追撃の子守唄
棺屋を倒した俺は、ビルを降りて地点E-22に向かっていた。E-22は先程千薬さんに伝えたポイントだ。そこで彼女と合流して、俺は傷を治してもらうという目論見である。
脇腹の傷は深い。放っておけば出血多量で死ぬ。そうじゃなくても、このままだと俺は戦力外だ。
因子さんは、俺と棺屋の戦闘が終わった直後に、どうやらやられたみたいだった。それは俺が千薬さんをE-22に向かわせたためだ。
因子さんの能力は大人数を拘束することができる代わりに自分も動けなくなる。だから千薬さんを向かわせようとしていたのだが、彼女の到着が遅れることによって、彼はどうすることもできず、やられた。
だけど、因子さんが生き残るより俺が生き残った方が絶対に良い。後々の展開を考えても、俺が傷を治して指揮に戻った方がいいはずだ。
俺は強めに一歩を踏み出す。自分の命と引き換えに仲間を見殺しにした罪悪感は、それほどでもなかった。
俺が進んだ後には血痕が転々と残っている。もたれかかっている壁にも血がついていた。
脇腹を強く抑えて止血している気になっているが、これはそろそろまずい。
止まらない血を見て、俺は千薬さんにこちらへ向かってもらうことにした。
「千薬さん、こちらに向かってきてくれませんか。そこの大通りを真っ直ぐ進んでくれると助かります」
『了解』
返事を聞いて、俺は一人で頷く。
今の戦況はほとんど把握できていないが、再展開した集音フィールドによって雰囲気は感じ取ることができる。
そこまでAnonymousが劣勢という訳でもないらしい。
とりあえず、アジトの入り口を守る彼らが無事なので、Nursery Rhymesの進行がそこまでのスピードでないことが分かる。
因子さんと千薬さんで対応するはずだった敵軍は、現在、他メンバーがアドリブを効かして対応してくれている。もしかすると執行さんが一旦指揮を変わってくれているのかもしれない。
インカムでつながっているはずの彼女からは、なぜか返事がないが。
「クソッ!」
脇腹の痛みに苛立ちを感じて、俺は壁に拳を叩きつけた。そんなことをしてもさらに傷が痛むだけなのだが、どうしてもこの状況に苛立ちを感じる。
いっそ逃げ出してしまいたいくらいだ。
でも、それはできない。
Anonymousを抜けた後、俺はその先一人で生きていけるだろうか。無理だ。
仲間を裏切る、それより先に俺の脳裏にはそんな懸念が浮かんでいる。
内心自嘲気味に歩いていると、ふと俺は接近してくる音に気づいた。
かなりのスピードだ。
もうすぐそこまで来ている。が、十分余裕を持って気づけた。
敵を避けて千薬さんの元へ向かっていたのだが、こうも血を流すと強化系の能力者には位置がバレてしまうか。
くそ、この状態では使える音撃も後2,3発がいいところなのに。
俺は敵をギリギリまで引きつけてから、勢い良く振り返って音撃を放った。
放たれた音撃をまともに食らい、イヌ科だと思われる強化系の能力者は後方に吹き飛んで、壁に叩きつけられる。
Nursery Rhymesの人間か。もう敵の位置は分からないな。一般人の避難が完全に完了したら容易く感知できるのだが、その頃には大将も到着するはず。間に合っていない。
「ハァ、ハァ……」
体力の限界が来ているのが分かった。
"無音世界"と心音撃は体力を使いすぎる。その上この傷だ。
棺屋を早々に消せたのは良かったが、アクシデントには変わりない。
レンガはまだなのか。
丁度そう思った時だった。
「ギャァオォォオオオオオオ!!!」
