迷いの邪悪
瓦礫の影から少しだけ顔をのぞかせているスーツケースは、数歩歩いたところにある。
中身はもちろん、タキシードと仮面、そして射出機などの武器だろう。
それを前にして俺は動けずにいた。
火矢さんが助けを求めているのは分かっている。だけど、俺の隣には凛がいるのだ。
この状況で着替えて助けに行けと?
無理だ。
いや、凛を気絶させれば可能だ。
後頭部を殴打するか? 腹に思いっきり拳を叩き込むか?
それとも首に手刀?
ダメだ。俺にそんな技術はない。凛を怪我をさせてしまうだけだ。
そもそも俺に助けを求めるのが間違っていると思う。俺を戦力として数えているなら最初からちゃんと伝えてくれればよかったんだ。そうすれば俺だってもっと違う行動ができたし、弦気達と行動しながらでも煙さん達を掩護できた。
あれで察しろというのは無理があるだろ。俺は煙さんの考えることを即座に察せるほど付き合いが長いわけじゃないのに。
俺に求めすぎだろ。
これで正体がバレるくらいなら俺は火矢さんを見殺しにするという選択肢を選ぶ。
……流石にそれは良くないな。
なにか策を考えなければ。
ああ、この場にロールがいたらどれだけ楽だっただろう。
だけどロールはいない。一人でなんとかしないと。
俺は火矢さんと男の戦闘を陰から観察する。
凛も少しだけ顔を角から覗かせて、辺りを破壊しながら飛び回る二人を目で追っていた。
そして二人が俺達のいる場所から少し離れた所に移ったのを見ると、凛は振り返って言った。
「あの二人が遠ざかるまでここにいるべきね、これは」
「だな……」
心からの同意。だけどそうも行かなさそうなのが現実だ。
「とゆーか、Anonymousはなんでテロリストと戦ってるのよ」
「俺に聞かれても知るわけないだろ」
単に敵対してるだけだな。
「それもそうか」
俺は再び火矢さんの様子を伺ってみる。
彼女は息を切らして、ひたすら男の攻撃を受け流していた。
彼女の能力は"火輪の弓"
火の弓と矢を具現化させ、敵を射る能力。実際はただ炎を出す能力なのだが、火矢さんはそういうふうに応用して使っている。
元々、そのキツイ性格とは裏腹に、サポートがメインの火矢さんだ。
消して弱いわけではないが、接近戦のタイマンではやはり後手に回ってしまう。
現に追い詰められている。限界も近い。
距離を取らなければ手も足も出ない状態だ。
ゴクリとつばを飲む。
このまま行けば、確実に火矢さんはやられてしまうだろう。
あの男、煙さんと顔面パンチさんを「捕らえた」と言っていた。
火矢さんの警戒っぷりを見ても、奴の能力範囲に「人間」も含まれることは明快だ。
おそらく、触れられたらアウト。
火矢さんもそれが分かっていての立ち回り。
それ故に、あいつは最後の獲物を捕らえあぐねている。
男の攻撃は様々。
ナイフを無数に放ったり、一気に接近して刀を振り下ろしたり、火矢さんの進路に障害物を出現させて動きを鈍らせたり。
戦ったら面倒なタイプだ。
顔面パンチさんとも相性が悪いわけだな。
でも煙さんが捕まったのは分からない。あの三人の中なら一番煙さんがあいつと戦えそうだったのに。
というかむしろ煙さんが負ける要素があっただろうか。
もしかすると、魔獣との混戦がきつかったのかもしれない。
捕らえられただけなら、救出は可能なんだろうか。
奴を殺せば、奴が保持しているものはどうなる?
そのまま? それとも溢れでてくるのか?
