正義の判決
電話の内容は、俺の能力で黒犬さんにも聞こえるようにしていた。
その内容に驚愕した俺は、思わず反応しそうになったがぐっと抑える。
「そうか、分かった」
白熱さんは何事もないようなトーンで電話を切った。
しかし、微かに伝わる緊張。
「急用が入りました」
そう言って白熱さんは立ち上がった。
ゆっくりとドルトルシアの前まで進み、資料を掴む。
「誠に申し訳ないのですが、取引は一時中止です。また後日……」
「残念だがそれはできない」
ドルトルシアが、白熱さんが掴んだ資料を掴んだ。
俺は一瞬黒犬さんの方に視線を向けたが、マスクつけているので表情は伺えない。
ただ、臨戦態勢に入っているのは分かった。
「何をしているか分かっているか?」
白熱さんは言った。
ドルトルシアの取り巻きが若干だが距離を詰めてきている。
「TADの話は非常に魅力的だった。だが、話をもちかけてくるのが遅かったな。
もう少し早ければ今の状況も変わっていただろう」
「交渉は決裂だ。ゴミが」
ドルトルシアが掴んだ資料がボッと発火する。
その瞬間、黒犬さんが動いた。
強化型、暗殺犬。
黒狼に変貌した黒犬さんは、扉の隣に立っていた男を噛み殺し、それに反応して攻撃を仕掛けてきた黒服一人を突き飛ばした。
変身によってAnonymousのマスクが地面に落ちる。
「逃げるぞ! 掴まれお前ら!」
黒犬さんが叫ぶ。
すぐさま白熱さんは反転し、黒狼となった黒犬さんにしがみつく。
俺も即座に対応し、黒犬さんの巨体にしがみついた。
黒犬さんは壁を突き破り、部屋の外に出る。
そして走り出した。
「マフィアのバックに自衛軍だと! どうなってやがる!」
「こっちが聞きたい!」
ドルトルシア邸の廊下に、わらわらと黒服が湧いてくる。
黒犬さんは飛び上がり、壁を走って敵の攻撃をすり抜けていった。
また壁を突き破り、俺達はドルトルシア邸の庭に出る。
そこで包囲された。
同時にドルトルシアが突き破られた壁の上から降り立った。
「殺すなよ。生け捕りにしろ」
ドルトルシアの言葉によって黒服達は一斉に掛かっていった。
その瞬間、黒犬さんは飛び上がる。
「死音! 頼む!」
俺は黒犬さんの毛から手を離し、落下していく。
そして地上に固まる奴らに向けて音撃を放ち、一網打尽にする。
しかし、ドルトルシアは射程外へと回避していた。
「あのジジイ! 動けるぞ!」
自由落下する俺は、黒犬さんに空中でキャッチされ、そのまま着地した。
「逃さん!」
地面が爆発する。
黒犬さんは一瞬で回避し、俺達は爆風で吹き飛んだ。
「奴の能力は爆発だ!」
「相手をする必要はない! 逃げるぞ!」
立ち上がった俺達は、そのまま走り出す。
黒犬さんは元の姿に戻っていた。
映画のアクションシーンのように爆発していくドルトルシア邸の庭を、俺達は駆け抜けていく。
爆発の熱は白熱さんが殺すが、爆風はどうにもできない。
なんとか塀まで辿り着き、それを飛び越える。
「車まで走れ!」
振り向きかけた俺に黒犬さんは言った。
元来た道を俺達は走る。
裏通りの駐車場につくと、黒犬さんは真っ先に車に乗り込もうとした。
その時、白熱さんが黒犬さんに飛びついて回避した。
「危ない!」
直後、車が爆発する。
「チッ!」
「なっ……!」
嘘だろ……。
振り向くと、暗い路地からドルトルシアが姿を現した。
その後ろから取り巻きがぞろぞろと現れる。
「ハァ、ハァ、悪く思うなよ。こっちも生き残るためだ」
走って来たためか、ドルトルシアの息は切れている。
ちらりと白熱さんを見ると、爆発した車の破片に被弾したのか、肩から血を流していた。
白いスーツが鮮血に染まってゆく。
「おっと動くな。
大人しく捕まってろ。それがお前らの生きる道だ」
戦闘は免れない。
ドルトルシアは俺達を生け捕りにすると言った。
ならばアドバンテージはこちらにある。
お互いほぼ即死の威力を持つ能力者。
俺がやれば勝てる。
そう思った時、ドルトルシアの取り巻きの、後ろの方から悲鳴が上がった。
「あぎゃぁぁぁぁ!!」
「なんだ……!?」
ドルトルシアは振り向く。
俺はうごけずにいた。暗い路地の向こうから感じる、禍々しい程の殺気。
ドルトルシアは表情を恐怖に変え、震えながら一歩後ずさった。
「おい……! 嘘だろ……! おいアンタ、約束がちがッ!」
一陣の強風と共に、ごとりとドルトルシアの首が落ちる。
そして、暗い路地から一人の男が姿を現した。
「なぜ私が、悪党との約束を守らなければならん」
チカチカと、点いたり消えたりを繰り返す壊れかけの街灯が、男を照らした。
白い制服。黒い軍靴に白い軍帽。
俺はその男を知っていた。
弦気の父親であり、俺がかつて強い憧れを抱いていた男。
風神、ジェネラルウィンド、風龍……と、数々の称号と異名を持ち、自衛軍で最高の実績を上げ続けている、最強の風使い。
思わず声に出していた。
「御堂、龍帥……!」
胸ポケットの三ツ星バッジが怪しく光る。
その時違和感を感じた。
……三つ星? 大将は四つ星じゃなかったか?
