死と先行く者
三國崎宮日。
メディアの露出は少なく、知名度も栄光も他の大将に比べて劣る。セントセリアへの配属を拒否し、辺境ではあるが、かなり広範囲の地域を取り締まっていた男。
その能力は、転移能力。
……なるほど、早いわけだ。
俺は眼前の男についての情報を処理しながら、その風貌を観察する。
初老。坊主頭で、目元に目立つ深いシワ。
白い軍服に、身長は俺と同じくらいだろうか。服の上から見た感じ、ガタイもそれほどよくない。
だが流石に大将か。凄い威圧感だ。
姿を隠して俺達を囲むのは三國崎の転移部隊だろう。
転移能力者のみで構成された部隊。非常に厄介だ。たとえ逃げても、奴らは地の果てまで追いかけてくる。
車を挟んで対角に立つ宵闇さんに一瞬視線を移す。彼は至って平静だ。
先程三國崎が呟いた言葉通りなら、彼は宵闇さんがいることを想定していなかった。それならボスもそうだろう。
つまり、宵闇さんという不意打ちが機能する。今ある唯一のアドバンテージ。
空は、丁度雲が太陽を覆い隠している。
これなら、宵闇さんもある程度は動けるはずだ。
しかし、転移というシンプルな能力。
これが恐ろしく強い。ただ一瞬で移動できる、それだけの能力なのに。
いや、だからこそなのか。
利便性も多様性も、生存能力も、なにもかも高いステータスを誇る。そのシンプルさ、故に。
転移能力を発現させたら将来安泰と言われているくらいだ。同時にパシリにされることも多いのだが。
とにかく、そんな相手に打つ手段は決まっている。
先手必勝、だ。
歪――
能力の発動を前にして、宵闇さんが片手を水平に伸ばしたのが視界の端に映った。
制止の合図。
その挙動に反応した三國崎は後方に転移する。結果、彼は歪曲音の範囲外へ出た。
「なぜですか!」
俺は歪曲音の発動を止めて、思わず声を上げる。
歪曲音なら、相手が誰であろうと関係ない。目の前の三國崎だって仕留められたのに。
「いいや」
宵闇さんが無防備にも歩き出し、やがて俺の隣に立った時、俺は三國崎の動悸に気づいた。
平静を保っていた三國崎の心音が、急に激しく脈打っている。
その顔に視線をやると、彼の顔は恐ろしく蒼白になっていた。一体なぜ?
聞く暇もなく、宵闇さんがさらに前に出る。
「いいか。見逃してやるのは俺だ」
宵闇さんは片手を軽く持ち上げ、三國崎に向けて人差し指を向ける。
ゴクリと唾を飲み込んだのは三國崎だ。
彼がゆっくりと頷いたのはその数十秒後。
宵闇さんは三國崎に何かしたのか……?
