望む世界
闇夜の通りを行く2つの影。
静謐な怒気を纏いながら進む宵闇の後を、決戦には場違いな少女、夢咲愛花が追う。
本来なら作戦に愛花が参加することはなかった。
高度な感知能力があるとはいえ、身を守る力がない彼女はいざと言う時、作戦の重荷になる。
にもかかわらず愛花がここにいるのは、彼女が強く願い出たからである。
弦気の反対を押し切ることにはなったが、今となっては同行させて正解であったことを認めなければならない。
死音の離脱をいち早く感知したのは他ならぬ彼女であった。
発覚が遅れれば死音に場を乱され、何もかも手遅れになっていただろう。
「……」
開発施設に向け、通りを進む二人に依然として会話は無い。
観測者の一部が移された愛花に宵闇が聞きたいことは山程ある。しかし御堂弦気との合流の後も、宵闇は解消せねばならない問題を話す気にはなれなかった。
御堂龍帥に護衛されていた頃の愛花と宵闇が顔を合わせたのは、5年前のことである。
彼女は特別な能力を持って生まれ、その力を欲するあらゆる組織から狙われる存在だった。
そして、棺屋から愛花抹消の依頼を流された宵闇は、私情ゆえに彼女の殺害を諦めたのだ。
そして、殺そうとした事実が今もなお宵闇を苦しめる。親元を離れざるを得なくなり、それでも常に悪意に晒されてきた愛花の人生は、あまりにも酷い。
その顔を見ると、彼女を殺そうとした時に生じた罪悪感が蘇る。自分が楽になりたいがためにまた彼女に負担を強いることは、今の宵闇にはできなかった。
ハイドを殺して全て納得するしかない。
最後の殺しを遂行したその後のことは、何もかもどうでもいいことだ。
冷静ではないことも、自分勝手であることも、宵闇は分かっている。
それでも、ハイドに近づけば近づくほど煮えたぎってくるこの怒りを鎮めることはどうしても難しかった。
愛花の色素を失った髪が揺れる。動揺も見て取れた。
宵闇は声を掛けるか考えて、止める。彼女と話すことは何もない。
それが怒りの中で守れる唯一の義理。
「…………フー」
"暗視"により、死音の行く末を見守った宵闇は、静かに息を吐き出す。
また一人、自分を知る人間が消えた。
そして宵闇は、死音を変えることができなかったことを悔やむ。
彼に施した全てが裏目に出てしまった。
力を与え、身を護る術を授ければ、少しは死に怯えずとも良くなるだろうと考えていたのが、より深い闇へと落とす結果となったのである。
自分の行いに対して良かったと思えることはもう有り得ないのだろう。
罪を負いすぎた。
そろそろ、ハイドにも近い。振り返り、愛花に付近に隠れていろと命じようとした時、彼女もまた足を止めていた。
「……宵闇さん」
目が合い、言葉を発する愛花。
宵闇は彼女の言葉を待った。
「今のハイドの力は、私の能力開発で強化されたものです。まさか、こんなになるなんて。
……私の、せいです」
動揺と緊張を愛花から感じる。
震えるその声は、全てを諦めた……否、これから死ぬことを早計にも覚悟しているようだった。
時間泥棒の、宵闇すら知り得なかった異次元の暴力。
それは能力開発の実験台となっていた愛花が、結果的にハイドにもたらすこととなった力。
能力強化があったこと自体は周知の事実であり、誰もが言わずとも警戒していたことである。
それがここまでの効力を得ていたことを予測することは不可能だった。愛花が気に病む必要はどこにも無い。
何も言わなければ彼女を慰めることはできないが、それで良かった。
自分の行いは全て欺瞞なのだ。
宵闇は隠れられそうな場所を指差し、背を向ける。
「こんな私が……ここまで生きられたのは……宵闇さんがあの時、殺さないでくれたから……。感謝、しています」
言葉の続きを聞いて、宵闇は違和感に気づく。再度振り返ってみると、愛花は泣いていた。
