潜む邪悪
千薬さんの治療によって、俺はなんとか生活できるレベルにまで回復していた。
完治にはまだ一週間以上かかるらしいが十分だ。
俺は踏み出す度に少しの痛みを感じながら、学校への道のりを歩いていた。
久々の学校である。
学校では、家の階段から転げ落ちて大怪我ということになっているらしい。
なんとも間抜けな話だが、しかたない。
本当のことを話すわけにはいかないしな。
そのため、俺はしばらく腕にギプスをつけて学校にいくことになる。
本当はもうギプスなんていらないが、そこらの病院にいる医者の治癒能力ではここまで早く回復しないため、怪しまれるのだ。
一応大怪我してる体だからな。
千薬さんだからこその回復スピードだとロールが言っていた。
怪我の痛みにより学校までの距離が随分と長く感じたが、俺はなんとか教室まで辿り着いた。
ガラっと教室の扉を開いて中に入ると、クラスメートの視線が俺に集まる。
そしてみんな席から口々に俺の怪我の心配をしてくれた。
俺はそれに答えながら、自分の席まで進む。
席につくと、俺の元に弦気がやってきた。
弦気は俺の背中をバンと叩いて、まだ来てない俺の後ろの奴の席に座った。
「よ、おひさ」
「いたいな。怪我人だぞ」
「階段から転げ落ちるとか、心配するより先に笑ってしまった。お前んちの階段なんか急だもんな」
「ああ、本当に死ぬかと思ったよ」
「貴重な体験だったな」
「どこがだ」
俺達がそんな談笑をしていると、いつの間にか登校してきたらしい凛と大橋が席にカバンを置いて俺の元にやってきた。
「おはよー弦気。あ、生きてたんだ風人」
「いきなりそれかよ」
幼馴染にかける言葉とは思えないな。いや、昔からこうか。
「神谷君、こんなこと言ってるけどリンは一番心配してたんだよ」
そうなのか。まあメールが何通か来てたから心配してくれてたのは知ってるけど。
「というか二人共今日は学校来るの遅かったな。いつもは弦気と来るのに」
「私は寝坊」
「私も」
「なんだそれ」
そんな話をしてると、予令のチャイムがなって、担任である高田が教室に入ってきた。
俺の周りに集まっていた三人も、それぞれ自分の席に戻る。
「あー、明後日の能力測定なんだが、自衛軍の方々の都合で少し日程がズレることになった。
自衛軍がパトロールの強化週間に入るらしい」
えー、という残念がる生徒達の声が教室に響いた。
「なので、しばらく部活動や放課後の居残りも禁止だ。
学校が終わったら真っ直ぐ家に帰るように」
俺は一瞬ちらりとロールの方を見た。
ロールは俺とは目を合わさずに前を向いている。
その姿から「反応するな」という意思を感じて、俺は前に視線を戻した。
自衛軍のパトロール強化週間……。
これはおそらくボスがNurseryRhymeの襲撃情報を自衛軍に流したからだろう。
登校時に自衛軍がチラついてたわけだ。
能力検査が延期ということは、学内トーナメントも延期の可能性がでてくるな。
高田はそれからしばらく連絡を続けると、教室から出ていった。
能力検査が延期されたことについて不満を洩らしながら、みんなそれぞれ一時間目の用意を始める。
ーーー
学校を終えて、俺は一度家に帰ってからアジトに来ていた。
自衛軍の人達がいつも以上に街を徘徊しているため、アジトに着くのに少し時間がかかった。
後をつけられる心配はないのだが、自衛軍の制服を見る度、必要以上に警戒してしまって中々道を進めなかったのだ。
死音ではなく神谷風人である時の俺は、自衛軍に対して過剰にビクついてしまう。
態度に出るわけではないが、姿を見かけるとドキッとしてしまうのだ。
トラウマなのかもしれない。
そんなことを考えながら俺はロールの部屋に向かっていた。
ロールの部屋がある階に着いて、ゆっくり廊下を歩いていると、前方から歩いてくるです子さんの存在に気づいた。
俺は一度引き返してからロールの部屋に行こうかと思ったが、そう考えた時にはです子さんに見つかって、彼女は俺の元まで駆け寄ってきていた。
「死音くん! どこ行くの?」
「こんにちはです子さん。もちろんロールの所ですけど」
「じゃあ私も行く!」
