哀愁の重圧
ジーザ山。
標高およそ4600mの大きな山だ。
ジーザ山の麓からうねうねと続く山道は、その山中を貫通し、そしてセントセリアの街へと続く道となっている。
セントセリアは自衛軍の本部がある大都市だ。
セントセリアまで行くのにこの道を使う者はほぼいない。
谷に綺麗な道路が作られたからだ。
山中を進むこの道はとっくに廃道になっていて、状態もあまりよくない。
だから大抵の人は谷に作られた綺麗な道を通るのだが、そこを物資車の隊が通るのは少々問題がある。
セントセリアに続く道だ。自衛軍本部のバンが行ったり来たりしている。
そこをアノニマスの物資車が通るのは難がある。
運び屋やバックにいる他組織の運送屋を使ってもいいのだが、元々影があるとこはみんなあの王道を通りたがらないらしい。
透視持ちなんかがいたら一発アウトだしな。
現在、俺と溜息さんはそこらで拾った、もとい盗んだ車に乗ってガタガタの山道を進んでいた。
しばらく進むと自衛軍が道を封鎖しているのが見えた。
溜息さんが自衛軍のパトロールカーの前に車を止めると、自衛軍の人が運転席の窓を叩いた。
タキシードとか思いっきり着てるけど大丈夫かな。
「死音、降りろ」
溜息さんは自衛軍の人を思いっきり無視して、ドアを開ける。そして外に出た。
俺も急いで降りると溜息さんの後に続く。
「この辺りで凶暴な魔獣が出ちゃって今通行禁止になってるんですよ」
目の前に立ってそう言った自衛軍の人を、溜息さんはまたもスルーして歩いていく。
「ちょっと君……」
無視して通り過ぎていった溜息さんの肩を、自衛軍の人は後ろから掴んだ。
掴んでしまった。
自衛軍の人はそこで地面と一体化してしまう。
ピシャリと血しぶきを足元に散らし、俺の足元にも血がかかった。
それを見て一気に臨戦態勢に入った他の人員達も次々と潰れていく。
「うわ……」
一瞬にしてできあがった肉塊の数々に目を背けながら俺は溜息さんの後を追った。
容赦なさすぎだろ……。
「死音、そろそろマスクをしておけ。
私は顔を見られても困らないが、お前は困るだろう」
「わかりました」
俺がマスクを着けたのを見ると、溜息さんはあのかっこいい黒いグローブを嵌めて、自衛軍のパトロールカーに乗り込んだ。
俺もその助手席に乗り込む。
そして車は走り出した。
「戦況は分かるか?」
ハンドルをぐるぐると回し、巧みなドライブテクニックを披露しながら溜息さんは聞いてきた。
こんな荒い道ですごいスピードがでている。
「……なんか様子が変ですね。戦闘音も、走行音も聞こえません。
人の声は聞こえるんですけど、この距離じゃ内容までは……」
「ならすでに制圧されているみたいだな」
「……そうなんですかね」
それを俺がなんとかするのか……。
いや、無理だろ。
そんなことを考えながら、半ば自棄になって窓の外を眺める。
かなりスピードが出ているので、過ぎ去る景色は早い。
しかしそんな中、俺の目にあるものが止まった。
「た、溜息さん、あれ!」
俺が窓の外を指差して言うと、溜息さんは急ブレーキをして自衛軍のパトロールカーを止めた。
その視線はすでに俺が指差した先にあるモノに向けられている。
「……」
「死体……ですよね?」
そう、伸びた木の手に迷彩服を着た自衛軍の男が突き刺さっていたのだ。
辺りを見れば、他にもちらほら死体が見受けられる。
「自衛軍、うちの人間の死体もあるな」
道路や木、ガードレールにも新しい戦闘の爪痕が残っている。
「相当派手な戦闘をしたんですね」
「いや、違うな。
死体をよく見てみろ」
「え?」
言われて死体を見てみる。
とくにグロいだけで普通の死体だと思うが、なにかあるんだろうか。
「うちの人間も、自衛軍の奴らも、同じ傷を負って死んでいる。
