死の天秤
「ホントに、ずっと会いたかった……」
弦気の体を大橋がきつく抱きしめる。そんな彼女をそっと抱きしめ、弦気は目を瞑っていた。
場を移し、俺達は大橋瞳を勾留していた部屋に来ていた。
二人の再会など見たくもなかったが、弦気と合流を経て用済みになってしまった彼女の処遇については考えなければならない。
ロールから貰ったコーヒーを飲み、なるべく弦気の顔を見ないようにすれば俺も大分平静を保てるようになっていた。
「怪我は……無さそうだな。無事で良かった、瞳」
「そんなの、私のセリフだよっ……!」
弦気は少しも無事ではないのに能天気な女だ。様子からして、こいつは弦気の事情については知らないらしい。
終始不安そうにしてる夢咲愛花だけは知っていたのだろう。彼女は高度な感知能力も持ち合わせているため、隠し事は難しそうだ。
弦気が大橋に状況を話してる間に、部屋には棺屋もやってきた。
この2日、彼とはあまり接してこなかったが、弦気の合流に合わせて話をすることは決めていたので折を見たのだろう。
彼との合流は宵闇さんからの打診によるもの。協力的な姿勢は、ボスの一斉掃討により動きにくくなっているからだ。
半純粋な戦闘狂である空蝉さんとは違い、彼は理性的な戦闘狂。
しかし弦気に加え、棺屋に大橋。部屋は見るだけで煩わしい奴ばかりになったな。
「で、どうするんだよそのクズ」
涙で顔をボロボロにしている大橋を見てセンはかなり不機嫌そうだった。弦気の能力を売って以来、センは彼女を嫌っている。
じきに宵闇さんが帰って来るはず。それまでに話し合えることと言えばそれくらいなので、よく切り出してくれたと俺は思った。
ロールや空蝉さんに当たってしまったことで俺は少し発言しにくい。それに、弦気とはなるべく間接的に話した方が良いというひとまずの結論が俺の中では出ていた。
「瞳にはここにいてもらう」
センの言葉に弦気が答える。
妥当な線だ。今更家に帰すにしても手段が無い。
自衛軍に保護させる手もあるが、大橋は全く信用ならない。弦気を守るためにこちらの情報を吐いて結局弦気にも害を為すタイプのクソ女だ。
「弦気、私も戦える」
その上世迷言もほざくと来た。刺し違えるだけの能力しかないこいつは作戦に必要ない。
自衛軍相手では能力も完全に筒抜けなので自爆覚悟で特攻させることもできないだろう。
ピンクで染まりきった頭の中に、俺への復讐心があるのも問題だった。許すなどとのたまう弦気とは違い、俺への殺意をむき出しにしているこいつは確実に始末するリストに入れている。
ことに乗じるか、ことが終わってから済ませるか、まあそれはどちらでもいい。
「瞳はここにいてくれ」
しばらく考え込んでいた弦気が言った。
「どうして……? 私、何でもするよ」
「足手まといだって言ってんだろ。察しろよ」
センが皆まで言って、大橋は黙った。
弦気が軽くセンを睨みつけるが、彼女は一切気にしていない。
「セン」
しかしロールが一言そう言っただけで舌打ちをしてセンは下がる。
部屋の対角で静かに睨み合う空蝉さんと棺屋に俺だけが挟まれる形となった。快楽主義でぶつかり合うこの二人の組み合わせは中々に厄介かもしれない。
そんなことを考えていると、丁度アパートの階段を誰かが上がってくる音が聞こえてきた。
足音は近づき、やがて部屋の扉が開く。宵闇さんだ。
「お、主将が帰ってきたか」
部屋に入ってきた宵闇さんは部屋の中の面子をグルっと一周見回し、最後夢咲愛花を長く見つめ、そのまま廊下の壁に背を預ける。
この様子だと外は問題無かったのだろう。雰囲気的に俺を咎める感じでもないのでホッとする。
部屋には沈黙が訪れた。
弦気も宵闇さんの威圧感に気圧されているのか、誰かが話し始めるのを待っているようだった。
無理もない。弦気の父、御堂龍帥の全盛期、唯一互角以上に戦えたのが宵闇さんだ。
そのことを弦気が知らないはずはない。
「それで、どうする」
宵闇さんが端的に話を促してくる。
まだまとまりの無い考えを俺が話し出すか迷っていると、弦気が口を開いた。
「一ノ瀬大将がセントセリアに入る手引きを済ませてくれている。街の内部構造は……まあ必要ないかもしれないが、俺と愛花が纏めたものを用意した。ハイドの位置だけが分からないからそこをどうするか、ってところだ」
夢咲愛花が地面に街の地図を広げた。
手書きだがかなり詳細を追ったもので、警らの時間帯傾向や数まで記されている。
「これは……今からでも乗り込めそうね」
ロールがこちらで用意していた拙いマップと見比べながら感嘆する。