「なんでですか」
「暇だからだよ!」
「いっつも暇ですね、です子さんって」
「死音くんこそいっつもロールロールだね。このままだとローリング死音くんにされちゃうよ?」
意味わかんねぇ。
でも黒犬さんにも同じようなことを言われたことがある。
俺とロールは、パートナーにしても一緒に行動しすぎらしい。
黒犬さん白熱さんタッグでも俺達ほどべったりではないと言っていた。
まあロールに部屋に来ることを義務付けられてるからどうしようもないんだけど。
別に嫌ってわけでもないし。
「です子さんはどこに行くつもりだったんですか?」
俺はです子さんの発言を無視してそう聞いた。
「え? 任務だけど」
「全然暇じゃないじゃないですか。早く行ってください」
「キャンセルするから大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ」
「じゃあ死音くんついてきてよ。一人でやるのだるいし。
あ、なんならロールも連れてきていいよ」
です子さんはにやりと笑ってそういった。
もしかするとこれが狙いだったのかもしれない。
です子さんはよく自分の任務を人になすりつけたり巻き込んだりするとロールから聞いたことがあるし。
「……それは、任務内容によります」
俺は少し考えてから言った。
「うーんとね。組織を引退した人がいるんだけど、その人を口説いて復帰させる任務」
なんだ、簡単そうな任務だ。明日の朝までに帰って来られるならいいかもしれない。
「ロールに聞いてみます。ちょっと待っててください」
「わかった! じゃあ私上のカフェで待ってるからよろしく!」
「分かりました」
返事して、遠ざかっていくです子さんを見送ると、俺はロールの部屋に向かった。
ーーー
「その任務、煙も溜息さんも酩酊さんも、カフスとか詩道さんでさえも……みんなが片っ端から玉砕していってる任務なんだけど、誰を復帰させようとしてるか知ってる?」
身を乗り出してそう聞いてきたロールに、俺は「わからない」と答えた。
ロールの部屋に着いた俺は、です子さんから受けたシェイド(?)をロールに伝えたのだ。
「あの人が引退したのは5年前。その5年前でさえ半分隠居みたいな状態だったから、本当に古株しか詳しく知らない人なんだけど」
「うん」
「コードネームは"宵闇"
ボスの前のパートナーよ」
ボスの前のパートナー?
ずっと詩道さんとパートナーだったわけじゃないのか。
ボスの以前のパートナーか……。またやばそうな人だな。
「私は小さい頃からここにいるから知ってるんだけど、あの人の全盛期は凄かったのよ。多分今の溜息さんと同じくらいには強かった。いや、もっと強かったかも」
「それは凄まじいな」
「当時の序列では2位。まだ若かったとはいえ、あの溜息さんが6位だった時代よ」
まだ若かったとはいえって、溜息さんがおばさんみたいな言い方だ。
まだ25歳で十分若いのに。
「それはヤバイな。Anonymousの黄金期ってやつ?」
「まあ、そうなるわね。今も反社会的勢力としては十分すぎる力をAnonymousは持ってるけど」
「それでも弱くなったってことは、昔強かった人達が引退したから?」
「違うわよ。みんな死んだの。まあ宵闇さんを含めて引退した人もいるけど」
「そうなのか」
「強ければ強い分、うちでは前線に立つことになる。だから死ぬのも早いのよ」
「……なるほど」
それは……、俺にとっては強くなる意味が無くなりそうな話だな。
強くなっても、更に危険なところに放り出されるなら意味のない話だと思う。
「まあ、死んでいった人達はいわゆる死にたがりっていうか、みんな戦闘狂みたいな節があったから、死音もそうなるとは限らないわよ」
俺が不安げな顔をしたのを見て悟ったのか、ロールは弁明するように言った。
確かに、ボスくらい有無を言わせない強さを持てば関係ないかもしれない。
「そうだな。……で、話が逸れたけど結局です子さんの任務、付いていくのか?」
「付いていくしかないわ。今から拒否したらあの人何してくるか分からないし。
準備しましょう」
