終わる世界
「あーー楽しかった」
仰向けになった空蝉は空を見上げていた。
未だ落ちない照明が眩しい。
響き出すサイレン。自衛軍が慌ただしく動き始めたのが、音支配を持つ彼には分かった。
小さな可能性が重なり合って、奇跡的に得られた勝利。
空蝉に信念は無い。今が楽しければそれでいいという考えだけで生きている。命が晒される戦いなどは、彼にとっては娯楽でしかない。
素晴らしいエンターテインメントを施してくれたハイドには感謝しかなかった。
「死音……死音は……?」
ハイドの亡骸の側にへたり込んでいるロールが何よりも先に問う。胸の傷が開いているのか、呼吸も浅い。
空を見上げたまま、空蝉は死音の亡骸がある方を指差した。それだけで顔をくしゃりと歪め、ロールは涙を流し始める。
生きているのかどうかをロールは尋ねない。必要ない。
自分の目で確かめるまで、何も信じない。
「うっく、うぁぁ……」
ロールから嗚咽が漏れる。
彼女に訪れたのは、最大のチャンスであり、最悪の決断を迫られる局面であった。
死音の時間を奪ったハイドを殺せば、彼が生きていても夜明けに死んでしまう。
「ぅぅ……ぁあああ……あぁぁぁぁ……」
交渉の余地などあるはず無かったと自分に言い聞かせることもできない。それを迫れば、どうせ裏切られて皆死ぬのだと分かっていても、涙が止まらない。
自分は死音を裏切ってしまった。
「……ぅぅ……うぅううぅぅぅ……!」
なんにせよ、立ち上がって死音の元へ向かうしかない。
死音はまだ生きているに違いない。謝れる。
罵倒されても構わない。もう一度だけ、彼に会えればそれでいい。
力の入らない足を引きずり、ロールは歩み出す。
そんな時、一ノ瀬空刃が空蝉の側に降り立った。
遅れて総勢50を超える数の人員がロール達を大きく取り囲む。
フラフラと歩むロールの前に、彼らが立ち塞がった。
「オイ、行かせてやれよ。殺すぞ」
そう言った空蝉に一ノ瀬が目を向ける。
一ノ瀬は目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「通してあげてください」
その言葉に、悪を囲む隊員達がどよめきをあげる。
一ノ瀬は静かに続けた。
「今の自衛軍に足りないのは……、きっと秩序ではない。人の心だ。
これからはそれを胸に、正義を掲げませんか? そうして少しずつ、傷つく人々を減らしていくしかないのでしょう」
隊員達がおずおずと道を開ける。
ロールは瓦礫の通りを進んでいき、空蝉は小さく笑みを浮かべた。
「わりぃな」
「いえ」
一ノ瀬は弦気の遺体に目を向け、目を伏せる。
正しき少年が死んだ。本来ならまだ守られる立場の歳の少年が。
自分達が不甲斐ないばかりに、犠牲となったのだ。
彼がこうするしか無い状況を作ったのは一ノ瀬達である。それが悔しくて、一ノ瀬は血が出る程きつく歯を食いしばった。
「よっ……こいしょっと……!」
その傍らで空蝉が立ち上がっていた。
そしてその爛々とした目が一ノ瀬を捉える。
ここまで戦い抜いて尚、彼の覇気は微塵も失われていなかった。
「……空蝉、私の力になってはくれませんか?
悪にはもう、飽きたでしょう?」
無駄だとは知りながら、それでも一ノ瀬は問わずにいられない。
悪でいさせるにはあまりに惜しい男なのだ。
「いいや?」
彼はケロッとした顔で肩を竦めた。
すぐにその表情は獰猛なものに変わる。
その答えが救いの手を突っぱねるものであることは、彼も分かっているだろう。
今や恐ろしい力を手にした空蝉という悪を後から倒そうと思えば、被害は甚大なものになる。
しかし、ハイドとの戦いで消耗しきっている今なら打ち倒すことはそう難しくない。
それに、ここで討たれるのも悪くないという空蝉の想いを、一ノ瀬はどこか感じ取っていた。
「……残念です」
呟く。
そんな一ノ瀬を、空蝉は「ハッ」と鼻で嗤った。
「俺はなァ、この世界が大好きなんだよ。何も変える必要はねえと思ってる。
逃げる奴、裏切る奴、突き進む奴、変えようとする奴、いろーんな奴がいる。それで良い、それが良いんだよ俺ァ!」
「ふふ、貴方らしい」
「ほら掛かってこいよ無能共! 今から悪党が暴れるぞ! 全力で止めてみやがれ!」
既に余力も無い空蝉が、夜空に最後の威勢を飛ばした。
ロールが行く。
心臓を押さえ、息も絶え絶えに歩いていく。
朦朧とした意識の中で歩き続けて、どれくらい経ったのだろうか。ロールにとっては永遠にも感じられる程長い時間だった。
空蝉が治した心臓の傷も完治しているわけではなく、致命傷のまま。激痛の中、それでもロールは歩き続けなければならなかった。
スンと鼻を動かして、ロールは彼の臭いを近くに感じ取った。辺りに充満する血の臭いも。
そして、ロールは視線の先に死音を見つける。
血溜まりの上に、彼は横たわっていた。
「ぁ、あぁ……、ああぁ……」
力が抜けていく体に鞭を打ち、少しずつ、少しずつ、ロールは歩む。
そうしてようやく彼の側までたどり着くと、その傍らにロールは両膝を着いた。
付近に転がっている血の付いたナイフは、彼女には見えていない。
震える口元に無理やり笑みを作り、ロールは死音をゆっくりと抱き起こした。
「死音、迎えにきたわよ……。遅くなって、悪かったわね……」
出会った頃の声色で、声を掛ける。
自分はまだ強いままだと、彼に訴える。
彼は答えない。
抱きかかえた冷たい体から、死音の腕がだらりと下がる。
「ほら。一緒に、……に、にげ……逃げるわよ……」
夜明けまで。どこまでも。
彼は答えない。
「……軍が、来るわ……」
口元が震え、無理やり作った笑顔が崩れていく。
涙が溢れ、顔がくしゃくしゃになっていく。
彼は、何も言わなかった。
「私が……守るから……だから、起きて、死音……死音……」
「う、うぅ……うぅぅぅうあぁぁ……」
「ああぁぁぁああ……! あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
音使いは死と踊る──終




