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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
六章
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心の闇

 腹が減って、上下左右の感覚もなくなって、倒れ込んだまま世界が回っていた。心身ともにもう限界なのが分かる。

 この暗闇にも慣れ始め、少しは落ち着いた俺だったが、それがさらに濃い絶望を生んで、また気が狂いそうになる。


 そんな中、幻聴が聞こえるようになったのはいつ頃からだろう。

 暗闇の向こうから俺に語りかけてくる奴がいるのだ。

 あいつは色んな方向から話しかけてくる。その声は時に近く、時に遠い。


 最初のうちは無視していた。

 考えると息が詰まり、苦しくなるので俺は思考を閉ざしていた。


 しかし、次第に俺は声を無視できなくなっていった。

 暗闇に紛れる奴の言葉に耳を傾ける。そうすると、苦しかった呼吸や、酷い空腹、暗黒が回る感覚が消え失せるのだ。


「だけどまあよく飽きないな風人も。いつまでそうしてるつもりなんだよ」


 暗闇のあいつは俺の名前を知っている。奴は俺のことを風人と呼ぶのだ。

 今度は後ろから聞こえたので、俺はなんとか首を動かして後ろを向いてみた。

 暗闇に視線を投げると、目が合っているような気がする。


「まただんまり、か。俺の声を聞くようになったのはいいけど、俺が一方的に話すだけじゃあな」


 暗闇のあいつは俺のこの状況を面白がっていて、ただ茶々を入れてくるだけだ。

 答えはしない。聞くだけだ。そう思っていたが、いつしか俺は言葉を返すのを我慢していた。


「でも宵闇の処置もてんで的外れじゃなかったってことか。お前がこれじゃあ結局変われそうにないけどな」


 こいつは何を言ってるんだ。そもそもこいつは何なんだろう。

 俺は考える。幻聴だと思っていたのだが、どうも声がリアルだ。

 もしかして、本当にそこにいるんじゃないか?


 俺は這いずって声の方に向かう。声に向けて伸ばしたが、空を掴む。そこには誰もいなかったのだ。

 当然、誰かが移動する音もなかった。

 そもそも聞こえるのは声だけで、心音や呼吸は聞こえてこないではないか。


 やはり幻聴だ。

 俺はその場に顔を埋める。


「いったいいつまでここに閉じ込められるんだろうな」


 また声が響く。


「もしかしたら死ぬまで出してくれないんじゃね。風人が強くなって、それで人をさらに殺すようになったらそれはもう宵闇が殺したのと同義だからな。宵闇はここでお前を始末しようとしてるんだよ」


 それなら、俺なんか強くしなければいい話だ。


「いい加減なんとか言えよ」


「黙れよ」


 思わず声に出していた。しまったと思ったがもう遅い。

 暗闇の向こうから笑い声が響く。俺は息を吐いた。

 

「やっと喋ってくれたな。でも黙らないぜ。幻聴(おれ)とお喋りするのも悪くないぞ」


「お前はなんなんだ」


「嘘だろ? 風人、お前俺が分からないのか?」


「……」


 誰だ。


 待て、相手は幻聴だぞ。何考えてるんだ俺は。

 何を考えてる。

 何も考えなくていい。こいつはこの極限状態が生み出した幻聴だ。


「俺は死音だよ」


 俺が思考を閉ざそうとした時、あいつはそう言った。


「……なに?」


「で、お前が神谷風人だ」


 何を言ってるんだこいつ。


「言うなれば、俺は能力だ。いつも能力を使うのは死音……俺の方だからな」


「……意味がわからない」


「俺はお前の裏側なんだよ。あの気味の悪い仮面をかぶる方」


「俺は俺だろ」


「ああ、俺はお前だよ」


 沈黙。何も言う気にはなれなかった。

 しかしあいつは続ける。


「そして神谷風人。今のお前は俺の足を引っ張ってる。わかるだろ?」


 俺が能力を生かしきれていないということなら、その通りだ。

 だけど幻聴に言われる筋合いはない。


「生きたい、死にたくない。そんなの誰だって同じさ。お前は当たり前のことを切に願ってる。

 もっと他にないのか?」


「何がだよ」


「野望だよ。女とか金、そういうのでもいい」


「そんなもの……ない」


「そりゃまたどうして?」


「それは生きるのに本当に必要なものじゃないから」


「んでだよ。金も女も野望も必要だろ。

 こう言っちゃなんだけど、お前頭おかしーよ」


「うるさいな。幻聴のくせに」


「確かに俺は幻聴かもしれないが、俺を生み出してるのは風人だぜ?

