急変する音
七時、アラームが鳴り出す前に俺とロールは目覚めた。
寝覚めが良い。
気持ちのいい昼寝だった。
車の窓から外を見ると、辺りは薄暗くなっていて、もうじき日が沈むようだ。
ビーチから聞こえる人声も明らかに少なくなっている。
寝起きの俺達は無言でシートを元に戻すと、それぞれ運転席と助手席に落ち着いた。
「食べる? ガム」
ロールはどこから取り出したのか、板ガムを一つ伸ばして俺に向けていた。
「ありがとう」
俺はそれを受け取ると、助手席のシートの細かい設定をする。
後部座席は、荷物を受け入れるために存分なスペースへと変わっていた。
ロールは一度外に出て、元々車に積んでいたガソリンで給油する。
「さて、行きましょうか」
運転席に戻ってきたロールは言った。
「おう」
俺の返事を聞いて、車は発進する。
ーーー
ビーチから少し離れたところには、無数の高層ビルが目立つ大都会の町並みがあった。
その一角であり、飛び抜けた高さを誇るディールベルビルディング。
現在俺達はそのビルの32階にあるファミリーレストランで食事をしている。
時計の針は八時。
まだ黒く染まった海を見ながらのんびりと食事できる時間だ。
このガラス張りの窓から斜め下を見下ろすと、駐車場に俺達が乗ってきたサディンタが停まっているのが見える。
そして九時になれば、あの車に組織の人間が”荷物”を運び込む。
それを確認したら、俺達はここを出て車に乗り込み、本部へと帰るわけだ。
これが今回の任務の一連の流れである。
あくびが出そうなほど簡単な任務だが、油断するわけにはいかない。
「ここのご飯あんまり美味しくないわね」
「安いから仕方ないんじゃないか」
ここのレストランは安い値段で景色を提供してくれる、庶民に人気のファミレスのようだ。
辺りはほとんど満席で、家族で来てる人や、恋人同士で来ている人など色々いる。
ロールとしては48階にある高級料理店に行きたかったらしいが、さすがにそんなところにこの歳この格好二人きりで行くわけにはいかない。
任務中は隠密行動厳守なので、目立った行動はできないわけだ。
「なあロール、この任務の難易度ってDだっけ?」
「そうよ。ぶっちゃけおつかいみたいなもんだわ。
自衛軍が張ってるという情報もないし」
「ふーん」
「なによ。もっと難易度高いの受けたかった?」
「いや、そんなことはない」
「そう。まあどっちみち油断は禁物ね。
任務は完璧に遂行しないと意味がない」
「それは分かってるよ。
つーかロールはどんな荷物運ぶのか知ってるのか?」
「ちょっとだけ聞かされてるわ。この任務は定期的に発注されてるの。私が受けるのは初めてだけど、なんでも”壊れもの”だから注意して運ばないといけないとか」
「壊れもの? 食器かなんかか?」
「そんなわけないでしょ。
荷物を見ればアンタなら分かるんじゃない?
それなりに大きい荷物運ぶみたいだし、中の音とか聞けば」
「勝手に聞いていいもんなの?」
「ダメなら死音の任務受注は拒否されてたと思うわ」
「……それもそうだな」
それにしても壊れものか。
まあ落としたりしない限りは大丈夫だろうけど、やっぱり気になるな。
しばらく雑談しながら食事をしていると、サディンタの隣に一台の車が泊まった。
そしてその車の中からは黒服の男が二人降りてきて、俺達が乗ってきたサディンタのトランクを開いた。
「あれか?」
「ええ、あれね。
行くわよ」
俺達はレジで会計を済ませると、エレベーターで地上に向かう。
ーーー
俺達が駐車場に着くと、サディンタの後部座席には巨大な荷物が運び込まれていた。
男達はとっくにどこかに消えてしまっている。
荷物の形状は、立方体。
丁度サディンタの後部座席に収まるくらいのサイズなので、かなりの大きさだ。
とりあえずこの立方体は相当頑丈に作られているようで、この距離だと中から音は聞こえてこない。
見た目もなかなかがっしりしている。
強固な素材で構成されているらしく、拳でも叩きつけようものならその拳はたやすく砕けてしまうだろう。
とりあえず俺はその立方体の黒箱に耳をくっつけて中の様子を伺ってみた。
つばを飲み込んで、俺は目を瞑る。
そしてその音を捉えた。
「……!」
「なにか聞こえた?」
聞いてきたロールに視線を向ける。
「……なんか呼吸音と、心臓の音が聞こえるんだけど……。