「こうして、涙を流せるようになったのは……弦気さんのおかげ……。弦気さんに、よろしく伝えてください」
「……よせ」
何をする気なのか。それを悟った宵闇は思わず声を発した。
愛花はふるふると首を横に振る。
「……能力開発の実験で、私も、いつまで生きられるか分からない体なんです。体中が、ずっと痛くて、もう痛み止めも効かない。
戦いの役にも立てない……。
……だから、静詰さんと変わります」
静詰。
その言葉を聞き、宵闇は目を見開いた。
それは、宵闇の恋人だった女の名前だ。
またの名を観測者。宵闇が抱く怒りの根源となる女の名前。
「やめろ……! お前の中にあるのは情報でしかない!」
記憶領域の優先順位を変えれば、夢咲愛花の自我は消えてしまう。
つまり、死ぬ。生まれてからずっと虐げられてきた彼女が自らそれを選ぶなど、あってはならないことだった。
宵闇は愛花の意識を奪うべく、咄嗟に闇を這わせる。
愛花は微笑んでいた。そしてその笑みが消え、瞳から光が失せる。
「……ああ、ここか。愛花、すまない……。私のために」
彼女の声色が変わる。
遅かった。
「闇を退けてくれ」
「静詰……」
闇が退いていく。
観測者の人格を帯びた夢咲愛花の手が、そっと頬の涙に触れる。
「何も言うな。……私は記憶の断片、今話をしてもそれは虚だ。どうか、すべきことだけしてくれ、宵闇」
突き放すような言葉に、宵闇は目を瞑った。
「……なぜだ。分かっていたんだろう。夢咲愛花がこうすることは。なぜなんだ。今のお前に何ができる」
「……全て終わった後、お前に仮初の別れくらいは告げられる。
私も結局、……悪だと言うことだ」
「……そんなことのために、夢咲愛花の命を?」
聞いてはならぬことを聞く。
こんな形での再会など、宵闇は望んでいなかった。彼女の死を永遠に一人で悼み続けることをすでに覚悟していたのだ。
それが最悪の形で否定され、宵闇はどうしようもない悲しみを感じていた。
「……そんなこと、だって?
私にとっては何より大事なことなんだ。
……いいじゃないか。私だって、些細な望みすら叶えられずに死ぬのは……辛いよ……」
「…………」
苦悶の声を聞き、宵闇は何も言えなくなる。
彼女を責められはしない。守れなかったのは宵闇なのだ。
「……これからハイドを殺す。静詰、お前の仇を討つ。そばで見届けてくれ」
ーーー
中央監視課の扉が如月紋亥の手によって勢いよく開かれる。
部屋に押し入った彼はモニターを一度見回し、状況を確認した後、一ノ瀬を睨みつけた。
「なぜワシの軍を動かしている! 一ノ瀬!」
「おや、如月大将。起きてしまいましたか。もう無理をなさる歳でもないでしょうに」
時刻は深夜2時。
ハイドと宵闇達の決着に備えて、寝静まっていた人員を叩き起こした結果、如月大将をも動かすことになってしまった。
「気でも触れたか一ノ瀬! 残党共をこのセントセリアに忍び込ませ……、酒井を殺すだと!? 訳がわからん! 何をしているか分かっているのか!?」
予定調和でもあるが、如月の剣幕に一ノ瀬は溜息を吐いた。
軍議承認無しの作戦に、すでに一ノ瀬は多くの人員から賛同を得ている。
これまで一ノ瀬が取ってきた行動の正しさが彼らを信じさせたのだ。これも乱心ではなく、正義に基づく行動なのだと。時間帯的に緊急事態となっていることも功を奏していた。
これが真昼であったのなら、対立関係はもっと複雑になっていただろう。
「こんなことが露見すればメディアは何と報じるか……!」
「如月大将、あなたは何も見えていない。保守に徹し、変わることを恐れ、民の支持に囚われているがために、私の話を聞いても状況を飲み込めない。
あなたが酒井大将と対立しているのは、自衛軍の権威……いや、自分の威光を守るためですか?」
「なんだと……?」
「まあなんにせよ、私を止めたいなら受けて立ちましょう。説得でどうにかなると思ってここへ来たのでしょうが、私はこの行動の結果、自衛軍が何分されようが構わないんですよ」
