それぞれの死考
「大丈夫、風人は瞳をすぐには殺さない」
弦気は言い聞かせるように根拠のないことを呟いた。
例の着信から数刻、彼は路地の壁にもたれ掛かりながら携帯端末の画面を眺めていた。
傍らに佇む少女、夢咲愛花は肯定も否定もしない。
Anonymous完全崩壊の一件から、おおよそ二週間が経過している。
今や自衛軍大将となったかつてのAnonymous首領ハイドから、愛花を連れ、なんとか生き延びることが出来たのは弦気の能力が"干渉拒否"であったからに他ならない。
しかし後ろ盾のない彼らには、日々を生き抜くことが精一杯で、その日の食料にすら困る生活を送っていた。
素性を隠して宿を転々とし、野宿の日も多い。まだ戦いの傷も癒えていないというのに。
「一時的に手を組む予定だったのでは」
まるで思考を読み取ったかのように、愛花は問を投げた。
「予定に変更はない。位置の特定は出来たんだろ?」
「はい」
「なら問題ないよ。これから向かおう」
「では、なおさらなぜ、あえて彼を怒らせるようなことを言ったのですか?」
なぜと言われても彼に先程の衝動を、言葉で上手く表現できるかは怪しい。
この状況下で死音からの協力要請は、弦気にとっても悪い話ではなかった。むしろ願ってもない申し出である。今や手段や仲間を選べる状況ではない。
だからこそ、彼らは瞳が誘拐された時点でその目論見をいくつか推測し、もしそれが誘いの合図なら甘んじて受けようと話していた。
にも関わらず彼は、電話口でその要請を自ずから突っぱねてしまっている。
それでいて彼らの元へ向かうというのだから愛花にとっては理解困難な考えだった。
だが瞳の安全の保障もなく、リスキーな行動を取ってしまったのは、弦気自身衝動的なものだったのだ。
ぽつぽつと弦気は話し出す。
「……あいつのやるせない声を聞いたとき、こう思ったんだ。
ただ風人が、凛や父を殺し、故郷をめちゃくちゃにしたから俺に恨まれていなければならないと決めつけているのならそれは違う、って。
あいつは今、俺に憎まれていることを仕方ないことだと思っている」
「ですが弦気さんは実際、神谷風人を憎んでいるはずです」
「ああそうだ。だからこそ、否定してやりたかった」
「そうですか。なるほど……。それなら、少しわかるかもしれません」
少し困ったように眉を寄せる愛花を見て、弦気は思わずフッと笑みを溢した。
観測者の残滓は愛花のポテンシャルとして残っただけで、彼女は感情を取り戻しつつある。
「俺は風人を許したい。許した上で、救ってやりたいんだ」
しかし今はまだ、許せない。そしてその反面に、これ以上なく最低な復讐を望む自分もいる。
「彼は何より死を恐れています」
「お見通しだな」
「はい」
これまで風人は、きっと生きるのに必死だったのだろう。
風人が取り巻く理不尽に激怒して、恐怖して生きているのなら、俺も風人にとってはその理不尽の一部でしかない。だからといって凛や父のことを許せるという訳ではない。
それらを抜きにして、今のあいつと向かい合うことはできるのか?
弦気は自問する。
俺は御堂弦気として、一人の男として、あいつの前に立ち塞がらなければならない。
数多の障害の一つとしてではなく、たった一人の親友として、あいつの怒りを一身に受けるのだ。
それが弦気にとっての贖罪だった。
「風人はもう自分では止まれない」
民家から伸びた古い配管から汚水が滴っている。
「この先ずっと死に怯えて、恐怖を振りまいて生きていくのなら、俺が終わらせてやりたい」
「それで善いのですか?」
「善くないよ。だから……」
「……」
「だからその時だけは、俺は悪になってもいい」




