揺蕩う死
「安心した。お遣い程度ならちゃんとできるみたいで」
スーパーの酒コーナーで、赤髪の上からカツラを被るだけという雑な変装をしたセンを見つけた俺は背後から声をかけた。
買い物かごにはロールから頼まれていた食材が順調に集まっているようだが、酒コーナーに足止めされている。
「な? 私も物買うくらいできるんだ」
やけに自慢げだが、弦気との通話は数分のことだ。つまりセンと別れていた時間も大したものではないので、どちらかと言うとセンには何かやらかす暇もなかったというのが正しい。
それにセンの行動は弦気と通話しながらでも音を伺っていたため、何か問題を起こしそうならすぐに止められたし指示を出すつもりでいた。
それでも不安だったのだから、自分でもセンの評価の低さに驚く。
「でも余計な物買おうとしてるよな」
様々な酒が立ち並ぶ棚を見やる。するとセンは慌てて買う物のリストが書かれたメモ用紙を取り出し、歩みを再開させた。
「……いや、これは通りがかっただけでぇ……。そ、そうだ、それより用事は済んだのか?」
「ああ」
弦気との交渉はスムーズかつ上手くいった。弦気が俺の行動をある程度読んでいたおかげというのが癪だがそれはいい。
帰ったら宵闇さんに弦気と会うことになったのを話し、独断で行動したことを謝罪する。そして弦気と二人だけで話すことがある旨を伝える。
「てかこのリストのシャンプーとかって、あの大橋って奴に?」
「そう」
「はあ? あんな奴によくする必要ねーだろ」
「ロールの判断だから俺は知らない」
大橋は完全にロールに任せているのでどうでもいい。ただ弦気との交渉に使えるのだから蔑ろに扱いすぎるのも良くないだろう。
「あいつは仲間の能力を売ったんだ。サイテーだ」
「まだ言ってんのかそれ。あれは黙秘できる状況じゃなかったし、実際聞いたところでどうしようもない能力だったろ」
「でもなぁ……」
「いいから早く買い物済ますぞ。あんまりアパートの外に長居したくない」
「えぇ〜。帰りたくねぇ〜」
「なら置いていく」
「なあ゛〜、死音んん〜」
ゴネるセンから買い物カゴを奪い取り、さっさとリストの食材を買い揃えるべく俺は歩調を早めた。
「後は日用品か」
食材を揃え、レジを通すと残るは大橋に必要な日用品や衣類だ。
日用品コーナーは二階にあり、俺達はエスカレーターでそこへ向かう。
「下着とかは私が選んでやるよ」
二階に着くとセンが下卑た笑みを浮かべながら言った。
リストの中には日用品の他に、替えの下着などもあって、確かにそれはセンに任せた方が良さそうだった。
「じゃあ任せた。でもあんまりふざけすぎるとロールに怒られるからな」
どうせわざとセンスの悪い物を選んでくる魂胆なのだろう。釘を刺しておいた。
「うーい……」
センの気の抜けた返事を聞き、そして俺は細々した物を探しに別れた。
遠目にセンの姿を視界に入れながら、歯ブラシ、シャンプー、ハンドクリーム、順々にリストの品を集めていく。
ロールが使いたい物もあるのだろう。宵闇さんのアパートにはそういった生活必需品がほとんどない。彼にとってあの場所が寝るためだけの場所だったからだ。
思えば宵闇さんの俺達と出会う前の生活は俺にとって理想的だ。
