鏡の闇
大都市ニューロード。
この都市は"協会"などの反社会的組織の威光が強く、自衛軍は手を焼いている。
繁栄してるこの街だが、殺しや組織間の抗争が割と表立って起きる。
宵闇さんがこの街に定住するようになったのは、そういった暮らしやすさがあったからだそうだ。Anonymousの支部がなかったというのも大きいかもしれない。
「33階って言ったら、どれくらいですかね?」
俺はグローブを両手に嵌め、指先までピンとそれを装着する。
そして射出機の握り具合を確かめて、後ろに立つ宵闇さんに振り返った。
「大体20mくらいだな」
もう一度俺は40階建てのビルから下を見下ろしてみる。
地上は遥か先。行き交う車のライトが右往左往にチラつく。
この高層ビルからの夜景は圧巻だ。
「もう少しありませんか、これ」
柵越しに言った。宵闇さんは答えない。
「結構重要ですよ。調べてくれたら良かったのに」
「そこはお前の技量だ。階数が分かっていれば十分だろう」
依頼は、本来なら標的を殺る前にじっくり時間をかけて情報を集める過程がある。だが、冬休みという短い期間で、生憎そんなことをしてる暇はなかった。
だから宵闇さんは、短期間で数をこなすために腕利きの情報屋を何人か雇っている。情報面のあれこれは宵闇さんがして、俺がはひたすら標的を狩るというスタンスだ。
報酬は全て情報の工面などに使うので、取り分はそこまでない。
そもそもそれ以外の金はほとんど必要ないので、俺と宵闇さんはたまに豪華な食事に手を出すくらいだ。
「そうですね」
今の文句は言ってみただけだった。
当初は考えられなかったけど、今では軽口が叩けるくらい宵闇さんとの距離は縮まっている。
仲良くなったなんてそんな風には思っていないが、慣れたのだとは思う。たまにしくじってぶん殴られることもあるけど。
要するに、宵闇さんと依頼をひたすらこなしていったこの二週間は、それだけ密度の濃いものだったということだ。
俺は屋上を仕切る柵を掴んで少し揺らしてみる。これなら大丈夫だな、そう思いながら一歩踏み出した。しかし「待て」という声がかかって、再度振り返る。
「なんですか?」
「標的の確認をしろ」
「はい」
溜息を吐きかける。俺の言った「はい」の後にはもう一つ「はい」が続きそうだったが、堪えた。
「標的はマーラファミリーの幹部、セグ=カーター。特徴は耳と唇をつなぐ鎖のピアス。緑髪。身長177cm、体重66kg。能力は電気を軽く扱える程度の操作系だけど、触れた相手を気絶させる能力だと詐称している。依頼人との関係は……」
「分かった。もういい」
宵闇さんは俺の言葉を遮って、行けのサインを出した。
それを見て、俺は40階建てのビルの屋上から飛び下りた。
大きく前に跳躍して、すぐに落下が開始する。俺は体を反転させ、両手両足を開いて空気抵抗を存分に受ける。
階数を確認しながらしばらく落下すると、俺は屋上の柵に向けて射出機のボタンを押す。勢いよく発射されたワイヤーは屋上の柵に巻き付き、先の重りによってワイヤーは固定された。
俺は射出機にグッと掴まり、柵を支点にビルの壁に向かって進んでいった。
空中で短い逆アーチを描いた後、俺はビルの窓ガラスを蹴り破って内部に侵入する。音は当然消していて、俺は無音で着地した。すぐに辺りを見渡すと、窓際の通路に出たことが分かった。
誰も俺の侵入には気が付かない。
俺は立ち上がって耳を澄ませてみる。
この階には現在三人しか人がいない。人のいない時間をわざわざ調べて突入しているから当然である。
そして、その三人のうちの一人が標的だ。
今の俺の服装は宵闇さんが昔使っていたフード付きの黒いジャケットとスラックス。そして口元を隠すマフラーだ。
フードとマフラーは仮面に比べて頼りない。顔を半分しか隠せないのだ。
まあ俺の顔を見た奴は基本死ぬので、問題ないと言えば問題ないのだが。
とはいえ、標的以外の人間を殺して変な恨みを買うのもいけないから、それは極力避けなければならない。
だから、なるべく顔は見られないように努めている。
俺は廊下を歩いて部屋を見渡していく。
三人はそれぞれ別の部屋にいるみたいなので、好都合だった。
俺はポケットから端末を取り出し、セグ=カーターに電話をかける。
彼の電話番号は、宵闇さんが調達したのだ。この端末も宵闇さんが新たに用意したもの。
俺は一度立ち止まる。
端末は耳に当てず、辺りの音を聞く。
すると、軽快な着信音が一つの部屋から流れ出した。
あそこか。
俺は奴が出る前に電話を切って、早足で着信音が聞こえた部屋まで向かう。
そしてその部屋の扉を静かに開けて、部屋の中に入った。
セグ=カーターは部屋に入ってきた俺に気づき、言った。
「なんだお前は」
その言葉に対して俺は部屋の鍵を閉める音をあえて聞かせることで答えた。
セグ=カーターの表情が凍りついた。
「ま、待ってくれ……! 俺には娘が……」
言い終わる前に音撃を放った。
放たれた音撃はセグ=カーターにのみ直撃し、彼は背後の壁に叩きつけられる。
無論、無音の出来事。
僅かに息のあるセグ=カーターの元まで歩み寄り、俺はその喉元にナイフを突き刺して止めを指す。
「500万の命か……」
呟いた。
殺し屋にとって、人の命の価値は大体300万〜600万程度。
「安くはないな」
独り言が増えたと思う。誰にも聞こえない、聞かせない。本当に自分が聞くための声。
前まで独り言は他人に聞かせるものだと思っていたが、本当に誰にも聞かれる心配がないと、ブツブツ言ってみるのも悪くない。
それにしても、この環境は病みつきになりそうだ。
マフィアの幹部だったり、そこらのゴロツキだったり、民間人の恨みを買った富豪だったり。
普段顔を利かせているそいつらも、俺にはなすすべもなくやられていく。
俺は強い。そう思える環境は、最高だ。
自分の手のひらを見つめ、口元を歪める。
「終わりました」
俺は部屋を出て、宵闇さんに依頼達成の報告を済ませた。
ーーー
「60点だな」
完璧にこなせたと思っていたのに、思ったより低い点をもらった俺は眉を寄せていた。いつも通りでもある。
今日一日で受けた依頼を全てこなした俺と宵闇さんは、現在"協会"付近のファミレスで注文したメニューを待っていた。
「どうしてですか?」
今日一日の点が、60点。俺はその理由を尋ねた。
「第一に、遅い」
「はい」
遅い? まだ遅いって言うんだろうか。あれだけ迅速にこなしても。
宵闇さんが求めすぎてるだけなのでは?
