迫る回転
1ヶ月ぶりに家に帰った俺だったけど、両親の反応といえば淡白なものだった。もう帰ってきたの、とかそんなのだ。
まあ俺の両親がああなのは昔からなので俺も気に留めていない。しかし、一応少しは心配してくれたらしく、俺の一人旅について聞いてきたりした。
俺はテキトーに考えた作り話で両親を回避すると、山のように溜まった宿題に手を付け始める。
久々に弦気と電話した。
宿題がやばいから写させてくれという内容の電話を俺からかけたのだ。
残念ながら頼みの綱は役に立たなかった。あいつは今旅行中でこの街にいないらしい。帰ってくるのは明後日だそうだ。
となると近いところで凛に頼るしかいないのだけど、凛も宿題を蓄えていたらしかった。
夏休み最終日である明後日に宿題追い込み会を弦気の家で行うらしい。俺も誘われたけど、行く気はない。
明後日はロールと過ごさなければならないのだ。
別に約束したわけではない。俺が勝手にそう思っているだけだ。
贖罪的な気持ちが働いているのかもしれない。
残り2日、ロールと行動を共にするのなら、宿題を手伝ってくれるのは確実だろう。それが元々の俺のアテだし助かる。
しかし、こうして俺がロール以外の奴に頼ろうとしているのは、ずるがしたいからである。
ロールはきっと懇切丁寧に宿題を教えてくれるだろう。
だが、俺がほしいのは答えなのだ。
配られたテキスト、参考書、それを片っ端から真っ向勝負で挑めばかなりの時間がかかってしまう。
簡単に言えばちゃっちゃと写してしまって早くこの不安要素から解放されたいというところ。
ロールは手伝ってくれるだろうが、写させてはくれないのだ。
ああ、あと2日で夏休みが終わる。
九割五分バサラ砂漠で過ごした夏休み。
一度しか訪れない高2の夏休みという観点から考えると、悲しいことに時間を使ってしまったな。
そんなことを考えながら、とりあえず時間だけ食うタイプの宿題を淡々と終わらせていく。
俺の作業は深夜二時まで行われた。
ーーー
翌朝、目覚めるとプライベートの携帯にメールが来ていた。ロールからだ。
『宿題手伝おっか?』
という内容だった。
俺はそれを見て唸る。写させてもらえるなら半日とかからず宿題は終わらせることができるのだが、それを許してもらえるかどうか。
いや、頼みの弦気もいないんだしここは安牌で行くべきだ。
間に合わなさそうならロールだって最終的には写させてくれそうだし。その前に頼みこんでみるのもありだな。
そう思って俺はロールに『お願いします』とメールを送った。
ロールの返事は早い。『じゃあ私の部屋集合ね』というメールを確認すると、俺は支度して家を出た。
アジトまでの道のりで、俺はある人物と遭遇した。
大橋瞳。弦気の幼馴染で、学校のマドンナなんて呼ばれてる奴だ。ちなみに俺のタイプではない。
「神谷くん、久しぶりだね。終業式以来。どこか行くの?」
「大橋か。久しぶりだな。ちょっと宿題を終わらせに行く。
というか弦気は旅行中って聞いたけど大橋家は一緒じゃなかったのか」
「今年はお互い家族水入らずの旅行だったの」
「ふーん」
てっきりこいつは弦気と一緒に旅行に行ってるんだと思ったんだが、そうじゃないらしい。
弦気と大橋の家は家族ぐるみの付き合いがあるから、たまに旅行に行ってたりする。毎年それで仲間はずれにされる凛がぼやくんだけど、今年の夏はその恒例行事が行われないみたいだ。
なんで風人が幼馴染なんだと理不尽な悪口を言われなくて済むわけだ。助かる。
「そういえば神谷くんは夏休み中一人旅に行ってたんだよね。どこ行ってたの?」
学校が始まれば避けられないであろう質問が、このタイミングで俺に襲いかかってきた。
テキトーなホラ話を用意しようと思っていたんだけど、まだ考えていなかった俺ははぐらかすべく口を開く。
「そんな大して遠い所には行けなかったんだよな。言ったら拍子抜けするような近場だよ」
「へー、そうなんだ。また学校始まったら教えてね! ごめん私ちょっと友達と約束してるから行くね。またね、宿題頑張って!」
大橋はそう言って俺に手を振る。
「分かった。じゃあ」
俺が手を振り返したのを見た後、大橋は頭の黒いポニーテールを揺らしてどこかへかけて言った。
俺はそれを最期まで見送らないうちに再びアジトへ道のりを歩き出す。
しかし大橋はすごい奴だな。ああやってみんなに優しくできるからモテるし、非の打ち所は弦気にベタ惚れなところだけ。
うん、色んな奴をその気にさせてことごとく砕く点以外はいいところばっかりだ。
弦気、大橋、凛。この三人が揃うと途端に俺にとって害悪な無自覚型迷惑集団となるわけだが。