その強さ故に孤独であることが許され、誰に命を狙われることもなく気ままに日々を過ごしていた。俺達は一人で生きていける宵闇さんにしがみつき、その日その日を凌いでいる。彼の立場になって考えてみると、息が詰まりそうになった。
そんな時ふと、俺の隣まで来て保湿オイルに手を伸ばした男がいた。
何の気無しにその男の顔に視線をやり、そのまま思考が止まった。
「これ、空の戦いでは必須なんですよ。でないと肌荒れが……」
俺は私服で現れたその男から数歩距離を取りつつ、迷うことなく歪曲音を展開していた。同時にセン達に音を送る。
「セン! 来い!」
「ほう、これが噂の……。素晴らしい力です。これでいつでも僕を殺せるという訳だ」
「一ノ瀬、空刃……」
自衛軍大将がなぜこんな所に。
一ノ瀬は能力を封じられたというのに保湿オイルを手に取ったまま、余裕の表情を浮かべていた。
「なんだ死音! げえっ!」
駆け付けたセンが抱えていた衣類をぶちまけ、臨戦態勢に入る。センの馬鹿でかい声は当然シャットしたので、まだ注目を浴びるような事態には陥っていない。
俺とセンに囲まれる形となった一ノ瀬大将は一度保湿オイルを棚に戻し、体をセンの方へ向け、彼女がぶちまけた衣服を拾い上げ始めた。
隙だらけ。
一ノ瀬が言った通り、例えばこの距離で音撃を放てば、センを巻き込むことにはなるが、確実に仕留められるだろう。
そうしないのは、今揺るぎない優位をとっているのに加え、この男の行動理由が不可解すぎるからだ。
なぜ俺の前に現れたのか。偶然な訳はない。落ち着き過ぎているし、完全に不意を突いたタイミングで現れ、意図的に俺に優位を取らせた。
周囲を探ってみても、辺りに部隊を待機させている様子はない。
「不便な生活を送っているようですね。会うのは二度目でしょうか。元Anonymous構成員、死音」
どうやらスレイシイドでの一件でのことを覚えているらしい。あの時はレンガの後ろに乗っていて、直接対面した訳ではなかったのだが。
「なんのつもりだ」
俺達Anonymous残党が宵闇さんに匿って貰っていることは、先日の一件でボスには知られてしまっている。イコールで俺達の潜伏地が特定されたはずなので、一ノ瀬が俺達を見つけたこと自体に驚きはない。
だがこの態度……。自衛軍大将が俺達残党に襲撃以外の何の用があるというのだ。
もしボス側が動いたなら誤算が生じる。
宵闇さんという勢力レベルの"個人"。セントセリアから遠く離れたニューロードで俺達を詰ませるにはそれなりの準備が必要なはずで、隠れ家を変えるまでの猶予があった。
弦気との交渉もその猶予を考えてのことだった。
「いくつか疑問があるでしょう。しかし今日の僕はオフで、これは独断。聞きたいことがあって来ました。敵だということは一旦忘れて欲しい」
一ノ瀬は拾い上げた衣類を抱えつつ言った。眼鏡の奥の視線から戦意は感じられない。
今の言葉……、どう捉えるべきか。
少なくともここで殺すのは不味い。そうすれば騒ぎになるのは確実だ。もし一ノ瀬の言った通り、本当にこれが独断での行動であったなら、ボスに動く口実を与えてしまう。
しかし一ノ瀬空刃……、御堂龍師の後釜とも呼ばれる男が悪党相手にいきなり下手に出るか?
