彼女は二度死んだ
現在、俺がいる部屋にはロール、セン、空蝉さん、そして宵闇さんが集まっていた。
ロールは俺の傍らに、センはテーブルにもたれ掛かり、空蝉さんは丸椅子の上に胡座。そして宵闇さんは壁に背を預け、それぞれが各ポジションに落ち着いていた。
生き残ったメンバーと宵闇さんが集まって、俺はロールから現状についての説明を受けた。
Anonymousの壊滅が報道されていること。ボスが大将に昇格したこと。
それに伴い、次々と他の反社会的組織も自衛軍……いや、ボスの手によって壊滅させられていること。
セントセリア拡大化という、悪の手が届かない安全なセントセリアへの移住を推奨する計画が大々的に発表されたこと。
そして、現在俺達は指名手配されていて、宵闇さんに匿ってもらうことでなんとか自衛軍の目から逃れている……、ということ。
俺が眠っていた10日の間に、世界は大きく動いた。
「まあとにかく、よく眠れただろ」
話が一段落ついたところで、空蝉さんは愉快そうに言った。
「ええ、空蝉さんのおかげでね」
空蝉さんを軽く睨みつけて言う。
聞いたところ、俺が10日間も目を覚まさなかったのは、この人が自分の怪我を完治させるまで俺の治療に全く手を付けなかったから、らしい。
それで俺は今まで生死の境を彷徨って、ようやく危篤状態から回復したようだ。
「そりゃあ、お前だって立場が逆だったら自分を真っ先に治すだろ?」
空蝉さんは人差し指を俺の眉間に向けて言った。
そう言われると「確かに」と思ってしまう。
俺は眉間のシワを解いて、ふうと息を吐いた。
そうだ。今生きているんだから、そんなことはどうでもいい。
カサカサと、天井の上を虫が這いずる音が聞こえていた。
「じゃあ、今後のことについて……」
「待ってくれロール」
ロールが本題を口に出したところで、俺は彼女を制止した。
その前に、俺は尋ねなければならないことがあるんだ。宵闇さんに。
「ええ、どうしたの?」
「ちょっと宵闇さんに質問が」
「なんだ」
「宵闇さんは、知ってたんですか?」
ボスの野望、計画を。
視線が宵闇さんに集中する。空蝉さんでさえも、半ば真剣な眼差しを宵闇さんに向けた。
この反応。つまり誰も、このことについて聞かなかったということか。
とてつもなく重要なことなのに。
もしこうなることを知っていたのなら、宵闇さんは俺達を、組織を見殺しにしていたということになる。
いや、そもそも組織を抜けた宵闇さんに俺達を助ける義理なんてない。ないが、こうなることを知っていたにも関わらず、教えてすらくれなかったのなら、俺はもう宵闇さんを味方だとは思えなくなるだろう。
そう考えれば、宵闇さんは今俺達を匿ってくれているから、ロール達は聞くに聞けなかったのかもしれない。
そこまで考えたところで、宵闇さんは虚空に見入るような視線で口を開いた。
「いいや……、知らなかった」
その答えが聞けて、ひとまず安心する。
「本当に?」
聞き返したロールは疑うような表情をしている。
「本当だ」
そこで宵闇さんはベッドに座る俺に視線を合わせた。
俺に宵闇さんの嘘を見抜く術などないが、ここは信用しなければ話が進まない。
「じゃあ答えてくれますか。なぜ、宵闇さんは組織を抜けたんですか。何が原因で、ボスと対立したんですか?」
「……」
今まではぐらかされてきたが、今回は答えてもらわないと困る。
俺も、宵闇さんの目をしっかりと見た。
これは疑っているのではなく、知っておきたいだけだ。
宵闇さんは、俺の本心を理解してくれているだろうか。
「……よく考えたら、宵闇さんがAnonymous創設時からのメンバーなら、宵闇さんが組織の目的を知らないのはおかしいんじゃないですか? 煙さんや千薬さん、詩道さんは知っていて、ボスの味方をしていた」
「それはハイドと俺の、思想の相違だろう」
俺の言葉を遮るように宵闇さんは言った。
思わず黙り込む。
「俺達はお互いのことを理解しているようで、理解していなかった。考えていることが違った。
だからハイドは俺も殺すつもりだったのかもしれないな」
「なるほど。じゃあ……」
「音楽性の違いで解散、みたいな」
「空蝉さんは黙っててください」
急に茶々を入れてきた空蝉さんをひと睨みして、俺は宵闇さんに視線を戻す。
「じゃあ対立の理由もそれなんですね」
「それは違う。そんなことで組織を抜けたりはしない。
俺が組織を抜けたのは……」
そこで初めて宵闇さんが目を伏せた。
彼は大きく息を吐き、躊躇うような表情を見せる。
宵闇さんとは短い付き合いではあるが、こんな顔をするとは意外である。
そんなに、胸の奥に閉まっておきたいことなんだろうか。
でも、こんな状況になっている以上、俺達にはそれを聞く権利があるはずだ。
しばらく待つと、宵闇さんはポツリとつぶやいた。
「女だ」
まさかの言葉だった。
ボスと宵闇さんの対立の理由が、女?