魔獣……じゃないな。これは第三者が介入してきた可能性が高い」
「……え、マジっすか」
「ああ。面倒だが今回の任務はやっぱり私がやることにする。
お前じゃ荷が重そうだ」
それだけ言うと溜息さんは再び車を発進させる。
ラッキーだ。
溜息さんがやってくれるなら何も心配はいらない。
どちらさまか分からないが、介入してきた第三者の人達には感謝しておこう。
というか、もうちょっと任務に緊張感を持ったほうがいいな俺。
溜息さんに頼り切るのもよくないか。
しばらく進むと、Anonymousの物資車の列が見えてきた。
物資車の列はトンネルの前に並べて停められてあった。
俺と溜息さんは辺りに警戒しながら自衛軍のパトロールカーから降りる。
物資車の中に人はいない。
しかし荷台には荷物が積まれっぱなしだ。
「これは、どういうことですかね?」
俺が聞くと、溜息さんは黙って耳をふさいだ。
「……!」
俺は少し遅れて溜息さんの意図を理解し、爆音を鳴らす。
森の中に反響する音。
俺は集中する。
音の限定視聴。
木の上に二人、上空に一人。
いきなりの爆音に乱れた呼吸と心音。
集中しなければ聞き取れないほど研ぎ澄まされていた。
溜息さんは俺の視線に集中している。
上、左、左。
敵の位置を視線で伝えると、ズドンと太い音が鳴り響く。
見れば左に広がっていた木々は地面に押しつぶされ、上空を飛んでいた鳥は地に押しつぶされて死んでいた。
「ああ。面倒なのが介入してきたな」
そう言って溜息さんは深く溜息をついた。
しかし意識を研ぎ澄ませているのが、その威圧感から分かる。
三人の敵は初撃で仕留められなかったのだ。
そう、回避された。
位置を把握されたのを察知して、即座に溜息さんのプレスを回避する判断力と反射神経。
手練だ。
そして頭上に現れた3つの音は、順番に俺達の周りに着地した。
「わーお! こんなところですっごい大物! まーた自衛軍のよっわい援軍かなぁなんて思ったら、たぁぁめいきさんじゃないですかぁ!」
「え!? うそうそマジ!? ”重い溜息”!?」
「ほんとだ! すっげーホンモノ! ファンなんだよ俺!」
現れたのは、随分と派手な格好をした三人組だった。
顔はベネチアンマスクで隠していて、左から男女男。
顔が見えないので年齢は分からない。
なんだこいつらは……。
そう思いつつも俺は警戒態勢をとる。
溜息さんの攻撃を躱した時点で俺よりは強い敵。
俺はゆっくりと溜息さんとの距離を詰める。
溜息さんは誰よりも早く動いた。
三人の足元の地形が変わる。
攻撃を事前に察知した三人はすでに回避しており、宙を舞っていた。
溜息さんのナイフによる追撃。
回避する先回避する先へと放たれていくナイフに、奴らは防戦一方だった。
なのに、奴らは楽しそうに笑い声を響かせている。
「これ! 俺らじゃ絶対勝てなくね!?」
「アハハ! ホントそれ!」
「ぎゃはは! どうやって逃げるんだよ! なんとかしろよ!」
「お前の能力で俺達だけ逃がせよ!」
「それだと俺死ぬじゃん!」
「いいじゃん! 死ねよ!」
「いっでぇ!? ちょ、ナイフ腕に刺さったぁぁ! ちょ! ヘルプ!」
「当たるとかだっさ!」
「お前の流れナイフだよ! 下手くそな避け方するから!」
「フォーメーションC!」
「「りょ!」」
縦横無尽に動き回っていた三人だったが、その掛け声でナイフの隙を潜り、一気に固まった。
固まったが最後、溜息さんのプレスで一網打尽にされると思いきや、三人はそこで姿をパッと消した。
残ったのはその場に振り下ろされた溜息さんのプレスと、飛交うナイフ。
一瞬にして奴らは姿を消したのだ。
「逃げられたな」
「……溜息さんが仕留められないなんて」
「普段の私なら初撃で仕留めている。
ポイズンバタフライの鱗粉の吸収を繰り返したせいか、体力が完全に戻ってないみたいだ。
