変わった日常の音
翌日、俺は起床した。
自宅のベッドでだ。
昨日はあの後すぐ家に帰って、そのまま眠ってしまった。家に着いたのは3時くらいだ。
ボスの言った通り、親と学校にはそれぞれ手を回しておいてくれたようだった。
学校には体調不良という連絡を。
両親には俺が家にいるように見える工作をしておいたらしい。
どうやったんだ……と若干の恐怖を抱かざるを得なかったが、考えてみればそこまで難しい話じゃない。
両親共々朝早くに家を出るわけだし、それまでの間の接触はいつも皆無だからだ。
昨日みたいな事件があったんだから、なんらかのアクションがあってもおかしくないはずなのだが、昨日帰ってきた両親とは普通に接することができた。
そしてパンクしたはずの自転車が修理されて戻ってきている所を見ると、死角はないらしい。
まあとにかく、後始末がしっかりとされていたので、俺から言うことは何もない。
むしろ感謝である。
あと昨日、親友の弦気から、俺の体調不良を心配して送られてきたメールには『実は半分サボり』と返して俺らしさを演出した。
これで完璧だ。
……しかし悪の組織に入ったのに、こうして普通の日常にすがり付いているところは少し考えないといけないかもしれない。
俺はトーストをかじりながらそんなことを考える。
朝食はいつも一人だ。
朝食を食べ終えると、俺はカバンを手に持つ。
そろそろ出発しないと間に合わなさそうだ。
俺は抑制リングを一度嵌め直した。
これのお陰で、俺は以前とほとんど変わらない生活を送れている。
でも、自分で抑えている能力をしっかりと発動させれば抑制リングなんてないも同然になる。
自分の抑制+抑制リングで丁度いい感じになってるのだ。
家を出て鍵を閉める。
てかいきなり指輪なんてつけて学校行ったら何調子乗ってんだよみたいなこと言われそうだな。教師にも怒られそうだ。
この指輪、足の指とかじゃダメなんだろうか。
……今日はなるべくポケットに手を突っ込んどこう。
無駄に思える対策を練って、俺は学校へ向かう。
前方右手に廃ビルが見える。あそこの地下にもアジトへの入り口があるのだ。
だけど、緊急時以外は町外れのカフェから来るよう言われている。
「おーい、風人ー!」
そんな時、俺の名前を後ろから呼んで、駆けつけてきたのはやはり弦気だった。
俺は足を止めて、振り向く。
「よう」
「今日はちゃんと来たか」
「そりゃあな。昨日は起きれなかっただけ」
帰れなかったんだけどな。
「起きろよ。
あ、そういえば今日さ、転校生来るらしいよ。昨日先生が言ってた」
「え? マジで? 俺達のクラスに?」
「うん」
転校生か。
珍しいな。女だろうか、男だろうか。
出来るならば男がいいな。
女だと弦気ハーレムを免れない。
「つーるぎっ!」
いつものように大橋がいきなり現れて、弦気に後ろから抱きついた。
そして後から俺に気づいたように挨拶して、俺もそれにいつも通り答えると、また俺達は歩きだした。
教室に着くと、教室はすでに転校生の話題で持ちきりだった。
教室で飛び交うワードはこんな感じだ。
金髪。外人。細い。可愛い。つり目。
どうやら職員室にいた転校生を誰かが目撃したらしい。
正直俺はこの時点で少し首を傾げていた。
ちょっとした既視感があったからだ。
「おい静かにしろー」
ガラッと教室の扉が開いて、担任の教師が入ってきた。
教室はすぐに静かになる。
「よし、じゃあ今日はお前らの新しい仲間を紹介する。
入ってきてくれ」
ガラッと再び扉が開く。
入ってきたのは、金髪を胸の辺りまで伸ばし、キリッとした碧色の目を持つ可憐な少女。
というか、やっぱりロールだった。
教室にちょっとした歓声があがる。
これは学園マドンナ大橋瞳も危ういかもな、みたいな声も聞こえてきた。
ロールは一度俺達に背を向けると、黒板に名前を書いて自己紹介した。
「新城ロールです。ハーフですが、日本で生まれ育ちました。
よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるロール。金の髪が垂れて、頭を上げた時にロールはそれを上品に掻き上げた。
すごく丁寧な挨拶に俺は驚く。
こういう時はちゃんとするのか。
仕草もなんか様になってるし……。
「じゃ、新城は一番後ろの席に座ってくれ。
お前ら、仲良くしてやるんだぞ」
俺が唖然としたままことは進んでいき、担任の教師はいつのまにか教室から出ていっていた。
