拒む回転
「……そうですよね。
でも、例えどんな理由があろうと悪に成り下がったのなら……、俺は殺さないといけないんだ」
そう言って起き上がった俺は、鼻血を拭いて目の前の敵に全力の殺気を放っていた。
謝罪が逆に彼を怒らせてしまったようだ。馬鹿な行為とは分かっていたが、やはり謝らない方がよかった。
とは言え、決して偽りの謝罪ではなかった。本心からの謝罪だ。
しかし奴の膝蹴りをモロに受けて、中々のダメージを負ってしまった。
「……」
俺は改めて目の前の敵を観察する。
悪趣味なマスクで顔が見えないため、どんな顔をしているかは分からない。
発現時にこいつと対峙した仲間はみんな殺されてしまったから、今のところ顔を見た奴はいない。
顔バレしていないAnonymousの一人だ。
身長は大体俺と同じ。体格も似ている。雰囲気から察するに、同年代だろう。
だからこそ、俺は驚愕を隠せなかった。
目の前の敵が能力を発現させたのは約二ヶ月前。
それまでは一般人だったはず。
なのにこの短期間でここまで強くなったというのか?
思い上がりかもしれないが、俺の全力の殺気に耐えている。これだけで信じられないのに、他にも身のこなし、静かな殺気と、落ち着いた呼吸。
そしてなにより、規格外で発現した能力をすでに制御できているという事実。
ただでさえ遅く発現した能力を制御しようと思えば、それなりの時間と犠牲がいる。
それなのにあの威力の攻撃を自在に出せるなんて……、この二ヶ月間、Anonymousで拷問のような訓練をさせられたとしか思えない。
そして、誰もいない会議室から出てきたということは、音の能力で感知を任せられていたのだと推測できる。
この効率的かつ無駄のない殲滅は、俺以外全員の位置が把握されていたとすれば納得ができる。
翻弄されるわけだ。
そして先ほど対峙したあの男……。
おそらくAnonymousの首領、ハイドだ。ハイドがいるならパートナーの詩道も来ているはず。
実質的に言えばAnonymousトップ1,2の行く任務につれてこられているわけか……。すごいな。
情報を整理しているうちに、俺の中にひとつの疑問が湧いた。
目の前のこいつは、本当に一般人だったのだろうか?
俺が10年かかった領域に、すぐにでも辿り着きそうな勢いだ。
こいつは自衛軍にとってかなり凶悪な存在になりえる。いや、放っておけばなる。
そうなる前に、ここで殺しておかないと。
そう決意した俺がホルダーからナイフを取り出した時、背後から"干渉"を感じた。
すぐさまナイフを背後に投擲する。
しかしいきなり視界に現れた敵を見て、ナイフの投擲が外れたことを悟る。
「お前は……、詩道か」
"虚理使い"の詩道。
距離という概念を一時的に支配下に置く能力。対峙したらまず逃げることができないと言われているが、俺の能力なら対処できる。
ハイドが駆けつけて来ないうちはまだ大丈夫だ。
「ご名答。
死音君おまたせ。怪我はない?」
「詩道さん……! なんとか大丈夫です」
死音。奴の名前は死音というのか。
聞いたことのあるような声をしているが、気のせいか?
「死音君。下がってなさい」
「詩道さん、気をつけてください。そいつ、能力が効かないんです」
「分かってるわ」
詩道は庇うように死音の前に立つと、俺の持っているナイフより一回り小さいナイフを構えた。
その直後、詩道は俺の背後に回っていた。
なるほど。ほとんど転移能力と変わらない能力だ。
俺の首元を狙った突きをしゃがんで回避すると、詩道の足の付け根めがけて手刀を回す。
しかしそれは空振りに終わる。
詩道はすでに後退しており、離れたところからナイフを投擲してきた。
俺はそれを躱すと、詩道から死音へと視線を移す。
詩道の相手をしているうちにハイドが来てしまえば、俺の負けはほとんど確定する。
ならば、詩道は放って死音を先に仕留めにいくのが理にかなっている!
