無茶な重圧
「強くなる方法として、誰でも簡単にできることがある。
それは戦闘中は喋らないことだ。
口を開くな。
ペラペラと戦いの最中に話しだすような奴は半端な強さになってカスみたいな死に方をする。
でもロールはよく喋るだろう? なぜだと思う?」
確かに。
前の任務の戦闘中、ロールは結構俺に話しかけてきたように思える。
なぜだろう。
「……分かりません」
「喋らないとお前に伝えたいことが伝わらないからだ。
パートナーが何をしたいか、次にどう動くか。
会話無しで感じ取れ」
「はい!」
一日目の修行は講義から始まった。
溜息さんは良い師匠だった。
なるほどと思う話をしてくれる。
俺は溜息さんの話を必死にメモする。
忘れてしまうと困るからな。
溜息さんは「要所は気づいた時にまた話すことになるからメモはとらなくていい」と言っていたが、溜息さんのありがたいお言葉をいつでも思い出せるようにメモは取らなければならない。
自分の言葉をメモに取られるのが少し恥ずかしいみたいで、溜息さんはさっきからチラチラと俺のメモ用紙に視線を向けてくる。
ちょっとシャイな一面もあるらしい。
俺の溜息さんに対する無情イメージはすでに取り除かれていた。
わかりづらいが、結構感情の起伏がある人だ。
しばらくして溜息さんの講義が終わると、俺達は荷物を持って湖に向かうことになった。
湖はここから歩いて五分もしないところにあるらしい。
時間的に日没が近い。
日は段々と傾き、地平線の彼方へ向かっている。
地平線なんかは見えやしないが。
湖の近くまで来ると、溜息さんは体勢を低くしてゆっくりと進むようになった。
そして振り返り、ちょいちょいと隣に来いというジェスチャーをする。
何がいるのだろうか。聴覚が常人以下になった俺には分からない。
目隠しされてるような感覚だ。
俺は溜息さんの隣に移動すると、溜息さんに習って茂みからその先を覗いた。
すると、そこに広がった景色は一面のどでかい湖。
岸から岸が見えないくらいには遠い。
そんな湖は、キラキラと西日の木漏れ日を受けて綺麗だ。
溜息さんに肘でつつかれて、俺は視線の方向を変える。
するとそこには一匹の魔獣がほとりで水を飲んでいる姿があった。
あれは確か……、クリムゾンピューマ……!
そんなに大きくないが、非常に危険度の高い魔獣だ。
肉食で、バサラ樹海の生態系でも上位の存在。
おそらく、あいつがいるから湖は静かなんだ。
水辺なんだからもっと魔獣で溢れかえっていてもいいはずなのに。
「大事なのは何が危険か見極めることだ。
本当は危険だと思っていてもそう危険ではないものも多い」
クリムゾンピューマを凝視する俺を見て、溜息さんは小声でそう言った。
ならクリムゾンピューマは確実に危険な存在だろう。
「……クリムゾンピューマの斜め後ろ。見えるか」
言われて俺は視線を移した。
しかしそこには茂みしか……
「……!」
いや、いる。
茂みで目を光らせている何かが……。一体ではない。数体いる。
あれはクリムゾンピューマを狙うさらに生態系上位の魔獣だ……!
クリムゾンピューマは辺りを警戒しながら水を飲んでいる。
しかし、次に水に口をつけた時、クリムゾンピューマの命は終わった。
茂みから飛び出してきた魔獣は、バサラウルフが4匹。
クリムゾンピューマは素早く反応したが、多勢に無勢。
ギャンという悲鳴とともにすぐにやられてしまう。
肉塊となったクリムゾンピューマはバサラウルフに引きずられ、茂みの奥へ消えてしまった。
そこでやっと溜息さんは立ち上がる。
俺は今の光景に圧倒されてしばらく立ち上がれなかった。
「ああいう光景を見ると、この樹海は己を磨くのに最適だとつくづく思う。
高位能力者同士の戦いは、基本的に先手一撃必殺で終わる。
先に敵を見つけた方が勝ちの世界だ。
戦いにおいて先手は譲るな。躊躇はいらない。
有無を言わせない本気の一撃を、初撃から放て」
「わ、わかりました」
さて、と溜息さんは続けた。
彼女は茂みから出てほとりにでると、片手に持っていた小さなリュックを地に下ろした。
「このリュックの中身を全部取り出してみろ」
「え? なんでですか?」
「いいから」
「……わかりました」
言われたとおり、俺はリュックの中の荷物を順番に外に出していく。
まず出てきたのは、三本のサバイバルナイフと鉈だった。
サバイバルナイフは小型のやつと大型のやつがある。
全部革のホルダーに包まれている。
次に出てきたのは缶詰。
食料だ。2日持ちそうなくらいはある。