このように、大将同士ですらお互いを信じられていない。一ノ瀬は自分の全ての言動が信頼に値するように働いてきたが、如月大将にはそれが届いていないらしい。こちらの提示した情報を精査せずに最初から疑ってかかるなど、組織として致命的だ。
志す正義の違いと言ってしまえばそれまでだが、その事実はこの上なく腹立たしい。
ビリと、一ノ瀬の気迫に空気が張り詰める。
中央監視課の能力者達が戦々恐々と二人の衝突を見守る。
「……ふざけたことを!」
そう言って荒々しく部屋を出ていく如月を、一ノ瀬は見送る。
「いいんですか?」
一ノ瀬の隣に立つ葉月が尋ねてくる。
「あれはひとまず揉み消すための根回しに出たんですよ。
どの道あの人は何もできません。私と衝突しても、軍の崩壊が早まるだけ。ああ見えて部下は大切にする方だから、半端な人数を動かして無駄死にさせることもないでしょう。
これで時間は稼げました」
彼らがハイドを殺せなければ──最低でも追い詰められなければ、最悪の結末が待っている。
自衛軍は、あの男のことを何も知らないのだ。
悪党に運命が委ねられていた。
ーーー
「宵闇、いるんだろう?」
ハイドが闇に問うてくる。
セントセリア、中央開発施設。
空蝉と一ノ瀬の采配により、周囲にほとんど人気はない。
死音の音支配によりこちらの様子を伺っているのだろうが、無駄だ。闇に身を隠せば、音の感知すら届かなくなる。
「殺しに来ておいて、逆に待ち構えるとはな」
抉じ開けられた自動ドアを潜り、ハイドは真っ暗な施設の内部に足を踏み入れる。
その瞬間、宵闇は施設から半径100m程の範囲を"黒"で覆った。
詩道の能力や、転移による脱出に対する先手。
闇の中でハイドが笑みを浮かべている。
広い範囲を覆わねばならないのは、ハイドの能力に対応するために、こちらもある程度の距離が必要だからである。
「しかし久しぶりだ。俺が観測者を殺した時以来だな」
その程度の挑発で我を失う程、宵闇の感情は単純ではない。
ゆっくりと怒りを嚥下し、問いを投げる。
「非道に疲れないか、ハイド」
純粋な悪ではない人間が、悪に徹することは難しい。
宵闇も、Anonymousという組織に属していた頃は、一人のために他の罪のない人間を殺すことに躊躇しなかった。
それで己を傷つけていると気づかぬ内は良い。しかし、一度気づいてしまえばそこで打ち止めなのだ。
どんな崇高な目的があれど、迷いが生まれる。
ハイドが迷わず非道を重ねられる狂人であるのなら、この問答に意味はない。
「時にはな」
ハイドが軽々しく答え、宵闇は歯を強く噛み合わせた。
「なら、静詰に死んで詫びる気はあるか」
「いいや。彼女に関しては目的に必要な犠牲だった。
あいつは……少し頭が回りすぎたのでな。何度邪魔されたか分からない。脳だけで管理するくらいが丁度良かった」
「…………」
「なあ宵闇、平等を願う俺の力が、時間という唯一の平等を迫害する力なのは、皮肉が効いていると思わないか?
受け入れるのには時間がかかったものだ」
施設内を警戒することなく歩き回りながら、ハイドが言う。
もう少しで遅れている御堂弦気がここへやって来るはずだ。始めるには、頃合いのタイミングだろう。
「今のお前はどうだ?」
ハイドが続ける。
「…………」
「闇の力を、自分の一部として受け入れられているか?」
「その問いになんの意味がある」
「お前の生死に深く関わることだからだよ、宵闇」
ざわり、闇が蠢く。
宵闇は目を見開いていた。
黒の干渉。もう一つの闇支配。
それは、かつての抗争で奪われた時間を、ハイドがまだ有していたことを意味する。
つまり。これからハイドによって振るわれるのは──
──全盛期の宵闇の力。
「始めようか」
黒が宵闇を襲う。




