怒りの回転
街に着いて俺はやっと溜息さんから組織の端末とプライベートの端末を返してもらった。
街に着いた途端溜息さんはどこかに行ってしまい、俺は組織の駐車場に放置されている。
とりあえず俺は溜まりに溜まったメールを読む作業から始めることにした。
組織の端末に溜まったメールは主にロールからだ。
『どこ?』
『来ないの?』
『お腹減った』
『宿題終わった。手伝ったげようか?』
『暇』
『無視?』
『おっさんから聞いた。溜息さんと修行してるらしわね』
『端末取られてんの?』
ロールから来てたメールはこの八件だけだった。
最初の3日にこれだけ送られて、それ以降はメールを送ってきていない。
あと数件黒犬さんやら煙さんやらからシェイドのメールが来ていたが、これも最初の一週間だけ。
どうやら俺が溜息さんに拉致られた情報が広まるのには一週間くらいかかったらしい。
プライベートの端末の方にはなかなかのメールが溜まっていた。
弦気、大橋、凛、その他の友達からの遊びの誘いのメール。両親からの心配のメール。
あと新城で登録されたロールからの『こっちの端末もとられてる?』というメール。
しかし、両親と友達のメールはある日を境に途切れていた。
それで送信履歴も確認してみると、俺を心配してメールを送ってきた人全員に『夏休みの間、己を磨く旅に出ます。探さないでください』というメールが送られていることに気づいた。
溜息の姉御の仕業だなこれは。
あの人、勝手に人のケータイを……。
いや、放置されるより幾分マシか。
というより、このメールに対して両親から帰ってきたメールがなかなか酷い。
『分かった。お前もそういう年頃か』ってなんだよ。そんなので納得すんなよ。
まあいい。
とりあえず大事にはなってなさそうで安心した。それはそれでおかしいんだけどな。
さて、なら最優先事項はロールか。
ロールに謝りに行かないと。
端末取られてることは分かってくれてるみたいだし、そもそも怒ってないかもしれない。
だが謝罪は必要だろう。
お見舞いに一度もいけてないのは問題だ。そして夏休みはあと3日で終わってしまう。宿題をロールに手伝ってもらわないとまずい。
というか、ロールの怪我は治ったのかな。
とにかく会いに行こう。
ーーー
最初に向かった病室にロールはいなかった。
たまたま出くわした千薬さんによると、ロールは3日前に完治して病室を出たらしい。
それを聞いた俺はロールの部屋に向かう。
能力はoffにしてある。offの状態は非常に快適なので、身につけてよかったと思う。
切り替えができるとその差もよく分かる。
ON-OFFを身に着けなかった能力者が早死するというのも納得だ。
さて、ロールの部屋に着くと、俺はまずノックした。
コンコンと扉を二回叩き、俺はロールの返事を待つ。
「誰? 死音?」
ドアの向こうからの声はすぐに返ってきた。
「うん、俺だよ。帰ってきた」
「開いてるわ。入ってきていいわよ」
言われて俺はドアを開き、部屋の中に入った。
部屋の中は少し模様替えされていて、女の子らしかった部屋が少し無機質なものになっている。
ロールは椅子に腰掛けて本を読んでいた。
「久しぶりね、バディ」
ロールは俺に目もくれずに言う。
バディという単語にはアクセントと皮肉が込められていた。
妙な威圧感に俺は立ち尽くす。
そしてすぐに察した。ロールはご機嫌斜めだ。
「……怪我、治ったんだな」
口を開く。
少しだけ声が強張っていただろうか。謝罪の土台を作るために、俺は会話を構成する。
「ええ、3日前に完治したわ」
「見舞い、いけなくてごめん……」
俺は心からそう謝ったけど、ロールから返ってきた言葉は少しらしくなかった。
「別に死音は悪くないでしょ? 連れてかれただけなんだから。
そもそも気にしてないし」
嘘だ。これは気にしてる。
なんていうか、ロールと少し距離を感じる。
ほんの二言三言話しただけで分かってしまった。
事態は思っていたより深刻なようだ。
「悪い」
「気にしてないって」
しばらくの沈黙。
妙に居心地が悪くなった俺は、再び口を開く。
「……この埋め合わせはいつかする」
「だから、気にしてないって!」
ロールは立ち上がり、声を荒らげた。
そこで初めてロールは俺と目を合わせる。
瞳に映る怒気。
俺はそれで再確認した。
事態は俺が思っていたよりずっと深刻なようだ。
ロールがまさかここまで怒ってるなんて思いもしなかった。こんなロールを目の当たりにするのも初めてだ。
でも、なぜ?
