相反する回転
ロールが戻ってくるまで買い物には行けないので、とりあえず俺は部屋を片付けてから昼食を取ることにした。
本当はロールと一緒に食べたかったけれど、腹が減ったのだから仕方がない。
一応ロールには食堂に行くというメールを入れて、俺は食堂へと向かった。
食堂は賑わっていた。
この食堂と入り口のカフェは、暇なメンバーのたまり場みたいになっているのだ。
ロールから聞いた話だが、騒ぎたい人達はこっちの食堂に来る傾向があるらしい。
そういえば俺が溜息さんに拉致されたのはここだったな。
そんなことを考えながら食堂の受付に向かうと、なにやら食堂の奥の方から甲高い声が聞こえる。
なんだと思って見てみると、そこには案の定ですとろいさんがいた。
あの人……、ロールから逃げているはずじゃ?
いや、撒いたからここにいるんだろうか。
「でさー! 私のことを拉致ったマフィアの人を優しく諭してあげるとね、なんと結婚を迫られたの!」
話をしている相手は溜息さんだ。
溜息さんはですとろいさんの話には興味ないのか、ぐったりとソファに全体重を預けていた。
「ねえ溜息聞いてる? 私ったらそれでどうしたと思う?」
ですとろいさんはそんな溜息さんの両肩をぐらぐらと揺さぶり、溜息さんは心底面倒くさそうな顔で目を瞑っていた。
「知るか」
「知ろうよ!」
無理な要望を出しながら、ですとろいさんは溜息さんの胸を鷲掴みにした。
直後、ですとろいさんは溜息さんに突き飛ばされ、食堂の壁までふっ飛んでいった。
「か……はっ……!」
壁に叩きつけられて床に倒れるですとろいさんを見て、俺は食堂受付の方に向き直った。
あの人と絡むとロクなことがないと感じたからだ。
溜息さんに挨拶はしたいけど、ですとろいさんがセットだとなにやら嫌な予感がする。
主にロール関連でだ。
なぜならロールは夏休みの修行の件で不満を感じているようだし、俺も罪悪感のようなものを感じている。
少なくともロールはあの件で、溜息さんのことをよくは思ってないだろうから、俺もしばらく溜息さんとは距離をおいた方がいいと思ったのだ。
それがですとろいさんとセットだと変なトラブルが発生してしまう気がする。
またパートナー云々の話でマジギレされるのは勘弁だ。
俺は首の傷を擦る。
そこまで考えて、俺はもう一度ちらりと溜息さんの方を見る。
すると彼女と目があった。
溜息さんは崩れるような体勢で視線を下ろして俺を見ていたのだ。
服装はスーツを着崩しており、溜息さんの目の前のテーブルには食べ終わった丼ぶりが置かれてある。
俺は気付かなかったふりをしようと迷ったけど、流石に悪いと感じたので軽く会釈した。
彼女はなんの反応もしなかったが、相変わらずじーっと俺を見ている。
これはもしかすると招集命令だろうか?
こっちへ来い的なシグナルを感じる。
「はぁ」
俺は一つ溜息を吐いて、溜息さんの方へ向かった。
「溜息さん、こんにちは」
「ああ……、調子はどうだ」
「良好ですよ」
俺はぐるぐると腕を回して見せる。
「……その首の傷はどうした」
「猫に引っ掻かれました」
こんな些細な傷、溜息さんとした修行で負った傷と比べたらなんでもない。
精神的ダメージを換算するならこっちのが上だけど。
「なるほどな。飯は食べたのか」
溜息さんは一瞬考えるような素振りを見せてからそう言った。
「いえ、今から食べようかと」
「そうか。これから私は仕事だが、お前も来るか?」
「……え?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、後ろから俺を押しのけて溜息に飛びついた人がいた。
無論、ですとろいさんだ。
「ちょっと待った! 私はパートナーだよ! 私が行くのが道理なのにどうして! きぃぃぃ許せない!!」
なんだこの人。溜息さん相手でもこのテンションなのか……。
俺が呆気にとられていると、ですとろいさんはにぱっとした笑顔で俺に振り向いた。
「死音くんどう? 面白い? こんな感じ? 執行から聞いたロールの真似なんだけど」
これはひどい。
「はぁ……」
溜息さんも思わず溜息がでたようだ。
しかしそんな溜息さんの溜息を見て、ですとろいさんはぐいっと彼女に接近した。
「いやいや溜息、私はおこだよ。私を誘うより先に死音くんをシェイドするなんて。ロールじゃないけどパートナーとしての自覚を問いたいね」
「お前がそれを私に言うのか」
溜息さんは呆れた顔で言ったが、ですとろいさんの口は止まらない。
「それともあれ? もしかして死音くんのことが好きになっちゃったの?
いやぁ、それなら仕方ないなぁ! 許す!