あとうめき声も」
「なるほどね。
さ、行きましょ」
ロールは簡単に言うと、エンジンをふかした。
俺はそんなロールの肩をつかむ。
「ちょ、なんでそんなにあっさり納得してるんだよ。
明らかに人間が入ってるぜこれ……」
このどうやって開けるかも分からない、そんな頑丈な箱の中に人が入っている。
空気穴もないところを見ると、密封されているようなもんだ。
俺はその事実が妙に恐ろしかった。
故に簡単に納得してしまったロールが信じられなかったのだ。
「まあ大体分かってたし。
壊れ”者”ってことでしょ?」
「壊れ者……。どういうことだよ……」
「アンタはまだ知らない方がいいわ」
「いや、教えてくれよ」
「うーん。ピーピー言わないなら教えてあげるけど」
「言わない」
俺がそう言うと、ロールはグッと顔を近づけて再度確認してきた。
「ほんとね?」
「あ、ああ……」
「じゃあ教えたげる。この中に入ってるのはおそらく人間の”廃棄”よ。
定期的に誰かがこの任務をやってるから、廃棄が出る度に発注されてるんだわ」
流石に絶句した。
廃棄?
人間に廃棄とかあるのか?
「人間の廃棄って……一体何をしたら出るんだよ」
「支部で能力の人体実験でもやってるんじゃない?
後始末は大体本部の仕事になるんだけど」
「……マジかよ」
そんなことが許される……いや、ちがう。
今更何を俺は……。
俺は自衛軍も民間人も簡単に殺す悪の組織にいるんだぞ?
それくらいやっててもおかしく無いじゃないか。
というか、元々そういうイメージだった。
黒犬さんや白熱さんと行った任務を忘れたのか?
それともなんだ?
しばらく平和な毎日を過ごしてボケたか?
俺は自衛軍に殺されかけた。
自分で一般人も自衛軍の人も殺した。
人を殺してでも生きていくと決めた俺に何を言う権利なんてない。
というより、これは普通の出来事。
普通なんだ。
「なんか言ってくるかと思ったけど、そうじゃないのね」
「……まあな」
無理やり落ち着いた、というよりよく考えて納得した俺は、前を向いてシートベルトを着用した。
「ま、死音は気にしなくていいことだわ。
さすがに人体実験なんかに一般人は使ってないと思うし」
「ああ、だよな」
「とにかく早く帰りましょう」
「了解」
俺の返事とともに車は発進する。
それからしばらく大都会の町並みを走り、俺達は街のゲートに向かう。
しかし、そこで問題が生じた。
自衛軍がゲートを封鎖していたのだ。
遠目に見える白服が、ゲートの前を陣取っているのが見える。
このまま進めば接触は間違いなので、現在サディンタは道路の端に停まっている。
「どういうことだよあれ」
「分からない。何かあったのかも。
ちょっと確認するわ」
そう言ってロールが車に付けた携帯端末に手を伸ばした時だった。
ロールの手が触れる前に、携帯から着信音が鳴り響いた。
ロールは伸ばしたその手で受話ボタンをタッチする。
『本部からミッションナンバー567へ。
確認をお願いします』
車のスピーカーから聞こえた機械的な声に、ロールは返事する。
「あってるわ」
ロールの肯定とともに、回線が本部とリンクした。
『ロール、聞こえるか?』
今度スピーカーから聞こえてきたのはボスの声。
「ええ、聞こえてる。なに?」
『おそらくディールベルは自衛軍に封鎖されていることだろう』
「ちょうどそのことで確認取ろうとしてたところよ。
なんかあったの?」
『ああ、そっちの支部の仲間が一人自衛軍に捕まった。それで任務内容の情報が漏れたわけだ』
「はぁ? 支部は役立たずばっかりね」
言いながら、ロールはハンドルを切ってUターンした。
背後で遠くに見えたゲートがさらに遠ざかっていく。
『そう言うな。
こういう時のために支部の構成力は浅くしてある。
今回捕まったのも末端の人間だ。問題はない』
「問題あるじゃない! 荷物どうすんのよ!」
『それなんだが、俺の代わりに処分してくれ』
「処分? どういうことよ?」
『その中に入っているのは能力開発や能力強化の実験でいじり尽くされた人間だ。
当然ながら、制御が効かない』
なるほど、だからこんな強固な箱の中に閉じ込められているのか。
『だから支部で検体の廃棄が出るたびに本部に持ってきて、訓練室で俺や溜息なんかが直々に処分していたわけだ。
でも今回はそうはいかないだろう?