「これで10点マイナス」
「あれ、10点だけですか。じゃあ残る30点はなんなんですか?」
「それは……緊張感だ」
「緊張感……?」
「いや、お前の場合は臆病さと言ってもいいな」
「臆病さ、ですか」
「そうだ。お前はそれを失いつつある」
「それって良いことなんじゃ……? 臆病さは戦闘に必要ないと思いますし」
「そんなことはない。ここに来る前のお前は臆病さこそが唯一の強みだったはずだ」
「それが同時に枷になってるという話だったじゃないですか」
「ああ、だからお前は極端すぎる。バランスが大事だ」
むちゃくちゃ言うなぁこの人は。
今度は臆病さを取り戻せってことだろ?
そんなの、今更無理に決まってるじゃないか。
「適度に怖がれ」
「その指摘、ちょっと遅くないですか? そもそも適度に怖がれってのも無茶ですし。怖くないものは怖くない」
逆に言えば怖いものは怖い。
でも、よく考えてみれば怖くないものは増えたのだろうか。
弱い標的ばっかり狩ってたから自信がついただけ?
イマイチ宵闇さんが俺に何をさせたいのか分からない。
「あえて放置したのは、お前に恐怖を思い出させるためだ」
「出た。どうせ宵闇さんが俺を半殺しにするとかそんなのでしょ」
「いや、俺だとお前は怖がらないからな。どうせ殺せないと高をくくって。
まあ実際その通りなのだが」
宵闇さんが自虐的に少し笑ったので、つられて俺もハハハと笑った。
しかし、次に続いた言葉で俺は固まった。
「だから、助っ人を呼んである」
「……誰ですか?」
「後ろを見てみろ」
宵闇さんが丁度そう言った時、ファミレスのドアが開かれる音がした。
「いらっしゃいませー」と店員の声。
振り返ってみると、そこには二週間前に見た顔がこちらに向かってきていた。
名は、棺屋万里。彼はポケットに手を突っ込みながら、俺達のテーブルの前までやってきた。
「中々派手にやってるみたいだな。"協会"の連中もお前らが片っ端から仕事を持ってくからって怒ってたぜ」
「そうか」
「お前もちょっとは強くなったか?」
棺屋は今度は俺の方に向いてそう言う。
どうなんだろうか。
強くなった、と言い切れる自信がなかったので、俺は答えなかった。
もうひとつ、宵闇さんが棺屋を呼んだという事実にも圧倒されていた。
棺屋万里、どうせこの人も馬鹿みたいに強いのだろう。
「で、頼みたいことってなんだよ、宵闇」
「こいつと少し死合って欲しい」
宵闇さんは俺を指差して言った。
俺は思わず「はぁ」と声を出してしまう。
「そういうことなら他を当たれよ。殺しちまうぜ? どういう考えかは知らねえが、俺に訓練的な死合はできないし、そういう空気も読めねえ」
「構わない」
宵闇さんが言い切ると、棺屋は少し複雑そうな顔をした。俺は思いっきり顔を歪めている。
「んー。もしかしてこのガキが俺の相手になるとか思ってるのか?」
「そんなことはない。存分に痛めつけてやってくれ」
「どうだかなあ」
棺屋は腰を曲げて俺に顔を近づけた。
俺の全身を舐め回すように見ると、後ろから料理が運ばれて来たので彼は俺の隣に座った。
「まあ、いいぜ」
棺屋は宵闇さんに人差し指を向けて言う。
「随分と不満そうだな」
金は払うぞ、と宵闇さんは付け足す。
「天下の宵闇サマにみくびられてるのが気に食わないんだよ」
冗談めかして言った棺屋だったけど、それはなんとなく本心なのだろうと感じた。
そもそも相手をするって、戦うということだろうか?
「案外見くびっているのはお前の方かも知れないぞ。こいつは暗殺の分野なら、いずれお前をも超える。すでにゲリラ戦なら死音の右に出る者はいない」
そこで棺屋は一度俺の顔を見た。驚いたような顔をしている。そこでしばしの沈黙があった。
「宵闇、でもか?」
「ああ」
「おいおい、随分と高く評価してるな。弟子ボケなら流石に笑えねーぞ?」
宵闇さんの顔は至って真面目だった。
いや、基本この顔なのだが、冗談を言ってる様子はない。
俺もそこまで評価してくれているとは思ってなかったので、少し照れくさくなって、窓の外を眺めることにした。
「やれば分かるはずだ。死音がお前に勝てないのは分かってる。
だが棺屋、お前はきっと死音のことを気に入るだろう」
宵闇さんはそう言って料理に手をつける。