それにしても羨ましいよ死音くん! こんなに可愛い溜息にも好かれて!」
「冗談はやめてください、ですとろいさん。確かに溜息さんはめちゃくちゃ可愛いですけど俺とは釣り合いませんよ」
「お、死音くんわかる口か。いいね。
溜息の本当の可愛さを知ってるのは私と詩道だけだったのに、一人増えてしまったか。
ほら、溜息っていわゆるコミュ障だからさ。実はあんまりシェイドできる人とかいないの。可哀想でしょ」
「そうなんですか? 怖いから周りが寄ってこないだけのような……」
「違うよ。溜息も本当はみんなとわちゃわちゃしたいんだよ。うるさい奴は嫌いアピールしてるけど、本当は構ってほしいからこの食堂に来たりしてるんだよ」
なるほど。心を読めるというですとろいさんがそういうのなら本当なんだろう。
意外……ってこともないのかな。というか本人のいる前でする話じゃない気がするが。
「へぇー。そういうのわかるのは、やっぱり心を読んでるんですか?」
「うん。だから私は溜息のことなら何でもわかるの。
なんなら今考えてること教えてあげるよ。
ふむ、どれどれ……。ああこれはまた……」
ですとろいさんは指で丸を作って溜息さんを覗いた。
溜息さんは興味なさそうにそっぽを向いている。「むむむ」と声を上げて、ですとろいさんはしばらく溜息さんをその指の穴の中から覗いていた。
「死音くん。溜息のこと、尊敬してますか?」
「それはもちろん」
「そうですか、でも残念……。あなたの師匠は煩悩だらけです」
「どういう意味ですか?」
「死音かわいいいいい! 抱きしめたい! ちゅーしたい! なでなでしたい添い寝したいずっと一緒にいたい!! あーもう死音かわいいよぉもぉ!
みたいなこと考えてるよ、溜息は」
「……嘘でしょ?」
俺は溜息さんの方を見て言った。すると溜息さんはぐったりとしていた体を起こし、立ち上がって言った。
「死音。こいつの言うことは信用するな。
です子は心を読めることをいいことに、それっぽい嘘をよく吐く。
それと、です子の読心能力はいついかなる時も心を読めるというわけではない。そして制限もある。だから私の心は読まれていない」
「あー! 溜息焦ってる! 本心バレて焦ってる! しかもちょっと顔赤い! 顔赤い!」
ぴょんぴょんしながら溜息さんを馬鹿にしだしたですとろいさん。
この人を敵にしたらうざいなんてもんじゃないんだろうな。
それよりですとろいさんの能力を勝手に喋って良かったのか……?
そんなことを考えていると、溜息さんの手がぐんと伸びて、ですとろいさんのこめかみを瞬時にホールドした。
彼女の逃げようとした動作が見えたが、間に合わなかったようだ。
「いででででで! 死ぬ! 痛い! ごめんごめんごめん! もうしない! もうしない!」
ジタバタと暴れるですとろいさん。
溜息さんはひとしきりですとろいさんに制裁を加えると、その手を離して再びソファに座った。
「ちょ、手加減! 手加減はどこ!?」
尻もちをついて、こめかみをさすさすしながらですとろいさんは叫んだ。
溜息さんはまたぐったりモードだ。
「で、死音。来るのか?」
「任務ですか? 行きたいんですけど今日はちょっと先約がいて……」
「残念だったね溜息! 今日死音くんはロールとデートなのだ!」
「そうか。それなら仕方ない」
「うわ、溜息がめっちゃがっかりしてる……! 何してんの死音くん!」
ズドン。そんな鈍い音が聞こえて隣を見てみると、ですとろいさんは地面にひれ伏すような体勢になっていた。
溜息さんの能力だ。
「溜息……、ギブ……ギブ……」
「死音、そういえばスケジュールを送れと言ったのを忘れてないか」
溜息さんは少し強い口調でそう言った。
「あ」
「忘れてたのか」
忘れてた。いやでもあれから2日しか経ってないし、そんなすぐスケジュールを決めるってのも無理な話だ。
というか溜息さん、なぜかいきなり不機嫌さを感じる。シェイドを断ったからだろうか。
「すいません……」
「……まあいい。そういえばお前はもう学校が始まるのか」
「はい。明日からです」
「そうか。大変だな」
「うーん。あの修行のことを考えたらそんなこともないかと……」
「あの修行、そんなにキツかったか」
「そりゃそうですよ。いや、でもご褒美もありましたし結果的には満足です」
二度とやりたくはないけど。
「ご褒美?」
「ほらあの、ポイズンバタフライの……」
「ああ……。あれの話はするな」
溜息さんは恥ずかしそうに俺から視線を逸らして言った。
その反応が可愛かったので、俺はあの件について溜息さんともっと語りたくなったが、なんとか我慢する。
「なにそれ……! 聞きたい! 私も聞きたい!」
相変わらず地面に拘束されているですとろいさんがいきなり話に食いついてくる。
しかしちょうどその時溜息さんも立ち上がったので、俺の視線はそっちに移った。
「じゃあそろそろ仕事に行くとする」
「分かりました。気をつけて」
「ああ、じゃあな」
溜息さんはうっすらと笑みを浮かばせてそう言うと、食堂から消えていった。
そこでやっと重力から解放されたですとろいさんが、立ち上がって俺の両肩を掴んできた。
「……なにあれ? 死音くんどうやって溜息落としたの? あんなデレデレな溜息初めて見たし!」
デレデレだったようには見えなかったけど、パートナーのですとろいさんが言うならそうなんだろうか。
というかこの人がいらないことばかりするから冷たくされてるだけかもしれない。
「羨ましいでしょう」
「羨ましい! ずるい!
で、何したの?
溜息って男の人に対する免疫とかあんまりないから容姿を褒められたりキスとかされたら案外コロっといっちゃうと思うんだよね。
それを死音くんが持ってっちゃった感じ?」
「いや、それは違うと思いますよ。
言うなれば……、師弟愛ですかね? 師弟の絆が俺と溜息さんの間にはすでに結ばれてるんです。だからですとろいさんが思うような雰囲気もありません」
俺が言うと、ですとろいさんはじっとりとりとした目で俺を見て言った。
「ふーん。溜息はめっちゃその気のように見えたけど、本当にそうなのかなぁ……。
あ、私のことはです子ちゃんでいいよ」
「分かりました。です子さん」
「とりあえずこのことはロールにチクっとくからね。んじゃ」
「え、ちょ……」
俺が引き止める暇もなくです子さんは食堂を出ていってしまった。