俺が一ヶ月ロールを放置してしまったことは、そこまで重大なミスだったんだろうか。
……俺は軽く考えていたけど、ロールにとってはかなりショックなことだったのかもしれない。
しばらくロールの睨みというか、強烈な眼差しから逃げずに立っていると、ロールはやがて椅子に座り直した。
「……ごめん。取り乱したわ。
それにしてもアンタ、溜息さんにめちゃくちゃしごかれたみたいね。
顔つきも、雰囲気も違う。
別人じゃない……」
ロールはそう言って顔を伏せた。
これはだめだ。
慌てて取り繕おうと俺は頭をかき回す。
「そんなことないよ。
でも、ちょっとは強くなった自信はある」
「……見たらわかるわよ。
ごめん死音、今日は帰って。気分が優れないから」
「ロール、どうやったら許してくれるんだ?」
少し迷ってから放った俺のセリフは、ロールの怒髪にまた引火させてしまった。
「怒って……、ないって!
いいわ、死音。訓練室に行きましょう。どれだけ強くなったみてあげる」
ーーー
俺は訓練室でロールと向かい合っていた。
ロールは動きやすそうなジャージに着替えており、俺の前で軽く準備運動をしている。
「ルールを説明するわ」
「ああ」
「武器なし、能力なし。急所を狙った攻撃もなし。
先にダウンした方が負け」
「分かった」
これから俺達は模擬戦を行う。
ロールがどれだけ俺が強くなったか見てくれるのだ。
他意はあるにしろ、俺の成長を見てくれるならそうしてほしい。ロールの怒りも静まるかもしれないから。
俺は返事をすると、軽く屈伸をする。
「じゃあ、どこからでもかかってきなさい」
言われて俺は一気に距離を詰めた。
狙うはロールのこめかみ。
俺達が定めた急所は、合計5つ。
目、鼻頭、顎、鳩尾、金的。
そこ以外の攻撃ならどこにしてもいい。
ロールとの模擬戦はこれが初めてじゃない。修行に行くまではよくやってたのだ。最初はロールに攻撃するのを躊躇ったりしたが、すぐに攻撃を当てることすらできないことに気づき、無駄な躊躇だと理解する。
しかし、今はどうだろうか。
俺はロールの左サイドにステップし、さらにその奥、視界の外から拳をうねらせる。
だが、ロールの瞬発力は俺を軽く越え、踏み込むのと同時に俺の攻撃を躱した。
放たれたロールの正拳突きを、俺は右手でいなす。
ロールの追撃をバックステップと同時に蹴りを放つことで防ぐ。
そして一定間の間合いをとると、俺は構えたままロールの出を伺った。
俺の攻撃にロールは確実に対応し、反撃してくる。
これは受けに回った方がいいかもしれない。
「……一体どんな修行させられたの?」
張り詰めた緊張感の中、ロールが口を開く。
俺は話し出そうとして、口をつぐんだ。
今は模擬戦とは言え戦闘中。
話してる暇があるなら隙を伺え。溜息さん教えだ。
「……」
「……そういうことまで教わったのね」
そう言って俯いたロール。
なんだ? 隙だらけだ。
そう思って少し距離を詰めようとすると、突如、ロールの雰囲気が変わった。
ズズと、頭から猫耳が生え、尻尾がジャージの隙間から現れる。
「……!?」
能力はなしじゃなかったのか!?
