音の判決
Anonymousで人が死んでも、葬式が行われることはない。
墓が建てられることもない。
白熱さんと黒犬さんの死は、俺の心に大きな穴を開けた。
次の日の昼、俺はアジトの治療施設で目を覚ました。
月離さんと詩道さんが俺をここまで運んでくれたらしい。
体は傷まない。いつのまにか着替えさせられていた青い病衣を少しはだけると、体の傷はほとんど治っているのが分かった。
肩の傷も跡を残して治っている。
「感謝してくれ。一晩かけて本気で治したんだ。
まあ、ハイドの命令だが」
言いながら部屋に入ってきたのは千薬さんだった。
「……ありがとうございます」
「目覚めたら呼んでくれと、ハイドから伝言だ。ロールも心配していたぞ」
「分かりました」
俺はベッドから降り、そこにあったスリッパを履く。
そしてボスの部屋へと向かった。
フラフラと廊下を進む。
気分が悪かった。
黒犬さんと白熱さんの死が、頭の中で何度も繰り返される。
改めて、二人の死を実感していた。
あの二人、俺なんかを逃がそうとしなければ逃げられたんじゃないだろうか。
俺も一緒に戦えばあるいは……。
俺が白熱さん達を任務に巻き込まなければ……。
そんな無意味だと分かっている思考がグルグルと回る。
トンと、おでこに何かが当たって俺は立ち止まった。
顔を上げると、そこには溜息さんがいた。
「前を見て歩け。ぶつかるだろう」
「溜息さん……」
「酷い顔だな」
溜息さんは俺の頬に指を添え、そっと涙をすくった。
泣いてたのか、俺。
「なぜ泣く、死音」
「……分かりません」
「分からないなら泣くな」
そう言って、溜息さんは俺を通り過ぎて言った。
俺は一度振り向いて、溜息さんを見る。
溜息さんの後頭部で結った髪が揺れていた。
「溜息さんは……」
俺が言いかけると、溜息さんは振りかえらずに立ち止まった。
「すいません、なんでもないです」
俺は下を向き、ボスの部屋に向けて歩き出す。
ボスの部屋の前に着くと、俺は扉を二度ノックした。
中から「入れ」とボスの声が聞こえてきたので、俺は扉を開けた。
「失礼します」
部屋にはソファに腰掛ける詩道さんと、いつもの椅子に座ったボスがいた。
「ちゃんと千薬に治して貰ったか」
「はい。……任務、すいませんでした」
「仕方がないことだろう。気分はどうだ」
「……」
良い訳がない。
「そうか。災難だったな」
「いえ……」
俺は否定した。するとボスはコーヒーを一口飲んで、カップをデスクに置いた。
「さて、死音には一つ聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「御堂龍帥……、奴についてだ。奴は本来セントセリアに配属していて、あの場面で動くはずはなかった。
死音、奴の階級バッジを見たか?」
「……見ました」
「大将バッジをつけていたか?」
「いえ。御堂龍帥は、大将なのに中将のバッジをつけていました」
それは月離さんも詩道さんも見たはずだよな……?
「なるほど、やはりか。
詩道、明日会議を開く。幹部に伝えてくれ」
ボスは立ち上がり、そう言った。詩道さんは返事もせず、部屋を出ていった。
「死音、助かった。もういいぞ」
「あの、どういうことなんですか?」
なぜ御堂龍帥は中将のバッジをつけていたのか。俺も気になる。
「降格だ。大将の階級では縛りが多くて自由にできない。だからおそらく奴は、自ら降格して俺達を追う位置についた」
そういうことか。厄介すぎる。
俺達に何か恨みでもあるのか……?
いや、それは馬鹿みたいな考えだ。恨みなんかなくても、俺達を捕まえるのが自衛軍の仕事。
それに、俺達は仲間を殺されても文句を言えないようなことをしてきているじゃないか。
「なぜそんなことを……?」
「この前の一件で、自衛軍の体面が悪くなったからだろう」
俺は人を殺して、きっと誰かを同じ気持ちにさせてしまっている。
奴を憎むなんてお門違いだ。
こっちは悪で、あっちは正義。この事実がひっくり返らない限り、俺に怒る権利なんてない。
いや、それも違う。
それもそれで、変な考え方だ。もはや俺は完全な人殺しだ。
発現時だけじゃない。自分の意志でも人を殺した。
そんな悪に権利なんて関係ないだろう。
なら怒ってもいい。
実際、こうして沸き上がって来るのは奴を殺してやりたいという気持ち……。
……でも、俺にはできない。
いざ対面すればまた逃げ出してしまうのだろう。
「なるほど。ありがとうございます。失礼しました」
俺はそう言って部屋を出た。
部屋を出て、向かう先はロールの部屋だ。
心配をかけてしまったらしい。顔を見せないと。
ロールの部屋の前に着くと、中からです子さんの声が聞こえてきた。
あの人もいるのか。
扉の鍵は閉まってなかった。
勝手に開けて中に入ると、二人の視線がこちらに向いた。
「死音……! 大丈夫なの……?」
そう言ってロールは俺の元まで歩み寄ってくる。
「体の傷は千薬さんが治してくれたよ」
「そうじゃなくて」
ロールは困ったような顔で言った。
俺は少し言葉に詰まってから言う。
「……まあ、大丈夫だよ」
いつも通りの俺で行こう。ロールが心配する。
「そう……。なんか食べる?」
「ああ、頼む。腹減った」
「オーケー」
言いながら、ロールはキッチンに移動した。
俺はです子さんの方に向いて挨拶する。
「こんにちは、です子さん」
「やっほー」
です子さんはひらひらと手を振って、ポンポンと隣のソファを叩いた。
座れってことか。
俺はそこまで移動すると、ソファにゆっくりと腰掛けた。
です子さんは、テーブルの上にあった急須でお茶を注いで、俺に手渡した。
「まあ飲みなよ。ロールの飲み差しだけど」
「ありがとうございます」
喉も乾いていたので、ありがたく頂戴する。
飲み差しの分が混ざっていたのでそこまで熱くない。
俺はお茶を飲み干すとテーブルの上に湯呑みをおいた。
「気分はどう?」
「……」
です子さんもボスと同じことを言ったので、俺はこの質問に何か意味があるように感じて、少し考えてみた。
しばらく考えたが、質問の真意が見えない。
俺は質問の意味に正直に答えることにした。
「良くはないです」
「だろうね」
「はい」
トントントンと、包丁で野菜を切る音が鳴り響く。
心地良い音だ。
不意に換気扇がついた。
「白熱も黒犬も面白い奴だったんだけどなぁ。ま、仕方ないよ」
です子さんは言った。
そこまで簡単に割り切れるのは、こっちの世界にずっと浸かっているから?
