置き去りの回転
食堂で昼飯を食べ終わった俺は、ロールから「帰還せよ」との命を受けて、部屋に戻ってきていた。
途中、何人かの顔見知りに絡まれたので、戻るまでに思ったより時間を食ってしまった。
それで帰るのが遅れたせいか、部屋に戻るとロールがベッドの上に寝息を立てていた。
「寝てる……」
結局です子さんは捕まえられなかったようだ。
いや、そんなことよりロールはもうデートに行く気がないのかな。俺は行きたいんだけど。
でも起こすのもなんか悪い気がする。
そもそもなんで寝てるんだ。寝不足だったのか?
昨晩は俺とのデートのことを考えて眠れなかった的なアレだろうか?
……それはないな。
まあいい。とりあえず一回だけ起こしてみるとしよう。
俺はそう考えて、ロールの体を揺さぶる。
「ロール」
声をかけると、ロールはベッドから転げ落ちて、床に低い体勢で着地した。
「……敵はどこ?」
そして開口一番そう言ったので、俺は思わず吹き出してしまう。
夢の中では戦場だったのかな。
「ロール、ここはお前の部屋だぞ。敵はいない」
「……ごめん、寝てた」
それだけ言うと、ロールは床に頬をくっつけた。そして再び寝息を立て始める。
二度寝ときたか……。
「ふぅ」
とりあえず俺はロールを抱き上げると、ベッドの上に運んだ。
クーラーはガンガンなので、布団をかけないと風邪を引いてしまうかもしれないな。
そう思って俺はロールに毛布をかける。
ちょっと気になったのでロールの毛布を匂ってみると、ロールのいい匂いがした。
それにしても、やはりロールは寝不足なんだろうか。
一度起こして起きなかったんだし、もう無理に起こす必要はないな。
これでデートが中止になったからってそこまでのショックは受けない。
ロールとのデートなんてこれから先いくらでもできるだろうから……というか別にデートに拘らなくても二人で行動することの方が多いんだから、気にすることはないのだ。
最終日をロールとちゃんと過ごせなかったってのはちょっと残念だけど。
ロールの寝顔をみつめながら色々考えていた俺だけど、思考を切り替えるべく立ち上がる。
これじゃ恋する乙女みたいじゃないか。
違う。確かに俺がロールに恋をしてしまうのは時間の問題かもしれないが、男なら惚れさせるくらいの器量ってもんがだな。
……さて、これから何をしようか。
急に予定が空いたからすることがない。これなら溜息さんの任務についていくのもありだったかもしれない。
とりあえずロールの部屋を出た俺は、訓練室に向かっていた。
やることもないし、能力の調整でもしようかと考えたのだ。
しかし、訓練所に行く途中、俺はある人物と遭遇した。
「死音か。久しぶりだな」
コードネーム:ハイド。
Anonymousの首領。ボスだ。このクソ熱い季節に黒いコートを纏って、これから出掛けるような格好をしている。
このボスと会うのも一ヶ月ぶりである。
「お久しぶりです、ボス」
「溜息の修行はどうだった?」
「それはもう散々でした。何度死にかけたか」
「だろうな。これから訓練か?」
「はい」
「それなら俺の仕事についてくるといい」
「はい。はい?」
今俺はシェイドされたのか?
