行き着く世界
ハイドの時間泥棒をコピーした空蝉は、その能力の特性を瞬時に理解する。
交差する視線でハイドと空蝉は、互いが互いの時間を奪い合う。しかしその技量はやはりハイドが上。
脱力感に苛まれながら、空蝉は即座に距離を取る。
ハイドが"それ"に気付いた時、宵闇の黒が再びハイドの視界を妨害し、すでに空蝉は弦気を視界に収めていた。
空蝉は弦気の時間を少し奪う。彼の意図を察した弦気は拒まない。
「他の能力を使っている間は"時間泥棒"しか使えねえ!」
言葉足らずのそのセリフで、弦気も宵闇も時間泥棒に対する理解を深めた。
それはハイドが闇支配を使っている間は、音支配や他の能力を警戒する必要はないということ。
他人の能力を使役する度に宵闇の支配力が戻っていたのはそれが理由。
宵闇の強大な力が、ハイドの応用力をふんだんに削っており、必殺の組み合わせを確かに殺していたのだ。
そして同様の力でしか宵闇を押さえられないハイドは、闇支配を維持し続けねばならない。
そこから一つ、発覚した事実があった。
それは別の力にハイドが対応しなければならない場合、
宵闇の猛威は取り戻されるということ。
──無音世界
空蝉が展開した死音の技に、ハイドが"虚理使い"を使ってラボの端まで離れた。
放とうとしていた歪曲音の、有効射程外。
代わりに放った空蝉の心音撃は、ハイドの音支配により相殺される。
これ以上は消費が激しいため、空蝉は無音世界を取りやめる。宵闇の黒が一度勢力を増し、また衰える。
「流石だ、空蝉ッ……!」
ハイドの声から初めて平静が失われていた。
干渉拒否でハイドに触れた空蝉は、時間泥棒を手にした。
その時捨てた能力は、"干渉拒否"
そこから弦気の時間を奪うことで、再び干渉拒否を手にしたのである。
つまり今、空蝉の手元にある能力は。
時間泥棒。干渉拒否。
──音支配。
時間泥棒を奪った時点で、ハイドが干渉拒否の存在を考えずに必殺の一撃を放っていれば、空蝉は死んでいただろう。
勝つために必要な賭けを、空蝉は無理やり通した。
ハイドの口元が歪んでいく。
いつぶりになるか分からない危機。戦いの臨場感、異様な面子で驚異的な連携をしてみせた3人に、心が踊る。
──重い溜息
ミシミシと開発施設全体が、上からプレスされる。
宵闇が暗転でそれを避け、弦気と空蝉は干渉拒否で対応する。
「ッ!」
この干渉も凄まじい負荷だ。
弦気はいつもこの不快感に耐えているのかと、空蝉は彼の胆力に感心する。
干渉を拒否するという能力。それは精神への負荷が他の能力の比ではない。
鍛えられていない常人が使えば一撃で精神崩壊を起こす程の不快感であった。
辺り一面が平地になっていた。
邪魔な障害物を取り除くことで、ハイドは自分に有利な地形を作ったのである。
空蝉と弦気の周囲で闇と闇がぶつかり合う。
ハイドが溜息の力を使ったタイミングを狙い、宵闇は一気に支配力を取り戻していた。
宵闇がハイドに闇支配を使わせている間は、弦気と空蝉は時間泥棒だけを気にして動ける。
意図的に宵闇が辺りに散りばめた闇の衝突を遮蔽にして、弦気が駆けた。
それに合わせ、空蝉も別方向からハイドに向けて走り出す。時間泥棒の精神負荷を考えれば、安易に透過は使えない。
空蝉は時間を奪われても干渉拒否を盗られる心配はないが、弦気は違う。
彼が時間を奪われた時は、一巻の終わりだ。
『空蝉、奥に飛べ』
観測者の指示が耳に入り、空蝉は重力を拒否してハイドが虚理使いで退いたポイントに飛び込む。
しかし、その距離は縮まらない。
ハイドが虚理使いを維持しているためである。
勢力を取り戻した宵闇が黒の結界を今一度展開する。ハイドの虚理使いによる退避と、転移を妨げるための措置。これがないと話にならない。
闇の後ろに隠れ、接近する弦気にハイドは当然気づいている。自陣の闇の"暗視"が弦気を逆探知する。
ハイドが弦気を視界に納め、時間を奪おうとしたのと共に弦気が"暗転"する。