もしかすると、ロールもです子さんと同じように割り切れているのかもしれない。
……いや、割り切らないと、やっていけないのだ。
「本部のメインが死ぬのって結構久々だねー、ロール」
です子さんはいつもと変わらないトーンで、ロールに話題を振った。
仲間が死んだというのに、何も気にしていないという様子だ。
「そうね」
「珍しく半年以上誰も死ななかったから、そろそろ誰か死ぬなーとは思ってたんだけど、まさかあの二人が殺られちゃうとはねー」
です子さんの笑い声が部屋に響く。
そんな風に俺も笑えたらと思った。
「ねー死音くん」
ぼーっとしていたところ、です子さんはいきなり声のトーンを変えた。
「なんですか?」
「死音くんって、死の覚悟とかできてる?」
「です子」
ロールの包丁の音が止まる。
「明日死ぬかもしれないこの世界で、明日死んでも悔いはないっていう覚悟が、できてる?」
そんな覚悟も……、ここでは必要なのか?
死ぬのは嫌だ。なんで死ぬ覚悟なんか必要なんだ。
「できてません」
俺がそう言うと、です子さんはしばらく俺の瞳を見つめた。
見透かすような目が怖い。
「アハハ、そうだよねー。私もそうだもん。誰だって死にたくないよ。
今のは冗談だから気にしないでね」
彼女は立ち上がり、言う。
そして歩きだした。
「……君は、それでいいんだよ死音くん」
「……」
「困ったときはパートナーに頼るのも一つの手だよ、死音くん。がんば」
です子さんは俺の肩をポンと叩いて部屋の出口へ向かっていく。
「です子、帰るの?」
「実は幹部会議の招集があってさぁ。まあ今からじゃないんだけどね」
さっきボスが言ってた会議か。話すのはきっと御堂龍帥のことだろう。
「ああ、そう」
ロールがそう言うと、です子さんは「アデュー」と言って部屋を出ていった。
です子さんが出ていった後、部屋は静かになる。
あの人、また変な空気だけ残していった。
「はい、できたわよ」
テーブルの上に置かれたのは色彩豊かなチャーハンだった。
俺はソファからテーブルの前の椅子に移動して、スプーンを手に取る。
「いただきます」
一口食べると止まらなかった。
美味しい。ロールの作るご飯は美味しい。
勢い良く食す俺をロールはじぃっと見つめている。
「そういえば、月離が本部にまた戻ったらしいわね。
まあ二人も欠員でたし、仕方ないか」
「そうなのか」
月離さんにはまた謝っておこう。俺が今こうして生きているのはあの人のおかげだ。
思っていたよりずっとまともな人だった。冷静ならまともだって、そういえばロールも言っていたな。
俺はチャーハンを口にかきこんでごちそうさまを言うと、食器をキッチンに持っていって洗った。
「ロール」
「なに?」
「俺は怖い」
「……大丈夫よ」
「違う……!」
そうじゃない。俺は……。
「俺は仲間が死ぬことより、自分が死ぬことの方が怖いんだ。
白熱さんと黒犬さんが死んだ……。それは悲しい。復讐してやりたいとも思う……。
でもそれ以上に俺は……、自分は死ななくて良かったって思ってるんだ……。自分だけ助かって、良かったって……。
月離さんにも見透かされていた……」
俺だけ助かってもいいのかなんて、本当、心にもないセリフ吐きやがって。
俺は後ろめたさを感じているフリをしているだけ。悲しんでいるフリを、しているだけだ……。
「この感情すら……、本心なのか分からない……」
「……」
後ろからそっと抱きしめられた。
俺はそれを振りほどこうとして、やめた。
「考えれば考える程、深みにハマるわ。自分の命が一番大切なのはみんな同じよ」
「でもロールは……」
「うん」
ロールは、俺のために命を投げ出そうとしたことがあるじゃないか……。
まだ出会って間もなかったのに、俺を助けようとして死にかけたことがあるじゃないか。
自分の命が一番大切なら、白熱さんも黒犬さんも逃げたはずだ。
そんな嘘、俺は求めてない。
「……なんでもない」
「そう」
しばらく俺は、ロールに抱きしめられたままでいた。




