瀕死の良心
センを見送った後、俺は公衆電話の前に立っていた。
今から弦気に電話を掛ける。
その上で、もう一度協力関係を結べないか交渉を試みる。
少なくとも表面では、弦気のやり方に合わせる方針で話そうと思う。
奴は前回の要請を、俺達のアウトローなやり方には合わせられないという至極もっともな理由で突っぱねた。
勿論、他にも理由はあるだろうが、少なくともそこを譲歩しなければ話にならないだろう。
そうなれば特に俺や空蝉さんなんかは動きに制限がかかるが、それが痛手となってくるようなら最悪弦気との関係なんて断ってしまえばいい。
俺がわざわざ下手に出てまで弦気との協力関係を結ぼうとしているのは、あくまで宵闇さんのご機嫌取りでしかない。私情とはいえ宵闇さんが直々に弦気を指名したのだから一度は組んでおく必要があると考えているだけ。
そう、だから弦気との関係は一時的なものなのだ。後々弦気を始末する方法なんていくらでも思いつく。
ただ、宵闇さんには俺の忠実性を示しておかねばならない。
俺達が生き残るために宵闇さんという後ろ盾は必須。
現状を誤ってはならない。これはまごうこと無き、どう足掻いても覆すことのできない事実だ。俺達は宵闇さんがいなければ今頃死んでいた。これからもそう。見捨てられたら終わる。
だから彼の考えは可能な限り尊重しつつ、俺の保身も考えていく。
観測者の件は難題だ。
彼女のことは、宵闇さんにとって戦う理由そのもの。
俺は生きていると嘘を吐いたが、実際は死んでいる。だが、あの時嘘を吐いてでも止めていなければきっと彼を失っていた。
嘘をつかずに宵闇さんを鎮める方法はあったのだろうか。
どちらにしても観測者が受けた仕打ちは宵闇さんにとって十分な戦意になり得たのに、問題を先送りにしたのだ、俺は。
少なくとももっとマシな嘘があったはずだ。
弦気と口裏を合わせて、この先もうまく観測者のことを隠し通せたとする。
だが彼女が生きているという希望を持った宵闇さんが、いずれボスと対峙してその事実を知った時──
……いいや、その時のことは考えたくないな。
目を瞑ってふうと息を吐き、俺はようやく公衆電話の受話器を手に取る。
硬貨の投入口にいくらかいれて、辺りの音に警戒しながら記憶していた弦気の番号を一つずつ押していった。
ピポパと、昔は好きだった電子音が受話器から順々に響き、やがてそれはトゥルルというコールに変わった。
そして焦らされることなく数コールで、電話は繋がった。
『はい』
受話器からは女性の声。夢咲愛花だ。今はこいつに用はない。
「弦気に変わってくれ」
『死音さんですね。今変わります』
すんなりと、機械的に彼女はそう言った。
受話器の向こうから空気のノイズが聞こえてくる。
弦気と夢咲愛花のやり取り、車の騒音を聞きながら、俺は夕日が沈みつつある街角を見渡した。
遠くに見える通りでは早くも街灯が点灯している。
『風人か』
そうして弦気の声が俺の耳に届く。
「ああ」
『用件は大体分かるよ』
ということはこいつ、俺がもう一度話を持ちかけてくる可能性を読んでいたのか。
この間、この落ち着きようといい、ここに来て交渉の余地をあえてチラつかせている。
最初の誘いを断ったのはこちらから条件を下げさせるためだったのか。
それともただ考え直しただけ? まあどちらでもいい。
「話が早くて助かる」
通話のノイズからして今は屋外か。
わざわざ夢咲愛花を連れて外にいるということは、弦気には俺達でいう宵闇さんのような「当て」がなかったということだ。
いやこいつの場合、迷惑を掛けたくないという想いからあえて頼らなかった可能性が高い。
だが同じ境遇に身を置く俺達は別だ。
『瞳は?』
舌打ちが出そうになった。
白々しい。読んでいたなら、俺が大橋を殺すことがないくらい分かるはずだ。
そこまで足元を見ているならこちらも譲りたくはなくなるが……、あまり感情的になるとネグウェーブでの件の二の舞になる。
「無事なのは分かってるんだろ?」
『そうか……、いや良かった。あの時の風人は本当に勢いで殺しそうだったから。すごく心配だったよ」
「……」
ヘラヘラと、愛想の良い、まるであの頃の様な弦気の声が受話器を超えて鼓膜を揺さぶる。
今度は言葉が出なかった。