俺は即座に能力をONに開放した。
これはまずい。
しかし俺の判断は少し遅かったらしく、ロールはすでに俺に襲いかかってきていた。
すごい瞬発力だ。速すぎる。
だが、まだ見切れる……!
俺は転がってそれを回避、すぐに立ち上がったが壁で反転したロールの速度に追いつけず、首元を捕まれそのまま訓練室の壁に叩きつけられた。
「かは……!」
食いこむ爪。
どんどんと締め上げられ、俺は上に持ち上げられる。
ロールの手に両手で体重を加え、かろうじて息をする。
ガチじゃねぇか。ロール。
歪めた瞳でロールを見下ろすと、ロールは唇を噛んで俺を睨んでいた。
「アンタ……! アンタは……! 私のパートナーなのにっ……!」
「……!」
グイグイと締め付けられて、意識が遠くなってきた。
目を閉じる。
……なんでこんなに怒ってるんだこいつ?
そういうのなら俺にだって言い分はある。
一方的にやられてふつふつと怒りが浮き上がってくる。
ロールには悪いと思ってるけど、そんなことなら溜息さんかボスに言ってくれ。
俺はボスの意向で溜息さんに勝手に連れてかれただけで、自らロールの元を離れたわけじゃない。
かといって溜息さんやボスのせいにしているわけでもない。
溜息さんとの修行は俺に必要なものだったから。
俺が悪いのか?
すべての原因は俺がロールに怪我をさせたことにあるから、ある程度のやつあたりとか、ちょっとしつこいイジりとか、多少の罰くらいなら受けるつもりでいたけど、これは流石にないだろう。
ここまで怒られる筋合いは、断じてない。
原因は俺にあっても、今件に関しての責任は俺にはない。
ここで黙ってロールのやつあたりに耐えてられるほど俺もできてはいないんだ。
俺は手放しかけた意識を、唇を噛んで覚醒させ、ロールの脇腹に思いっきり蹴りを加えた。
しかしそれはロールに見切られ、ロールは左手で俺の蹴りを受ける。
今、俺を締め付ける手はロールの右手のみ。俺はロールの手をなんとか引き離し、そして噛み付いた。
「いっ……!」
慌てて手を引き、下がるロール。
俺は地面に落ち、息を切らしながら首元を擦る。
爪で掻かれた首元は、いくつか傷が残っている。ひりひりする。
猫に引っかかれた傷は跡が残りやすいらしい。
こんな目立つところにやってくれるぜロール。
「ハァ、ハァ……おい……!」
息が落ち着かないまま、そう言って俺はロールをするどく睨みつけた。
ロールはさっきので正気に戻ったのか、ビクッと体を震わせる。
猫耳はしゅんと下がっていた。
「……俺だって! お前のために強くなったってのに!」
色んな正論をぶつけるつもりだったが、気づけば俺はそんなことを口にしていた。
溜息さんとの修行はめちゃくちゃで、俺もちょっとふざけたりもしたけど、俺はずっとロールに怪我をさせたことを気に病んでいた。
本気で強くなろうと決意したのもそれがきっかけだ。
そこに偽りはない。
「違う……違うの死音……」
「違う!? 俺は誠意を込めて謝ったじゃないか! それで許してくれないならそう言ってくれよ!
気にしてないなんて嘘は聞いてない!」
「アンタだって……!」
「ロールはもっと……、もっと色々わかってくれる奴だったじゃないか……! それがどうして!」
「それは……」
「もういい!」
俺はロールの前に踏み出して、俺より身長がいくらか低いロールを見下ろす。
「な、なによ……私に勝てると……」
そして俺はロールの目の前で俺は膝をつき、勢い良く土下座した。
「ごめんなさい! これで許してください! ロールの気持ちを分かってあげられなかった俺が悪い!