つんざくような咆哮が、上空から聞こえてきた。
すぐさま空を見上げたが、路地からではレンガの姿は見えなかった。
俺は脇腹の痛みも忘れて大通りへと急ぐ。
大通りへと出ると、ビルとビルの隙間から空高くを旋回するレンガの姿が見えた。レンガは首を左右に振って俺の姿を探しているようだった。
そんなレンガに向けて俺は声を上げる。
「レンガ! ここだ!」
俺の声を聞いたレンガは空中停止し、こちらを向いた。
口角が思わず吊り上がる。レンガが来れば戦況も大きく変わる。
まだ子どもとは言え、レンガは神話級の魔獣。人間が対応できる種族ではないのだ。
それに、しばらく見ないうちにまたデカくなってる。
これは期待できそうだ。
俺は大きく手を掲げてレンガを呼び寄せようとする。すると、遠方でレンガの巨大な双顎が俺に向けて大きく開かれた。
噛みつかれたらひとたまりもないだろうという鋭い牙の光沢が、この距離からも見て取れる。
「……?」
なにやら様子がおかしい。俺が訝しげにレンガを見ていると、レンガはまたも咆哮をあげた。
「ギャァアアオオオオオオ!!!」
そして咆哮と共にレンガの双顎から吐き出されたのは、とてつもなく巨大な火球だった。
「な……!?」
凄まじい熱気が先に俺を襲った。レンガの放った火球はビルを削り、俺の元へ向かってくる。
「うそ……だろオイ!」
どう考えてもここからの回避は不可能。
眼前の火球は見る見る大きくなっていき、接近してくる。体は動かない。
死んだ。そう思った時、突如、俺の視界が赤に染まった。
「ペットの躾がなっていないようだな、死音くん」
じゅうと、焼けるような蒸発音に落ち着いた声が混じる。
俺の目の前……いや、周囲を囲ってたのはどす黒い血の膜だった。
振り返ると、そこには千薬さんがいた。どうやら、俺と千薬さんを覆うこの膜は彼女の血による強固な結界らしい。
千薬さんは肩に移動販売用の巨大なビールサーバーのようなものを担いでいて、それを地面に下ろした。
千薬さんが軽々と持っていたサーバーは、俺が思っていたより重量があるらしく、地面に下ろされた時、予想外の重量感を感じさせた。
血の膜の外からはレンガの咆哮が聞こえてくる。そして火球による攻撃もまだ続いているらしく、膜の内側も徐々に温度が上がってきていた。
追いつかない思考のまま、とりあえず俺は千薬さんにお礼を言う。
「……千薬さん、助かりました」
「ああ、傷をみせてごらん」
歩み寄ってきた千薬さんに傷を見せるべく、俺はおさえていた傷口から手をどけた。そしてそのままその場にゆっくりとしゃがみ込む。
側で片膝をつけた千薬さんは俺の傷口に手を当てた。
彼女の能力、治癒加速が発動され、傷口に熱がこもる。
「走れるようになるまで回復させよう。この結界ももう持たないからな。輸血もしておくか」
「お願いします」
外で響く轟音。
千薬さんのもう一つの能力は、血を自在に操る能力だ。レンガの火球に耐えうる結界を張れる時点で、かなり強力な能力である。
御堂龍帥の攻撃もこれで防御していたし、防御面に優れている。
しかしあの時は屈んで面積を狭くして防御していたが、今回は大胆に大きく壁を作っている。使う血の量も多くなるはずなのに。
「それよりあれは死音くんが手懐けた神話級じゃないのか? なぜ攻撃されている」
千薬さんは言った。
「そうなんですけど……、分かりません」
どうなってるんだレンガは。俺を攻撃してくるなんて。
しばらく会ってやれなかったから怒ってるのか……?