僅かに負荷を受けながら、弦気は空間を拒絶した。そしてハイドも"暗転"を行い、裂けた次元から発生した衝撃波を躱す。
"暗転"した先に、観測者の予知で動いた空蝉がいた。
──無音世界
空蝉が狙うのは、歪曲音。
それさえ通せば戦いは終わる。
ハイドはまた虚理使いでその射程から逃れた。辺りを大きく覆う黒のカーテンが退避の距離を縮めている。
月明かりが漏れ、唯一闇が薄い頭上にハイドは飛べない。
虚理使いは行動できる範囲でしか距離を管理できなかった。
虚理使いを展開し続ければ宵闇が手をつけられなくなる。弦気から時間を奪い切る前に、圧倒的な闇がハイドを襲う結末が見える。
ハイドの額を一筋の汗が伝った。
なぜ空蝉に裏を掻かれ、時間泥棒をストックされたのか。その答えはすぐに出る。
──観測者がいる。
先程も暗転の移動先が読まれていた。
宵闇に位置を把握され、視界の妨害を先打ちされることはあっても、他の者がそれに合わせて動くのはありえない。
超精度の未来算出があったのだ。
夢咲愛花が来ていることはハイドも知っていたが、その行動までは予測できなかった。
宵闇との戦闘が始まった時点で他の能力がほとんど使えなくなったため、感知が疎かになってしまったこともある。
皆が皆、ハイドを殺すために命を賭けている状況。
「お望み通り止めてやるよ! ハイド!」
空蝉の叫び声が暗闇の向こうから響く。
「ハハ……ハハハハ!」
ハイドは笑った。
もし止められる者がいるのなら、ハイドは自分の野望が潰えても仕方ないと思っている。
まさか空蝉がそれに気付いていたとは、思いもしない。
そして、あえて残していた小さな希望の数々を、彼が全て拾い上げ、一つにしている。
しかし"ハイド"に止まる気はない。
甘さは唯一残している良心であった。
今か、過去か。何時にしても、もし自分を止められる者が現れるのなら、彼らの手によって作られる未来こそが真なのだろうと。
その余地を自分でわざわざ残していたのは滑稽な話である。
誰も不幸であってはならないというかつての想いと、目的のために付けたハイドという仮面。
果たして彼らが本当に自分を止められるのかどうか、全力で試してみるのも、ハイドの仮面だ。
「オオオオオオォォォ!!」
闇の向こうから弦気が咆哮する。少し遅れて空蝉が接近してきているのも"視える"。
それにはハイドに虚理使いへの切り替えを何度も促し、宵闇の援護を強化させようという狙いがあった。
戦いは平行線を辿るが、観測者と空蝉が連携しているのなら、最終的に隙を与えてしまう可能性もある。
「お前達は後回しだ」
"暗転"であれば、ハイドは黒のカーテンの外に出られる。
姿を消したハイドに、弦気が目を見開き、空蝉が背後に振り返った。
宵闇は既にハイドを追っている。
「おい宵闇ッ……! 行くな!!」
「くそっ!」
そうさせないために攻撃の手を緩めてはならなかった。
暗転は宵闇しか阻止できない。
観測者の存在が把握される前に宵闇の勢力をより多く取り戻させなければならなかったのだ。
闇の標的が観測者に変わる。
開発施設から少し離れた路地にいた観測者の首元に黒が這っていた。
「クソ、静詰……!」
暗転で駆けつけた宵闇が、それを両手で引き剥がす。
体が一人でに動いていた。
我を忘れ、彼女の喉元に食い込む黒を両手でひたすら退けていく。
「……悪手。それは悪手だぞ、宵闇」
背後から聞こえる声も彼の耳には入らない。
しかし時間を奪われることで、ようやく宵闇は正気を取り戻した。
奪われ続ける時間。
ハイドには振り返らず、宵闇は小さな黒の結界を観測者と自分を守るように展開するが。
すぐさま、その結界の上を覆うようにハイドの黒が押し付けられる。
観測者の首元を自分の黒で洗い流しながら、宵闇は必死の形相でそれを相殺した。
「宵闇……、なんてことを……」
彼女が悲痛な声を響かせた。
