十分だ」
「撤退……? 時間? どういうことですか? もうこれ以上は厳しいってことですか?」
「いや、アジトの中もさすがにそろそろ撤退の準備が整ったはずだろ? 元々拠点は移す予定だったし、今は中枢の重要機能っていったら観測者くらいしかねーし、それも本体は移し終えてる」
え……、どういうことなんだ?それは。
観測者もろもろの組織機能を防衛するための戦いじゃなかったのか? これは。
「撤退って、してもよかったんですか?」
俺もできれば撤退したかったし、そうするべきだとは思っていたのだが。
「は? これはアジト内の非戦闘員を逃がす時間稼ぎじゃねーのか? もう十分だろ」
「え、そんなこと聞いてないんですけど……。俺は百零さんが徹底抗戦するみたいな勢いだったから……。執行さんも」
「待て、百零はともかく執行がそう言ったのか?」
「言ったっていうか、そんな感じだったっていうか」
はっきりしなさいよと、ロールに言われるが、曖昧なのは仕方ない。俺だってこんな状況はいきなりのことだったし、どうすればいいかなんて分からなかった。移りゆく状況の中で必死だったのだ。
指揮をやっていたのは俺だったけど、状況を決めたのは俺ではないのだ。
「……迎撃にこだわっていたのは百零さんだったように思います」
「執行は止めなかったのか……?」
「はい」
「嘘だろ……」
「まさかそれ、執行が裏切った可能性があるってこと……?」
「ああ……」
ロールの言葉に煙さんが頷く。
「嘘でしょ……」
煙さんはポケットから別の端末を取り出して操作する。そしてそれを耳に当てた。
「執行さんに繋ごうとしてるんですか?」
「ああ」
「多分つながりませんよ。俺のインカムも執行さんと繋がっていたはずなんですが、さっきから返事がないんです」
「マジかよクソ! アジト内に敵の侵入は許してないよな?」
「……分かりません」
集音は切ってしまったし、侵入があれば執行さんから連絡があるはずだが、その執行さんが今いないのだ。
「百零は今なにしてる!?」
「カフェを守ってます……、多分」
「J地区か……! じゃあお前ら、そこで百零を拾ってモニタールームに急げ! くそ、時間稼ぎされていたのは俺達の方だぞ……!」
すぐにロールがバイクを発進させた。
ロールの後ろで俺の頭はこんがらがっていた。一体誰が敵なんだ。執行さんがNursery Rhymes側だったのか?でも執行さんが裏切り者だとして、一人でアジト内をめちゃめちゃにできるとは思えない。
すでに他にも侵入されているということだろうか。くそ、煙さんの思考スピードにはついていけない。
「死音、しっかり掴まって!」
ロールは街中をかっ飛ばす。車道は放置された車などが邪魔だったので、歩道を走っていた。その爆走でJ地区までは数分だった。
カフェにつくと、百零さんが依然としてそこを守っていた。
バイクから飛び降りた俺とロールは百零さんの元まで走る。
「百零!」
「おお、ロールに死音じゃねーか。どうしたよ?」
「百零さん、ここは誰も通してませんよね?」
百零さんの周りには数人の死体が転がっていて、どうやらしっかり防衛をしてくれていたようだ。百零さんには愚問か。
そう思っていると、百零さんの口から恐ろしい言葉が放たれた。
「いや、結構前にです子が来たから通したぞ」
「……なっ!」
です子さん……だって?
