狂撃の子守唄
「すいません、交戦するのでしばらく指揮を離れます」
メンバーにその声を届けて、俺はフェンスを飛び越え、高さ200mをゆうに超える超高層ビルから飛び降りた。
空気抵抗を有した自由落下。ホルダーから射出機を取り出し、俺は体を反転させる。
「逃さねーぜ」
棺屋の反応は早かった。微塵も躊躇わずに、奴も俺を追ってビルを飛び降りてきていたのだ。
射出機から発射したワイヤーは棺屋の真横を通過し、屋上のフェンスに絡まる。
ビルの壁に足を着け、落下の勢いを殺しながら俺は棺屋に向けて音撃を放った。しかし棺屋は真横のワイヤーに手を伸ばし、それを引っ張って大きく横に飛んだ。ワイヤーを引っ張られたことにより俺の体勢が崩れる。
体勢を立て直しつつ棺屋に視線を戻すと、そこに奴の姿はなかった。
まただ。消える瞬間は初めて見たが、前に戦った時もこうして奴は唐突に姿を消した。音も残さずに。
今の音撃もそれで回避されたのだろう。
ビルの窓に音撃を放ち、破壊した場所から俺は一旦ネオスレイシイドビルディングの中に侵入した。
そこは何かの会社のオフィスらしく、侵入してきたAnonymousの仮面を被る俺を見て各所から悲鳴があがる。
気にせず俺はグチャグチャになった部屋の中を早足で進んでいき、射出機をホルダーにしまって、代わりにナイフを取り出した。すると、オフィス内の人々は一斉に逃げ出した。
半径2kmの集音フィールドを解くべきか考える。
棺屋との戦闘となれば、索敵に気を使ってる場合ではない。他の音を聞いたまま闘うのは悪手だ。
しかし俺が一度音を見失うと、また指揮に戻った時に陣形を維持できない。
クソ、どうする。
今索敵をやめて棺屋に集中したとして、その後また敵の位置を把握するのに時間を使ってる暇があるとは考えられない。
大将も二人向かってきているんだ。増援はまだ時間がかかる……。
でも一度見つかった以上、棺屋から逃げ切るのは不可能だ。前戦った時にそれは分かっている。こっちに誰かを呼びたいが、それを待ってる余裕はない。
やっぱり、戦うしかない。
「前に戦った時はお互い不完全燃焼だったよなあ」
後ろから声が聞こえて、俺は振り向いた。
そこに当然のようにいるのは棺屋。奴は俺が壊した窓の近くに立っていた。
また、音もなく現れたのだ。
俺は思わずギリと歯を鳴らした。
「ハハハ、そんな顔せずに付き合ってくれよ死音。他の奴らはもうおっ始めてるんだろ? 俺は出遅れちまってさァ」
言葉を紡ぐに連れて、棺屋の感情が高ぶっていくのが分かった。
狂気的な笑みを浮かべ、彼は俺を見据える。
「……マジで鬱陶しい」
棺屋の血走った瞳を見つめ、俺は呟いた。
「つれないねぇ」
「だってお前らは、誰でもいいから殺しがしたいだけなんだろ」
そんなキチガイ共には付き合ってられない。
「そういうわけでもない。俺は仕事では人を選ばないが、こっちの顔の時はちゃんと殺りたい相手を見極めるのさ」
「俺を、ちゃんと見極めたのか……?」
「んー。なんて言うかお前はな……苛めたくなるんだよ」
棺屋の殺気で俺の背筋にぞわりと何かが走る。しかし同時に俺の中に湧き上がるのは怒りだった。
苛めたくなるって、ふざけるのも大概にしろ。
ガンと、俺は目の前のデスクを蹴り飛ばした。
その陰から俺は棺屋に接近し、ナイフを伸ばす。しかしその瞬間、フッと棺屋の姿が消え、奴はいきなり俺の背後に現れた。
「……!」
振り返る前にとっさに音撃を放つ。しかし奴の姿はそこでまた消える。
視界の端でギリギリ映ったのは、壁に溶け込むように消えた棺屋だった。
今のが棺屋の能力。
しかし分からない。どういう能力なんだ。壁に溶け込むというよりは、壁の中になんの抵抗もなく入っていったというか……。
「っ……!」
ズン、と脇腹に鋭い痛みが走った。
見てみると、隣に立つ棺屋が俺の脇腹にナイフを突き刺していた。
