二人の死情
少し空いた距離を弦気がゆっくりと詰めてくる。俺はその隣を歩く白髪の少女、夢咲愛花を一瞥した。
二週間以上に渡る逃避行だったはずだが、二人共身なりはしっかりとしている。
いや、身なりだけはと言うのが正しいか。
「ロールちゃんも、久しぶり」
「ええ」
俺の斜め後ろに立つロールに弦気は小さく笑みを送る。
あくまで敵意は見せない姿勢を貫くようだ。
再会によって復讐心が呼び覚まされたりしないかと内心少し期待していた自分がいたが、まあ、計画的にはこれでいい。
弦気は視線をこちらに戻してくる。
「だいぶ髪伸びたな」
「そっちはかなり……やつれてる」
身なりを整えて、笑顔を取り繕っても誤魔化せない。
目の下にはクマ。乾燥した肌に艶はなく、若干の小ジワも目立つ。
校内一の美男子とも言われた弦気の今の姿を、かつてのクラスメイト達が見たらきっと驚くことだろう。
「それはお互い様だろ」
「……そうだな」
ガラガラガラ。
どこかの店のシャッターが閉まる音が、寂れた商店街に響く。
「……ここじゃアレだし、どっか適当に店でも入ろうか」
「そうしよう」
弦気の同意を得て、俺達は商店街を離れることにした。
商店街から近い所で見つけた喫茶店に入った俺達は、俺と弦気、ロールと夢咲愛花でそれぞれ別々に座ることになった。
話す内容が内容だからと、弦気の提案だ。元々二人で話すつもりだったので、俺はその提案を受けた。
俺達はカウンター席、ロール達は二人掛けの窓際テーブル席に、それぞれ案内してもらう。
人気の少なそうな店を選んだので、俺達以外の客はチラホラといった感じだ。
テーブル席に座ったロールが心配そうな視線をこちらに向けてくるが、この組み合わせで不利なのは弦気の方。
万が一の時、ロールが夢咲愛花を人質を取れるからだ。
だが弦気はそれを分かっていて、あえて夢咲愛花を預ける形にしている。
まるで俺の心境を読んで、あえて怒らせるように仕向けているみたいだ。
俺を許している、というアピールをしつこいくらいにしてくる。
「お待たせしました」
「どうも」
席に着いてすぐに頼んだコーヒー二つが運ばれて来た。
それを少し啜って、少しの間続いていた沈黙を弦気が破る。
「確認だけど、瞳は無事なんだな?」
「ああ」
答え、また沈黙。
一之瀬大将が協力することになったとか。ボスのこととか。弦気が独自で掴んでいる情報はないのかとか。
今後のために話しておきたいことならいくらでもある。
しかし二人きりになった以上、そんな話ができる雰囲気ではなくなっていた。
俺達が話さないといけないのは……、いや、弦気が話して欲しいのはそんなことじゃない。
分かっているけど、こいつのご機嫌取りのために俺からそれを話すのに、ここへ来て躊躇を覚えている。プライドなど命と比べれば安いはずなのに。弦気に対してだけは、それを捨てきれない俺がいる。
でも話さなければならない。弦気と俺の確執は、協力関係を結ぶなら間違いなく今後の生死に関わる問題だ。
スゥと小さく息を吸う。
意を決して、ではなく、諦めて。
「弦気」
口を開く。
「本当に俺のこと、許したのか?」
お望みの本音に手を付ける。
弦気は静かに目を瞑った。
「許してない。絶対に許せない。でも……」
躊躇わず返ってきた重みのある言葉に、警戒を強めるのと同時に俺は安堵を感じていた。
弦気は俺を許していない。
それを知っただけで、腹に溜まっていたモヤモヤや、どうにもならなかった怒りが和らぐのを感じる。
俺は体を弦気の方へ向けた。
「俺を憎んでる……、殺したい、そうなんだろ……? なのにお前はこないだ電話で『違う』と言った。何が違うんだ? 何が"そうじゃない"んだ?
なんであの時、ごめんって謝ったんだよ。あれ、組めないから謝ったんじゃないだろ。
お前が俺に何を謝ることがあるんだ。なあ」
一度手を出せばもう溢れてくる。苛立ちが、疑問が。
弦気はコーヒーにまた口をつけて、カップを置いた。
「俺の話、聞けよ」
「…………」
弦気の疲れたような声に、思わず押し黙る。
「俺は風人を……、許したいと思ってる。そして俺も、許されたい」
弦気は正面を向いたまま言った。
こいつは俺に何を許して欲しいんだ。分からない。
俺が発現した日、手を差し伸べてくれなかったことか?