「ん? 何か不味かったか?」
目を見開く俺をロールと百零さんが訝しげに見た。
「もしかして、アンタまだです子を疑ってるの? 今怪しいのは執行じゃない」
なんでだよ。おかしいじゃないかこのタイミングでアジトの中に入ってるのは。
それにです子さんはニューロードにいるはずで、連絡がつかないと言っていたんだ。
だけどおそらく、です子さんはNursery Rhymesと"協会"の軍勢の中に混じってこの街にやってきていた……。思えばセンの記憶が消えたのも怪しいじゃないか。です子さんなら記憶を消すくらいできるのかもしれない……。
裏切り者は一人じゃなかったんだ。
「……いや、とにかく中に入ろう。百零さんもついてきてください。説明は後でします」
ーーー
カフェからアジトの中に入ると、俺達はそこで酷い惨状を目の当たりにした。
ところどころ鮮血に染まった壁、廊下。
構成員の死体がそこら中に転がっている。
「なにこれ……」
「一体誰がやったんだ……」
俺はこの状況にです子さんを結び付けないロールと百零さんに、恐怖すら抱いていた。
何が起きているのか分からないというのは同感だが、明らかにこれはです子さんの仕業だ。
俺は二人に何も言うことなく「先に進みましょう」と言って先行した。
そして俺達はモニタルームに辿り着く。
中からは音が聞こえないので、人はいないようだ。
観測塔兼モニタルームのプレートを見上げ、再度確認すると、俺は扉を開けた。
視界に飛び込んできたのは血の海だった。
思わず後ずさる。ロールと百零さんの言葉を失っていた。
ここで仕事をしていたはずのすべての人間が惨たらしく殺されていたのだ。
直視出来ないほどぐちゃぐちゃになっている死体もあった。
俺達はその死体を越えて中に入る。
頭上を見上げると、なぜか光が弱く元々薄暗いモニタルームは更に暗くなっていた。
「これ、メインの電源が落とされて、予備電源に切り替わってるわ……」
なるほど、そういうことか。意図は簡単だ。Anonymousの機能を持続させないため。
モニタルームの中央に進むと、百零さんがあるものに気がついた。
「おい、あれって……」
百零さんが指差した先をロールと俺は見た。
するとそこには、正面の大ディスプレイの横の柱に磔にされた女性の姿があった。
「執行……!?」
俺はそれがすぐに執行さんだとは分からなかった。ロールの言葉でやっと気づく。
すぐに気づけなかったのも無理はないだろう。なぜならば、執行さんの上半身と下半身が切り離されていて、その服と体は血で塗れて真っ赤になっていたからだ。
当然、死んでいた。
ロールがほんの少しよろめく。
百零さんも目を見開いている。俺も多少の嘔吐感を押さえていた。
そんな時、後ろに新たな音が現れた。
「……人の心を読める分。私は色んな人の嘘を知っている」
その声ではまだ振り向けなかった。誰も。
「人の心を読める分。私は色んな人の本心を知っている」
その声でも。
「人の心を読める分。私は……、人の心の醜さを知っている」
両隣の二人は硬直していて、俺はかろうじて首を後ろに動かした。
「ねぇ、死音くんは知ってる?」
モニタルームの一番上の段に立つ彼女を振り返って見上げる。
投げられる問に俺の心臓はバクバクと脈打っていた。
「人の心が一番綺麗になる時を。この世に生を受け、母親の子宮から取り出された赤ちゃんのように、透き通った心になる瞬間を……」
そこには栗色の髪の女性、低い身長に幼き容姿のです子さんが立っていたのだ。
返り血をこれでもかというほど浴びたのだろう。びちゃびちゃになったドレス、その小さな片手には黄金のマスクが掴まれている。
やっぱりです子さんが、Nursery Rhymesだった。
そして俺はその事実より先に、俺はです子さんの質問の解を考えていた。いや、あるいは考えさせられていたのかもしれない。
すでにこれは彼女の術中なのか。分からない。
とにかく、両隣のロールと百零さんは依然動けずにいる。
しばらくの静寂を空けて、です子さんの声は続いた。
「それはね。心から生きたいと願う時なんだ。もっと端的に言うとね、死の直前」
すらすらと彼女の声が耳に入ってくる。
モニタルームに反響するです子さんの声は、狂気そのものだった。
「死を前にして、生きたいと願う時。どんなに腐った人の心でも、それはもうとっても綺麗なんだよ。
絶望はできるだけ濃い方がいい……、可能性はない方がいい……!
明確な死を前にした人の心こそ、私にとって追求された美なんだよ!」
「です子さん……!」
「……彼女、良い声で鳴いてくれたよ」
です子さんはニコッと無邪気に笑ってそう言った。




