漆黒の邪悪
甲高く、凄まじい咆哮が辺りに響いた。
俺達は全速力で走っている。
「逃げろォォォ!!」
ファフニール。見てもわからなかったが、その名は聞いたことがあった。
神話級の中でもさらに上位に位置する魔獣である。
生まれたての赤ちゃんだからか、それほどヤバい魔獣に感じなかったが、白熱さん達の反応からして、俺じゃ歯が立たなさそうだ。
走りながら振り返ると、ファフニールは卵の殻から抜け出して、俺達を追ってきていた。
「オイなんだアレ追ってきてるぞ! なんとかしろ白熱!」
「無茶を言うな! 赤ん坊でも神話級のファフニールだ! この人数ではどうにもできない!」
「どうするんですかこれ!」
「バラバラに逃げるか!?」
顔面パンチさんは、そう振り返って言ったのと同時に目を丸くする。
後ろで何かあったのかと、気になった俺は振り返ってみる。するとそこには大口を開けながら走るファフニールがいた。
「まずい! ブレスが来るぞ! 白熱!」
「分かってる!」
突如、ファフニールの口から放たれた業火を、白熱さんが振り返って散らした。
「なんて炎だ!」
「大丈夫ですか白熱さん!」
「大丈夫だ! 走れ!」
言われて走ると、前を走っていた顔面パンチさんが言った。
「そういや火矢はどうした!」
「戦闘不能の状態です!」
「チッ! 使えねぇな!」
「彼女は中々の重症だ! 逃げるなら回収しなければ!」
白熱さんが後ろから追いついてくる。
ファフニールは、濡れた翼をはためかせ、よたよたとおぼつかない足取りでこちらに向かって走ってきている。
流石に卵から出てすぐに全力疾走というわけにはいかないらしい。
「じゃあ俺が回収しにいく! 白熱と死音は別ルートから逃げろ!
あと火矢の位置を教えろ!」
「一階23番出口付近だ!」
「真逆じゃねぇか!」
「それはそうと、ファフニールはどちらが引きつける!?」
「そんなもん!」
顔面パンチさんは急ブレーキし、ファフニールの方に向かっていく。
そして叫んだ。
「ついてきた方だ!」
顔面パンチさんはファフニールの足元をスライディングでくぐり抜け、そのまま反対方向へと走っていった。
しかし、ファフニールは顔面パンチさんを気にも止めずに、そのままこちらへ向かってくる。
よたよただった足は、段々としっかり地を踏むようになっており、羽も少しずつ乾いていってるように見えた。
「クソっ! ハズレだ!
逃げるぞ死音くん!」
嘘だろ……!
俺達はさらに速度を上げて走る。
しかしファフニールの速度もどんどんと上がっていき、やがて距離は詰まっていった。
「死音くん! 掴まれ!」
「わ、分かりました!」
差し出された白熱さんの腕をがっしりと掴み、俺は返事した。
白熱さんはそのまま吹き抜けの手すりに足をかけ、一階へと飛び降りる。
ふわりと炎の(?)クッションで着地すると、俺は白熱さんの後について再び走り出す。
ファフニールも俺達についてきて一階へと飛び降りてきた。
俺達は出口に繋がる角を曲がり、そのまま走っていく。
前方には瓦礫で塞がれた出口が見える。
「出口の瓦礫を破壊して外に出よう!」
「はい!」
俺が返事すると、白熱さんは体に炎を纏い、そのまま瓦礫に突進していった。
瓦礫は白熱さんによって蹴散らされ、足場は悪いがなんとか通れる道ができる。
俺と白熱さんはそこに身を滑り込ませ、ショッピングモールの外へ脱出した。
新鮮な外の空気。そんなに長い間ショッピングモールの中にいたわけではないが、とても空気がおいしく感じる。
しかし立ち止まって深呼吸なんてやってる暇はなかった。
丁度、百貨店内の救助に駆けつけてきた自衛軍の隊と鉢合わせたのだ。
先頭には鷲のバッジを胸につけた大佐の男。
「Anonymous……! やはり貴様らの仕業か!」
「チッ! 今更駆けつけて来て役立たずめ!」
白熱さんは立ち止まり、自衛軍の隊を指差して言った。
ファフニールは未だに追ってきている。
そうだ、自衛軍を囮にすればファフニールを撒けるのでは?