そんなもの、今更関係ない。俺の選択だ。全部俺が悪い。許すことなんて何もない。だから謝罪を受ける筋合いなどない。
「俺は風人と……親友に戻りたいと思ってる」
そんな勝手な言葉を押し付けられて、またあの時のような激情が呼び起こされそうになった。
ギリと歯を鳴らし、カウンターの上に置いていた左手を強く握る。
額を歪ませ、憤怒の感情を必死に抑え込めた。
戻るなんてもう出来ないだろ。
他愛もない話で笑い合う未来の俺達なんて、想像できやしない。だってそこには凛がいないから。
歳をとっても昔話に興じることはできない。その時凛を思い出すことになるから。
親友には戻れない。何があっても。
「風人を救いたい。だから俺がいつまでも怒りや憎しみなんて無益な感情に囚えられていたら駄目だ」
ふざけるな。
怒鳴りそうになって、俺は深く息を吐いた。
駄目だ、落ち着け。
俺の方こそ、何を怒ることがあるんだ。
空気読んで適当に聞き流して、弦気をすっきりさせるようなことだけ言っていればいいじゃないか。
「……救うって、何から救うって言うんだよ」
「悪に染まって生きていくしかないと思い込んでる、"死音"から」
「知ったふうな口利くな!」
バン。
カウンターテーブルに拳を打ち付ける。
店員や他の客の視線が集まるが関係なかった。
「そりゃあ簡単だろうな……。外からそんなふうに言うのは。俺が何を犠牲にして、どんな思いで今日まで生き抜いて来たかも知らずにな。
凛……、凛だってそうだ」
「やめろ」
ピクリ。弦気の指先が震える。俺から最低な言葉が紡がれるのを予見している。
それを察して、歓喜の感情が湧き上がってきた。
やっぱりお前は俺を憎んでいなければならない。勝手な偽善を押し付けてくるな。
「あいつも俺が犠牲にしたものの一つ。あいつと向かいあった時、こう思ったんだ」
「……やめろ。凛の話はするな」
「ここで殺さないと……決別しないと……、俺はこの先生きていけない、って。
だから殺した。俺が生きるために、あいつが死んでも構わないって、そう思ったんだよ!」
「やめろ!!」
怒号と共に弦気が胸ぐらを掴んでくる。
血走った目が俺の両目を鋭く見据えていた。
俺は行動に移そうとしたロールに手のひらを向けて制止する。
「凛の話はッ……するな……!」
襟首を捻り上げ、押し付けてくる。
俺の口元は自然と吊り上がっていった。
「ハハ……、俺を許したいんじゃないのか?
……まあ、無理だろうな……。俺が許されたいと思ってない。そして俺は変わらない。弦気、お前は一生俺を許せないよ。
反省しない。後悔もしてない。むしろお前の父親も……、凛も、殺して良かッ……!」
バチン。弦気の拳が眉間を捉え、俺は背後の椅子を越えて地面に転がった。
「弦気!」
ロールが夢咲愛花の髪を掴み、ガンとテーブルの上に押さえ付ける。
「ロールよせ、いい!」
俺は鼻を押さえながら体を起こし、再度ロールを制止した。
「痛い」
夢咲愛花が他人事のような声で呟く。
そちらには目もくれず、肩を上下させながら俺を見下ろす弦気を見て、気づく。
……そうか。ロールと夢咲愛花を一緒にした理由はこれか。
俺に対してまた憎しみが湧いても、ロールが夢咲愛花を人質に取ればそれが抑止力となる。
ナメた真似しやがって。
「でも……!」
「大丈夫だ」
言うと、ロールはしぶしぶといった表情で夢咲愛花を解放する。
鼻から流れ出す血を無造作に拭い、俺は両手を後ろに着いた。
「さあ。死なない程度に、気が済むまで殴っていいぞ。分かるよ。暴力はすっきりするよな」
「ッ!」
ああ、またこんな失態だ。宵闇さんもきっと"視てる"ことだろう。
だがこの本音での対話は弦気が望んだことだ。話は平行線を辿るだろうが、ここだけは俺も曲げるつもりはない。
喧嘩にしては尋常ならざる俺達の様子を見て、カウンターの向こうにいた店員が軍への通報を行おうとしていた。
その声を適当な言葉にすり替えて、阻止する。
