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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
十章
139/156

必死

 宵闇さんには大橋を生かしておくことだけを伝えた。

 いつまで続くか分からないこの状況だ。

 人一人分のコストが増えたのは痛いが、大橋の世話は同性でセンより良識のあるロールがすることになった。


 さて、弦気との交渉決裂により、また新たな進撃への足がかりを探さなければならなくなった、

 という空気だが、俺は改めて弦気にコンタクトをとる算段を練っていた。


 今回は宵闇さんには内密で動くつもりだ。

 理由は、弦気との交渉が成立した際に、宵闇さんについた嘘の口裏合わせを先にしておきたいから。

 もし秘密裏に動いたことを問い詰められたら、私情で作戦を駄目にした罪悪感、という言い訳をする。

 これなら怪しまれることもないだろう。


 弦気の番号は記憶しているので、街の公衆電話などを利用すれば比較的安全に連絡を取ることが可能だ。

 まずは単独での接触を試みたいところだが、現在この宵闇アパートでは目的のない外出が禁じられている。

 俺が意識を失っている間にロールが定めた約束事だ。


 あの空蝉さんですら守っているこのルールを、俺がおいそれと破ってしまう訳にはいかない。

 今は少しのチームワークの乱れが全滅に繋がる。空蝉さんもそれを理解しているということだ。


 しかし、いくつか外出する手段もある。

 部屋に籠もりっきりというのも精神衛生上よくないので、買い出しなんかはローテーションを組んで担当しているのだ。

 買い出しなら自然に独りで外出できるので、俺はさっそくその外出手段の一つである買い出しのローテーションに加わることに決めた。


「今日は俺が買い出し行ってもいい?」


 買い出しは指名手配されている俺達にとって、隠密任務である。夕方のスーパーが一番混む時間にアパートを出ようとしたロールを玄関口で引き止めて、俺は言った。


「死音が行きたいなら、いいよ」


 ロールは快く譲ってくれたが、その言葉遣いにはチクリとした違和感を感じた。


「じゃあ、これお願い」


「……分かった」


 ロールは俺にメモ用紙と財布を手渡して、しばらく俺の目を見つめてから部屋に戻る。

 そして彼女は元居たソファに寝転がり、読みかけの本の栞を引き抜いた。

 俺はその仕草を視線で追う。


 やはりかつての猛々しさは、日々失われていく。


 弱々しい眼光。まるで気の抜けた語気。気取らない言葉遣い。

 気品を失った猫だ。

 ロールの軟弱化は加速していた。


「どうかした……?」


 俺の視線に気づいて、少し気恥ずかしそうに彼女は本を閉じた。


「あー、その……」


 髪型の変化も相まって、まるで別人に見える。

 Anonymousという鎧。詩道さんという憧れがロールの人格を構成していったはずだ。

 それが余りにもあっけない。人が変わるというのは。


 俺にはとても見ていられない。


 これでは、この先生きていくことはできないだろう。

 そうなれば切り捨てるしか、なくなる。


 その時も俺はきっと躊躇しないのだろう。


 メモ用紙を見下ろすと、視界が少し滲んでいた。

 それでもなんとか読み取ってみれば、食材の他にハンドクリームやらシャンプーやら化粧品やら、あまり必要性のない文字が見受けられた。

 俺は誤魔化すように、それらのことを聞く。


「これ、大橋にか?」


「うん。瞳が欲しいって言った訳じゃなくて、ないと不便かなと思って。駄目なら……」


 大橋はロールの良心により、ある程度の自由が与えられている。