その真意がまるで読めないからだ。やはり弦気の声からは、憎しみを感じない。
しかしそれは声色だけの話で、口調のどこかよそよそしい雰囲気や、まるで初対面の探り合いみたいな間の会話に、俺はギャップを感じていた。
その異質さには、こいつと長時間話していたら頭がおかしくなってしまうんじゃないかと、そんな予感さえ過ぎった。
ほんの少し話しただけなのにだ。
『誘いの話だけど、とりあえず合流させてもらうことにするよ』
「それは……無条件で誘いに乗るってことじゃないよな」
『勿論。お互いの譲れない点に付いては電話越しだとあれだし、直接話そう。手を組むかどうかは、その後に決めさせてくれ』
「……ああ、分かった」
早々に話をつけて通話を終えたくなっていた俺は、思わず歯切れの悪い返事をする。
弦気の言葉は鼓膜の奥で不気味な音として作用していて、言葉の意味を捉えるのには数秒遅れていた。
ピーっと、公衆電話から通話終了間近の音がなる。
俺はコインを投入口に追加して、気付けに唾を飲んだ。
「いや待て。その前に一度二人で話がしたい」
『……それは構わない。愛花も一緒でいいか?』
弦気の声のトーンが変わる。
夢咲愛花にも聞いていて欲しいことなので、俺は「ああ」と肯定した。
「今どこにいるんだ?」
『ああ、そういう心配はいらない。愛花がそっちの位置を掴んでるから、なんとか向かうよ』
「……じゃあ着くのは大体いつ頃になる?」
『遅くて3日かな。それくらいにまた連絡頼む』
「いいや、こっちもそう何度も連絡ができる状況じゃないから、近くまで来たらこっちから向かうことにする」
『そんなことできるのか?』
「まあな」
辺り一帯から音を拾って、音が拾えないところに弦気はいる。
その干渉を受けたらこいつも俺の意図に気づくはずだ。
夢咲愛花とペアで動いている弦気は、きっと常に怒涛の感知をくぐりくけている。新たな街に入って間もないのに、能力をオフにするということはないだろう。
「でも念の為、待ち合わせ場所を決めておくか」
『それは電話で大丈夫か?』
「大丈夫」
ボスは弦気の端末をマークさせているだろうが、傍受はしていない。
俺達が余計なことを話せばその分始末しないといけない人間も増えるからだ。
ネグウェーブでの件は、俺と弦気がコンタクトを取る前で、宵闇さんの存在が明るみに出ていなかったから自衛軍を動かした。
ボスには新たな立場がある。
この会話を個人で盗み聞きしていたとしても、潰すならほぼ単独で動いている弦気を、合流前に潰す。御堂龍帥を幹部総出でリンチにするようなボスだ。宵闇さんに対しても、半端な戦力では絶対に挑んでこない。
大将を何人も動かす力は、今のボスにはまだないと踏んでいる。
まあ、どちらに転んでも俺にはメリットがある。
弦気と夢咲愛花が死ねば憂いは晴れるし、弦気達とうまくいけば戦力アップに加え、宵闇さんの信頼を得ることができる。
気に食わないのは。
『考えがあるならいいよ』
こいつのこの態度。
俺の考えを読んでいるならいいが、この即答は何も考えていない。
何も考えず、自分達の安全を俺に丸投げした。
干渉拒否という絶対不可侵の保険があるにしても、その余裕は鼻につく。
「……じゃあ、待ち合わせ場所を言うからメモをとってくれ」
『愛花が聞いてるからいつでもどうぞ』
「街の北東スラムまで伸びる5号道路沿いに、繁華街がある。そこのニューアベニューってビルの二階に身分確認無しで入れるネカフェがあるから、うまく合流できなかった時はそこで落ち合おう」
その時うまくアパートを抜け出せるかどうかだが、こうなってくるともう宵闇さんにはある程度正直に話した方がいいな。
弦気と二人で話したいことがある、といえば観測者の話ではなくあれこれ他の因縁のことが念頭に浮かぶだろう。
『流石に周到だなぁ。分かったよ』
「そんなもんか」
『分かった』
ピーっと、公衆電話から通話終了間近の音がまたなった。
「じゃあ」それだけ言って、俺は受話器を元の位置に戻した。
「はぁ……」
疲れたな。
通話中ずっと堪えていた舌打ちは、溜息となって俺の体から流れ出た。
センのやつはちゃんとお遣いをこなせているのだろうか。
俺は次の不安を片付けに、スーパーへと歩みを進める。