これでイタズラ電話だと思うはずだ。
まあ、それでもあまり長居は出来なくなったんだが。
ギリと歯を食いしばる弦気を見ると、口元の歪みを抑えられない。
「無理するなって弦気。
ちょっと煽られただけでこれなのに、何が救いたい、許したいだよ。そんなもんなんだよ、お前は」
ヘラヘラとした笑みを浮べながら言ってやる。
弦気は瞳を閉じ、深く息を吐き出した。
短いようで長かった沈黙を経て、弦気は目を開いた。
「俺に憎まれようと必死だな」
「は……?」
訳のわからない言葉を受け、今度は表情が歪みそうになった。
「お前こそ無理するなよ」
どういう訳か落ち着きを取り戻した弦気は、蔑みの目を俺に向けてくる。
「今分かったよ。そうだ、許すことこそが風人に対する最大の復讐になるってこと。
だから俺はいつか風人を許すよ。どれだけ時間がかかったとしても。
風人に許してもらえなくても」
また悟りを開いたことを言い出す。
せっかく気分が良かったのに、この態度をとられると性懲りもなく怒りが湧いてくる。
俺はそれを悟られないよう、冷静を装って笑う。
「ハ、何言ってるんだ……? 何度も言ってるだろ。俺がお前を許すことなんて何もない。
お前に許されるかどうかも、そっちが勝手に色々考えてるだけでぶっちゃけどうでもいいんだよ」
「それは違う」
きっぱりと言い切る弦気に、眉を寄せる。
「風人お前、俺に憎まれることが救いになってるんだろ。
凛を殺したから俺に憎まれたいんだろ?
じゃなきゃお前、誰にも責められないことが辛いんだろ?
憎まれていた方が楽だから、俺に甘えてるんだ。
結局、いつも通り逃げてるだけなんだな」
「……はぁ? 何、言ってんだ?」
図星、ではない。
ないはずなのに、口ごもってしまった。
弦気は辛そうな顔をしながら、構わず続ける。
「ごめん。謝って済むことじゃないのは分かってる。
どうにもならないことだったって言い訳が通用しないことも分かってる。
でも謝らせてくれ。俺は風人に、許しを乞いたい」
「……だからなんで、だよ」
弦気の音が聞ける。
俺を拒まない。その心音は少しずつ加速していった。
「能力を先に発現させたことを……。自衛軍に入ったのを隠してたことを。お前を置き去りにして強くなったことを。
あの日手を差し伸べられなかったことを……!」
俺は。
そこで弦気から発せられる音を消した。
だが、最後の声が俺には届いてしまう。
──凛を奪ったことを!
「黙れ!!!」
声を張り上げるのと同時に、俺は音撃を放っていた。
爆音に伴う衝撃波が周囲のあらゆるものを巻き込んで、眼前にいた弦気を吹き飛ばす。
舞う土煙。
天井からパラパラと砂が落ちてくる。
すぐさま店内に反響した誰かの悲鳴を、消す。
「弦気さん!」
夢咲愛花が土煙の向こうへ駆けていき、ロールが無言で俺の腕をとった。
やがて土煙が晴れる。
吹き飛んだ瓦礫に巻き込まれ、血を流して倒れる数人の客にまぎれて、弦気も倒れていた。その側に夢咲愛花が両膝をついている。
「……なんで」
顔を押さえる。
弦気は能力を使わなかった。
干渉拒否を持ってすれば簡単に防げた攻撃だったはずだ。
そして何より腹立たしい事実に気づく。
俺は無意識に放った音撃を、手加減したのか……?
致命傷を負い、気を失ったようだが、弦気の心音はしっかりと脈打っていた。
「クソ、クソクソ……ッ! クソ!!」
片手で髪を掻きむしる。
「死音……」
ロールが俺の名を呼んだ時、半壊した喫茶店の扉が何者かによって雑に蹴り開けられた。
ぐしゃぐしゃになった髪をそのままに、視線を向ける。
そこから入ってきたのは、空蝉さんだ。
「ブハッ、こりゃあひでぇな」
空蝉さんは弦気の元まで歩いていく。
「あー、治すのに2日はかかるぞこれ」
そして気を失っている弦気の体を担ぎ上げ、俺を見た。
「ったく、頭に血が登るとお前も俺のこと言えないくらい馬鹿になるよなぁ」
「…………」
「ほら、軍が来る前にさっさとズラかるぞ」