もうすぐ授業が始まるというのに、クラスのみんなはさっそくロールの周りに集まっていた。
あいつ、何で来たんだろうか。
俺はチラと視線を向けるが、ロールとは目が合わない。
ロールは笑顔で周りの奴らの質問攻めに答えていた。
マジで何しに来たんだ……。
そう思ってると、隣から弦気に話しかけられた。
「あの子かわいいな。風人が見惚れるなんて珍しいじゃないか」
「ああ、まあ……」
見惚れてたわけじゃない。
それと、珍しいこともないと思うんだが……。
「かわいい……。新ライバル登場ね……」
「ぬぅ……」
瞳と凛はそんな話をしていた。
「風人の恋なら応援してあげるよ」
お前……、そう言って何人の恋を妨害したか覚えてねーのかよ……。
そして残念ながら俺は恋なんかしてない。
確かにロールは可愛いと思うけど、全くときめかない。
第一印象が悪かったのが原因かもしれないな。
担当の教師が入ってきて、クラスのみんなはそれぞれの席につく。
授業は始まった。
ーーー
ロールが俺に接触してきたのは昼休みのことだった。
その接触の仕方が、中々に質が悪い。
というか、悪性質そのものだった。
何があったかというと、体をぶつけられたのだ。
そこまではいい。ちょっと注目が集まって、俺が謝ればよかったのだから。
だがロールはその時、持っていた弁当をわざと床にぶちまけたのだ。
あーあ、みたいな視線が俺に集まる。
女の子とぶつかって、その弁当をぶちまけさせたとなると、俺に対する罵倒というか、冷ややかな視線はもちろん想像できるだろう。
しかも相手は今日が初対面の転校生だ。
どうするんだよこれ、そんな雰囲気が教室に充満している。
こんな時、周りのひそひそ話が正確に聞こえるってのも厄介だ。
「あ、ご、ごめん……」
内心「やってくれたな」と呟きながらも、俺は謝った。
だけど、俺はこいつがわざとぶつかってきたということを知ってるんだ。
なぜなら、一瞬笑ったような気がしたから。
教室は静まり返っていて、俺達に注目が集まっている。
ロールはしばらく呆然としていたが(おそらく演技)、周囲の反応に気づいたかのようにせっせと散らばった具を拾い始めた。
「いえいえ、私の不注意でしたね……! こちらこそごめんなさい!」
そして笑顔でそう言った。
なるほど、学校ではそのキャラで通すつもりか。
俺も焦って床を掃除し始める。ここで棒立ちというわけにはいかない。
周りからは「ロールちゃんなんていい娘なんだ……」的な声が聞こえ始めていた。
とにかく、俺がロールにぶつかって弁当をぶちまけさせたということになっているから、俺はなんらかのお詫びをしないといけない。
そしてそろそろロールの狙いも見えてきた。
俺と不自然なく接することが出来るように、きっかけを作ることが目的だったのだろう。
焦っていたから気づかなかったけど、それしかない。
ならば俺も合わせなければ。
嫌がらせでこんなことするなら本当に害悪だぞ。
「マジでごめん、新城さん……」
「そんな! 私の不注意ですよ! 私が前を見てなかったから……」
本来のロールを知っているから、こういう話し方は少し違和感がある。
まあ本来のロールを知っていると言っても、ほんの少し知ってるくらいだ。
「いや、俺のせいだ。昼飯は食堂で奢るよ。
それかパンかなんか買ってくる」
「さ、流石に悪いですよ……! 私自分で買えますし」
それからしばらく茶番は続いて、結局俺は食堂でロールに昼飯を奢ることになった。
クラスの男どもからは羨望の眼差しが向けられていた。
あんなやり方で抜け駆けはずるいんじゃないかと、後で言われることになる。
さて、ロールには食堂で唐揚げ定食を奢り、俺はコンビニで買った弁当を食べていた。
向かい側ではなく、隣に座るロールからはほんのり良い匂いがする。
周りの視線を気にして、茶番をしながら席につき、そこからの俺の第一声はこうだった。
「お前、身長盛ってるだろ」
ボソッと言った程度なので、周りには聞こえなかっただろう。
しかしロールは一瞬顔を引きつらせた。
そんな時、俺の動向確認かなにか知らないが、クラスの男子二名が俺達の向かい側に座った。
茶番がまた始まる。
「なんかすいません……。奢ってもらって……」
「いやいいよいいよ」
「あの……、名前教えてもらえませんか……?」
「神谷風人」
「神谷さんかぁ。これからよろしくお願いしますね」
「ああ……、よろしく」
ロールのよろしくはパートナーとしてのよろしくだろう。
ーーー
