驚愕の回転
非常ベルが鳴り止まない中、ボスと詩道さんは悠々と基地内を歩いていた。
鼻歌交じりに自衛軍内部を制圧していく詩道さんと、まるで自分の家の中を行くような足取りのボスをよそに、俺の緊張は未だ解けていない。
俺は腕時計を見る。
時刻は15時55分。自衛軍基地侵入から20分が経過しようとしている。
管理室の感知能力者は、動き出す前に潰すことができた。
そして俺達の侵入がバレるのも早かった。片っ端から殲滅していっているからそれも仕方ない。
基地内の人員は俺達を見つけ出そうと基地内を駆け回っている。
敵に見つからないようボスと詩道さんを誘導する俺は、索敵感知に神経を削られていた。
先駆けの俺は先頭に立ち、ボスを挟んで詩道さんが殿。
正直この二人なら挟み込まれて多勢に無勢になっても返り討ちにできるだろう。
でも俺の役目はサポート。どれだけこの二人を楽させるかだ。
俺は空気の通る音を聞いて、基地の内部構造を完全に把握している。
もう大分内部まで来ているが、まだ敵に一度も見つかっていない。こちらが先手を取り、確実に仕留めていっている。
今のところ俺の感知は完璧だ。
敵はこちらの位置を全く把握しておらず、基地内をまばらに駆け回っている。
やはり管理室を最初に潰したのが良かったのか動きやすい。
「前方から敵が五人来てます。お願いします」
俺がそう言うと、詩道さんが動いた。
彼女はまず能力で敵を近くに呼び寄せ、一人ずつ背後から喉元を掻っ切る。
全く無駄のない動きだ。流れるように次々と鮮血を散らせ、やがて五人目の喉を掻っ切ると、詩道さんはナイフに付いた血をピシャッと切った。
床の血溜まりを避けながら、俺は先に進む。
基地内の敵はおよそ1000人強。
この調子で倒していけば18時までには終わりそうだ。
そんなことを考えていた時、俺はこちらへ向けて接近している音に気づいた。
それもかなりのスピードだ。この速度は確実にこちらの存在に気づいている。
「敵が接近してきてます……。速い……!」
俺がそいつがやってくる方向を見ると、ボスは俺を庇うように前に出た。
その後すぐにそいつは奥の角から勢い良く姿を現した。
その姿は白い毛をまとった獣。おそらく強化系の能力者だ。
「ガァァァァァ!!!」
そして奴は俺達の姿を見るやいなや、雄叫びを上げながら物凄い勢いで向かってきた。
その勢いというか殺気に、俺は思わず後ずさる。
が、あの敵が俺達の元へ辿り着くことはなかった。
物凄い勢いで向かって来ているのに、距離が縮まらない。
これは……詩道さんの能力だ。
なるほど。俺がしっかりと感知すれば、見つかっても接近される前にこれができるのか。
「強化系、騎士犬だな。もういいぞ、詩道」
「了解」
詩道さんが返事をすると、全速力で走ったまま距離を縮められなかったあの敵が、一気に接近してきた。
しかし、唐突にそんな彼の首元から血飛沫が上がる。
「あがッ……!」
小さく悲鳴のようなものが聞こえ、そいつは走ってきた勢いでそのまま転がり、壁にぶつかった。
そしてそのまま動かない。心音もやがて弱くなり、消える。
死んだことで能力が切れたのか、そこに倒れていたのは自衛軍の制服を着た小柄な男だった。
一つ星のバッチが胸元で輝いている。
「准将か。中々良い殺気だった。
だが死音でも倒せそうだったな」
「流石にまだ無理ですよ……」
接近される前に仕留められたらいいけど、俺の"限定音"はまだまだ精度が悪い。
周りに味方がいなかったらなんとかなるとは思う。
「強化系の能力者が私達を感知し始めたみたいね」
「はい、敵の動きが変わりました。あちこちに人が集まっていってます。
臭いで感知できる強化系を筆頭に隊を組んでいるのかと」
「狩りやすくなったな」
「ええ」
「片っ端から殲滅していこう。なるべく孤立している隊から案内してくれ、死音」
ボスの言葉に返事しようとした時、ふと俺のポケットに入れていた携帯が振動した。