いや、今はそれどころではない。
「贖罪の時だ。Anonymous」
御堂大将は一歩踏み出してくる。
俺は後ずさった。
勝てるわけがない。あまりにも格が違う。
宵闇さんでも勝負がつかないレベルなんだろ……。
無理に、決まってるじゃないか……。
それでも、俺は音撃を放った。
が、俺の放った音撃が御堂大将につたわることはなかった。
真空による壁と、衝撃波を相殺する風。
「……!」
絶句するしかなかった。初見でこの対応力。
更に一歩後ずさる。すると、ドンと何かにぶつかった。
見ると、そこには白熱さんと黒犬さんが並んで立っていた。
「贖罪の時か」
「確かにそうかもしれない」
俺の前に進んだ白熱さんは、仮面を捨て去ってそう言った。
胸ポケットからタバコを取り出し、指で火をつける。
「白熱、俺にも火だ」
「オーライ」
黒犬さんも同じように俺の前に立った。
「できれば殺したくない。貴様らには聞きたいことが山ほどある」
御堂大将はそう言ってまた一歩距離を詰めてきた。
街灯がとうとう消えたままになって、タバコの火が目立った。
お互いが牽制をしあっている。
「死音、すまんがカラオケには行けそうにない」
「僕のバーニングボイスを聞かせてやりたかったんだが」
「そんな……、嫌だ……」
踏み出そうとすると、俺を制するようにブワッと熱気が襲った。
「こんな時は、かっこいい昔話でも話し出したいところなんだが、大将さんは待ってくれそうにないな。
空気が読めねえ奴だ」
「死音くん、君は逃げろ。僕らが時間を稼ぐ」
そう言われた時、俺は心の中でどこか安堵してしまった。
今すぐこの場を逃げ出したい。この圧迫感から解放されたい。
死にたくない。
だが、白熱さん達が引きつけてくれるなら生き延びられるかもしれない、と。
俺のために命を投げ出そうとしている二人を前に立たせながら、そんなことを考えていたのだ。
"Anonymousでは、時に入りたての下っ端のために命を賭けることがあるわ"
いつかロールが言っていた言葉を思い出した。
俺には分からない。
どうして……、どうして人のためにそんなに簡単に命を賭けられるんだ。
「早く行け!」
黒犬さんに言われ、俺は走り出した。
その瞬間、突風が俺を襲った。
「が……はっ!!」
俺は駐車場のフェンスに打ち付けられ、ずるずると崩れ落ちる。
そしてビュウという鋭い音が俺に向かってくる。
思わず目を瞑った。
直後、ピシャッと俺の仮面に血が付着する。
今度は目を瞠った。
そこには、両腕を失った黒犬さんが立っていたからだ。
その先の御堂大将と白熱さんは未だに向かい合って対峙している。
黒犬さんはそのままどさりと前方に倒れた。
「黒犬さん!!」
倒れた黒犬さんに駆け寄る。
なんで……! どうして!
なんでなんだ。
涙が滲む。
「勘違い、するなよ死音……。俺達は、お前が、一番、生きる価値があると……そう思ったから……、生かせるんだ」
「なんでだよ……!
俺のことなんて本当は全然知らないくせに……!」
出会って一年も経ってないんだぞ……!
「オーィ……オイ、悲しいこと、言うなよ。
ダチだろ……?」
「そうだけど……ッ!」
クソ! クソ……!