「死音! こんなん嘘に決まってる!」
センは猛獣のような目付きで一ノ瀬を睨んでいた。もっともだ。警戒して然るべき。当然油断などしていない。
とはいえここで問答を続けても注目を浴びるだけだ。
「こうして命を預けているのだから、多少は信用してくれてもいいと思うのですが」
命を預けている、か。の割には心音に乱れはない。
「その余裕、警戒しない方がおかしいだろ」
「ああ。それはまあ……、度胸ですかねぇ?」
マジで、何を考えてる。
「……外に出て、歩きながら話をしよう。怪しまれる。
セン、これ買ってこい」
「えぇ……? いや、でも、大丈夫か? 死音」
「ああ」
歪曲音で能力は封じているし、集音も怠っていない。一ノ瀬からは適切な距離を取り、少しでも怪しい動きを見せたら即座に対応する。
能力を封じられた一ノ瀬に、音撃の発生速度を超える攻撃はできない。
俺は床に置いた買い物かごを蹴って、一ノ瀬の足元まで滑らせる。
一ノ瀬はそれに抱えていた衣類を詰め込み、その上に棚から取った保湿オイルを乗せた。
その後、さらにセンの足元まで滑らせる。
「おい死音、宵闇達に連絡した方がいいんじゃ……」
「とっくにした」
センに音を送るのと同時に隠れ家のメンバーには一ノ瀬大将との遭遇を伝えている。
だが、待機してもらうことにした。一ノ瀬の意図が読めない内は動きすぎるのも良くない。
歪曲音の下にある一ノ瀬一人なら俺だけで対応できる。これがもし何かの罠だった時は皆を頼ることになるだろう。
スーパーまでのこの距離なら宵闇さんは"暗転"ですぐ来れるから安心だ。
よし、憂いはない。
「我ながらこれは無謀すぎるぞ」
センが買い物かごを引っ掛けてレジに向かうと、一ノ瀬は眼鏡の両縁を手で押さえて自嘲気味に笑っていた。
「いったい何が目的だ」
視線で一ノ瀬に歩を促し、その後ろから俺は尋ねた。
思えば大将がやってきているというのに気付いている人はいない。
弦気の父親、御堂龍師などはプライベート勤務中関わらずどこへ行ってもすぐに人だかりが出来ていたが、一ノ瀬は軍服を着ていなければ普通の人にしか見えなかった。
「考えたことはあるでしょう。いくら強くなっても、唐突に訪れる死には対応できない。隣を歩いていたサラリーマンが、何かの気の迷いでいきなり襲いかかって来たらどんな強者でもなす術はないのです。
ああでも、不死身の能力を宿していたりとか、例外はありますがね」
俺の問には答えず、一ノ瀬は話し始めた。
エスカレーターに乗り、スーパーの出口
へと向かっていく。
「とはいえ隣を歩くサラリーマンが血迷っていきなり襲いかかって来ることなどまず起こり得ないし、そんなことまで常に想定するのはとても馬鹿らしい。まあ要するにどうしようもない」
相槌すら打たない俺を無視して一ノ瀬は言葉を紡ぐ。
この一方的な会話に意味があるとは思えなかった。
「なのに、我々が命を失う時は限ってそう言った理不尽が襲いかかって来たときなんですよねぇ」
スーパーの外に出ると、もうここまで駆けつけて来た空蝉さんの姿が住宅の屋根の上に映っていた。嬉々とした表情なのが分かる。
ロールは大橋の見張りでアパートに待機、宵闇さんも俺に判断を委ね、動く様子は無さそうだ。
ここからアパート方面に歩きなから、一ノ瀬の意図を探る。
「それゆえ、やはり懸念せざるを得ない。と、なると今度は生きることについて考えてしまう。
寝ても覚めても、食事の時も、排泄の時も、いついかなるときも見えない敵を警戒していては、心休まるときがない。
それは人間として生きていると言えるのかどうか──」
「御託はいい。目的を言え」
まるで当てつけのような言葉の連続に苛立ちを感じた俺は、一ノ瀬の声を掻き消してそう言った。
俺の人間性についてはよくプロファイルされているようだ。ボスだな。
声音を失った一ノ瀬は興味深いといった目付きで俺の方へ振り返った。
スーパーからは数十メートル離れ、人気の少ない通りに差し掛かっていた。
「目的、でしたね。僕もこんなことばかりしていたら早死しそうだ」
ようやくまともに会話をする気になったのか、一ノ瀬の顔に貼り付けていた微笑を落とした。
それだけでピリと空気が変わる。圧倒的優位に立つ俺を緊張させた。
「疑問を解消しに来たんですよ」
「疑問だと?」
「酒井大将についてです。あの方は何かがおかしい」
酒井中将、ボスのことだ。
まさかこの人、気づいているのか……?
「Anonymous壊滅の日、何があったのか教えていただけませんか?」