というかアレの処理は自衛軍に任せるのが良さそうだ。
ハルは倒したし、ファフニールをAnonymousでわざわざ処理する必要はない。
白熱さんも同じことを考えたのか、俺と目が合った。
「ファフニールはまだ来てるね?」
白熱さんは少し振り返って言う。
「はい、まだ接近中です」
「よし、じゃあ自衛軍に標的を擦り付けようか」
予想通りの提案に俺が頷いたのと同時に、隊の先頭に立つ大佐の男が攻撃命令を出した。
「かかれ! 治療班は百貨店内に突入せよ!」
一斉にかかってくる自衛軍。
音撃で一掃してしまおうかと思ったが、それで全滅してしまったりするとまずい。
「死音くん! 僕にしがみつけ!」
俺は言われてすぐに白熱さんの腰にしがみついた。
すると、白熱さんの足から炎が噴出される。
「あっつ……!」
バーナーのように噴出された炎の熱が、俺にも伝わる。
「飛ぶぞ!」
そして白熱さんは、噴出された炎の勢いで空へと舞い上がった。
自衛軍の隊を一気に飛び越え、反対側にブォンと着地する。
振り返ってみてみると、出口のところに、ファフニールが姿を現していた。
その口元は血で汚れている。おそらく突入した自衛軍の治療班がやられたのだろう。
瓦礫の山をを蹴散らして、外へと踏み出したファフニールは再度咆哮した。
「ギャァオオオォォォ!!!」
俺達を追うべく進路を変えようとしていた自衛軍の人々は、その咆哮によってファフニールの存在に気づいた。
「なんだあれは……!」
「死音くん! 走るぞ!」
返事はせず、全力で足を動かす。
しばらく走って、立ち並ぶビルの路地裏に入ると、白熱さんは俺の肩を掴んで言った。
「ハァ、ハァ、僕は車をとってくる。死音くんは、ここで待っていてくれ」
彼の熱い吐息がかかる。
「分かり、ました」
膝に手をつき、肩を上下させながら俺は返事をした。
白熱さんは俺から離れ、どこかへ走り去って行く。
「ふう」
俺は壁に背をつけ、そのままずるずるとへたり込んだ。
やっと解放された。
疲れた。止血したとは言え肩も痛むし、体の節々が悲鳴を上げてる。
あっちからは、激しい戦闘音だ。
しかし距離はそれなりにある。近付いてくる人もいない。
能力をoffにしたいが、念のためonのままにしておこう。
それにしても、本当に疲れた。
再び息をつこうとして、俺は呼吸を止めた。
近付いてきている。速い……!
音を消す。立ち上がって壁にピタリと背中をつけ、ゴクリと息を飲む。
そして俺は、路地裏の影から道路側を覗こうと、顔を出してみた。
「ギャァァオオォオ!!」
咆哮。眼前を……ファフニールが滑空して通り過ぎた。
それを目で追う。
ファフニールは翼を広げ、道路に爪を食い込ませ、ギリギリとブレーキをかけて止まった。
そしてぐるりと反転し、俺の方を向いた。
明らかに、目が合っている。
おかしいだろこれ……。
俺、狙われてないか?
「ギャォォォ!!」
ファフニールが突撃してくる。
俺は反射的に飛び退き、後方に仰け反り転んだ。
削り取られたビルの壁。目の前にはファフニールの顔があった。
路地裏の狭さに進行を阻まれ、ファフニールの牙はギリギリ俺に届かなかったのだ。
「ガウ……」
ファフニールのうめき声。
俺はゆっくりと立ち上がり、後ずさる。
ミシミシとコンクリートの壁に大きなヒビが入っていき、ファフニールが無理矢理俺に近づこうとしているのがわかる。
ヤバい、このまま行くとビルが壊れてしまう……!
なんて力なんだよ!
しかも、ここでブレスなんか吐かれたら終わりだ……!
俺はファフニールに警戒しながら数歩数歩と後退り、ある程度距離を取ると背を向けて一気に走り出した。
ファフニールは、それを見て路地裏に入るのを諦めたのか、顔を外に出して道路側に出た。
俺は路地裏を走ってなんとかファフニールから逃れようとするが、奴は上から俺を追尾してくる。
常にまとわりつく、数十m頭上に響くバサバサという飛翔音。
もう翼が乾いて飛べるようになったのか。
しかしどうやって俺の位置を探っているのだろう。音はちゃんと消している。
匂いか?
確かに血を流している。これだと位置がバレるのも仕方がない……。
辺りの音に注意してみると、住民の避難は完了しているようで、外に出ている人は全くいないみたいだ。
標的を擦り付けるのもできないか。
いつまでも路地裏でうろうろするわけにはいかない。
でも今出たらおそらくファフニールの餌食だ。
これならさっき一か八かで音撃を食らわせればよかったな……。
白熱さんが戻るのを待つか?