 とはいえ空蝉さんの隣の部屋で、二重の音支配による監視を受けているのでプライベートはない。


「いや、いいよ。買ってくる」


 大橋は弦気との大事な交渉材料だ。

 あいつが今更自分の人質としての価値に付け上がることはないだろう。

 なら必要な物は買い与えても良いか。金銭面での心配も宵闇さんのおかげでない。


 そう思って、俺はメモ用紙をポケットに入れた。


「私、死音のためならなんだってできるから」


 フード付きのアウターを羽織り、靴を履くと背後からそんな声が聞こえてきた。

 指先がドアノブに触れたまま止まる。


 空蝉さんは、ロールが完全に俺に依存してしまっていると言った。

 なんでもできると言っても、ロールは俺に何かを求めてるんだろう。


 俺は求めないロールが良い。


 ドアノブを回し、逃げるように部屋を出る。


「……私、こんなんでも死音のこと守るから」


 しかし、部屋を出てもロールの声は俺に届く。


「だから」


 そこで俺はロールの声をシャットした。

 意味もなく両耳を塞ぐ。

 その勢いで能力すらオフにして、今度は階段の手すりを叩こう……として止めた。


 一々感情が揺さぶられるのは、俺自身も追い詰められているからだ。

 馬鹿らしい。落ち着け、俺。余裕を持て。


「荒れてんなぁ」


 階段の踊り場でタバコを吸っていたのはセンだった。


「センか。……タバコ吸うんだな、お前」


「辞めてたけど、こんだけ暇だったら手出してもいいだろ」


「別に駄目なんて言ってないけど」


「あからさまに嫌そうな顔しておいてなんだよ」


 嫌な顔をしてしまったのは、見られたくない姿を見られたからだ。タバコの臭いが今更気になるなんてことはない。

 俺は手すりにもたれ掛かるセンを避けて階段を下りていく。


「買い出しか?」


「ああ」


「じゃあ付いてく」


「付いてくんな。目立つだろお前は」


 吐き捨てて、歩調を早める。

 しかしセンはそれを阻止するように袖を掴んできた。


「あのさぁ死音。前から思ってたんだけどお前、私には全く歳上としての敬意を払ってないよな」


「そんなの当たり前だろ。お前は一度俺を殺そうとしたんだぞ。そんな奴になんで俺が敬意を払わないといけないんだよ」


「ま、まあ、その件は水に流そうぜ? お互い大事な人がいっぱい死んだんだし。今手を取り合ってる仲として、な?」


「だからそうしてるだろ」


「うん……、そうだな……」


 センの手を無造作に振り払って、俺はアパートを出る。

 スーパーはここから歩いておよそ15分の所にある。その道のりまでに公衆電話を見つけることが出来ればいいが。

 弦気も一回のコールで電話に出られるとは限らない。帰るのが遅れてもいけないので、なるべくスムーズにことを済ませなければ。


「なんで付いてきてるんだ。セン」


 俺は振り返って聞いた。

 センは俺の少し後ろを、変装をして付いてきていた。黒いカツラの下からは真っ赤な髪が見え隠れしている。


「いいじゃん。ほら、変装もしてるし」


「良いわけないだろ。何考えてんだ、見つかって通報されたらここに住めなくなるんだぞ。つーか、ルールだろ」


 宵闇さんとの繋がりがバレたため、ボスは俺達がニューロードに居ることを察したはずだ。

 宵闇さんがいる以上、まだしばらくは手を出してこないと踏んでいるが、民間人から通報を受けて放置するとも思えない。


「ルールっつってもロールは死音が良いって言ったら絶対許してくれるはず」


「駄目だ」


「だってよぉ、たまには私も外に出たいんだよ! 私だけあの陰気なアパートに籠もりっきりなんだぞ! ここ二週間! 目立つからって理由で買い出しは任せてくれないし! 空蝉が良くてなんで私が駄目なんだよ!」