でもまあこの三人に俺が助けられてるのもまた事実だな。
クラスで中心的な存在の弦気と大橋と凛が無能力者のおかげで、その輪に入れてもらっている俺も迫害を受けたりしなかった。
正確に言うと凛は無能力者じゃないが、まあ無能力者と言っても変わりはないような能力だ。
他の学年なんかでは無能力者がイジメられてるとかよく聞いたけど、学校でも色々有名な弦気や大橋、凛が無能力者だという話が広まってからはそれも途絶えた。
こいつらは敵に回してはいけないみたいな認識があるらしい。
俺が能力者になってしまった今、大橋や凛はともかく、弦気には申し訳なく感じることがある。
人を殺した後ろめたさや、Anonymousのメンバーであるということに対してではないんだけど、なんとなく裏切ってしまった感じがする。
今更あいつに相談できることでもないけど……。
そんなことを考えているうちに、俺はアジトの入口であるカフェに到着した。
マスターにいつもの言葉を通し、俺は地下へと降りる。
ここへ来た当初とは違い、今はロールの部屋まで迷わずに着くことができる。
俺は彼女の部屋の前に着くと、コンコンとノックをした。
「入っていいわよ」
中からそんな声がして、俺はガチャリとドアノブを捻ってドアを開けた。
部屋の中は外よりクーラーが効いていて、ロールは長袖を着ている。彼女はベッドの上に寝転がってテレビを見ていた。
「おはよ」
「おはよう。冷房効きすぎだろこの部屋」
俺は部屋の中に入っていくと、テーブルの上に荷物を置いて椅子にかける。
「ちょっと怠惰したくなったのよ」
ロールはそう言って体を起こすとテレビを消して立ち上がった。
そして俺の向かい側の椅子に腰掛けて、テーブルに肘をついた。
「さ、宿題教えてあげるわ。結構やばいんでしょ?」
「大分やばい」
言いつつ、俺はかばんから残った宿題のテキストを取り出した。
「それだけ?」
「うん。昨日で結構終わらせたし」
「ふーん。でも結構面倒くさいの残ってるわね」
ロールは少しだけ顔をしかめて言った。
ロールも面倒くさがってることだし、これは頼めば写させてくれるだろうか。
可能性に賭けてみよう。
「そこで頼みがあるんだけど……」
俺は恐る恐る口を開いた。
「なに? 写させたりはしないからね。死音のためにならないし」
「そこをなんとか……」
「ダメ」
きっぱりと断られて俺は内心舌打ちをする。これは写させてくれなさそうだ。
ただでさえ夏休みロールを裏切ってしまった訳だからここは素直に従った方が良さそうだな……。
せめて最終日くらいは任務でもいいからロールと出掛けたりしたかったのに。
「はぁ、分かった。ちゃんとやるよ。
でもロールと出掛けたりしたかったな……。夏休みの思い出っていうか……。結局ロールとは任務の一つも行けなかったし」
「……え?」
でも仕方ないよな。溜息さんのせいにもできないし。
まあロールと出掛ける機会なんてこれから先いくらでもあるだろうし潔く諦めよう。
「……真面目にやる。分からない所は教えてくれ」
俺はテキストの一ページ目を開いてさっそく問題を解き始める。
しかしそんなテキストの上にロールの手がバンと置かれた。
「ちょっと待ちなさい」
俺は視線を上げてロールを見る。するとロールは何か葛藤しているかのような表情で顎に手を当てていた。
「ど、どうしたんだよ?」
俺が聞くと、ロールは学校のカバンからテキストを取り出して机の上に置いた。
「……仕方ないから写させてあげるわ」
「マジで!? え? なんで?」
「死音ずっと修行してたし、最終日くらい遊んでもいいと思ったのよ。
それに、その傷のお詫びも兼ねてっていうか……」
俺は首元の傷に手を当てる。今もヒリヒリして痛む。ロールにひっかかれたやつだ。
「いや、これは気にしなくていいって。俺も悪かったんだし。
つーかその件はもういいっこなしだろ」
「そうね……」
「でもありがたく写させていただきます。やっぱ持つべきものはパートナーだよな」
俺は笑ってそう言った。
「そ、そう?」
俺はさっそくテキストを開いてロールの答えを写し始める。
「なんていうか、ロールはなんだかんだで優しいよな」
怒らせたら怖いなんてもんじゃなくなるんですけどね……。
「褒めても何も出ないわよ」
そう言いながらも照れ笑いしたロールが可愛かったので、俺の宿題のモチベーションは上がった。
まあ写すだけなんだけど。
それから俺はロールと喋りながら宿題を写し続ける。時間が経つのは早かったが、喋りながらの作業だったせいか、宿題が終わったのは夜の八時頃になった。




