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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
六章
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宿った闇

 五感全てで得る情報のうち、視覚はおよそ八割の情報量を占めている。

 死音の場合は聴覚の割合も進出するので、割合は能力の使用状況によって変わってくるだろうが、それでも視覚をシャットされた状況というのは想像を絶するストレスを与える。

 あの空間では外界の音もまともに聞こえないだろう。


 故に、死音の発狂は早かった。

 宵闇は闇を通じて彼の様子を伺っている。

 闇の中で暴れ、叫び散らす死音から宵闇は視線を外さない。彼もまた、苦しみを共有しようとしているのだ。こういった修行方法を取る以上、しっかりと見守る責任がある。


 彼を闇の部屋に放り込んでから8時間程度。宵闇自身もここまで早く発狂するとは思いもしなかった。

 死音の色々短絡的とも言える思考回路がそうさせたのである。あらゆる結論を急いで、心身共に切迫する錯覚にとらわれ、彼は爆発した。

 普段は短絡的ということもない死音だ。彼にとってこの状況がいかに苦痛かが分かる。


 宵闇は昔、溜息にも同じことをしたことを思い出す。彼女の場合、この修行は失敗に終わった。

 性格の差、というより培われたものの差なのだろうが、溜息はこの闇の中でも平然として特に何も変わることがなかったので、断念したのだ。


 宵闇は早くも死音に可能性を見出していた。

 しかし、この修行方法は彼を良い方にも悪い方にも転ばせてしまう。そもそも修行と呼べるかも怪しい荒療治だ。

 故に彼は慎重になっていた。

 とりあえず、これで5日で見限ることはなくなったな、と彼は一人心の中で呟く。

 少なくともそれは、今の死音にとっては絶望でしかなかった。宵闇のそんな思考を闇の中の彼が知る由もないのだが。



 宵闇は死音の脆さを初めて見た時から看破していた。

 しかしその脆さは強さにもなりうる。死音の瞳に秘めた闇は、無意識のうちに宵闇を魅了していた。

 宵闇がそれに気づいているかはさておき、彼は死音のことを同時に恐れていた。これは意識下のものだ。


 死音は生に固執し、死を恐れるあまり驚異的な成長スピードを生み出している。

 その際に生まれた歪が彼の闇を助長し、どんどん膨れ上がらせているのだ。


 その闇をものにするか、それとも闇に染まるか。

 どちらにせよ死音は強くなる。宵闇はそう思っていた。

 しかしできるのなら、死音には闇をものにして貰いたい。闇に染まれば、大切なものは次々と失われていくだろう。

 そうなったとして、宵闇には関係ないことなのだが、できれば良い方に転んで欲しいと思うのはこうして見守っているのだから当然であった。


 心の枷を外す行為。

 死音のような、典型的……と呼べるかどうかは怪しいが、あのタイプは基本的に無意識のうちに自身に縛りをかけている。

 宵闇が死音に突き刺した言葉はそれを見抜いたものだった。


 だが、正論である。

 死音は多くを求めすぎている。宵闇もかつては多くを求めた。全て手中に収めようとし、全てを失った。

 掴みきれないものを掴もうとすれば、手の中に残る物は少しの自尊心と虚しさだけ。

 人は身の丈にあったものを手にしなければならない。

 そしてそれをずっと手の中に収めるために、人は何かを捨て続ける。

 荒野に、闇に。じっくりと選別し、捨てるものを選ぶのだ。


 死音にもまた、捨てなければならないものはあるだろう。

 Anonymousか、日常か、それとも他の選択肢があるのならそれでもいい。

 なんにせよそれは死音の決めることだ。


『クズが! お前はゴミだ! 散々人を殺していて何偉ぶってるんだよ! 達観したフリしてるんじゃねぇよ! 出せ! 出せぇぇ!!』


 散々な言われようだ。宵闇の表情も思わず緩んだ。