俺がそんな思考を張り巡らせていると、火矢さんと男の戦況に変化があった。
火矢さんが致命的な一撃を受けたのだ。
太ももに投擲されたナイフ刺さり、そこに追撃として男の膝蹴りが入った。
数m吹っ飛び、そこにダウンした火矢さん。
「ハッーハーハー! チェックメイトだ火矢! なんだなんだァ、大したことねーなァAnonymousも!」
まずい……。
迷ってる場合じゃない。火矢さんが殺される。
頬を汗が伝う。
隣の凛も、火矢さんと男を見ていた。
やるしかない。正体がバレてしまうとはいえ、やっぱり仲間を見殺しにするのは良くない。
凛ともここでお別れだ。
俺が意を決して飛び出そうと思った時、一人の子どもが男の前に飛び出してきた。
「うおおおおおお!」
飛び出してきた男の子はそんな雄叫びを上げながら男に向けて突っ込んでいった。
「邪魔だガキンチョ!」
案の定男に蹴り飛ばされたその子は、地面をワンバウンドしてその場に転がった。
「……!」
男は刀を片手に、その子どもに歩み寄る。
これは火矢さんを救出するチャンスかもしれない。
トドメを怠り、他のことを優先するのは奴の弱点とも言える。俺の時もそうだった。
「風人」
ふと、凛が俺の肩を叩いて言った。
「なに?」
「私、行くわ。あの子が殺されるのを黙って見てるなんてできない。風人はここに隠れてて」
そう言って、凛は角から飛び出した。
「……なっ!」
一瞬のことだったので、俺は混乱する。
凛が飛びだした……?
あの子どもを助けるため?
俺は物陰から凛の姿を追う。
彼女は速かった。訓練された動きだ。
後ろから男の元まで駆けつけた凛は、床に倒れた子どもを抱えて一気に距離をとり、男と対峙した。
「いいねぇ! そういうの嫌いじゃないぜ!」
凛のやつ……。戦うつもりだ。
無茶だ。勝てるわけない。
凛は子どもを後ろに寝かせてすっと立ち上がる。
次の瞬間。
凛に向けてナイフが投擲された。
ギャインと、金属音が鳴り響く。
凛が投擲されたナイフを叩き落とした音だった。
見ると、手の一部が銀色に変色している。
あれが凛の能力か……?
俺が知っている凛の些細な能力は、体のどこでも一部をほんの少しだけ硬化させる能力……。
だが投擲されたナイフを問答無用で叩き落とせるあれはほんの少しというレベルではない。
「おお! ヤれる一般人か!」
歓喜する男。
次々と投擲されるナイフを凛は叩き落としていく。
だが、完全ではなかった。
時々ナイフを落とし損ない、ダメージを受けている。
なるほど。全身を硬化でコーティングできるわけではないのか。
やはり能力的にも実力差は歴然だ。
男はナイフを投げながら距離を詰めていく。凛は防戦一方だった。
距離を詰められていくごとに、ナイフの落とし損じが増えていく。
どんどんボロボロになっていく凛を見て、俺は息を飲んだ。
凛が殺される。助けに行かないと。
でも、このまま飛び出すのも悪手だ。何の策もなしに飛び出したら、凛みたいになる。
……いや待てよ?
そもそも助けに行く必要が、果たしてあるだろうか。
凛が殺されるとする。そうすれば、俺は一気に動きやすくなるのでは?
今すぐ着替えて凛を助けるという手段もあるが、それだと凛に正体がバレてしまう可能性がある。
そして正体がバレるということは、結局殺さないといけなくなるということ。
ならば助けに行かずに、あの男を倒す方法でも考えるべきだろう。
元々、弦気も凛も大橋も、"死音"としては死んでくれた方が好都合じゃないか。
凛の腕の手から血しぶきが上がった。
硬化が間に合わなかったのか、それとも能力の限界だったのか。
だが、すぐに持ち直す。
彼女は投擲されたナイフのうちの一つを掴み、それを使ってナイフを落として行った。
が、ナイフの標的が変わった。
いや、変わったとは言えない。
たった一本のナイフが、凛の後ろへ倒れているあの男の子の元へ向かったのだ。
彼に向かって投擲されたナイフに対して、凛はなすすべがなかった。
彼女は自分に放たれたナイフを捌くので精一杯で、そのナイフまでは落とせない。
俺がそう推測した時、凛は体をむりやりそのナイフの前に持っていき、足でナイフを受けた。
再び血しぶきが舞う。
硬化は間に合わなかったようだ。
彼女は太ももを抑え、なんとか片手飛んでくるナイフを捌いたが、精度が甘くなって所々にダメージを受けた。
凛が膝をついたところで、男によるナイフの投擲は止まった。
「ハハハ! お譲ちゃん、悪くない動きだったぜ!」
男は刀を肩に担ぎ、残る距離をゆっくりと詰めた。
それを切羽詰まった表情で見上げる凛。
俺は凛から目を離し、瓦礫の陰のスーツケースに手を伸ばして、そこで動きを止めた。
本当に、見捨てていいのか……?