 それは仕方ないことだ。

 空蝉さんはイカれているが、頭は悪くない。どうなるか分かっていてイカれた行動をするのだ。

 しかしセンは頭が悪いという本当の意味で馬鹿だ。結果を全く考えずに行動する。

 こいつを外に出さなかった判断は正しい。


「頼むって! ヤラせてやるから!」


 めちゃくちゃ散歩に行きたい犬かこいつは……。


 しかし、このままここで喚き散らされても面倒だな。どうするか。


 ……弦気との交渉は宵闇さんにさえバレなければいい。

 この独断行動のことは、弦気との交渉が成立したら必然的に明かすことになる。

 しかし口裏合わせのことだけは一切の余地を残さず、公になってはならない。それ以外のことなら言い訳はいくらでも思いつく。


 空蝉さんは今のところ大人しいが、何を考えているか分からない。

 自分が死ぬという可能性を一切顧みないあの人は、そのうち何かやらかすだろう。

 ロールも、色々と不安定だ。


 今のうちに扱いやすいセンを手懐けておいた方がいいかもしれない。こいつは不死身という能力を盾があるから、気負いなくなんでもさせられる。

 それにセンは今のメンツに、良くも悪くも馴染んできている。こいつにとって成り行きではあったが、いくつかの死線を共にくぐり抜けて、仲間意識のようなものを感じ始めているのかもしれない。

 ……いや、そう思わせておいて、未だ俺達をNursery Rhymesの仇として見ているのかもしれない。

 だがそれでも問題ない。


 どちらにせよ今のセンには単独で裏切るメリットが存在しないし、俺達には不死身を抑える最終手段ディストーションがある。

 歪曲音という死をチラつかせて、恐怖を煽ることもできるだろう。

 タイミングとしては丁度いい。


「分かった」


 そう頷くと、センは一瞬固まった後、ハッとしたように身を抱いた。


「え、死音……、私としたいのか……?」


「そうじゃない」


「いや、私は嫌じゃないっていうか……、むしろ最近溜まってたから大歓迎なんだけど…、その、ロールにバレた時のことを考えると……」


「そうじゃないって言ってるだろ」


「じ、じゃあ一体何させられるんだ……? 私」


「軽い手伝いだよ。俺の代わりに買い出しに行ってくれ。その間、俺は別のことをする」


「別のことって?」


「とりあえずスーパーまで歩くぞ」


 "暗視"されている可能性があるが、あえて口元は隠さない。逆に怪しまれる。

 歩を促しながら、俺は話を続ける。


「……空蝉さんには言うなよ。つーか誰にも言うな」


「お、おう……」


 歩みを進めながら、恐る恐る頷くセン。

 もう一度くらい釘をさしておくか。


「これは口の硬いセンにだから言うんだぞ」


 今、俺は能力で会話を周りに聞こえないようにしているが、同じ音支配を持つ空蝉さんなら、音が消されていることに気づくはず。

 独断行動自体はバレてもいい。

 しかしあの人は観測者の事情をある程度知っているから、俺が弦気に先に接触しておきたい理由まで考慮して、宵闇さんへ吐いた嘘へと辿り着くかもしれない。空蝉さんは頭がキレる。


 彼にバレても宵闇さんに告げ口されることはきっとないだろう。しかし、俺に対して切れるカードをあの人に持たせておきたくない。


 だから脅された程度で吐くようじゃ問題だ。

 センにしつこく口止めしておいて損はない。


「わ、分かってるよ。早く言えよ」


「……弦気にもう一度交渉を試みる」


 一体どんなヤバイことを打ち明けられるのかと、ビクビクしていたセンは拍子抜けしたように頭の上に疑問符を浮かべた。


「……それ、秘密にすることなのか?」


「俺の勝手な私情で作戦は失敗したんだから、自分で尻拭いするのは当たり前だろ」


「……へぇー。意外と責任感強いんだな、死音。それなら余計隠さず相談してから動くべきなんじゃないか?」


 馬鹿のくせにまともなことを言う。

 話したのは失敗だったか……?


