生まれた悪の音
酷い耳鳴りは収まらない。
歪む視界の中で、町行く人々が倒れていくのを見た。
俺は近くの街灯を支えにして立ち上がる。
凄まじい音の中でも先程の警報の内容はかろうじて聞きとれていた。
能力者が発現したらしい。
おそらくこのひどい耳鳴りはその能力者のせいだ。
強制排除対象、規格外……そんなの初めて聞くぞ……。
いや、早く逃げないと……!
俺はフラフラとした足取りで、耳を抑えながら家へ向かった。
耳鳴りはだんだんと収まってきている。
しかしそんな時、空から音が近づいてくるのに気づいた。風を切る音だ。
見上げると、さっそく自衛軍の人がこちらに向かって飛んできている。
避難に遅れた住民を助けに来てくれたのか!
そう思った俺は大きく手を振って自分の存在を伝えた。
耳鳴りはほとんどやんだけど、いつまた来るかもしれない。
そうすると、自衛軍の人は俺に気づいたのか目の前にスタっと降り立った。胸には少尉のバッジが付けられている。
「よ、良かった……。助けて、ください、……どうなってるんですかこれ……」
俺は少尉の方にフラフラとに歩み寄る。
すると、俺は謎の衝撃波によって吹き飛ばされた。
背中を何かにぶつけ、激痛が走る。
いきなりの出来事だった。
「っ!? !?」
なんだ? 何が起きた?
え? 痛い。
壁に叩きつけられたことに気づいて、俺はやっと理解する。
攻撃されたんだ。
頭を打ったので、グワングワンと視界が揺れた。
ゴホゴホとむせる。
混乱した頭で必死に考える。
なんで? なんで攻撃されたんだ?
「……すまないが、発現した君は危険度が高すぎるんだ。
市民にこれ以上の被害を出さないためにも、排除しなければならない……」
少尉は本当に申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
声ははっきりと聞き取れた。
「何言って……」
言いかけて、口を閉じる。
俺の目にある標識が目に入ったからだ。
『地点B-56』
警報では言っていた。
地点B-56で能力者の発現を確認したと。
危険度=規格外。強制排除対象。
そして俺は目の前の少尉に攻撃された。
トドメに少尉の言葉。
耳鳴り……、思えば前兆はあったのかもしれない。
発現した能力者って……俺のことなのか。
自覚すると、一番最初に俺を襲ったのは恐怖だった。
目の前の少尉が怖い。
普段は正義の味方で、憧れていたはずの自衛軍が、怖い。
それもそうだ。
自衛軍にとって俺は保護対象から殲滅対象へと変わったのだから。
「そ……んな……」
俺は辺りを見渡してみた。地面に倒れる人がチラチラと見受けられる。
「これは全部君がやったんだ。
規格外級の能力が君のように遅く発現すると、コントロールできずにこうなってしまうことがある。死人が出ることも確実だ。
自衛軍は、一人より大勢の命を優先する。
すまない……」
迫る少尉。俺は小さく悲鳴をあげた。
そして、気づけば俺は逃げ出していた。
目尻に溜まった涙が溢れ出しそうだ。
嫌だ。死にたくない……。
なんでだよ、なんで俺が……。
ギィィィィーン。
そんな耳鳴りがまた鳴って、割れるような痛みを頭に感じた。
俺は勢い良く前のめりに転んでしまった。
「うぅ……」
それでも地面を這う。
淡々とした歩調、そんな少尉の足音が近づいてくる。
空からもまた音。
体を起こして見上げてみると、自衛軍の人達がこちらに向かって飛んできているのが見えた。
なんだ、よってたかって。嫌だ、死にたくない……。
理不尽だ……。能力なんてとっくに諦めてたのに……。
死ぬくらいなら、誰だってこんなもの欲しくない。
少尉の足音が迫る。
死にたくない、来るな……。
「来るなァ!!」
轟音衝撃。
俺を中心に、コンクリートの地面にいくつもの亀裂が入った。
ビルの壁にも大きな亀裂が入り、コンクリートの塀もヒビが入って所々崩れ落ちる。
目の前の少尉は、耳から血を吹き出して倒れた。
空を飛んでいた自衛軍の人々は、地へと真っ逆さまに落ちていき、バンッと嫌な音を立てて地面とぶつかる。
「……え?」
今のは俺が……やったのか?