「準備って……、何かいるものあるのか? ぶっちゃけ俺達です子さんの付き人みたいなもんだし、何もいらないんじゃ……」
「んなわけないでしょ。宵闇さんに会いに行くんだから、戦闘を考慮していかないと」
「戦闘?」
「ええ」
いったいどんな人なんだ宵闇さんって……。
ーーー
ロールの運転で俺達は夕闇が迫る街道を走っていた。
後部座席には俺とです子さんが座っている。
宵闇さんは今、俺達の暮らしている街から200kmほど離れたところにある街「ニューロード」に居るらしい。
彼はメンバーが復帰してくれと頼みに来る度に、住む場所を変えているという。
今回失敗したら、また次に宵闇さんが見つかるまで、この任務は保留となる。
みんな失敗してる任務なんだから、何度アタックされても同じように思えるな。
そんなことを考えながら、俺は窓から見える夕方の草原を眺めていた。
「ちょ、死音くん……ロールがみてないからって……、あんっ、ダメだって」
唐突に始まったです子さんの"イタズラ"に、俺は溜息をついた。
「ロール、俺は何もしていないからな」
念のため、俺はロールにそう言っておく。
「分かってるわよ」
冷静な返事が帰ってきて安心する。
「つまんないの。ロール、いつつくの? 私疲れたんだけど」
「まだまだよ。あと一時間くらいよ」
「えー、そんなに。
というかロール。死音くんとイチャつく妄想をするのはいいけど、事故らないでね」
「ちょ、そんな妄想してないから!」
ロールは俺に振り返って言った。
いや、してるとも思ってないから。
「妄想の内容を細かく教えてあげよう。まず手を繋いで一緒の布団で寝てるところからスタートね? で、ロールの可愛さに我慢できなくなった死音くんがロールに身を寄せて、好き好き言いながら頬擦りを始めるの。ロールはそんな死音くんを優しく撫でながら身を任せ、やがてのしかかるように被さってきた死音くんの背中に手を回すの。で、ロールは目を閉じて……」
「です子!」
ロールの制止が入ってです子さんの口は止まった。
聞いてるこっちも赤くなりそうな妄想だったけど、マジなのか……?
俺はチラリと視線を移してロールの顔を見てみた。
運転中のロールは前を向いているが、耳が少し赤い。
車内に微妙な空気が生まれる。
「そんな妄想してないから。です子後で殴る」
です子さんは能力で心を読まずとも、大体相手の考えとかを読み取ることができるらしい。
その上よく嘘をつくから、発言に裏表があってトリッキーなのだ。
だからみんなこの人に振り回されている。
俺はあんまり標的にされないけど、まだ付き合いが浅いからだろうか。
「えー! 怒らないでよロール! 死音くんをどうやったら落とせるかまた相談に乗ってあげるから! あ……!」
「で、です子……!」
だからこういった嫌がらせみたいなことをよくされる。
こういうことをされると俺とロールの間で少し気まずくなったりするから困りものだ。
ちなみに、ロールが俺を好きだという驚愕の事実も、実はです子さんから聞かされている。
これに関しては性格が悪いと言える域に達しているが、俺もうすうすロールの好意には気づいてはいた。
かくいう俺も、ロールのことが好きだ。
いや、本当に好きと言えるかはまだ怪しいな。
ロールはめちゃくちゃ可愛くて、抱きしめたくなったりもするのだけど、側にいないと困る、離れたくない、そういう気持ちにはまだならないのだ。
中学校か小学校か、いつ以来かは忘れたが、しばらくそういう感情から無縁だった俺は、本当の「好き」という気持ちをよく分かっていない。
俺の初恋の相手である凛が言うには、「恋は確信」らしい。まだ俺はその領域にいないようだ。
告白されたら喜んでお付き合いしたいが、半端な気持ちで俺から告白するってのは避けたい。
俺のロールに対する気持ちはこんな感じだ。
というわけで、そんな俺はロールの好意に気づいてないフリをしている。
です子さん曰く、ロールが俺のどこを好きかというと、「可愛くて守ってあげたくなるところ」らしい。
俺ってそんなになよなよしいだろうか。
せめてカッコいいという理由で好かれたいところだ。




