忍び寄る闇
あれから一晩経って、俺は宵闇さんに修行の終了を告げられた。
続けてほしいと言ったが、宵闇さんは頑なに俺の頼みを断った。
理由は2つあった。
一つは俺が昨日の戦闘で負った傷が思いの外深く、千薬さんの治療が必要だから。
とはいえ、実際は命に関わる傷というわけではなく、俺はかすり傷だと思っている。
ただ、少なからず修行に影響がある傷を負ったのだ。両手と胸は包帯でぐるぐる巻き。そして頬には大きなガーゼを貼っている。
元々、宵闇さんには修行に少しでも影響の出る怪我をしたら打ち止めと言われていたので、これは仕方ない。
もう一つの理由は、もうすぐ約束の一ヶ月が経つからである。宵闇さんとの修行は冬休みの間だけ、と最初から決めていたのだ。
これも仕方ない。
だけど俺は、冬休みが明けて学校が始まっても、もう学校に行くつもりはない。
だから修行を続けてほしい。
そう言ったが、宵闇さんが首を縦に振ることはなかった。
宵闇さんはおそらく、この2つの理由を言い訳にして、俺の修行を終わらせようとしているのだ。
俺はもっと強くなりたい。
でもきっと宵闇さんは、俺を強くすることに罪悪感を覚えている。
道を踏み外した俺は、悪の道に乗った俺は、今の宵闇さんからどう見えるのだろうか。
人を殺せない今の宵闇さんには、親友まで手に掛けた俺はどう映るんだろう。
どう、思っているんだろう。
宵闇さんが自分の過去を後悔しているのだとすれば、俺は宵闇さんの過去なんて全く知らないけど、俺の進む道はよく思えないはずだ。
それ故に彼自身、耐えきれなくなったのかもしれない。見ていられなくなったのかもしれない。
昨日のことは、宵闇さんも見ていたはずだから。
「短い間でしたけど、ありがとうございました」
俺は片道分の交通費をポケットに入れて、頭を深く下げた。荷物はない。
来た時と同じ格好で、俺は宵闇さんの部屋の前に立っている。
時刻は午後の1時すぎ。これから俺はバスに乗ってスレイシイドへと帰るのだ。
「ああ」
たった一ヶ月一緒に過ごしただけなのに、しかも最初の方は監禁されていただけなのに、俺は宵闇さんとの別れを寂しく感じていた。
彼の素っ気ない返事、まるで感情が篭っていない言葉。そしてそれに隠された不器用な優しさは、溜息さんと似ている。
いや、溜息さんが宵闇さんに似たのだろう。
「中途半端に終わらせてすまん」
そう思うのなら続けてくれてもいいじゃないか。
そんな本心は口に出さなかった。無粋ってやつだ。
代わりに軽口を叩く。
「宵闇さん。俺がいなくなったら、また一人で寂しいですね」
「……」
「そこはなんか言ってくださいよ」
「確かに寂しくなる。俺も、久しぶりに悪くない時間を過ごせたからな」
宵闇さんはほんの少し口角を吊り上げて見せる。それを見た俺は、少し驚きつつも半身になった。
「意外ですね。迷惑じゃなかったですか?」
「迷惑じゃなかったと思うか?」
「ですよね」
「もう行け。バスに遅れる」
「じゃあ、行きます」
「ああ」
宵闇さんがうなずいたのを見て、俺は完全に背を向ける。
そのまま階段の手前まで歩いた。
そこでふと足を止め、考えた。
宵闇さんはまた一人で暮らしていくんだろうか。
消費するように毎日を過ごしていくんだろうか。
……Anonymousには、もう絶対に戻らないんだろうか。
振り返ってみる。
すると部屋を出て俺を見送る宵闇さんと目があった。
「……宵闇さん」
「ああ。また来い」
無表情のまま、彼は言った。
俺はしばらく黙り込んだが、応える。
「また来ます」