視線をロールに移す。
ロールは俺を見て首をフルフルと横に振った。そんな話は聞いたことがないといった様子だ。
センは……、話についてこれていないか。
ハッと笑い、真っ先に反応したのは空蝉さんだ。
「流石に冗談だよなァ? よりにもよってあの頃の宵闇と! ハイドが! 女を理由に支部一つ消し飛ばす喧嘩ってのはヤバイだろ! いや馬鹿にしてるわけじゃないぜ? むしろ……」
「空蝉さん、黙ってくれませんか」
「オーケーオーケー。黙ってる」
宵闇さんの会話には、独自のペースがある。まだ続きがあるはずだ。
そう思って宵闇さんの言葉を俺は待った。
しばらくの沈黙の後、宵闇さんは言葉を紡ぐ。
「ハイドはある女を、殺した。俺の……。……それが対立の理由だ」
「……」
……なるほど。そういうことか。
それなら十分脱退の理由になる。
「でも宵闇さんは前に、ボスのことを憎んでいる訳ではないと言っていました。組織を抜けたことを後悔している、と。
そんなことがあったのに、あれは本心だったんですか?」
「ああ。俺も散々誰かの愛する者を殺してきた。それを思うと、自然と怒りも風化する」
「……そうですか。では、なぜその女の人はボスに殺されたんですか?」
「俺が愛したからだ」
宵闇さんがそう言い切ったことで、この問答に区切りをつけようと俺は思った。
ここまで話がズレると、宵闇さんの組織の離反は、今の状況とはなんの関係もなかったことが分かる。ただ私情が入り混じって起きた些細な……と言ったらアレだが、争いだ。ボスは宵闇さんを、その女性から切り離したかったのだろう。
「へぇ。まあそれはともかく、その女ってのは一体誰だよ。俺としてはそれが一番気になるな」
そこまで宵闇さんに答える義理はないだろう。
これだけ話してくれたんだから十分だ。
と、言いたいところだが、正直に言えばそれは俺も気になっている。宵闇さんの愛した女性なんて全く想像できない。
宵闇さんは顔を顰めていたが、俺は彼に「答えなくていいですよ」とは言えなかった。
結果、宵闇さんは重々しく口を開くことになる。
「……コードネーム観測者。
と言ってもお前たちの知る観測者ではなく、その、前任者だ」
「前任者……?」
……ん? どういうことだ。あの観測者の前に、別の観測者がいたということか?