頭上からは大量の闇が勢い良く降り注ぐ。
それを押さえつける宵闇に余力は無い。
ハイドが彼女の支援に気づくのがあまりに早すぎた。
そしてこうなった時、宵闇は彼女を見捨てなければならなかったのだ。
彼女無しでも勝ちの目はある。
しかし、一人でに動く体を、人は止められはしない。また彼女を失われるのをただ見ていることなど、宵闇にはできなかったのだ。
宵闇の黒が押される。暗転はできない。周囲の闇が全てハイドに従っている。
移動した距離から逆算しても、弦気と空蝉は間に合わないだろう。
それを悟り、宵闇は目を瞑る。
頬には汗が伝っていた。
「私は……協力したつもりが、足を引っ張ってしまった。なぜだ……お前は、私をただの記憶だと言ったじゃないか……!」
「……すまん……、静詰……」
宵闇が流した一筋の涙を見て、観測者──静詰が息を呑む。
小さく息を吐き出し、伸ばした手で優しく宵闇の涙を掬う。
「…………でも、嬉しいよ」
静詰の両手がそっと宵闇の背を抱く。
瞳からは涙が溢れる。最後にその愛を感じられただけで、彼女は全て投げ出しても良いと思ってしまったのだ。
「俺はまた……お前を、死なせる……!」
「でも今度は、間に合ったじゃないか……」
宵闇もきつく、きつく彼女を抱きしめる、
「……静詰、すまない……、すまない……!」
そうして。
二人は降り注ぐ闇に呑まれた。
闇が消える。
否、宵闇の黒が全てハイドの支配下に置かれた。
「全区画の電力を開発区画の照明に回してください!」
中央監視課のモニターから状況を見守っていた一ノ瀬が声を上げた。
まさか宵闇が脱落してしまうとは思いもしない。ひとまず、ハイドの闇支配を少しでも妨げるために光が必要だった。
そしてハイドの弱点が発覚しても、結局"時間泥棒"には干渉拒否を持つ弦気と空蝉しか対応できない。一ノ瀬が隊員を引き連れて出ても、壁にすらならないだろう。
街の電力が基地の大照明に回され、一気に点灯する。
ハイドの闇が勢力を失うが、これは一時的なもの。ただの時間稼ぎにしかならない。
基地の照明、街灯はいずれハイドに破壊される。
弦気と空蝉が、それまでにハイドを討ってくれることを、一ノ瀬は祈るしかない。
空蝉と弦気が通りを走る。
戦いの場は開発施設北部の工業地帯に移されていた。
一ノ瀬の機転で闇支配の力が半減している。
それでも宵闇を失ったことで、戦況は大きく劣勢に傾いた。
「壁か地面だ! 退避しつつ押していく!」
「でもそれじゃあ……!」
空蝉が叫び、弦気が嘆く。
ハイドが暗転によって正面に現れ、二人の時間を同時に奪おうとする。空蝉は干渉拒否を使いながら時間泥棒で対応することもできるが、その際にかかる負荷はきっと計り知れない。
弦気が一足先に地面に抜け、壁沿いを保っていた空蝉は工場の外壁に飛び込む。
凄まじい負荷。あらゆる干渉が空蝉に掛かる。
そんな中でどの干渉を受け入れれば自在に動けるのかを咄嗟に判断し、試していく。
もはやどうにかして歪曲音を通すしか二人に勝ち目はない。
しかしそれは当然ハイドに警戒されている。簡単に通せはしないだろう。
宵闇亡き今、ハイドに後退の意味はなくなっていた。彼はここで弦気と空蝉を確実に殺すつもりでいる。
バリン。二人が退避している間にハイドが付近の街灯を一斉に割り、闇が力を強めた。
「ハアッ……! ハアッ……!」
──無音世界。
空蝉が展開したそれにより、ハイドが能力を音支配に切り替える。
闇支配に抗う方法は、もうこれしかない。
壁の内側から空蝉がハイドに近づくが、すでに距離をとられている。そして闇支配の再展開。
襲ってくる闇から逃げる。間を置かなければ、これ以上の負荷を空蝉は拒否しきれない。
建物を挟み、少し離れた所に出た弦気が足を止めていた。
「何してる、弦気! 戦え!」
闇を避けるため、工場地帯を駆け回る空蝉が怒号をあげた。
闇支配に対処が追い付かない。