階段を降りていく。
もう一度振り返った時はもう、アパートは遠く離れていた。
――こうして俺は宵闇さんとの修行を終えたのだった。
ーーー
ここはとある森の中に建てられた屋敷。
屋敷の主が死んでから何年も経ち、風化して廃屋と化した。
その廃墟の一室は今、真紅に彩られていた。
壁に、床に、円卓の上に、血肉が塗りたくられている。
餌食となった数人のうめき声が部屋のBGMとして奏でられていた。
ここは"彼ら"が集まるためだけに用意されたパーティ会場だ。
巨大な円卓を囲むのは派手な仮装をした者達。老若男女、あらゆる雰囲気を纏う彼らは、総じて顔を金や銀の仮面で覆っていた。
ある者は顔全体を覆うフルマスク。ある者は目から鼻にかけて顔の上半分のみを覆うアイマスク。
金属製の光沢が、薄暗い部屋の中で僅かに輝いている。
広い廃墟の部屋は、十数人の人間が入ってもまだ余裕のある間取りだった。
彼らは一言も話さない。
ただ、待っていた。"彼女"を。
コツン、コツンと。階段を降りる音がうめき声に混ざり始めた。
その足音が近づいてくるにつれ、鮮血の部屋の緊張感は増す。
元は立派な屋敷だったこの廃墟は、中央の客室に螺旋階段が通じている。
その螺旋階段の先から、やがて"彼女"が姿を現した。
"彼女"もまた、黄金の仮面で顔を覆っていた。
所々血で濡れたドレスの白が、仮面の黄金を引き立てていた。
"彼女"はゆっくりと螺旋階段を降りてくると、用意されていた椅子に腰掛けて、一度パンと手を鳴らした。
「アハハ。もう、そんなにかしこまらなくていいよ。楽にして」
"彼女"がそう言うと、部屋の緊張は一瞬で解けた。
息をつく者、途端に話をし始める者。それぞれが椅子に座ったりして、円卓の周りを囲んでいた綺麗な円は崩れる。
「とりあえず、久しぶりだね。みんな。
色々話したいこともあるけど、先に本題を話すよ」
猟奇的な殺人を繰り返す組織、Nursery Rhymes。
その構成員が彼女の言葉にそれぞれ頷いた。
「今日集まってもらったのはね。準備が整ったからなんだ」
部屋がざわめく。
「準備が整ったってどういうことですか? リーダー」
声を放った構成員の一人に、"彼女"は視線を移した。
「私達の野望に向けた第一歩が、やっと踏み出せるってことだよ。今まで散々焦らしてごめんね」
彼女は椅子の欄干にべっとりと付着した血を指ですくって、それをじっと見つめた。
そして言葉を続ける。
「だけど、これまでみんなをまともに動かしてあげられなかったのは、それだけ慎重だったってことなの。何人かには捨て駒みたいな使い方をしたのも申し訳ないと思ってる」
申し訳ない。
そう言った割には微塵の反省も感じられない単調な声だった。
しかしそれを構成員が気にすることはない。
彼らは皆、捨て駒にされていい覚悟で"彼女"の元にいる。
「今日は、いつもの"指示"のために我々を集めた訳ではない、と?」
「ううん。今回のはいつもとは違って、少し刺激的な指示ってだけだよ」
「なるほど。では、誰に対する指示でしょう?」
"彼女"の口元が歪んだ。
期待の眼差しが集中する。誰もが指名されるのを望む。
「Anonymousのアジトの場所を教えてあげる。今回はみんなで行こっか」
いつもはここで数人だけが名前を呼ばれるのだが、今日は違った。
みんなで行こう。"彼女"はそう言ったのだ。
廃墟に、狂気の歓声が上がった。
"彼女"は全員に今回の指示を伝える。
そして最後に言った。
「一緒にたくさん殺そうね。みんな」
第六章、終了