いや、レンガは賢い。いくらなんでもそれはないだろう。
俺がいない間に何があったんだ。
世話はロールとです子さんに頼んでおいたし、カフスさんも見てくれていたはず。
待てよ……。です子さんだ。
彼女の能力なら、レンガを洗脳することができるんじゃないだろうか。
レンガは様子がおかしい。元々じゃれつきが攻撃みたいなレンガだったが、未だに続くこれは明らかに敵意のある「攻撃」だ。
さすがに、全く育ててないとはいえ、親の俺にこれはありえない。
しかし、洗脳されているとするなら……。
まだ人語を解するに至らないレンガが、唯一意思疎通できるのがです子さんだ。です子さんはよくレンガのところへ行っていた。レンガと名付けたのもです子さんだし。洗脳されてもおかしくはない。
百零さんと執行さんはです子さんの線はないと言っていたけど、やはり彼女は怪しい。
「千薬さん。この結界はどれくらい持ちます?」
「もうあと2,3発も受ければ崩れそうだな。馬鹿みたいな火力だ。血を2リットルも使ったというのに」
千薬さんは依然治癒を続けながら答える。ぎりぎりまで回復させるつもりなんだろうか。
もう余裕がないはずなのに、千薬さんの表情は随分余裕ありげだった。
何故かそれで俺も安心してしまっているが、大丈夫なんだろうか。
「そんなに血をつかって大丈夫なんですか? 死ぬんじゃ……」
「いや、大丈夫だ。そこにサーバーがあるだろう」
千薬さんは先ほどまで担いでいたサーバーを指差した。俺はそちらに視線を移す。
「あの中には私の血が溜めてある。アジトのには私の血が保存してあるんだが、その解凍に時間がかかって出遅れた」
「なるほど……」
千薬さんが最初にいなかったのはそれでか。
しかしすごいな。過去に抜き出した血も操ることができるのか。
「もう走れそうです。一旦レンガを撒きましょう。この状況じゃ落ち着かない」
「分かった」
千薬さんがそう言うと、周囲の血の壁はどろりと液状化して地面に落ち、そのまま地ににじんだ。
レンガの火球によって燃えつくされる景色が展開し、そして新たな火球が迫りつつあった。
俺は急いで立ち上がり、走り出す。
サーバーを担いだ千薬さんも同様に駆け出した。同時に千薬さんの担ぐサーバーの注ぎ口から大量の血が噴出し、俺と千薬さんの背後を守るように巨大な壁を作る。
それがレンガの姿を隠したが、火球を防いだ。
「今のうちに逃げるぞ」
レンガを振り切れるだろうか。
溜息さんのバイクで振り切れなかったのを思い出して俺はハッとなった。
レンガには鋭い嗅覚もある。
走りながら俺は考える。
とにかく、レンガの存在は負に働く。ずっとレンガの攻撃を回避することなんてできないし、元の状態に戻る確証がないなら……。
「千薬さん、レンガと戦ったら勝てますか……?」
「分からない。神話級とは言え、まだ子どもだから殺すだけの火力を出すことは出来るとは思うが。ブラッドサーバーも持ってきていることだしな」
走りながら会話して、俺は決心した。
「俺が囮になります。千薬さんは隙をついてレンガの駆除をお願いします」
元々レンガとの絆なんてものはほとんどない。こっちは生まれた時にたまたま居合わせただけで、大した感情を持ち合わせていないのだ。
だから、今邪魔になるなら殺したほうがマシだ。
他にレンガの標的を擦り付けることができるなら話は変わってくるが、この様子だと俺からターゲットが外れることはなさそうだし。
「囮とは言うが、あの火球の攻撃範囲は広い。逃げ切れるか? 気を使わずに私に押し付けてもいいんだぞ。死音くんは指揮官だろう」
「……じゃあ、お願いします」
俺がそう言った直後、斜め後ろ上空に音が現れた。
振り返ると、形成された血の壁の丁度上あたりに、白い軍服を来た人間が数人見受けられる。
雰囲気で分かった。あれは大将二人を含んだ自衛軍の援軍。
そして、その中に弦気の姿も見えた。
「ああ……」
俺は思わず立ち止まっていた。
ああ、絶望的だ。この状況、もう撤退した方がいいんじゃないだろうか。勝てる見込みがない。
このままだと全滅だ。