でも仲直りしよう!」
考えてみたけどやっぱり俺が謝ることでしか事態は収束しなさそうだ。
俺がロールに怒り返すのも無駄な気がしてきた。
というか、すぐに正気に戻ったロールを見て、俺の瞬間的に爆発した怒りも、がくっと冷えてきたのだ。
「え? ちょ……」
俺は頭を下げたまま、黙ってロールの言葉を待つ。
その時だった。
『ぷ、くく。ぷっはははっは! あはははは! 何それ死音くん!』
観測室の方からそんな声が聞こえた。
振り向いてみると、観測室には茶髪の女の人が立っていた。
歳は溜息さんと同じくらいだろうか。
ロールに集中していたから全然気づかなかった。訓練室が防音だからと言うのもあるだろう。
「執行……! どうやってここに!」
この人が執行さんか。
ロールと仲が良さげだったからもう少し歳が近いと思っていた。
『マスターキー。
任務事務観測塔兼モニタルームの総管轄が誰か忘れたの?
いやいや! それにしても面白いことやってるねー!
どうしたの? 喧嘩? まあ最初から見てたからだいたい分かってるんだけど!
でも君たち! 喧嘩は良くないよ!
とりあえず観測室に来なさい! 私こと執行がジャッジしてあげる!』
ーーー
「ジャッジ!
ロール! ギルティ!
死音! ギルティ!
よって二人には仲直りを命じる!」
観測室に連れ戻された俺達は向かい合って執行さんの茶番に付き合っていた。
ロールはムスッとした顔で、俺はロールとは違う方向を向いて口をつぐんでいる。
「ほらほら、二人とも手出して。
仲直りの握手握手」
執行さんにむりやり手をとられ、俺はロールと握手をさせられる。
ロールの手は暖かかった。
未だに猫耳はぴょこんとでていて、こんな時だが相変わらず可愛い。
俺が猫耳に見惚れていると、いきなり執行さんが俺とロールの背中を抱えるように押し込んだ。
「仲直りのハグだー!」
「うわっ」
「ちょ……!」
結果、抱きかかえるような形になった俺達。
すぐにロールから離れようとしたけど、執行さんが思ったより強い力で俺達を押さえつけているので無理だった。
ロールは存外じっとしている。
ロールの心臓は少しだけ早く刻みだす。ロールの深呼吸と、つばを飲み込む音が一度だけ聞こえた。
「……」
「……」
しばらくして執行さんは満足げに「うんうん」と頷くと、そのまま俺達を放って観測室から出ていった。ドアがガタンと閉まる音が反響して耳に残る。
執行さんが出ていった後もなんとなく俺達はくっついたままだった。
本当になんとなくだ。
離れるタイミングを逃しただけなのかもしれない。
くっついたまま、先に口を開いたのはロールだった。
「……ごめん死音。私が悪かったわ。
死音は悪くないって分かってるけど、それでもそういうの嫌なの。
私達、パートナーなのに、溜息さんだけずるいわよ……」
「嫌な思いさせて、ごめん」
「……ううん。私も自分勝手でごめんなさい」
そこで俺達はやっと体を離す。
お互いにちょっと気恥ずかしくて顔を逸らした。
ロールの心音が結構耳に響いたので、俺は能力をOFFにする。
プライドの高いロールだから、今の謝罪……というか自分を曝け出す一種の告白は、結構勇気を必要としたのかもしれない。
「……じゃあ、これで仲直りだな」
「そうね……。とりあえず部屋に帰ってその傷の消毒しなきゃ」
ーーー
部屋に戻ると、俺は上の服を脱いでベッドに座り、ロールに傷を見てもらっていた。
ロールの片手には救急キットから出した消毒薬とガーゼ。
膝をついて俺の傷を見ている。
「傷、酷いわね……」
そう呟いてロールはしばらく俺の傷を眺めていた。
早く手当してくれと思いながらじっとしていると、ロールは何を思ったのか…………俺の傷を舐めた。
「な、な、何やってるんだお前……!」
言われてハッとしたのか、ロールは一気に後ずさる。
「ち、違うの! つい、ついやっちゃったのよ!」
「ついって、なんだよ!」
「傷をなめちゃう癖があるのよ!」
猫だから? 猫だからなのか?
喧嘩を経て、ロールのことをまた少し理解できた気がする。