俺は詩道に向かうフェイントをかけて反転、一気に死音との距離を縮めた。
が、死音を間合いに入れたかと思えばその距離が今度はどんどん広がっていった。
詩道の厄介な能力だ。
気づけば詩道はまた死音の隣に立っていて、離れた場所から俺を見ていた。
「時間稼ぎか……」
詩道に能力を使われると流石に追いつけない。
どうする。撤退するべきか否か。
賭けに出ていいかもしれない。
死音は今のうちに摘まなければならない芽だ。
深追いしてハイドと戦うことになれば死を覚悟しなければならなくなるが、その危険性を鑑みても死音は排除すべきだと思う。
迷ってる場合じゃあない。
そう思って目を見開いた時。
「詩道を引かせるのか。すごいな」
ぞわりと。
格上の殺気を浴びて、俺は反射的に飛び退いた。
「ハイド……!」
クソ、このタイミングで来るのかよ。
こうなってしまうと死音は殺せない。俺は一瞬で先程のプランを脳内から消した。
おそらく、詩道がこいつを俺の背後に送ったんだ。
俺が先程ハイドと対峙した地点からここまでの距離。もう少し時間がかかると思っていたが、予想よりかなり早かった。これも詩道の能力が絡んだのだろうか。
そして二度目の"干渉"
やはりハイドの能力は干渉値が高すぎる。
ハイドの能力を二度、死音の衝撃波を二度、詩道の能力を一度。
たった五回で、限界が近付いて来ているのがわかる。
今までこんなことはなかった。
詩道の能力はまだ耐えられる。
だけどハイド、あれはきつい。なんの能力かは分からないが、あと三度耐えられるかどうかだ。
死音の衝撃波も同じくらい干渉値が高かったが、もう撃ってくることはないだろう。
しかしこの状況、勝ち目は一分もないと見ていい。
撤退しよう。
そう思った時、俺はぐわんと目眩を感じた。
奴だ。ハイドが能力を使った。
つまり、三度目の"干渉"
「ふむ。能力が効かないみたいだな」
ハイドはゆっくりと俺に近づきながら言った。
「詩道や死音の能力も効かないとなると、対象の能力や攻撃を自動で打ち消すタイプの能力か?」
……厳密には違う。
俺の能力は、"干渉拒否"
自身にかかる干渉なら、その効果を発揮する前に拒否することができる能力。
その気になれば物理現象すらも拒否することができる。
"干渉"にもレベルが存在しており、俺が許容不可能な"干渉"は拒否することができない。
そして"拒否"にも限界がある。
ハイドのように干渉値の高い能力をひたすらぶつけられれば限界が来て拒否できなくなるのだ。
だが、三度だ。ハイドは三度も能力が効かないことを確認した。
全ての敵は、能力が効かないと分かると違う攻撃手段をとる。
詩道のように一度で能力が効かないことを悟り、それ以降は使ってこない奴も多い。
故に俺の能力は対人において最強を誇る。
「その能力、放ってはおけないな」
それは本来こっちのセリフだ。
俺はもう能力を使ってこないことを祈りながら、ゆっくりと息を吐いた。
ハイドが来たことで、いつの間にか死音と詩道も近くに来ている。
得体の知れない俺の能力の前に、三対一の形に持っていきたいわけか。
「詩道、少し貰うぞ」
「ええ」
「すまないな」
何を?
二人の会話を聞いてそう思った時には、すでにハイドが目の前にいた。
「!?」
転移ではなかった。動きの軌跡がかろうじて見えたからだ。
ただ、純粋に速すぎる動き。
ハイドが大きく振りかぶり、そして放った拳を俺は紙一重で躱す。
そこを狙って下から襲いかかるナイフ。
俺は能力を使ってナイフの接近を拒み、横に逸らす。
ハイドは一瞬驚いた顔をしたが、すでに次の攻撃へ移っていた。
空振ったナイフは俺の頭上で反転し、上から俺の首元めがけて振り下ろされる。
もう一度拒否。
この程度の干渉値なら余裕だ。
ナイフが再び空を切ったところで、俺はハイドの蹴りを浴びた。
これは能力を使って拒む必要はない。
拒むのは致命傷になりえる攻撃だけ。
俺は甘んじて受けた蹴りによって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「がは……!」
スピードアップしたハイドの蹴りは、致命傷にならなくとも十分なダメージを俺に与えた。
奴の能力がますます分からない。
さっきの会話にヒントがありそうだが、こんなのただの身体強化にしか見えないぞ。
「どうやら打ち消す能力だと語弊がありそうだな。受け流す能力の方が近いか?」
鋭いな。この人。
だけど今の攻撃でハイドには慢心が生まれたはず。
全ての攻撃を受け流すことはできない。ダメージは通ると。
そう考えているはず。
違う。干渉値の低いこの程度の攻撃なら、俺はいくらでも攻撃を拒否することができる。
能力を使えば、少なくとも1対1の肉弾戦において俺に敗北はない。
状況を見てたまに攻撃を受けることで、俺は勝機を掴むことができる。
だが、この状況においては無理だ。
後ろに詩道が構える限り、万が一ハイドがピンチに陥った場合でも即座に離脱させることができる。
俺の能力は他人への干渉を拒むことまではできない。
問題は逃げるタイミング。
せめてハイドの能力でも暴くことができたらいいが、そうも言ってられない。
圧倒的に余裕がないのは俺の方なんだ。
「……」
壁にもたれかかるように立ち上がった俺は、ゆっくりと呼吸を整える。
足に力を入れてみて、走れるかどうかを確認する。
いけそうだ。
俺はやがて目の前にやってきたハイドを見上げる。
「色々惜しいが、死んでもらうとしよう」
振り上げられたナイフを見て、俺は今だと目を見開いた。
能力を発動。俺は背中の壁を拒否する。
"干渉拒否"の、俺がメインで使っている応用法。
物体透過。
俺が触れることを拒否すると、あらゆるものをすり抜けることができる。
干渉値がそれなりに高いが、壁も例外ではない。
「なに……!」
俺はコンクリートの壁の中へ逃げ込んだ。
もちろん、透過中は息ができないが俺は全力で走った。
そして基地の出口付近に出ると、俺は膝をついて倒れ込む。
「ハァッ……! ハァッ……!」
まずい。限界が来ている。
長時間の透過は俺の体力をごっそり削る。
もう限界寸前だ。
俺はポケットに入っている携帯を取り出し、メールを開いた。
『撤退完了です』
俺がハイド達を引きつけている間に、基地内の人間の撤退が完了したらしい。
……よかった。
そもそも藤村少将が迎え撃とうなんて言うからここまで被害が増えたんだ。
おそらく彼はやられただろうけど、そのおかげで俺の撤退案が通った。
なんとか被害を抑えられて本当に良かった……。
「はぁ……、はぁ……」
息を整えながら先ほどの戦闘を思い出す。
ハイド、詩道、……そして死音。
結構能力を晒してしまったけど、あの三人を相手によく生き延びられたな俺……。
おかげで報告することも多い。
「はぁ……」
深々とため息をついて、俺は基地の外へ出たのだった。




