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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
六章
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覚悟の闇

 溜息さんは本当に帰ったので、俺は街に取り残されていた。

 ふらふらと歩きながら向かうのは、宵闇さんが去っていった方向。つまり彼のアパートだ。


 溜息さんには散々弱音を吐いたが、実はと言うと、俺は宵闇さんのことが気になっている。


 宵闇さんは今どんな暮らしをしていて、何を思って、何を糧に生きているのだろうか。

 俺はそういった彼の詳しい事情をもっと知りたいと思っていたのだ。


 宵闇さんはかつてAnonymousで殺戮の限りを尽くしたというのに、今では人を殺せない廃人状態だ。

 俺はそんな宵闇さんに、親近感を感じているのである。


 しかしなぜ親近感?

 似通っている所は何もない。


 何もない。そう、何もない。

 だけど。あの疲れたような目に、それでもなお生きている宵闇さんに、俺は生き方というものを教えてもらいたいと思っているのだ。


 ロールも、溜息さんも、詩道さんも、ボスも。

 俺がどんな奴なのか分かっていないだろう。

 同時に俺が理解されようとしていないのかもしれない。みんなを信用していないとかそういうことではない。

 俺は醜悪で……それが嫌で、でもそうでないと生きていけないジレンマに囚われていて、だから俺は……。




 宵闇さんならば、きっと俺のことを理解してくれる気がしてならないのだ。



ーーー



「俺に修行をつけてください、宵闇さん」


 壊れたアパートのドアを修理する宵闇さんに俺は言った。

 宵闇さんは答えなかった。

 彼はさっさとドアを直してしまうと部屋の中に入ってしまい、結局その日はどうすることもできなかった。



 アパートの廊下で朝を迎える。

 溜息さんが破壊した壁のせいで、昨夜は冷えた。膝を抱えてうずくまったまま、中々眠れなかった。


 俺の所持品はポケットに入った少ない小銭だけ。

 着替えも何も持ってきていないので、この状況が続くと不味い。端末もない。

 だが端末は溜息さんにとられたわけじゃなく、事前にロールに預けておいたのだ。

 前と同じパターンで拉致される可能性を一応考慮していたので、その対策である。



 俺は部屋の中の音に気づいて立ち上がった。

 どうやら宵闇さんが起きたらしい。


 宵闇さんは真っ直ぐと玄関まで向かってくると、ガチャリとドアを開け、俺を無視して階段の方へ向かう。


「あの、宵闇さん!」


「ついてくるな」


 立ち止まらずに宵闇さんは言った。ビリと空気が張る。

 確かな殺気に俺は動けなくなる。

 しかし宵闇さんの殺気はそれほどでもないと感じた。

 以前酒を飲んでまで緩和しないといけなかった宵闇さんの殺気は、今や俺を牽制する程度の効力しかない。


 あの時からそれほど時間が経ったわけではないが、宵闇さんはどんどん人を殺すための技術を、機能を、本能を、こそぎ落としているのかもしれない。

 それも自ら。


 ボスはそんな宵闇さんに何かを見出していて、あの時の任務は未だ受注可能だ。

 むしろボスは最初から宵闇さんがこうなっていることを知っていて、それで任務を出しているだろうか。


 溜息さんはボスに宵闇さんを超えていると言われたらしいが、それは本当だと思う。

 人を殺すことにおいて、すでに溜息さんは宵闇さんを超えているのだ。

 戦闘能力の話ではない。


 いかに、人殺しを日常にできるか。息をするように人を殺せるか。殺しと一体化できるか。

 6歳からこの世界に浸かっていた溜息さんだ。

 もう彼女は、宵闇さんのように"分離"ができない状態なのだろう。


 とにかく、俺は部屋の前で色んなことを考えながら宵闇さんの背中を見送っていた。



 宵闇さんがアパートに戻ってきたのは辺りが暗くなり始めた時だった。