こうなると弦気を受け入れて正解だったと認めざるを得ない。
セントセリアにも配備されていた弦気だから土地勘はあるだろうと踏んでいたが、既にここまで用意しているとは。
俺のマッピングと指揮による負担がかなり減る。警備の配置についてはボスが大きく変えている可能性が高いので信用する気はなかった。
「一ノ瀬と会ったのか」
宵闇さんが尋ねて、弦気が頷く。
「この拠点に来た後、俺のところにも来て少し話した。ここしばらくの逃亡生活も、彼の援護が無ければここまでたどり着けなかった。
父の部隊に所属してた経歴もあって小さい頃から良くしてもらっていたから、信用もできる」
つまりこまめに連絡を取り合っていたのか。
それは自衛軍の網をかいくぐって秘密裏に連絡を取り合う手段もあるということ。
それなら弦気の落ち着き様にも納得がいく。
喫茶店での騒ぎがあってもそれを問題視しない冷静な態度は、弦気の中で次の動きが明確化されていたからだ。
宵闇さんが事後処理をしたが、負傷した弦気を目撃した者もいるだろう。
そうなればむしろそれがデコイとなって……。
「動くなら今だ」
ボスの裏をかけるかもしれない。
弦気の言葉で場に緊張が走る。いいや、誰も大体は覚悟が決まってた。
それをこのタイミングで顕にしただけだ。
「それはそうだろうよ。こんな気が滅入るだけのアパートにあと何日も滞在する気はねえ。
それで、肝心のハイドの居場所はどう掴む?」
棺屋の発言でまた沈黙が訪れる。
それが難題だ。ボス単体を感知しようと能力を使えば逆にこちらの位置を把握される可能性が高いので、俺は名乗りをあげなかった。
味方の位置と付近の状況くらいなら訳ないが、それを行うとなると規模が大きすぎる。
自衛軍総本山の街、セントセリアに配備されている大将は四人。そのうちの一人が一ノ瀬であり、もう一人は酒井の名を騙るボス。
如月大将は活動的だが実権を握りつつあるボスとは対立しているのがニュースでよく流れているし、天井峰大将も千薬さんとの一戦でほとんど隠居状態だと言う。
潜入がバレたら勿論奴らも駆けつけてくるだろうが、このメンバーならそうならないように動ける。
一ノ瀬大将が段取りを進めていたというのがデカい。弦気と合流してその後になる予定だったので、ボスがまだ軍を手中に収めきっていない今なら、暗殺もそう難しくないかもしれない。
しかしそれはボスの位置が一方的に把握できた場合の話。
「手探りしかないんじゃないか。それか死音頼みだな。宵闇の"暗視"でもいいが、セントセリアの広さじゃ効率が悪そうだ」
空蝉さんの名指しに俺は顔を顰める。
「……感知で挑めばてっとり早いですけど、それでボスを殺せたとしても脱出が困難になりますよ」
「そこはなんとかするしかねぇだろ」
そんな曖昧な要望で重荷を背負うのはごめんだ。
言い返そうと口を開きかけた所で、宵闇さんが途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
「死音、感知は……様子を見ながらやれ。死音には任せきらず、全員で目ぼしい場所を探る。
ハイドの位置が分かり次第、合流。ことを済ませ、俺が暗転で、逃がす。……そこからは分散して逃げればいい」
「……分かりました」
宵闇さんの命令ならやるしかない。
しかし、そうなれば俺達はもう会うこともないだろうな。
ボスの暗殺が済めば固まって行動する必要はない。追手の的を分散するのは最善の策だ。
「まあベストだが、そんな余力が残ってるかどうかだろ」
空蝉さんが肩を竦めて言った。
ボスに宵闇さんをぶつけるのが全員一致の意見なのは間違いない。宵闇さんもそれを望んでいる。
見つけられたと仮定して、次なる問題は短時間でボスを暗殺できるのかどうか。空蝉さんはその自信があるのかどうかを宵闇さんに聞いている。
宵闇さんの能力の都合上、周囲からの援護は難しい。一人を除いては。
丁度宵闇さんの視線もそちらに向いている。
「御堂弦気、俺と来い」
「適任だな」
棺屋が愉快げに笑った。
こいつは影に潜み、俺達の話を聞いていたから弦気や諸々の状況についての理解は深い。
「分かった。それがいいと思う」
弦気も反対することなく同意する。
観測者は俺と弦気にボスを殺せる見込みがあると言っていたが、俺はそんなリスクを背負いたくなどないし、歪曲音の射程範囲にすらできれば入りたくないのだ。
その点、ボスに対して憎しみも持つ弦気ならまさしく適任である。宵闇さんとあらゆる干渉も拒める弦気なら勝機も十分望める。