 つまり、お前の中に俺がいるんだよ。こういう考え方が、あるんだよ。それをお前は圧し殺してる」


「そんなの知るか。黙って圧し殺されてろよ」


「それは無責任だぜお前。今圧し殺し切れてないから、こうして俺が語りかけてるってのに」


 そもそもな、と声は続く。俺は反論しようとした口を閉じて声を待つ。


「俺達は表と裏、表裏一体の存在だ。なのにどうして弱いお前が表で、強い俺が裏なんだ?」


「なんでお前の方が強いって言えるんだよ」


「そりゃあ、俺なら全部捨てられるから」


「捨てる?」


「甘いんだよお前。甘い。

 お前はこの期に及んで誰かに守ってもらおうとしてる。いい加減気づけよ」


「何に」


「お前に味方なんていない。すがりつくべき日常も、頼るべき人も、何もかも存在しない。人と触れ合うのが楽しい? よくそんなこと言えたな。そんなことでこれから人を殺していけるのか? 生きていけんのか? 言ってみろよ」


「違う」


「違わねー」


 ふらりと立ち上がり、俺は暗闇を睨みつける。

 まだ立てることに驚いたが、それ以上に腹が立っていた。


「黙れよ、お前。いい加減にしろ。

 なんでそんなに偉そうなんだよ」


 暗闇からはしばしの沈黙。


「あー、分かった分かった。今のは俺が悪かったから、怒るな。な?」


「……」


「でも、お前そのままでいいのか?」


「だから変わろうとしてるだろ」


「本当に?」


「……ああ」


「じゃあまずお前には目標が必要だな。"生きること"ってのは抽象的すぎる。それに結びつく何かを目標にしてみろよ」


「例えば……?」


「そうだなぁ。例えば」


 ここで奴の声は一度途切れた。

 なぜか意識がはっきりしている。俺はあいつの言葉を待っていた。


「そう、最強になってみる、とか」


「それは現実的じゃないな」


「どうせ強くなるのなら最強になろうぜ。そうすれば……、お前を殺せる奴は誰もいなくなる。

 でもこれは確かに現実的じゃないな。」


 ハハハと笑い声が響く。


「他にないのか? というか、お前が俺の圧し殺してる部分だって言うのなら、そういうのも分かるもんじゃないのか?」


「あるっちゃあるぜ。でもこっちの方が現実的じゃない」


「……なんだよ」


「聞きたいか?」


「ああ」


正義の味方(ヒーロー)になりたいんだよ。お前は」


「…………そうか」


 それ、凛にも言われたな……。あんなの、子どもの頃の夢だろ。


 思考とは裏腹に、俺は深く心が抉られたような気がしていた。暗闇のあいつにも悟られていることだろう。


「うん。まあこれはもう無理だから、他の目標がいるな」


 奴は軽い調子でそう言う。


「……目標を立てても、達成する気がなかったら意味ないだろ」


「そこはやる気出せよ」


 やる気は出せと言われて出るもんじゃない。


「無理だ。そんなに言うなら、お前がやってくれよ」


「え? やってやろうか?」


「…………」


「でも俺を表に出したら、弱いお前は押しつぶされちまうぜ。それでいいのか?」


「それは……嫌だ」


「そうなんだよ。つまるところ何が言いたいかって言うとだな。俺達のあり方を考えようぜってこと」


「あり方?」


「そう。さらにかいつまんで言えば、俺達のうちのどっちかがいらなくね?って話だ。で、今いらないのはお前の方だぜ、風人。

 だけど、お前が消えるのは俺にとっても都合が悪いから、結局お前が変わらないといけないんだよ」


「……さっぱりだ。元々どちらかがいらないんだったら、俺が変わっても意味ないんじゃないか」


「お前が変わったら、俺は消える。俺はそれでいい。それは俺とお前の垣根が消えるってことだからな」


「訳わかんねぇ」


「だろうな。それに、どうせお前は一人で変われねー甘ちゃんだ。だから、もう一つの選択肢を挙げよう」


「……言ってみろ」


「共存……じゃないけど、一旦混ざってみるのもいいんじゃないか?

 時間が経てば俺が沈殿し、お前も変わって垣根もなくなる」


「変な言い方するなよ。分かりやすく言え。俺にはもうロクに考える力も残ってないんだ」


「はいはい。要するに俺がお前の変化の手伝いをしてやるってことだよ。応急処置さ」


「なるほどな」


 はたして俺は受け入れていいのだろうか。こいつを。

 このよく分からない暗闇を。


 膝をついて両手を見てみる。

 何も見えない。

 でも、手が震えているのが分かる。


「死音、か」


「全く、洒落た名前だよな」


「"風人"に比べればな」


「面白いこと言うな」


 乾いた笑い声が響く。本当に面白いと思ったのだろうか。

 俺は目を瞑り、体を床に預ける。体力を一気に失ったのが分かる。


 幻聴相手に何やってるんだ、俺。


「じゃあ、よろしく頼むよ。しばらくの間な」


 返ってきたのは沈黙。

 朦朧とした意識の中、俺は返事を待った。

 


「業を背負って生きようか、俺」


「ああ」



 そうして俺は意識を手放したのだった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 自分の留まれる"形"を探すってのが生きる意味なのかもですね
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