能力を全力で使えなかった」
それはただの自業自得じゃないですかね姉さん。
「ていうかあいつら、いったいなんなんですか?」
「奴らはNurseryRhymesの人間だ。
Anonymousほど大きくはないが、同じ自衛軍と敵対する組織で、いわば同業者だな。
人数は少ないみたいだが、精鋭が多い。派手な服装とベネチアンマスクがトレードマークだ」
「なるほど……。そんなのもいるんですね」
裏の世界は広いな。
俺は悪の組織って言ったらAnonymousくらいしか知らなかったけど、みんなの話を聞くにやっぱり色々あるっぽい。
うちが有名なのは表立ったこともするからか。
「とりあえずハイドに報告する」
溜息さんはポケットから携帯端末を取り出して、ボスに電話をかけた。
『溜息か』
端末の向こうからボスの声。
能力のせいで、電話の声もきっちりと聞こえてしまう。
「ああ。任務は完了したが、運送隊の奴らは全滅だ。
ナーサリーライムが出た」
『また奴らか。何人仕留めた?』
「0だ。少し調子が悪くてな」
それはもう酷い理由ですよ。
『そうか。
奴ら最近少しおふざけがすぎるな。
そろそろ叩いた方がいいのかもしれない』
「そうだな」
『物資車の回収は支部から救援を送る。
しばらくそこにいてくれ』
「分かった」
そこで電話は切れる。
溜息さんは端末をポケットにしまうと、シャツのボタンを二個外してパトロールカーに乗りこんだ。
そして座席を後ろに倒すと手を後ろに組んで目を瞑る。
「死音、見張りをしておけ。私は疲れたから眠る。
なにかあったら起こせ」
そんな無防備な格好で寝てたら襲いますよ、とは返せず俺は「はい」と答える。
どうやら師匠、仕留められなかったことに少し苛立っているみたいだ。
俺も応戦すればよかったのかな。
反応はできていたけど、溜息さんの邪魔になりそうだったから動けなかった。
いや、まあとりあえず任務は一応達成できたしいいか。
俺何もしてないけど。
ーーー
かくして中途半端な感じで俺の修行は終わった。
「それ、本気で言ってます?」
支部で2日体を休めて、いざ本部がある街、スレイシイドへ帰ろうという時に、俺は溜息さんからものすごい重大発表を食らった。
おかしいなとは思ってたんだ。
支部で傷を療養してもらっても体の倦怠感というか、だるさが抜けない。
息苦しい感じ。
とてつもなく重い身体。
筋肉痛とか修行の疲れだと思っていたのだが、やはり違っていた。
「気づいてなかったのか。
お前バカだな」
「いやいや、普通気づきませんよ!」
「普通気づくだろう。自分の体が重くなれば」
そう、溜息さんはこの修行の間ずっと俺の体にかかる重力を増加させていたらしい。
俺が気づかないもんだから少しずつ重くしていって、最終的に俺の体にかかる負荷は本来の1.5倍になっていたらしい。
知らない間にすごい拘束具をつけられていたみたいだ。
「まあいい。とりあえず解いてやる」
溜息さんがそう言うと、俺の体は一気に軽くなった。
「うお!? すげぇ! 体がすごい軽い!」
「ふふ、そうだろう」
「なんかめちゃめちゃ強くなった気がします!」
「それなりには強くなってるはずだ」
「ホントですか!?」
「ああ。
とりあえず、これで修行は一旦終わりだな」
俺の耳がピクリと動く。
一旦?
一旦ってなに?
「いや、もう二度とごめんですよあんな修行は」
「もうああいう修行はしない。
次にお前に足りてないのは実戦経験だからな。
スケジュールを送ってこい。これから空いてる日はシェイドしてやる」
「え、えぇ……。
デートなら大歓迎ですけど……」
「……それでもいいな」
ボソッと聞こえた言葉に俺は振り向いた。
「え!? いいんですか!?」
「うるさい。冗談だ」
修行編終了