電話だ。
「誰から?」
詩道さんに聞かれて、俺は携帯を取り出す。するとそこには着信ロールの文字が映し出されていた。
「ロールです」
「出ていいぞ」
「分かりました」
俺は受話ボタンを押して電話を取る。
「もしもし、ロール?」
『本当にごめん死音。今起きた』
「おはよう。今まで寝てたのか」
『なんで起こしてくれなかったのよ』
「起こしたけど起きなかったんだよ」
『で、今どこ?』
「言いにくいんだけど、自衛軍基地」
『は? 誰と?』
ロールの声のトーンが変わったのが分かった。
俺は内心溜息を吐く。
「ボスと詩道さん」
『ああ、その二人なら安心ね。
で、アンタは私を放って勝手に一人で楽しんでる訳ですか』
「いや、これは起きなかったロールが悪いだろ。俺も買い物行きたかったのに」
楽しんでるってこともありえない。
『約束してたんだから無理やり起こして良かったのよ!』
「起こしたって。ロールは一度目覚めて二度寝したんだから」
『はぁ。男ならキスで起こすくらいやってみせたら?』
「はい、分かりました。じゃあ今度からそうさせていただきます。後悔するなよ?」
『や、やっぱ今のナシ。
じゃなくて、早く帰ってきなさいよ。ディナーだけならまだ間に合うわ』
「無理だって。今任務の真っ最中だし、まだまだ終わらなそうだし」
そこで俺は詩道さんとボスの視線に気づいた。
マスクをしてるから二人の表情は分からないが、なんか微笑ましい目で見られているような雰囲気だ。
「も、もう切るからな」
恥ずかしくなった俺はそう言って電話を切ろうとする。が、ロールの声がまだ携帯から響いている。
これ勝手に切ったら後で怒られるよな……。
そう思っていると、詩道さんが俺の手から携帯を取って、それを耳に当てた。
「もしもしロール?」
『詩道さん?』
「まだ二ヶ月なのに随分と仲がいいわね」
『……そんなことないですよ』
「死音君もこっちでロールの話ばっかりしてるし、もううんざりよ」
してねぇ。
『え? そ、そうなんですか?』
「ええ。
とにかく、今は立て込んでるから切るわね。死音君はなるべく早く帰すようにするわ」
『分かりました』
「んじゃ」
詩道さんはプツッと電話切ると、俺に携帯を手渡した。
流石のロールも師匠には噛みつけないみたいだな。
「見苦しいところをお見せしました」
「いや、気にするな。うまくやってるようで安心した」
うまくやれてるのかな。これで。
いや、そんなことより無駄な時間を食ってしまったせいで、敵の動きがまとまり始めた。
連携を取られる前に崩して行くべきだな。
よく考えると、俺がわざわざついていって案内する必要はあるんだろうか?
「……ちょっと提案があるんですけど、いいですか?」
「ほう、言ってみろ」
「俺の能力なら、離れていても周りに悟られず会話することができます。集中すれば、この基地内くらいは許容範囲です。
そこで、俺はどこかに隠れて、ボスと詩道さんは俺の案内の元、敵を殲滅するってのはどうでしょう?
ボスと詩道さんで二手に別れればさらに効率が上がります」
「……なるほど。悪くないな。
ただ、お前のところに敵が来たらどうする?」
「なるべく来ないようにボスと詩道さんを誘導させてもらいます。来たら……、自分でなんとかします」
「よし。ではそれで行こうか」
「分かりました。俺は適当に敵のいない部屋に隠れます。
ボスはあっちへ、詩道さんはあっちへ向かってくれますか? 真っ直ぐ進めばどちらも突き当りで敵と遭遇すると思います」
そう言うと、二人とも迅速に俺が指し示した方向へ進んで行った。
俺はボスと詩道さんとは別の道を走る。
さっそく人のいない部屋を見つけると、俺はその中に入った。
この非常ベルのおかげで非戦闘員はすでに避難している。
ほとんどの部屋に人は残っていないようだ。
俺が入った部屋は広かった。ここは、会議室だろうか?