激痛と共に、服に血が滲んでいく。全く反応できなかった。
クソ、実力が違いすぎるだろ。
「ぐぅ……! っぃい……! 」
「いつもならこれで終わりなんだがな。急所を外した。今日は楽しんでいい日だ」
そう言って棺屋はぐいぐいとナイフを突き押してくる。俺は後ろに後ずさり、後ずさり、やがて壁まで追い詰められた。
ナイフを抜こうと棺屋の手に爪を立てたが、腕力の差でどうにもならなかった。
「イカれ、てる……!」
「イカれてる? それは自分のことだろ。普通の人間は、絶体絶命のこの状況で、そんな目はできない」
顔をしかめ、俺は激痛に耐える。音撃を撃てばこの階は崩れるかもしれない。そうなると、ダメージを受けている俺は対応できないだろう。
いや、この状況を打破できないなら同じだ。
「っらァ!」
壁のある背後に向けて音撃を放つ。
至近距離で衝撃波を受けて、壁に巨大な穴が空き、隣の部屋と繋がった。
俺はそれと同時に大きく後ろに退き、ナイフを引き抜く。
痛みに歯を食いしばりながら、俺は脇腹を抑えた。
「ハア、ハア……」
「やっぱり甚振って殺すのが良い。一瞬で終わる殺しなんて、つまらないもんだ」
棺屋は俺へと歩を進めながら言った。
俺は脇腹を抑えつつ、脳をフル回転させた。どうすればこの状況から生き延びられる?
棺屋を凝視していると、奴はずぶんと床の中に入り込んだ。
その様子を見て、俺は目を見開く。やがて床の中に完全に姿を消した棺屋は、俺の背後の床から現れた。
背中に蹴りを加えられ、俺は血を撒き散らしながら地面に転がる。
脇腹の痛みをこらえながら、俺はすぐに立ち上がった。
「影……」
「良いヒントになっただろ?」
棺屋は肩を竦める。わざと、俺に能力使用の瞬間を見せたというのか。
ナメやがって。
「そう。俺の能力は"影廊"。影の中を自由に移動できる能力」
やはりか。なら音撃も影の中に逃げられたら当たらない。
接近も後退も自由にできる、まさに殺し屋向けの能力だ。
ふうと息をついて、俺は口を開いた。
「千薬さん。E-22に向かってください」
それだけ伝えると、俺は集音のフィールドを切った。
こうなったら、流石に俺の命を優先させてもらう。
"無音世界"
周囲100m。俺はその範囲で聞こえうるすべての音を消した。
無音。音がなくなった世界で、俺は大きく深呼吸する。棺屋は音がなくなったことで、一瞬周囲をグルッと見渡した。
俺が宵闇さんとの修行で得た一番大きなモノ。それがこの技だ。
俺が苦しそうな表情をしているのを見て、棺屋はにやりと笑った。この技は全ての音を消す技なだけに、かなりの集中力と体力を消耗する。連発は不可能。一日に一度と決めている技だ。
棺屋のようなプロからすれば、音が消えたくらいどうってことないだろう。
だけど俺もそんなことは知っている。
これは、相手に音を聞かせないための技ではないのだ。
"無音世界"は、俺がより正確に音を聞くための空間……。俺だけが音を扱うことのできる空間。
棺屋、いつまでそうして笑っていられるか、見ていてやる。さっさと俺を殺してしまわなかったことを後悔しろ。
棺屋が口をパクパクと動かして何かを言ったが、聞こえない。
俺は1つの音に集中していた。
ドクン、ドクンと。脈動する音が聞こえてくる。
その音は、次第に強まっていった。
俺はその間、ただじっと棺屋の目を見据えた。棺屋は依然余裕の態度でゆっくりとこちらまで歩いてくる。この無音の空間は、俺の些細な抵抗だとでも思っているのだろう。
俺は息を切らしながら、集中した。
そんな中、先手をうつように棺屋が急接近する。
その瞬間、俺は棺屋の心音を、一気に爆発させた。
――心音撃
俺が生み出した、回避不能の一撃必殺。
体の内部から放たれた音撃により、棺屋は弾け、そしてその血肉が霧散して飛び散った。