まあ自衛軍の包囲網をその荷物を持ちながら突破できるのなら別だが』
そんなの無理に決まってる。
自衛軍がどれくらい展開してるかは分からないが、ボスの口ぶりからしても、車で突破できないくらいには展開されているのだろう。
「つまり、私達はこの荷物の中身を処分して、そこから帰ればいいわけね」
『いや、ついでだからそこらの自衛軍もある程度片付けてくれ。
まあ来てても大佐クラスだろうし、お前達ならやれるはずだ』
「追加報酬は?」
『追加Aだ』
「すくないわね!」
『何を言っている。十分すぎるだろう。
では、健闘を祈る』
「あとで報酬請求しに行ってやるんだから!」
『おっと。
言い忘れていたが、そのサディンタはすでに特定されているから気をつけろ。
面が割れないためにも早く着替えたほうがいい』
「はぁ!?」
ロールがそんな声を上げた時にはすでに回線が切れていた。
「えーっと……。
殲滅任務になったのか?」
「そうね。いつもながら色々と無茶苦茶すぎるわ。
難易度推定A+。
殲滅よりも、後ろの荷物が厄介すぎる」
「そうなのか?」
ロールなら処分くらい楽勝だと思うんだけど。
俺が怪訝な顔をしていると、ロールは言った。
「わざわざ本部でボスや溜息さんが処分するレベルなのよ?
いくらなんでも難易度Dの任務で運ばせていいものじゃないわ」
溜息さん。
噂ではAnonymous実質No.2の実力を持つ人だ。
ボスと同等の力を持つとかなんとか。
なんか色々やばい人らしいけど。
「とりあえず救援要請ださないと。
まったくあのボスは何考えて二人で行けると思ってるのかしら……」
「救援要請?」
「任務中、達成が厳しいと判断したら本部に救援要請を送ることができるのよ。
その場合報酬自腹なんだけどね」
なるほど。
でも今は本部にあまり人いないんじゃないだろうか。
みんな忙しいから俺達がこの任務やってるわけだし。
そもそも本部からディールベルだと急いでも一時間は絶対にかかる。
そんな疑念がよぎっていたが、ロールはすでに運転しながら携帯端末をいじっていた。
すぐに本部と回線が繋がったらしく、ロールは口を開いた。
「ミッションナンバー567から任務事務へ」
『確認します。ミッションナンバー567から任務事務。
しばらくお待ちください』
さっきの機械的な声が響いた。
周りの景色は流れていく。
ロールは鮮やかにハンドルを切りながら、すいすいとビルの隙間を走っていた。
多分どこに向かっているということはないのだろう。
しばらくすると、また機械的な声が響いた。
『5秒後に任務事務との通話が可能です』
「繋いで」
『こちら任務事務管轄部長。コードネーム”執行”』
機械的な声から切り替わって、今度は透き通るような女性の声がスピーカーから聞こえた。
「こちらロール」
『ロールぅ? また任務中暇だからってかけてきたんでしょー?
いいよ、丁度こっちも暇だから付き合ってあげる!
あ、そういえばパートナーいるんだよね今。死音くんだっけ?
そこにいるの?』
「ごめん執行。今それどころじゃないの。ちゃんと仕事して。
キリング40分。
ディグリーはDからA+」
『分かってるよ。大体事情は聞いてるし。ボスも結構めちゃくちゃだねー。
うーん。ディールベルかぁ。
そこのH-33から20km圏内には三人しかいないねー。
うち二人は任務中で無理っぽい。
もう一人はバカンス』
「バカンスは溜息さんよね……」
『だいぶ高くなるけどヘリならだせるよ。
本部なら今五人くらい暇なのがいる。キリング50分。』
「じゃあそれで。ヘリ代はボスに請求しといて」
『了解』
「じゃ」
ロールがそう言うと、ブツっと回線が切れる音がした。
ロールはビルの影に車を停めると、運転席のシートを倒して後ろに手を伸ばした。
そして後部座席から取り出したのは2つのアタッシュケース。
そのうち一つを俺に手渡した。
「着替えて」
俺達の初めての殲滅任務が始まった。