そして次に出てきたのは小さな箱。開けてみると、裁縫セットだった。
あとは俺が車とヘリの中で読んでいた図鑑と、バサラ樹海の植物図鑑、ライター、塩、方位磁石くらいか。
全て適当にリュックに放り込まれていた。
そして極めつけにリュックのサブポーチから出てきたのは「ゼロから始めるサバイバル生活」という本だった。
「……」
もうこれで何をさせられるかわかってしまう。
「よし、しまえ」
溜息さんに言われて俺はリュックから取り出した物を全部直す。
「リュックを背負え」
これも言われたとおりにする。
「……溜息さん。
めちゃくちゃ嫌な予感がするんですけど」
「死音。
正直なところ私はお前が死んでしまわないか心配だ。
だけど理解してくれ。私はお前を強くしたい。
お前もリスクなしで強くなれると思っていたわけじゃないだろう?」
「すいません、何言ってるか……」
「理想は4日以内だが、私は一ヶ月でも待つ。健闘を祈る。
じゃあ、行ってこい」
バシンと。
俺の尻は溜息さんに叩かれた。
特段強く叩かれた訳じゃない。
しかし俺の体は発進した。
そう、飛んでった。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
湖の上を凄い速度で飛んでいく俺。
湖から俺を狙った巨大な魚が何匹か跳ねた。それらを紙一重で通過していき、俺は進んでいく。
湖の各所で飛沫があがる。
「あああぁぁぁぁ!! 来るな!! 死ぬ! 死ぬ!」
しばらく飛んで、湖を超えても俺は飛び続けた。
俺は顔を覆う。
草木に突撃し、露出した皮膚の所々が切れていく。
あの人、これはマジでやってくれた。
なんでもやるとは言った。
モチベーションも高い。
でもいくらなんでもこれはないでしょう!?
死んだら修行も糞もない!
木々を突き抜けながら、俺は音を増幅して叫び散らす。
とりあえずこの状況で魔獣にでも襲われたらおしまいだ。
威嚇と怒りの意味を込めて俺は叫び散らしているのだ。
おそらくすでに遠く離れてしまった溜息さんにも聞こえているだろう。
ロールが合わせてくれた自慢のタキシードもすでにボロボロ。
泣きそうだ。
それからまたしばらくすると、やっと勢いが緩和されてきた。
地面にも近づいていく。
そして地面に足が触れると、そのまま俺はふわりと着地することができた。
「はぁ……、はぁ……」
叫び疲れた俺は、膝に手をついて息を切らす。
やばい。足がガクガクする。
太ももを何度か思いっきり叩いて、俺はなんとか足の震えを止まらせた。
とりあえずリュックの中から方位磁石を取り出す。
俺が飛んできたのはあっち。東だ。
結構飛んだ。
どれくらい?
分からない。
くそ、帰れるのかよこれ。
日がもうすぐ沈む。ヤバイヤバイ。
この状態で夜にでもなったら魔獣に襲われ放題だ。
1日中叫び続けるなんて無理だし、今も能力を使いすぎて結構疲れた。
喉もカラカラだ。
とりあえず水を飲もう。落ち着こう。
そう思ってリュックを探ると、水がないことに気づく。
「溜息さんめぇぇ……!!」
溜息あの野郎、水を入れてやがらない!
なんでだよ!
塩とか配慮する前に水を入れろよ!
くそう、溜息さんめ……。
絶ッッッ対!
絶ッッッ対にいつか仕返ししてやる。
風呂とか絶対に覗いてやる!
こんな状況でも絶望しないように、俺は執念を燃やす。
キャンプハウスに帰って溜息さんの入浴を覗くという目標があれば、どんな時だって頑張れるはずだ。
「ふう」
俺は大きく息をつく。
一旦落ち着け……、落ち着こう。冷静になれ。
無駄な体力は使いたくない。
生き延びることを考えろ。
とりあえず音を巻き散らしたから、この辺りの魔獣はある程度退けられたと考えたい。
俺はバッグのサブポーチから「ゼロから始めるサバイバル生活」を取り出した。ゼロサバと略そう。
まず、遭難したら最初に何をしたらいいんだろうか。
俺がゼロサバの目次に目を通していると、ふと辺りが暗くなるのを感じた。
不思議に思って俺は空を見上げる。
すると、そこには体長5mはくだらない巨大な蜘蛛が巣を張っていた。
あれは……、ジムキングスパイダー。
バサラ樹海で唯一巣を張る蜘蛛種の魔獣だ。
巣に引っかかっていない地上の獲物も問答無用で追いかける荒くれ者で、危険視されているらしい。
蜘蛛の巣には何匹もの魔獣が糸でぐるぐる巻にされているのが見えた。
8つの無機質な目が俺を捉えている。
やばい。
考える前に、俺はリュックを背負って走り出していた。