「撤退!」
片手をピンと伸ばし、三國崎は声を張る。
すると俺達を囲んでいた気配が一瞬で消え、手を下ろした三國崎もやがてフッと姿を消した。
「……どういうことですか?」
辺りに敵がいなくなったことを確認して、俺は宵闇さんに問を投げた。
「俺は転移能力者とは相性がいい。それを奴に思い出させてやっただけだ」
「……」
何をしたのかは分からないが、要するに三國崎は宵闇さんにビビって逃げたということか。
「……はは」
変な笑いが出る。
俺には確実に、生きる力がある。運も。
いい。それならいい。宵闇さんの存在がバレてしまったのは痛いが、逆に猶予もできた。
ボスにとって宵闇さんはそう簡単に対策できる相手ではないはずだ。他の大将をここに送りつけることができたとしても、それはきっと時間がかかる。
だから当初の目的を果たそう。
「じゃあ宵闇さん、大橋の携帯をもう一度貸してください」
「……ああ」
宵闇さんから携帯を受け取り、今度は着信通知のショートメールにあった、見知らぬ電話番号に掛けるべく操作した。
これもまた罠の可能性はあるが、もう罠であったところで関係ない。
俺は躊躇いなく発信ボタンをタップした。
そして数回のコール音の後、電話は繋がる。
『……』
「……」
無言の相手に、同じく沈黙を返す。
しかしいつまでもお互いに黙っているわけにもいかないので、俺がその沈黙を破った。
「弦気か?」
『ああ。風人、瞳には手を出してないだろうな』
風人? なんでそう呼ぶんだ。
「勿論」
『良かった』
「……電話を掛けて来たってことはこっちの目的も分かってるんだろ?」
『やっぱりそういうことだったんだな。不安だったよ』
確信までは至っていなかったか。瞳の安否を疑ったということは、弦気は俺達の真意を完全に見抜けていなかった。
ならしっかりと言葉にして伝えなければ。
俺は隣の宵闇さんにチラリと視線を向ける。彼は車のボンネットに腰掛け、俺が通話を終えるのを待っていた。
「俺達と組まないか? 弦気」
単刀直入に言い放つ。
同時に自分の言葉に既視感を覚えた。
携帯を持たない左手でこめかみを少し強く揉み、目を瞑る。弦気は無言だった。
『……』
……ああそうだ。2日前、ほとんど同じセリフを空蝉さんから聞いたんだった。
そして俺は……。
"悪いんですけど――"
『悪いけど――』
なぜか自分の脈拍が上がっている。
計画の失敗を懸念して、ではない。
弦気の冷静さが伝わってきているからだ。凛を殺した俺、父の仇であるAnonymous。
それだけじゃない。故郷を破壊され、数々の恨みを俺に……俺達に持っているだろう。持っているはずだ。
弦気が俺の提案を蹴ってくれるなら、それは有り難い。弦気と組むべきだと言ったのは宵闇さんで、俺は元から反対だったから。
でもなんだ、その態度は。
俺達と組んで得られる利は分かってるだろ?
俺はお前が俺達に抱いているであろう感情を知りながら、それでも状況を利用して協力を促している。
断るにしろ受けるにしろお前は……。
『悪いけど、遠慮しておく』
憤慨していなければ、おかしいだろ。
言葉を失っていた。
どうしようもない怒りが腹の底から湧き上がってくる。
なぜだ。なぜそんな風に俺の申し出を断るんだ?
理由は? 理由を俺に言え。
「……それは、俺が憎いから?」
『違う』
即答。
携帯を持つ手に力が入る。
「なら……」
『組んでもどうせ、風人達のやり方には納得できなくなるから、かな』
「…………」
そう言われると、そうだ。
弦気には、俺達のアウトローなやり方は合わないだろう。
それなら、理にかなっている。とても。
「……そうか、分かった」
『ごめんな』
「は?」
ごめんな?
「ごめんなって……なんだよ。何言ってるんだ? マジで」
『それは』
電話の向こうの弦気の言葉を遮って、俺は続ける。
「お前もう俺が憎くないのか? 俺はお前の父親を殺したアレにも加担していたし、凛も殺したスレイシイドだってAnonymousのせいでああなったんだぞ」
『風人。考えてみたんだけど、もう"違う"んだ。そういうんじゃない』
「なんだお前悟りでも開いたのか……?」
『風人、話はもう終わりにしよう。瞳を解放してやってくれ』
「いいや、大橋は殺す」
無造作に電話を切り、俺はその携帯を壊さんばかりに握りしめた。
「死音」
宵闇さんが俺の名を呼ぶ。
「あ"あ"!!」
俺は声を上げ、思いっきり携帯を地面に叩きつけた。
パァンと多少は気が晴れそうな軽快な音がして、画面は粉々に割れ、その破片が舞う。
ギリと歯を鳴らし、俺は大きく息を吐いた。
フーと、もう一度大きな溜息。
目を瞑り、頭が冷えるのを確認すると、俺は宵闇さんの方に体を向ける。
「宵闇さん」
「……」
「すいません」




