続く音
目覚めると、俺は本部の治療施設の一室にあるベッドに横たわっていた。
薬の匂いが充満している。
しばらくぼーっとしてから俺は体を起こす。
そして真っ先に俺の頭に浮かんだのがロールの安否だった。
ロールはどうなったんだ。
俺はすぐにベッドから降りて部屋を出る。
治療施設の通路は真っ白だ。クーラーは組織全体に効いていて涼しい。
俺は耳を澄ましてロールの音を探った。
右隣の部屋に二人の音が聞こえる。
それ以外の部屋は空室だ。
俺はその部屋の前に立った。
勝手に入っていいんだろうか……。
そう思っていると、目の前の扉が開いて中から千薬さんが出てきた。
千薬さんは身長の高い茶髪の女性だ。
いつも白衣を身にまとっている。千薬さんのメガネはいつもズレていて、今日も寝癖が酷い。
「お、死音君じゃないか。目覚めたんだな。
もうどこも痛まないかい?」
今気づいたが、俺の体の傷は全て治っていた。千薬さんが治してくれたのか。
服も着替えさせられており、白いパジャマのようなものを着ている。
「千薬さん。
おかげさまで」
「緊急だったから君の方はお粗末な手当をしてしまったんだ。どこか治ってないところとかあったら言ってくれ」
「いえ、もうどこも痛くありませんよ。ありがとうございます。
……それよりロールは中にいるんですか?」
チラチラと奥の部屋に視線を移す俺をみて、千薬さんはニヤニヤしながらメガネをかけ直した。
「ああ、彼女なら中だ。なんとか一命を取り留めたよ。本当に危ないところだった。
もう起きてるから顔を見せてやってくれ。彼女も君の心配ばかりしていたんだ。
じゃあ、私は仕事があるからこれで。
ロールにはくれぐれも安静にしているように伝えてくれ」
それだけ言うと、千薬さんは俺に背を向けて去っていった。
俺はその姿を見送ることなく勢い良く目の前の扉を開いた。
「ロール!」
部屋の隅っこにあるベッド。
ロールはそこで体を起こして本を読んでいた。
「あら、死音じゃない。体はもう大丈夫?」
本を閉じてそう言ったロールに、俺はよろよろと近づいていった。
「ロールこそ、大丈夫なのか……?」
「外傷は全部治ったわ。もうピンピンしてる。
でも脊髄がやられて今は下半身不随。
千薬さんの力でも全治一ヶ月だって」
じゃあ命に別状はないのか……。下半身不随も一ヶ月で治る。
「よ、良かった……」
「良くないわよ。これで夏休みがおじゃんなんだから。
はぁ、死音とやりたいこと結構あったのに……」
元気そうなロールを見た俺は、安堵で泣きそうになってしまっていた。
目に溜まった涙が溢れ出るのをなんとか耐える。
「ってアンタなに泣きそうになってんのよ。
まったく。これくらいの怪我はいつか死音もするだろうし、そんな大袈裟な反応されたら困るわ」
そんな強がりに思えるようなことを言ったロールに、俺は思わず抱きついた。
情けない絵になっているだろうけど抑え切れなかったのだ。
俺を助けたばっかりに、ロールはこんな目にあってしまったのだから。
「ごめん……、ごめんな……。俺のせいで……」
ロールは優しく俺の髪をなでる。優しい手つきだった。
それにいい匂いもする。
「……仕方ないわよ。死音のせいじゃないわ」
ロールの心臓の音がいつもより早く刻まれている気がした。
急に抱きついたから驚かせてしまったのだろうか。
いつまでもこんな態勢なのも恥ずかしいので、俺はしばらくするとロールから離れた。
思わずだったので、今更抱きついたことに少し恥ずかしくなって顔が熱くなった。
ロールも心無しか少しだけ顔が赤い。
「コ、コホン」
ロールはひとつ咳払いして「さて」と言った。
「とりあえず、私がいない間、死音も何もしない訳にはいかないから、シェイドされたら受けていいわよ。
後はそうね、私が見てないからって訓練を怠らないように。
私は傷の療養に専念するわ」
「分かった」
「あと、暇だからたまにはお見舞いに来てね」
少しおちゃらけてロールはそう言ったが、それにも俺は真面目に答えた。
「毎日来るよ」
「流石に毎日は来なくていいわよ」
ロールは笑って返したが、俺は毎日行くことにした。
かつて俺も入院したことがあるけど、病院生活は本当に暇なのだ。
テレビを見るか、本を読むかくらいしかすることがない。
とにかく、俺はロールに返しきれない借りを作ってしまったようだ。
ーーー
それからしばらくロールと話し、例の任務の事後報告も聞いた。
任務は失敗に終わったが、ボスからのお咎めはなくて、むしろロールのところにボスが直々に謝りにきたらしい。
自衛軍の救援は完全に誤算だったみたいだ。
荷物は自衛軍に回収されたが、あっちの戦力もそれなりに削ることができたため、ボスはイーブンと言っていたらしい。
本当にイーブンかどうかは知らないが。
俺はもっと強くならないといけない。
今回は完全に俺が足手まといだった。
もしロールが一人で任務に行っていたならば、普通に達成していたはずだ。
このロールが動けない一ヶ月。
俺に課題は多い。
とりあえずシェイドの許可が出たから可能な限りシェイドにはついていこう。
俺はアノニマス専用の携帯端末を見る。
受信ボックスに溜まったシェイドのメールは100件を超えていた。
これまではロールの言いつけで全部断ってきたが、これからはほとんどこなしてやる。
実戦経験を積まないと。
訓練も言われたとおり怠らないが、もっと実戦に慣れておきたい。
あと、この使い勝手の悪い能力。
これもちゃんとコントロール出来るようにならないと。
ロールの病室を出た俺は、訓練室に向けて歩きだしていた。
携帯端末に表示された時間はPM9時。
今からでも訓練しよう。
モチベーションは天井を突き抜けている。
せめてロールの足を引っ張らないくらいには強くならないと、話にならない。
そんなことを考えながら俺は訓練室に向かう。
そんな時、俺の携帯端末からビービーと着信音が鳴り響いた。
メールだ。
誰からだと思って差出人を見る。
すると、差出人の欄には「溜息」の文字が刻まれていた。件名はない。
溜息さんからメール?
そのことにまず驚いたが、とりあえずメールを開く。
本文には「来い」と、ただそれだけ書かれてあった。
一章終