放課後、部活の勧誘などを華麗に振りほどいて、真っ先に帰ったロール。
それを見た俺も一度家に帰った。
そして俺は今アジトへ向かっている。
アジトに毎日通う義務はないが、結局詳しいことをロールに教えてもらえなかったので、会いに行く必要があるのだ。
街外れのカフェの店長に”合図”をして、地下へ向かうエレベーターに向かう。
そしてエレベーターでアジトに着くと、俺は真っ直ぐロールの部屋に向かった。
すれ違うAnonymousのメンバーに奇異の目を向けられる。
なるべく会釈して、話しかけられたら自己紹介をした。
無視されたりもするが。
そしてロールの部屋に着いた。
俺は鍵を回して勢い良く中に入った。
「ロール!」
「なっ……! アンタ!」
そこにあったのは、ロールの透き通った白い肌。
ピンクのシルク生地。
着替え中だったようだ。
俺は勢いを失って「ごめん」と一言。そして扉を一旦閉めた。
中からは「次からはノックしてね。今回は許したげるわ」と聞こえた。
「入っていいわよ」
しばらくして、そんな声が部屋の中から聞こえた。俺は部屋の扉をゆっくりと開ける。
「ほら、これ」
部屋に入るといきなりロールが何かを投げ渡してきた。俺がそれをキャッチすると、それは最新型のケータイだった。
「仕事用のケータイよ。Anonymousのメンバーのアドレスが大体登録されてるわ」
「ああ、ありがとう」
「私とはプライベートのアドレスも交換しておきましょう。これから色々あるだろうから」
「そうだロールお前……!」
本来の目的を思い出して、俺はロールに歩み寄った。
ロールはそんな俺を手で制止する。
「分かってる。今から説明するから」
説明。
やはりなんらかの目的があって学校に入ってきたのか。
「とりあえず、タッグでの初仕事よ。
私達は長期任務を命じられた」
「長期任務って……どんな?」
「アンタはこれから少しずつ能力を発現させていき、一年半後に自衛軍に入隊してもらう。私は主にアンタのサポートね」
「え? どういうことだよ」
そもそも能力ってもう発現してるじゃないか。
「わかりやすく言うと、アンタはこの一年半で段々と能力が開花していったように見せかけるのよ。
つまり、周りを騙すの。
音の能力者としてではなく、そこから派生した何かとしてね。範囲が広くて何ができるかとかまだ分かってないから、そこはおいおい決めていくわ」
ああ、なるほど。
それで自衛軍のスパイになれということか。
うちの学校……というか大体の学校には自衛軍枠という推薦枠がいくつかある。
校内で高位の能力者しかその枠を勝ち取れないのだ。
俺が理解したように頷くと、ロールは続けた。
「理解したようね。
この長期任務ではアンタを自衛軍に入隊させることに意味がある。
一年半と言う短いスパンだけど、私がいれば難易度としてはそこまで難しくない。
でも……」
「自衛軍にスパイとして入隊してからが難しい仕事だと?」
「そうね。
まあ一年半あるから能力の方はまともに扱えるようになってるでしょう。
アンタの能力的にもスパイは難しくないと思うわ」
なるほど。
でもロールにとっては危険な仕事なんじゃないだろうか。
あれ? そもそもロールの能力って知らないな。
「そういやロールの能力ってなんなんだ?」
「そのうち分かるわ。
とにかく、一年半後までにはコンビネーションも磨かないといけない。通常任務とか短期任務、バシバシ受けてくから足引っ張らないでね」
「了解」
能力は教えてもらえないか。
まあそのうちわかるのは事実だろう。それよりロールの足を引っ張らないように頑張らないといけない。
「てか思ったんだけどさ。
なんでそのこと事前に教えてくれなかったんだよ。いきなり転校してきたらびっくりするだろ」
「はぁ? そんなのサプライズに決まってるじゃない。
でもまあ、アドリブにしては中々うまく対応してきたわね。褒めてあげる」
悪魔的に少しだけ微笑んで見せるロール。
「全然嬉しくねぇ。弁当落とした時は本当に心臓飛び跳ねたんだからな。
とりあえず聞きたいことは聞けたから俺帰るよ」
発現してから3日で日常が一変してしまった。
俺はこの先やっていけるんだろうか。
いや、やっていくんだ。
そんなことを考えながら部屋の玄関に向かうと、後ろからロールに呼び止められた。
「死音!」
「なに?」
「そ、その……身長盛ってるのやっぱり分かるわけ?」
ああ、やっぱり気にしてるのか。
それには「バレバレ」と答えて、俺はロールの部屋を出た。