いや元々観測者はトップシークレットで
、俺達が観測者について知ったのは組織壊滅の寸前。それについては俺達が知る由もなかった。
「ああ。殺されて、お前らが知る観測者が新しく選ばれた」
つまりボスは、過去にも組織の仲間を殺していたんだ。
「ってなってくると、宵闇が愛したって理由だけじゃ納得できないぜ。もっと別の、明確な理由があんじゃねえの?」
空蝉さんの言う通りだ。
「それをハイドが答えなかった。だから」
「だから殺し合いになったんですね」
支部を一つ吹き飛ばす程大規模な。
つまり、宵闇さんが愛したから、という理由も宵闇さん自信の推測でしかないわけか。
「……だがそうだな。この計画が当時からハイドの念頭にあったのなら、ハイドにとって観測者は邪魔な存在だったのかもしれない。
思えばハイドは観測者を、制御しきれていなかった。彼女が人智を超えた感知能力を有していた故に」
少しの違和感。
《体と脳を切り離され》
「それもあって、丁度いいから始末しとけって感じか」
《数年ぶりにこうして人間の言葉を話すことができるんだ》
待ってくれ。
「で、前任者の方はちゃんとした人間だったんだよな? 観測者っつッたら俺はあの姿しか想像できないからよ」
俺は空蝉さんの発したその声を、消していた。
ゴクリと唾を飲む。
そして空蝉さんが俺を見ていた。
「なぜ音を消した。死音」
「……すいません、ちょっと能力の調整ミスです」
宵闇さんは俺を訝しげな目で見ている。
隣の部屋にある時計の秒針を刻む音が、やけに大きく聞こえた。
もし"そういうこと"なら、事実を知った宵闇さんはきっとショックを受けるだろう。
「……。ちゃんと人間だったのか、というのはどういう意味だ。空蝉」
唇を読んでいた。
ダメだ。宵闇さんを能力で誤魔化すことはできない。
「うつ……」
俺は空蝉さんにのみ聞こえるよう、音を送ろうとした。
が、宵闇さんのひと睨みで俺はそれを止める。
やがて宵闇さんが空蝉さんに視線を戻した時、俺はゆっくりと人差し指を唇の前に持っていく。
しかし空蝉さんは俺のジェスチャーを無視するかのように、ぐるんと丸椅子ごと回転して宵闇さんの方を向いた。
これはもしかすると、本当にまずいかもしれない。
空蝉さん、頼むから察してくれ。
「どういう意味って聞かれても、そのまんまの意味だぜ?」
空蝉さんは、千薬さんとの戦闘で、観測者が現れたあの場にいなかった。ロールも、センも。
あの場にいたのは観測者を除いて俺と弦気とボスだけ。
それが今、仇となる。察せないのだ。
「俺がこの前見た観測者は、女かどうかも分からねぇ"脳みそ"だったからな」
宵闇さんの表情から目が離せなかった。
「………死音、お前は何を知っている」
「何も……」
「答えろ。俺が抜けた後の観測者は、何だ」
"観測者"はAnonymousの最高機密。組織を抜けた宵闇さんに、知る由はなかった。
ボスの手によって壊滅させられる間際まで、誰も知らなかったのだから。
「……」
「そういう、ことなのか?」
ゾワッと。
ロールが、空蝉さんが、センが、そして俺も。
一気に部屋の壁まで跳ねていた。
否、本能的に宵闇さんから距離を取った。
「え、ちょ……宵闇さん……?」
「オイオイオイ!! 何だ!? ウッソだろオイマジかすげぇ!」
「何なんだよもぉ……」
ゴクリと、唾を飲む。
「……宵闇さん、落ち着いてください。早計です」
震えた声で言う。これがかつてAnonymousで最も恐れられた男の威圧。
あのボスと張り合えるであろう唯一の人間。
こんな殺気。近くに実力者がいれば、すぐに自衛軍が集まってくるぞ。
「知っていること、全て話します。落ち着いてください」
「いい。ハイドに直接聞きにいく」
「止めろ!」
扉に向かって足をずらした宵闇さんを見て、俺は叫び、そして動いた。
宵闇さんに飛びかかる。
遅れて空蝉さん、ロール、センも動く。
そして全てが同時に処理された。
宵闇さんは一歩も動かないままで、俺達は謎の力で地面に組み伏せられていた。
これが、闇を扱う能力。
視界が黒く染まっていく。
"暗目"
宵闇さんの視界を奪う技。俺達の瞳孔の"黒"でさえ、彼の領分だ。
「なにこれ……!」
本来ならそのまま失明だが、これはただ瞳が黒で覆われているだけ。
宵闇さんの足音が扉に向かう。
視界を奪われた今、彼を追えるのは俺だけか。
「すげぇなァ宵闇! 強すぎんだろこんなの!」
くっそ、そんなこと言ってる場合じゃない。
いくら宵闇さんでも、今ボスのところに向かうのは自殺行為だ。
ボスのいるセントセリアには、何人の大将中将がいると思っているんだ。
宵闇さんが死んだら俺はどうなる!
「ロール、床を壊してくれ!」
なんとしてでも止めなければならない。
「分かったわ!」
バキバキバキ、と床が割れる音が聞こえ、その後の衝撃で落下感。拘束は解ける。
俺達は二階の床を突き破り、一階に着地した。