「お前はいつか……、生き方を、変えねーといけなくなる日が、来る……。
今は、ただ、生きろ……、思うがままに」
口から血を流す黒犬さんはスゥと息を吸い込んで叫んだ。
「白熱!! 後は頼んだぞォ!! お前と組めて楽しかった!! ありがとよ!!」
黒犬さんが言い終えると、ボウッとその体に火がついた。
俺は黒犬さんから離れる。
火はどんどん燃え移って行き、やがて黒犬さんの体を包んだ。
「ゥが……! ァハッハッハッ! ぬる、いぞ……! 白熱ゥ……」
白熱さんの能力だ。
動けなくなった黒犬さんは……、もはやただの情報でしかない。
隠滅するんだ……。
白熱さんの炎により、黒犬さんはすぐに燃え尽き、灰となった。
「最高の相棒だった」
フーと、吐き出されたタバコの煙が空に舞った。
「そういうことは困る」
御堂大将は言う。
俺は逃げ出していた。
真空波が俺を襲う。体の所々が深く切れ、俺は倒れ込んだ。
倒れたまま、かろうじて振り変える。
そこでは戦闘とは言えない戦闘が始まっている。
すでに、白熱さんの腕は片方なかった。
一瞬の出来事だ。
「クハハハハハ! ハァーッハッハッハッッハ!」
一方的な攻撃を受けながら、白熱さんは高笑いしていた。
御堂大将の攻撃は丁寧だ。
死なないように、的確なダメージを与えていく。
それでも、白熱さんは笑っている。
「バァァァァァニング!!!!」
突如、白熱さんから熱風が広がった。
見ると、白熱さんは真っ赤な炎を纏って燃え盛っている。
あまりの熱に、御堂大将も距離をとっていた。
「ハーハーハッハッハッハ!! 見てるかシオォォォォン!!
この技の火力に、僕自身耐えられそうにない! どうだァ! ヒートだろう!!!
でも見惚れてないで早くここから逃げるんだ!!」
白熱さんの熱気はいつのまにか駐車場全体を飲み込んでいた。
いや、駐車場の外まで飲み込んでいる。
俺は足を引きずりながら、その場から離れていく。
御堂大将が向かってきているのが分かった。
「ガッ……ァーハハハハハ! 行かせないぞォ!」
御堂大将は、白熱さんが牽制することによって立ち止まる。
御堂大将の真空波は飛んでこなかった。
これ以上の攻撃は俺を殺してしまうと判断したのだろうか。
確かに、このまま行けば出血多量で死ぬ。
どちらにせよ白熱さんを殺してから俺を追うことも可能なのだ。
御堂大将に選択肢はいくらでもある。
俺は駐車場から離れて、路地に逃げ込んだ。
白熱さんの姿はもう見えない。
だが、声は聞こえる。
「熱い! 熱いぞ! 一度本気で能力を使ってみたかった! 今ならやれる! もっと!! もっとだァァァァァァ!!」
熱気が更に広がった。
滴る俺の血が、落ちてすぐに乾いていく。
大量に血を流しているというのに、体は冷たくない。
この熱さが、心地良い。
「シオォォォォン!! 早く逃げないと干からびるぞォォ! ぐぁぁぁぁ腕がぁぁぁぁぁ!!」
白熱さんの叫び声。
俺は目をぎゅっと瞑る。
こんな引きずるように歩いていてはどうせ逃げ切れない。
だけど、俺は逃げていた。
「腕がぁぁぁぁ!! 両腕がないぞぉぉぉ!! 黒犬見てみろ!! 僕の腕がなァァい!!」
白熱さんの熱気はどこまでも続いている。
「アーッハッハッハッハッハ!!! とうとう目もやられた! こりゃあどうしようもないなァ!!」
御堂大将はなんとか白熱さんを殺さずに無力化しようと攻撃を続けているみたいだが、白熱さんは止まらないようだ。
俺は壁に持たれながら、ズルズルと前に進む。そして被っていたマスクを外し、その場に落とす。
「シオォォォォォォン!! 面倒なことを避けて! 常に最善を選んで、それで楽しいか!!?」
歓楽街に出た。
白熱さんが放っている熱気によって、夜の街を歩く人々は何事かと騒いでいた。
こんなに離れても、真夏のように熱い。いや、それ以上だ。
それのせいか、あちこちから血を流して歩く俺に、人々は気づいていない。
「こそこそこそこそと生きて、そんなスリルで満足かシオォン!!!
男は自己破壊だ! スリルを求めて生きろ! 死音!」
視界が悪くなる。
なんだよ。黒犬さんも白熱さんも……。
「ハハハハハ……! そうだよなぁ……!? 黒犬……!」
そこで白熱さんの言葉は止まった。
熱気が収まっていく。
文字通り、白熱さんは燃え尽きたのである。
俺はその場に崩れ落ちた。
御堂大将がこちらへ向かってきている。
逃げる術はない。
黒犬さんは死んだ。白熱さんも……。
涙が、地面に落ちる前に頬で乾いた。
「うっ……くっ……」
もう、駄目だ。
「立て、逃げるぞ」
膝をついた俺の腕を、そう言って掴んだ者がいた。
俺は顔を上げる。
「早くしろ。急がないと奴が来る」
そこにいたのは、月離さんだった。