攻勢に出ても時間泥棒の負荷が凄まじく、それを受けつつ進もうとしてもハイドには虚理使いがある。
詰んでいる。
それを悟った弦気は深く息を吐き出した。
八方塞がりになって、自害という結論を出した風人の気持ちが今なら分かる。
「空蝉、一度退こう」
「あァ!? 何言ってやがる! もう今しかねぇだろ!」
「いいからッ!」
「チッ! 何か策があるんだろうな!?」
声を上げながら後退していく空蝉。
そして、弦気は壁を透過し、ハイドの正面に出た。
「ハァ!?」
空蝉が驚愕の声を上げた。
ドクン。ハイドの能力が弦気を襲う。
何度目になるか分からない負荷。
それに耐えながら、弦気は最終手段に手を掛ける。
成功するかどうかも分からない。仮に成功したとしても、弦気は死ぬかもしれない。
命を賭けるのと捨てるのでは全く意味が変わってくる。
死ねば、決戦の前に抱いた決意も無に帰る。
死んでいった者達のために生きられなくなる。
だが、ここでハイドを倒せないのはそれ以前の問題だ。
干渉拒否の奥義。
弦気はハイドの姿を確かに捉える。
「ッ!」
ハイドの第六感が働いていた。
これを受ければ死ぬと。
そうして弦気は。
──"視界を拒絶"した。
バクン。弦気の視界に入っていた全てが、消える。
扇状の"無"が生まれ、そちらに勢い良く空気が崩れ込み、衝撃波が発生する。
それをなんとか拒絶しながら弦気は顔を覆う。両の目は失われたが、弦気は生きていた。
ハイドが、そんな彼の後方に降り立つ。
弦気の無策な出現に合わせ、その場に煙の乖離分身を置き、ハイド自身は時間の濃縮による高速移動で回避していたのだ。
「あぁ……、駄目だったのか」
「惜しかったがな」
ハイドが弦気を見下ろす。
時間泥棒の負荷を、弦気は残った力で拒絶する。弦気はそうすることで精一杯で、もう逃げることはできなかった。
弦気に騙された空蝉が急いで通りに戻って来ていた。
ハイドは気にも止めない。
距離を詰めて無音世界を発動してきたとしても、歪曲音が放たれるまでに、弦気の時間を奪えるからだ。満身創痍の弦気の拒絶は、数秒も持たないだろう。
干渉拒否を手にすれば、もう歪曲音も意味を為さない。
ハイドの敵はこの世から完全に消える。
「ッ……!」
それでも空蝉は駆け出して、無音世界を展開した。
世界から音が消える。
ハイドは退かない。心音撃を撃っても相殺されるだけ。近づいて、歪曲音を狙うしかない。
(クソ、間に合わねぇ……!)
空蝉が顔を歪める。
暗闇の世界の中、弦気は自嘲気味に笑った。
──俺もお前のことは言えないな、風人。
精神力が切れる間際、弦気は──
自らの"生"を、拒んだ。
「…………ッ!?」
ハイドが目を見開く。
時間を奪おうとしていた対象が、唐突に消えたのだ。
一瞬にして絶命した弦気の体がその場に倒れる。
背後に迫る空蝉が、歪曲音の射程圏内に踏み入る。
干渉拒否を手に入れたいという欲が、弦気が自ら命を断つ可能性を考慮させなかった。
それで致命的な隙が生まれた。能力を切り替えている暇はない。
時間を濃縮させれば、暗転がまだ間に合う。
歪曲音は、回避できる。
首を回して視界に入れていた空蝉に、時間泥棒の負荷を与えながら、ハイドはそこまでの思考を終える。
その時。
ふいに、ハイドは首を横に向けた。
「……〜ッ!」
それはいわゆる"余所見"
この状況においては、絶対にあってはならない愚行。
視線の先の路地にいたのは一人の少女。
彼女の名前はロール。
激怒に狂う、捨て猫のロールだ。
そして彼女には、意識を引き寄せるという、囮以外には使い物にならない能力があった。
──歪曲音
ハイドの能力が、掻き消える。
「あと、頼む……」
歪曲音の維持をそのままに、精根尽き果てた空蝉がその場に崩れる。
「がああああああああぁぁぁ!!!」
飛びついた猛獣が、あっさりとハイドの首を捩じ切った。
次話が最終話になります。