「死ねェ!」
「弦気……助けて……」
そんな声が聞こえて、俺は思わず角から飛び出した。
音を消し、後ろから男の元まで一気に駆け寄る。
そして走りながら落ちてるナイフを拾い、俺は男に飛びかかった。
「ああ゛!?」
「風人……!?」
ナイフは男の刀によって受けられた。
この反応。やはり格上。
できれば音撃で攻撃したかったが、この位置関係では凛と火矢さんを巻き込んでしまう。
違う。
なぜ助けた俺!
凛が死ねば状況は確実に好転したはず。スーツケースからも離れて……。クッソ、何してるんだ……!
いや、俺は間違ってない。
今の俺は神谷風人だぞ。
凛が死んだら、悲しいじゃないか……!
「また新手のモブかァ!」
刀で押し返されるのと同時に、俺は蹴りを放つ。
そして男が後退して躱したのを利用して、俺は凛の元へ飛び退いた。
「風人……、なんで出てきたの……!」
「お前こそ、なんで出ていったんだよ馬鹿が!」
俺は凛を抱えて走り出す。
「逃さねェぇぞ!!」
後ろから追ってきた男を妨害したのは火矢さんだった。
火矢さんは男に気づかれないよう、怪我をした体を引きずってなんとか距離をとっていたのだ。
炎の矢が四方から男に降り注ぐ。
男は壁を展開してそれを防ぐしかなかった。
「火矢さん! ありがとうございます!」
走りながら俺は火矢さんにのみ声を届けた。
その間に俺は適当な店の中に入って、凛を地面に寝かせる。
凛の体はナイフによって至るところに切り傷ができていた。
深いものもある。だが、これくらいなら手当が多少遅れても大丈夫そうだな。
「大丈夫か?」
「うん……」
「ここでじっとしててくれ」
「どこ行くのよ……?」
答えず、無言で俺は立ち上がった。
凛は俺を引き止めようと袖を掴んだ。
「手当できるものを探してくる」
「……ダメ。ここにいたほうがいいわ。これくらいなら自分で……」
その通りだ。
だが、本当はそんなものを探しに行くのではない。
あいつを殺しに行く。
助けを呼ぶより効率的だ。まずはあの危険因子を排除しないと。
この状況で凛がまた動き出すことはないだろう。というか、この怪我では動けないはずだ。
だから、テキトーな理由で凛から離れて、今のうちにちゃっちゃと着替えてしまえば正体がバレることはなくなる。
いかにも素人っぽい理由でうろちょろするのもいい感じのカムフラージュになりそうだ。
「風人……!」
「と言うかお前……、あんな能力あったんだな。
知らなかったよ」
先ほどの凛の戦いっぷりを思い浮かべながら、俺は言った。
「それは……」
凛の、俺の袖を掴む力が不意に緩んだ。
俺はその手を振りほどいて立ち上がる。
そしてその場を去った。
未だに壁を展開し、火矢さんの猛攻を防いでいる男の横を通り過ぎる。
展開されている壁はかなり頑丈なようだ。
「火矢さん! いつまで持ちますか!」
「もう持たねーよ!」
「もう少し、もう少しだけお願いします!」
「チッ! 早くしろ!」
俺は23番出口に駆け込み、スーツケースを開く。
そして中のタキシードを取り出した。
制服を無理やり脱いで、それをスーツケースの中に押し込む。
タキシードに袖を通し、ネクタイを装着する。
それにしても、意図せずことがうまく進んだな。
……問題はここからか。
俺があいつに勝てるかどうか。
地形的には、俺の方が有利。火矢さんとの連携は期待できない。
俺一人での撃破が要求されている。
援軍は来るのだろうか。自衛軍の突入はいつだ?
俺は射出機を腰に下げ、使い慣れたナイフをホルダーに仕舞う。
そして、マスクで顔を覆った。
今から俺は、死音だ。