隠れるにはあまり向かない部屋だけど、まあここでいいか。
そう思った俺は、中央のテーブルの影に座り込んだ。
「ボス、聞こえますか?」
まず俺は戦闘中のボスに声を飛ばす。「ああ」と返事が聞こえてきたのを確認して、次に俺は詩道さんに声を飛ばした。
「詩道さん、聞こえますか?」
「ええ」
詩道さんと遭遇するはずだった音はすでに消えている。もう倒したのか。
「詩道さんは一度引き返して貰えますか? 俺達が先ほど別れたT字路に敵が向かってます。五人です」
「了解」
返事を聞いて、今度はボスに切り替える。
ボスは戦闘を終えて立ち止まっている様子だ。
「ボスはそのまま進んでください。その先の十字路で、左右から敵が来ます。それぞれ六人です」
「了解」
提案したのはいいけどこれも結構神経を使うなぁ。
実を言うとこの作戦の主旨は、俺が早く帰るための効率化だ。
あんなにあっさり採用されるとは思わなかった。
「あ、ボス。前方からも来ます。左からも援軍で、合計20人。いけますか?」
「誰に言っている」
あ、もう倒しちゃった。
しかし本当にボスの能力は見当がつかないな。
瞬殺したりしなかったり。動かずとも倒したり、相手がボスのナイフに自ら刺されに来たり。
皆目見当がつかない。
もしかすると、知覚を誤認させる能力とか?
ロールみたいに能力を2つ持っているとかもありえる。
うーん。分からない。
「あ、詩道さん。増えました、11人です」
「問題ないわ」
しばらくこの作業を繰り返していると、向かってくる敵の数もかなり減ってきた。
基地の外へ逃げた連中も確認している。
もはや誘導はかなり簡潔なものになっており、「前10人」とか「突き当り右」とか最低限の情報と進路のみを伝えて、ボスと詩道さんから返事が返ってくることもなくなっていた。
時刻は17時15分。基地の制圧後、組織の爆破班がここを爆破する。
予定より早く任務が終わろうとしていたその時、事は起こった。
「死音、聞こえるか?」
「聞こえますけど、どうかしましたか?」
数十分ぶりのまともな会話。何かあったのだろうか。
「手練を一人逃した。
階級は中将、ここの所属じゃない奴だ。かなり出来る。死音、サポートを頼んだ」
すぐさま俺は神経を研ぎ澄ませ、音を正確に感じ取る。
が、音が聞こえない。そもそもボスが逃したというのなら俺も言われる前に気づいてるはずだ。
「音が、聞こえません……」
「なんだと?」
「ボス付近にはもう誰もいませんよ……? いつ頃逃がしたんですか?」
「今だ。死音で感知できないとなると転移系の能力か。
奴は一時撤退して再び攻撃してくると思われる。とりあえず詩道にも繋げるか?」
言われて、俺は音を詩道さんとボスの間にも繋いだ。これで三人で会話ができる。
そして詩道さんにも状況を説明した。
話しながら俺が思ったのは、ボスの情報ってあんまり信用できないんじゃないかということだ。
前回もそうだったけど、少将クラスしかいないとか言ってたのに中将がいる。しかもまた転移系の能力者。
不知火中将との戦闘以来、完全にトラウマなのにやめてほしい。
「合流しましょうか」
俺がビビっているのに気づいたのか、詩道さんはそんな提案をした。
その発言で、俺達は一度元のT字路に集合することになった。
二人とも通った道を全て把握しているらしく、案内はいらないとのこと。
辺りに誰もいないのを確認して、俺も部屋の外に出る。
その時。
俺の目の前を通り過ぎた奴がいた。
間違いなく誰もいなかったはずだ。
俺は目を見開き、すぐさまナイフを構える。
そいつも俺に気づいて反転し、低い体勢で動きを止めた。
「Anonymous……!」
胸元に光る3つの星。中将バッヂ。
ゴクリと唾を飲む。こいつが先ほどボスが逃がしたという奴に違いない。
そして俺はそいつの顔に視線を移す。
それと同時に驚愕した。
「なっ……!」
そこにいた自衛軍中将の少年は、どう見ても俺の親友、御堂弦気だった。