恐る恐る少尉に近づいてみると、心臓の音が聞こえない。
死んでいた。
「……あ、あ……」
わざとじゃない。
咄嗟だった。殺されそうだったから……。
俺じゃない……!
こんなつもりは……。
俺は、……悪くない。正当防衛だ。
違う、助かった。俺は生きてるんだ……。
俺はまだ死んでない。
「……!」
ふと誰かがまたこっちへ向かってきてる音が聞こえた。凄い速さだ。
見つかったら今度こそ殺される……!
早く逃げないと!
俺は立ち上がり、痛む体をむりやり連れて夜の町を走った。
ここからなら俺の家が近い。
家に逃げよう。いや、ダメだ見つかる……。
家の近くの廃ビルなら……。
そんな思考が巡った時、俺の頰を何かが掠めた。
その”何か”は民家のシャッターに直撃し、小石大の穴を開けた。
「みつけた」
男の声。
振り向くと、俺が先ほど転んだ場所辺りに自衛軍の制服を着た男が立っていた。
顔はよく見えない。
街灯に照らされた男の周囲には、岩のような物がふわふわと浮かんでいる。
「自衛軍、中居中佐だ。悪いけど君には死んでもらうよ。
苦しみたくないなら無駄な足掻きはしない方がいい。どうせすぐに増援も駆けつけてくるしね」
自衛軍の男が俺を指差す。
すると、中居中佐の周囲に浮かんでいた岩が、凄い速さで俺めがけて飛来してきた。
いや、正確に言うならそれは視認による把握ではない。
飛んでくる音が聞こえたのだ。
「う、うわぁ!」
俺は必死の思いで地に伏せる。
すると、頭上スレスレを岩が通過した。
しかし、また後ろから音が聞こえた。
後ろから来てる……!
ところがボロボロの体は言う事を聞いてくれない。
俺はなすすべもなく背中に岩を受けた。
「ぐぅ……!」
背中の皮膚に、裂けるような痛みを感じる。
衝撃のまま、俺は地に頭を打ち、額からも血を流した。
かろうじて意識はあるが、立ち上がる力はもうない。
体中に激痛が走ってる。
俺はうつ伏せのまま、顔を地面につけて中居中佐の足音を聞いていた。
「名前も顔も知らないけど、君は発現してしまった。
そして多くの市民と、僕の仲間の命を奪った。
これ以上被害を出さないためにも……、罪を償うためにも、死んでもらうよ」
罪を償う?
その言葉に俺は酷く理不尽さを感じた。
好きでこんなことするわけがない。
理不尽だ。
こんな、こんなのってないだろ。
そんな言葉をかけるなんて酷い……酷すぎる。
気づけば俺はボロボロと涙を零していた。
ああ、こんなところで死ぬのか。
今日俺の誕生日なのに。
誕生日が命日ってのも笑えるな……。
家族は……悲しむだろう。
お父さん、お母さん……。
結局親孝行の一つもしてないな……
俺みたいに……、こんな風に死んだ奴って他にいるのかな……。
恨んでやる……。
恨んでやる恨んでやる恨んでやる。
何が自衛軍だ……!
俺も守ってくれよ……!