「この町からおよそ北西200kmの場所に自衛軍基地がある。現在、訳あってそこには少将クラスの雑魚しかいない。そこを俺と詩道で叩くという寸法だ」
ボスにとっては少将クラスが雑魚なのか。
中将に手も足も出なかった俺が、ちょっと修行した程度で勝てるわけないのに。少将でもまだ勝てる見込みは薄いだろう。
能力の相性とかもあるんだろうけど。
「いやいや、俺が行っても足手まといになるだけですよ」
「だとしても、俺ならフォローできる。経験は積んでおくべきだ。どうしても嫌なら来なくていいが」
うーむ。どうしよう……。
怖いけど、少しだけ行きたい気持ちもある。
ボスは溜息さんと違って変な無理を強いてこなさそうだし……。
いや、よく考えれば溜息さんに俺の修行をつけるよう頼んだのはこの人だった。
しかし200km離れた場所って明日の学校に間に合うのだろうか。
聞いてみよう。
「ここから200kmって、明日から学校なんですけど帰って来られますか?」
「詩道の能力を使えば余裕だろう」
「あ、そうですね」
"虚理使い"
詩道さんのデタラメ能力を俺は思い出しながら言った。
明日の学校に間に合うのなら憂いはない。
「じゃあ、ついていってもいいですか?」
「ああ、ついてこい」
ボスはニヤリとニヒルな笑みを浮かべて黒いコートを翻した。
ーーー
詩道さんの運転で車を2時間程走らせ、俺達は自衛軍基地を見渡せる高台に到着していた。
時刻は三時半。太陽がジリジリとタキシードを照りつけ、服の中が熱くなっていくのを感じる。
詩道さんとボスは、似たような漆黒のコートを羽織って、それを靡かせている。
「溜息の陽動は成功しているみたいだな」
ボスはマスクを片手にそう言った。
俺は緊張した面持ちを悟られないように、先にマスクを装着した。
それを見た詩道さんが「ふふ」と笑って同じくマスクをつけたので、俺の考えは悟られているようだ。
「今回の任務は敵の殲滅及び基地の破壊だ。
そこで死音、お前には俺達の誘導をしてもらう。
俺達はあの基地の内部構造を把握していないし、どこに敵がいるかも分からない。
効率良く敵を制圧するために、お前は俺達を動かすんだ」
「……分かりました」
「そう緊張するな。気楽にやっていい。
敵を殲滅するのは俺か詩道だ。
それに、どうせ大した敵は出てこないんだからな」
緊張するなって……、それは無理だろ。
でもボスと詩道さんが一緒だし、気楽でもいいってのは本当だろうな。
「はい」
俺が力強く返事すると、ボスはマスクをつけて歩きだした。
詩道さんもその後をついていく。
やっぱりパートナー同士だからか、呼吸が合っている。
まるで俺が異物のような感じだ。
これから組織でトップのボスの戦いを見ることができるんだ。多く学ばないと。
「入り口付近の警備は合計で4人。これは詩道に任せる」
「わかったわ」
「侵入した後の進路は死音に任せた」
「分かりました」
俺が返事をすると、詩道さんが高台の崖から飛び降りた。
彼女の姿は基地の入り口に移り、入り口付近の警備4人を流れるように倒すと、また俺達のいる高台に帰ってきた。
俺は、詩道さんのまるで無駄のない仕事に感嘆する。
というよりあれだけ離れた基地に瞬時に移動できる能力がやばすぎる。
"虚理使い"
距離という概念を一時的に支配下におく能力。概念支配系の一種。
"瞬間移動"とはまた違うけど、応用性で考えたら完全に上位互換だな。
いつかロールが、詩道さんは不意打ちでなければ倒せないとか言ってたけどこれは本当のようだ。
「行きましょうか」
「ああ」
ボスと詩道さんが踏み出したのを見て、俺もそれを追うように歩くと、景色がぐわんと歪んで収束した。
気づけば俺がいるのは先ほどの高台ではなく、眼前に基地の入り口がある。
近くに倒れる4人の死体は、全て喉元を掻っ切られて死んでいた。
それを見た俺は能力をonにする。すでに任務は始まっているのだ。
俺は神経を研ぎ澄ませ、聞こえてくる音を正確に処理する。
基地内部は人が結構いるみたいだ。