勿論、状況によってはやむを得ず俺も参戦しなければならないこともあるだろう。
最悪のケースはボスを殺せないことなので、その時は率先して動くつもりだ。
「セントセリアは……中将以下の層がかなり厚い。潜入がバレた時に備えての、引き付け役がいる……」
弦気から目を離した宵闇さんがそう続ける。
「引き受けるぜ。センと棺屋も来い」
空蝉さんが挙手し、棺屋とセンと指名した。
「命令するな、と言いたいところだが、いいぜ。まあ俺はその辺だろう」
棺屋も拒むことなくトントン拍子で話が進んでいく。センは悲鳴を上げ、頭を抱えていた。
「私も引き受ける」
「いいや、ロールは死音が感知に専念出来るよう補佐しとけ。もし不味い状況になったら死音を逃がせ。死音、その時はしっかりやれよ」
「……分かったわ」
「これでまとまったか?」
「ああ、あとはタイミングだ。いつにする」
空蝉さんと棺屋が立て続けに言い、宵闇さんが被せるように口を開いた。
「今夜だ。……闇が一番濃い時間にまた、声をかける」
今夜。
静寂の後、各々が頷く。
「……」
話がまとまった中、俺だけが眉をしかめていた。
作戦内容に不満は一切無い。十分すぎるくらい俺に配慮された作戦だ。
そしてそれが気に食わない訳でもない。
俺を襲う黒い感情は全く別のこと。
「……準備があるなら各自済ませておけ。死音、何か言いたいことがあるのか」
何か他に必要なことがあるか。
考えてみても思い付かない。頭にモヤがかかっているみたいだった。
「……いえ」
小さく首を横に振り、それを見て宵闇さんが部屋を出る。
合わせて棺屋、センも外へ出て、しばらく立ち尽くした後、俺もその後を追った。
ーーー
アパートの一階。雑草が好き放題伸びる誰にも手入れされない駐輪場で、一人佇む。
「…………」
俺が何も案を出さないまま、最後の作戦会議が終わった。
生死を分ける重要な話し合いが、俺無しで決められた。
昨日までは、ほとんど俺が決めていた。
誰も何も進めてくれないから、今後のことは俺が考えなければならないと思って、必死に考えてきた。ほとんど任せてくるのは、俺が一番生に執着していて、それで最善の策を思いつけるからだと思っていた。
だがそうではなかったのだ。誰も彼も、俺に気を遣っていただけ。
自分の中で最も納得できる選択を、選ばせてくれていただけ。腫れ物のように扱われていたんだ。
弦気も、人を殺すなとか条件を付け足して話をややこしくすると思っていたのに、違った。
宵闇さん達もあいつの意を汲んで極力の殺しは避けるのだろう。
空蝉さんも棺屋も己の欲を優先したりはしなかった。センだって、少し喚いて見せただけで文句は言わなかった。数多の疑問があるはずの大橋ですら黙って話を聞いていた。
誰もが譲歩していて、己の命を何より優先する俺だけが、何も言わないまま最も楽な役を任されたのだ。
……なぜそんなことを考える?
死ななければそれでいい。
Anonymousでもそうやって従ってきた。
弦気と会ったから、だろう。あいつが俺の感覚を鈍らせている。
死音になる前の俺を思い出させる。
「死音、ちょっといい?」
他人の接近に気づかないなんていつぶりだろうか。
いつのまにかロールが階段の踊り場から俺を見下ろしていた。
「そういえば……話があるとか言ってたな」
弦気と会う前にそんなことを言っていたのをすっかり忘れていた。
ロールが階段を降りて側までやってくる。
「うん」
「……なんだ?」
「あのさ……」
言いづらそうに口ごもるロール。
またろくでもないことを言う気がする。なのに不思議と怒りが湧いてこない。
「二人で逃げない……? 今から」
「…………」
それは考えた。
ロールのことは頭になかったが、宵闇さん達がセントセリアを荒らしている間に逃げ出せば、上手く姿をくらませるかもしれない。
「世界の果てでもいい、どこか遠くに行って、そこで二人で……」
「無理だ」
天秤に掛けてみたのだ。
そうやって生き延びられる可能性と、俺達に固執するボスを殺して得られる安心を。
「……無理なんだ、ロール」
逃げても、先の見通しがつかない。
どうなるかも分からないことは出来ない。
ずっと暗闇を前にして歩きたくない。
反して、ボスを殺せば先は明るい。
俺を執拗に追い回す者はいなくなる。Anonymousの肩書きを失った俺など、自衛軍にとっては取るに足らない。どうにかして生きていける。
死の恐怖に怯えながら生きていくのは、もう嫌だ。
「分かった」
望みの返事ができなかったのに、ロールの声は明るかった。
「死音についてく」