「……色々と事情があるんだよ。とにかく、話すなよ」


 宵闇さんは観測者のことを知りたがっている。弦気達と接触するとなれば必ず付いてくるだろう。なんとしてでも先手は打っておかなければ。


「そりゃ勿論。こうして外に出られたんだから、約束は守るって。

 はーーー、解放感! あそこにいると宵闇の根暗なオーラがジメジメと部屋越しに伝わって来てこっちまで鬱になってくるんだよな。常に監視されてる気がするし」


 実際、宵闇さんの"暗視"と音支配でそこら中に監視カメラが付いているようなものだ。

 落ち着かないのも仕方ない。とくにそういったモノに機敏な強化系なら。


「そんなことよりセンも公衆電話探してくれ」


「ういー。だけどさぁ、マジであのアパートきつくね? 退屈だし憂鬱だし話し相手もいない。私の部屋に至ってはテレビもない。空調すらない」


 歩調を早めたり緩めたりして、センはまさしく犬のように散歩を楽しんでいた。


 今の生活への不満はセンの饒舌さから伝わってくる。

 メンバーが集まっている時は、センの発言力は最下位まで落ちて基本的に相手をされることがない。


「話し相手ならロールがいるだろ」


 空蝉さんと宵闇さんはマトモな話し相手にはならないだろう。そうなれば消去法でロールになる。

 俺もセンの相手はあまりしたくなかったし。


「ロールもなぁ。最近はなぁ……」


 最近は、と言えるほどこいつがロールの事を知っていたのかはさておき、その言葉には俺も共感を得た。


「分かるのか……?」


「そりゃああんだけ変わったら分かるだろ。

 そういやロールと言えば、さっきはなんかあったのか?」


 部屋から出てすぐ、みっともない姿をセンに見せてしまったことを俺は思い出した。


「……俺は、あいつが弱くなっていくのに耐えられないんだよ」


 俺の中に、ロールのことを愚痴りたいという気持ちがあったのかもしれない。

 口に出してから後悔する。余計なことを口走ってしまったと。

 よりにもよってこんな奴に。


 しかし、センから返ってきた言葉は思いもよらぬものだった。


「え、それ本気で言ってんのか?」


「……?」


 話が噛み合わなかった違和感。


「ロールは弱くなってる訳じゃないだろ。

 あれで弱くなってる、って……私がロールなら心折れるわ……」


「どういうことだよ」


「あれは決意と執着の表れだろ。前のロールは全然怖くなかったけど、今のロールはすげぇ怖ぇもん」


「全然分からないな。具体的にどう違う?」


「具体的にって言われるとちょっと困るけど……」


「なんだそれ。不死身のお前の感覚なんてただでさえ当てにならないのに」


「強いていうなら、絶対に敵に回したくないって感じかなぁ」


 なんでこんな話をセンとしているのか。

 今更そんなことが気になった。

 それでいて、俺はロールについての了見をさらに深いところへ落としていく。


「あー、もしかしたら"弱い"の定義が違うのかもな、私と死音じゃ。そもそも私が見てるロールと死音が見てるロールは違うんだし」


「……かもな。なんにせよ、どうあっても俺は今のロールを受け入れられそうにない」


 ロールには鎧が必要だった。仮面が必要だった。

 だから孤高で輝いて見えたのだ。


 センが一瞬、憐れむように俺を見た気がした。


「ロールは、弱い自分をお前に見せることにしたんだと思うけどな」


 そんなの見たくなかった、と。

 口に出しかけたその言葉は余りにも幼稚で、ただの否定でしかなかった。


「ちょっと待ってヤバイ。私死音と話すの楽しいわ……」


「なんだよ急に」


「だってこんなにもちゃんと相手してもらえるの久しぶりだったからよぉぉ」


 俺もこいつはただの能力持ち腐れ馬鹿だと考えていたが、心情的に繊細な一面もあるらしい。

 センの感覚は当てにならないと言ったが、てんで的外れではないような気がする。


「あ、公衆電話」


 ふとそれを、センがなんとも言えないタイミングで見つけた。

 微妙な空気が俺とセンの間に流れる。


「じゃあ、俺行くから買い出しは任せるぞ。ほら、これ」


「ういー……」


 財布から公衆電話に必要な小銭を抜き出した後、俺はメモ用紙と共に財布を手渡した。

 センはやるせなくそれを受け取って、ポケットにしまう。


「スーパーはこの先を行ったところにあるから」


「おう」


「本当に一人で大丈夫だろうな?」


「馬鹿にしてるだろ! 物買うだけだぞ」


「余計なもの買うなよ」


 それだけ言って、俺は公衆電話へと向かった。

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