 俺は彼の足音に気づいて立ち上がる。

 宵闇さんは当然俺を無視して部屋に入っていき、ドアを閉めて鍵をかけた。


 すでに何かを言うことは無駄だと悟っている俺は、無言で部屋の前に立っていた。

 これがいつまで続くか分からないので、無駄な消費はできない。だからポケットの少ない小銭はとってある。

 と、言っても俺は本当の限界までこれを使うつもりはない。

 何も飲み食いせず、餓死寸前凍死寸前まで自分を追い込めば、宵闇さんは助けてくれると確信しているからだ。

 そうだって彼は、人を殺せない。



 宵闇さんがベッドに落ち着いた音を聞いて、俺は座り込む。

 それにしてもこのアパート、宵闇さん以外の住人がいないらしい。

 でも今日の宵闇さんから察するに、ここは帰って寝るだけの家で、日中は何か他のことをしてるに違いない。

 それしても腹が減った。胃が引き締まるような痛みだ。



 朝を迎えた。

 寒さと空腹で眠れなかった。唾も出ない。顎がカチカチと止まらない。

 でも俺は宵闇さんが目覚めたのを察知してなんとか立ち上がる。


 ガチャリとドアが開く。

 今日は雨だ。昔、雨は好きだったが、音が聞き取りにくくなるので嫌いになりつつある。


 昨日と同じように、宵闇さんは俺を素通りして階段を降りていった。

 彼がアパートから完全に離れたのをみて、俺は再び座り込む。


 夜は寒くて眠れないので、まだ寒さがマシな日中に眠るしかないな。

 そう思った俺は瞳を閉じた。

 だが少ししか眠れなかった。



 宵闇さんは昨日より早めに帰ってきた。階段を登ってくる音で俺は立ち上がる。

 溜息さんは宵闇さんがすぐ折れるとか言っていたが、中々折れる気配はない。

 そう思っていると、宵闇さんは廊下の途中で歩を止めた。


「……そうやって、死ぬつもりか?」


「……いえ」


「お前はなぜ、強くなりたい」


「死なないために。生き残るため、だけに」


 あまりにはっきりと断言した自分に驚く。

 こうして言い切ることができたのは宵闇さんが相手だから?


「……そうか。ならお前がとるべき行動は一つだ」


「……何でしょうか」


「Anonymousを抜け、どこか遠い地へ身を隠し、一人でこっそり生きることだ。

 そのほうが今の状況より、よっぽど死ぬ確率が低い」


 言われてみればそうだ。

 ただ生き残るだけ。それだけならそうした方がいいに決まってる。

 でも俺はなぜこの状況に身を置いている?

 Anonymousにいれば自衛軍と戦うことになるし、いくら強くなっても避けられない死が訪れることもある。

 あの御堂龍帥のように。

 あれはあれで強くなりすぎたせいで早死にした。


 戦いの中に身を置くことが、俺の命を削っている。それがまた俺の中での矛盾となっている。

 いや、分かってるんだ。俺は……。


「俺は……、日常が恋しい。人と触れ合うのが、楽しい。

 それを手放さないで生きる方法ばかり考えている。

 だから俺は強くなって……、それにすがりつきながら生きていたいんです……」


「それがお前の弱い理由だ」


 即答され、ガクンと膝を地につけてしまう。宵闇さんから目を逸らし、地面を見つめる。

 思いっきり鳩尾を殴られたような気分だった。それほど核心を突かれたのだ。


 折れたのは、俺……?


「帰りの金はあるか」


 宵闇さんに問われ、俺は首を横に振る。

 すると宵闇さんはポケットに手を突っ込み、グシャグシャの札を俺の前にいくらか落とした。

 そして宵闇さんは俺を通り過ぎ、部屋の中へ入っていった。





 翌朝。

 俺は宵闇さんのドアの前に膝を抱えて座り込んでいた。

 視界が定まらない。腹が痛い。喉も乾いた。手を強く握り締めることもできない。


 しかし、宵闇さんが起きたのを気取って、俺は立ち上がる。

 部屋のドアが小さく開き、宵闇さんの顔がそこから少しだけ覗いた。

 そして宵闇さんは言った。


「入れ」




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