「俺だって……、俺だって生きたいんだよ!!」
衝撃波が中居中佐を襲った。
声を出す間もなく、中居中佐は後方に吹き飛ぶ。
「ハァ……ハァ……」
中居中佐の呼吸の音はまだ聞こえる。
なんで呼吸の音なんて聞こえるんだ……。
頭が痛い。気持ち悪い。
早く逃げないとまた誰かがやってくる……。
「ゴホッ、ゴホッ……、ハァ……ハァ……」
なんとか立ち上がり、壁にもたれかかりながらも俺は商店街を抜ける。
額から、背中から血が垂れる。
逃げないと。
俺の頭はそれで埋め尽くされていた。
だが、逃げる場所なんて本当は無いことに気づいてる。
だけど、目を背けていた。
この理不尽な現実から。
必死だった。生きるのに。
正義の味方なんて嘘っぱちだ。誰でも守ってくれるわけじゃない……。
俺のことも考えてくれよ。
俺は静まりきった路地裏を走る。
ここを抜ければ俺の家だ。
「……!」
だけど、もう終わりみたいだった。
ここに来て、見つかってしまったからだ。
前から音が聞こえる。
顔はおろか、姿も暗くて見えない。相手も俺のことが見えてないだろう。
だけど、確かに呼吸音が聞こえた。
「……ハァ、ハァ……ハァ……」
「自衛軍、志木島大佐だ。
大人しくしろ。残念だが……君には死んでもらわなければならない」
暗闇からそんな死刑宣告が聞こえた。
逃げ場はない。
「ハァ……ハァ……」
こうなったらもうやけくそで戦うしかない。
相手は大佐だ。勝ち目はない。
でも……、能力の使い方も分からないけど、黙ってやられるよりマシだ。
どうせなら、思いっきり暴れてやる……!
そんな時だった。
いきなり新たな音が現れたのだ。
「な……お前達は……アノニマス! なぜここ……ギャぁ!」
そして暗闇から悲鳴が聞こえたかと思えば、一つの呼吸音と、心臓の脈動の音が消えた。
「予想外にも……、どうやら当たりだったみたいね」
「観測者もたまにはアテになるらしいな」
そんな会話と共に暗闇から姿を現したのは、アノニマスマスクを被った二人組だった。
悪の組織、Anonymous。
アノニマスマスクは、その組織のトレードマークだ。
つまり目の前にいるこの二人は、Anonymousの一員。
それを目の当たりにして、俺は声を出せずにいた。
先ほどの大佐の呼吸音はもう聞こえない。
前を歩く男のアノニマスマスクには、べっとりと血がついている。
あの一瞬で、大佐を殺したんだ。
俺は一歩後ずさる。
謎の圧迫感に、俺の心臓はバクバクと脈打っていた。
だけど……!
こいつだって、俺を殺そうとするなら抵抗してやる。
俺は生きたい……。そのためなら……。
俺はアノニマスマスクから覗く両眼を睨んだ。
仮面の下の両目が俺を捉える。
「……ふーん」
男の影に隠れるアノニマスの女はそんな声を漏らした。
「いい眼だ、少年」
男は一歩踏み出してくる。
俺は後ずさりたくてたまらなくなったが、なんとか踏みとどまった。
下がれば、命を諦めたことになる。
そんな気がしたのだ。
戦え、俺。
そんな鼓動音が聞こえる。
「ハァ……ハァ……」
呼吸は荒い。
定期的に訪れる弱い耳鳴りに耐えながら、俺は目の前の敵を睨み続けた。
ジリ……、と足を切る。
いつでも殴りかかれるように。
唐突に、アノニマスの男は懐に手を突っ込んで、ある物を取り出した。
懐の中から出てきたのは、アノニマスマスクだった。
警戒しつつ、様子を見る。
すると、男はそのアノニマスマスクを俺に差し出して言った。
「……音の少年、我々の仲間にならないか?」
「え?」
仲間にならないか、確かにそう言った。
……そうか、俺の能力は強力だからAnonymousにとっても利用価値があるということか。
そして断れば見捨てられる。そうなれば自衛軍の奴らに俺は殺される。
「直に奴らが集まってくるだろう。
だが脅しではない。
お前が断ったとしても、俺はここでお前を助けてやるつもりだ。
仲間になるならマスクを取れ」
……仲間。仲間か。
悪の組織。
俺は…………。
「教えてくれ……。……お前らはなんのために戦うんだ?」
そう聞くと、答えはすぐに帰ってきた。
「自衛軍は、大勢のために一人を殺す。
だが、俺達は一人のために大勢を殺す。
悪には違いないな」
仮面の下の、男の笑みが見えた気がした。
俺はマスクを取った。