この基地、さっき見渡したとおり結構広いな。
この人数の殲滅にはそれなりの時間がかかるだろう。
「中にはあそこの扉から入りましょう。入ってすぐの部屋に三人、その隣の部屋に五人います」
「了解だ」
俺がそう言うと、ボスと詩道さんはなんの緊張感もなく基地へと足を踏み入れていった。
俺はその後につきながら、周りを警戒する。
ここで完璧な感知をしてみせたら俺の評価もあがるだろうし、前回の任務失敗を濯げるかもしれない。ヘマはできないぞ、俺。
俺がそんなことを考えていると、ふと詩道さんが俺の名を呼んだ。
「ところで、死音君」
「なんですか?」
「死音君の能力って、こちらの音を遮断したりすることもできるのかしら」
「できます……っていうか、もうしてますよ」
これ聞こえる範囲とかの調整を常にしないといけないから、割りと神経使うんだよな。
まだ能力の扱いに慣れていない証拠だ。
「なんだ。じゃあお喋りとかもOKなわけね」
「なるほど、それは便利だな」
「これだと次のランキングでは死音君が千薬を抜くこともありえそう」
「あのランキングか」
「ええ、死音君との任務は生存率上がりそうだし。
あー、でも確かロールが死音君をシェイドしないように呼びかけてるんだっけ?」
「白熱が嘆いていたな」
「それなら分からないわねー」
俺が音を遮断してると言った途端べらべらと喋り出した二人。
急に消えた緊張感を前にして俺は唖然としていた。
というかランキングってなんだろう。
気になった俺は聞いてみることにした。
「ランキングってなんですか?」
組織内で戦うやつではなさそうだ。
「うちにはシェイドしたいメンバーランキングなるものが存在してるの。死音君の能力はサポートに長けてるし、人気出そうって話よ」
「シェイドは報酬の割合もいい。ランキングの上位に乗ることができればがっつり稼ぐことができるぞ」
……それはあんまり乗りたくないランキングだな。
俺の場合はお金が欲しい訳じゃないし。学生だからそんなに時間もないし。
生き抜くために強くならないといけないとはいえ、任務で死んだりしたら本末転倒だ。
だからロールがパートナーで本当に助かってる。なんだかんだで俺のこと考えてくれてるし、慎重なんだよなロールは。
考えながら歩いていると、先に扉に着いたボスがなんの躊躇いもなく基地の扉を開けた。
その後に詩道さんが続き、俺も慌てて中に入る。
俺が中に入った時には、先ほど俺が伝えた2つの部屋からの音が聞こえなくなっていた。
少し進んだところにいるボスは、片手に血の付いたナイフを持っている。
俺は二人を通り過ぎ、手前の部屋の中を確認した。
するとそこにはすでに三つの血溜まりができていた。
おそらく隣の部屋も同じことになっているのだろう。
「これをやったのは詩道さんじゃないですよね? ボスの能力ですか?」
俺はボスの方に振り返って聞いた。
「ああ」
「これ、一体どういう能力なんですか?」
俺が基地に入るまでの間に八人が刺殺されていた。
音もなくそんなことが可能なんだろうか?
「悪いが俺の能力は極秘情報だ。教えられない」
「組織内でもハイドの能力を知っているのは私と溜息だけよ」
「なるほど……」
それだけ強力な能力なんだろうか。というか一瞬で八人を刺殺できる能力なんて、強力に決まっている。
Anonymous一位の実力を誇るボス。
その能力は前から気になっていたけど、極秘情報だったのか。
「俺の能力に気づくことができるのは、俺に殺される奴だけだ。
だが、組織内トーナメントで勝ち抜けば俺と戦うことができる」
「まだ組織内でハイドと戦ったことがあるのは溜息だけなんだけどね。溜息はハイドに負けて能力を見破ってたわ」
あの溜息さんが負けるほどの能力……。
戦いたくないな。
「でもまあ、死音の能力なら数戦俺を観察すれば見破ることができるかもしれない。
この任務中に見破ることができたら幹部にしてやろう」
ボスは口角を釣り上げて言った。
それを見て俺は苦笑いする。
別に幹部にはなりたくないし、見破らないでおこう……。