救援要請を出そうにも端末がない。煙さんはちゃんと後処理してくれているのかな。
スーツケースに学生服を入れたから、アレが見つかると身バレの可能性がある。
その辺は流石に考慮してくれてるよな……。
いや、そんなことより今はファフニールをどう撒くかだ。
なぜか今は攻撃はしてこないが、いつ襲って来るか分からない。
もしかすると、俺が路地裏の外に出るのを待っているのかもしれない。
確かに。ブレスで丸焦げにしたら食えないからな……。
クソ、そんなに俺を食いたいのかよ。
どうする……、俺。
「死音、聞こえるか」
ふと、そんな声が路地裏の先から聞こえてきた。
「そ、その声は溜息さん……?」
俺は声を送り返す。
「そうだ。そのまま走ってこい」
溜息さん、助けに来てくれたのか……!
「分かりました!」
俺は声が聞こえた方へ、嬉々として走り出す。
走って路地裏を抜けると、そこには黒いバイクに跨がった溜息さんがいた。
「溜息さん!」
「早く乗れ。奴が来ている」
「はい!」
俺は溜息さんの後ろに跨り、その体に掴まった。
「ギァァォオオオォォォォ!!!」
振り向くと、ファフニールが飛んできている。
「溜息さん! 来てます!」
「もっと体をくっつけて、しっかりと私にしがみつけ。振り落とされるぞ」
「わ、分かりました」
言われた通りしっかりと掴まると、ブォンとエンジン音が鳴り響き、勢い良くバイクは発進した。
さっそく溜息さんは目の前のビルを曲がり、ファフニールを翻弄する。
地面スレスレのカーブだが、おそらく重力を操っているのだろう、倒れることはない。
そして本来出るはずのない速度で、バイクは街を爆走した。
速い。
しかしそれでもファフニールの方が速かった。
行く先行く先に現れ、奴はバイクを追いかけ回す。
こっちは小回りがきくので、ファフニールは振り回されていた。
「溜息さん! あれ倒せないんですか!?」
「可能だが、街に多大な被害が出る。アジトがあるこの街の機能はなるべく失いたくない。撒いて自衛軍に片付けさせるのがいいだろう」
なるほど。
「というか溜息さん! 本部にいたのならなんで最初からこの任務に加わらなかったんですか!」
「私は百貨店に自衛軍が侵入しないよう、この街の自衛軍中間支部を押さえていた。だからそっちにはいけなかった」
この任務、溜息さんも動いていたのか……!
なるほど、道理で自衛軍の到着が遅すぎたわけだ。
確かに、自衛軍が介入して三つ巴の戦いになれば、煙さん達の任務が難航する。
ボスはそれを考えたのか。
「……もっと強く掴まれ。落ちるぞ」
言われて、俺はさらに強く溜息さんにしがみついた。
当然溜息さんの匂いを嗅ぐ余裕なんてない。
直後、ぐわんと車体が揺れ、俺の視界が横にズレた。
何事かと思って過ぎゆく景色を見ていると、なんとバイクはビルの壁を走っている。
しかしファフニールはそれでもついてきていた。
ときおり飛んでくるブレスがバイクを襲うが、溜息さんはスイスイとそれも躱す。
「死音、あのファフニールに何かしたのか? いくらなんでもしつこすぎる」
「いや、特に……」
「そもそもアレはどこから来たんだ」
「ハルって奴を倒すと、でかい岩が現れて、何かと思ったらファフニールの卵で、近づいたら孵化しました」
「なるほど」
そう言うと、溜息さんは唐突にブレーキターンでバイクを止めた。
「な、何してるんですか! 来ますよ!」
「刷り込みだな」
「え……」
刷り込み……。
鳥とかが孵化した時、最初に見たモノを親と思い込むというやつか?
「おそらく、あのファフニールの赤子は死音を親だと思ってついてきている」
「……」
「アレに敵意はない」
でも確証はない。逃げた方がいい気がする。
だけどもう溜息さん逃げる気ないし、やばい、そこまで来てる……!
「ギャオオゥ!」
すごい勢いでやってきたファフニールは、鳴きながら俺の眼前で止まった。
風圧で俺は目を瞑り、数歩後ずさる。
「……!」
目を開けると、そこには赤子とは言え俺の数倍はある大きさの体を持つファフニールが佇んでいた。
真っ黒な瞳が俺を見つめている。
「ギャウ!」
ファフニールは首を傾げ、ひと鳴きした。
そして首を俺のところまで下げると、俺の体をベロリと舐めた。
俺は思わず尻もちをつき、呆然とファフニールを見上げる。
体は唾液でベタベタだ。
「本当に……、親だと思ってる……?」
「みたいだな」
安堵や混乱、色々な感情が入り混じりつつも、とりあえず俺は「はぁ」と長い溜息を一つ吐いた。
「これは良いペットが手に入ったな。死音、お手柄だ」
「ハハハ……」
溜息さんの言葉がやけに調子のはずれたものに思えて、俺は笑いながら力無くドテンとその場に倒れ込んだ。
四章終