 その通りだと思いながら、彼は今一度表情を引き締める。


 長い戦いになりそうだ、と彼は一人呟いた。



ーーー



 すでに3日経って、死音にとっては監禁とも呼べる拷問は続いていた。

 空間の中にはシンクに溜まった汚い水があって、死音がこの3日間で口にしたものはそれだけだった。

 一方、宵闇は一睡もせずに死音を見張っている。彼もまた飲まず食わずだった。

 しかし表情も血色も変わらない。


 もともとくまが酷くてやつれた顔なので、3日の断食は彼に影響していないように思えた。

 実際、影響していなかった。喉が乾いて腹が減っているのは事実だが、それに打ち勝つ精神力を彼は持ち合わせている。


 しかし、当然死音の方は違った。

 彼は叫び散らすのをやめ、動かなくなっていた。シンクの汚い水を飲みに行く時だけ、のっそりと立ち上がり、しばらく彷徨い歩いて、シンクを見つけてそこの水を飲むと、またどこかに倒れ込む。


 いつまで続くか分からないこの状況に、死音の頭は賢く働いた。叫び散らしたのは最初だけで、意味がないと分かるとすぐに動かなくなったのだ。

 彼はそのうちこのまま殺されるんじゃないだろうかと考えるようになったが、そうして心をすり減らすことすら無駄に思えて、考えることをやめた。

 思考停止し、できるだけ生きながらえることができるであろう状態をたった一日で彼は可能にした。


 宵闇も目を見張る事態だった。

 これは良くない傾向だ。宵闇は死音に考えさせたかったのだ。

 このまま死ぬ寸前まであのままだと、この荒療治の意味はなくなる。

 宵闇はそれを恐れていたが、見守るしかなかった。


 死音と宵闇。宵闇は水さえ口にしていないが、追い詰められているのはやはり死音だ。

 その決定的な違いは、体感時間。

 視覚がシャットされた状態では、体感を早送りするためには睡眠以外の方法はない。その他の方法である"思考"は彼が封じてしまっている。


 なるべく思考を閉ざしている死音だが、やはり考えてしまうことはある。

 あれからどれくらい経っただろうか、と。


 実際は3日だが、彼の体感では5日を超え、もう一週間は経っているんじゃないだろうかというくらいだった。

 しかし彼自身、体感時間が遅れていることを理解していたので、それはないと時折自分に言い聞かせた。

 そして思考を閉ざし、宵闇が見限る、または折れるのを待つ。




 4日目。

 死音は目の中心を強く押すと、擬似的に光を味わえることに気づき、それを繰り返した。気が紛れるのだろう。そしてそれは死音にとって唯一の暇つぶしになった。

 宵闇はそれを無表情に見つめる。思考を少しずつ再開させているみたいだが、体力の方が限界かもしれない。


 だが宵闇は折れない。このまま行けば殺してしまうのではと考えることもあるが、彼は耐えた。

 人間の限界にはまだ至っていない。ギリギリまで宵闇は死音に訪れる変化を待つつもりだ。


 変化とは何か。宵闇は死音の何を変えようとしているのか。

 宵闇は死音の変えるべき部分は最終的に死音が決めると思っている。

 だから、考えることはやはり必要だ。人は何かに囚われて、結局考えない。一日24時間をフルに使って考えることができるのなら、多くの人は変われるだろうと宵闇は思っている。

 強くなるためにあたって、思考というプロセスは必須だと彼は考えていた。


 さあ、どう結論づけて、何を切り捨てる、死音。


 死音に対する説明し難い信頼が、宵闇の中には生まれつつあった。それは一方的なものだが、もはや死音がどう変わろうと宵闇は受け入れなければならないのだろう。

 それが正しい道だと、言ってやるのだろう。




 5日目。

 死音がブツブツと独り言を話すようになった。

 宵闇はそれが完全なる思考の再開だと確信する。

 5日経ったら解放する予定だったが、彼はもうしばらく時間を伸ばしてみることにした。


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