魂の崩壊
詩道さんと戦うにあたって、一番警戒しないといけないことは、自分が発生させた距離を支配されることだった。
こちらから動かなければどうこうされることはないのに、イケると思ってしまったのだ。
血刃を受けた肩を押さえ、俺は息を整える。
……状況はもう覆せない。千薬さんが少し力を込めるだけで、俺もロールも死ぬ。
俺は首を回し、後ろの三人を視界に入れてなんとか動悸を抑えようとしていた。
何か手は。
「詩道、無理をするな……。ここは私が」
フラつきながら起き上がった詩道さんを、千薬さんは支えた。
詩道さんはかなり消耗している様子だが、なぜだ……?
……もしかすると、無限回廊を限界まで展開していたからああなったのだろうか。
範囲も前と違って、かなり広かった。
「千薬は……、手を出さないで……。ここは私が……」
「…………。分かった」
そう言って一歩下がる千薬さん。
逆に、詩道さんはロールの方に一歩進む。
夏なのに、彼女は相変わらず暑そうなコートを着ていた。
千薬さんは動かない。代わりに、俺の肩に潜ませている血をほんの少し動かし、俺を牽制した。
何もするなよ、ということだ。
傷口を抉られる感覚。
歯を食いしばって、俺は痛みに耐える。
「詩道さん……、どうしてなの……」
ロールは詩道さんと向かい合って、声を絞り出した。
詩道さんはしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開く。
「……、ロール。本当に、あなたには……申し訳ないと思ってるわ……」
「…………」
「だけどこれは……、最初から……決まっていたことなの」
煙さんも同じようなことを言っていた。
最初から決まっていたこと……?
ということは、煙さん、千薬さん、詩道さんの三人は最初から裏切るつもりだったってことか?
この三人における共通点は……、幹部という点と、あと観測者に関わることができるという点。
千薬さんは違うか……?
いや、そうだ。俺が観測者を人間だと思っていたのは、千薬さんが定期的にメンテナンスを行っていたからという理由もあった。
もし推測通り、観測者があの"脳のようなもの"だったなら、医者である千薬さんにしか扱えないような領域も存在しているはず。
彼女は観測者を直接使役することはなくても、診ることはあったのだ。
「……詩道さん達が組織を裏切ることが、決まっていたの……?」
ロールが言う。
色々と考えたが、次の詩道さんの言葉が答えだ。
しかし内心、俺にとってそんなことはとうどうでも良くなっていた。
理由はどうであれ、この二人は敵だ。
そして真実が語られたとしても、その後俺達はどうなる?
当然、殺されるだろう。
きっと真実を語るのは、ロールに対する詩道さんの、せめてもの罪滅ぼしだ。
そんなクソみたいな申し訳程度の贖罪で時間が稼げているのだから、俺としては好都合だが。
「それは……」
「詩道」
千薬さんが彼女の名を呼んだ。
途端に、詩道さんは後方に回避する。
ズドン、と。彼女のいた位置に小さなクレーターができた。
すぐさま上空を見上げる。そこにいたのは空蝉さんだった。
彼はスタッとロールの前に降り立って、腰の刀に手を添える。
「空蝉……」
「やぁ詩道、千薬。こっちの僕とは久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
空蝉さん。やはり気づいてくれたか。あの音撃は正解だった。
俺が接近する空蝉さんに気づけなかったのは音の感知を最小限にしていたからだった。
せめて一瞬でも無音世界を展開できたなら、歪曲音でこの戦況を変えられる。
そう思って、少しでもスタミナを回復させようとしていたのである。
が、その必要ないらしい。
空蝉さんが間に合ったし、中央出入り口の方から走って来たのは百零さんを筆頭とする生き残った構成員達。
詩道さんの能力は発動しない。
もうそれだけの体力が残っていないのだろう。
二人を囲むように、総勢18人の構成員が広場に集まった。
各々が臨戦態勢。百零さんはその大太刀を構え、火矢さんは炎の弓の照準を合わせる。それに合わせて、俺も少し距離を詰めた。
千薬さんは殺そうと思えばいつでも俺とロールを殺れるはずだが、それをするつもりはないようだ。
それもそうだろう。この状況で俺とロールを殺せば、それが開戦の狼煙。
この人数差。間違いなく勝てる戦いではない。
詩道さんから少し離れていた千薬さんが、その距離を詰める。
「千薬、……空蝉を頼める?」
「ああ」
それに頷いたのを見て、俺達は構えた。
誰もが彼女達から均等な距離感を保つ。
詩道さんが疲弊しているのは一目瞭然。だが、油断できる相手では決してない。
この二人は、それぞれAnonymousにおいて"最強"を名乗っても良い二人だ。
千薬さんが戦えることは知らない人も多かったみたいだが、今はそうではない。
なぜなら、あの空蝉さんを殺気で牽制し、誰一人として動くなという雰囲気を纏っているからだ。
「場所を移すかい? 千薬」
空蝉さんは言った。
千薬さんは詩道さんの方をちらりと見る。俺の位置から見えるのは彼女らの背中だが、視線をやったのは分かった。
「……いいわ、千薬。行って」
「……じゃあな、詩道」
「ええ、また地獄で会いましょう」
千薬さんが足元に置いてあったリュックを空高くに放り上げる。
「ついてこい、空蝉」
リュックを切り裂いたのは彼女の血刃。破裂したリュックから大量の血が拡散し、収束する。血の塊は一度重力に従って地面に落ちかけたが、勢い良く舞い上がった。
それを追いかけるように千薬さんも飛び立つ。宙に浮く血を足場にして、千薬さんは包囲を抜け、先へ先へと飛んでいく。
空蝉さんは嬉しそうにその後を追っていった。
残ったのは詩道さん。そして、俺達は彼女一人を包囲している。
沈黙が続いていた。
答えの続きが聞ける雰囲気ではなくなって、ロールは押し黙っている。
しかし、結果的に話題を戻したのは百零さんだった。
「詩道……。目的はなんだ。なぜこんなことを」
その言葉はすでに聞き飽きていた。
どうでもいいから早く殺すべきだ。彼女は今、相当弱っている。おそらく、ナイフ一本振るう力も残っていない。
立っているのがやっとのはずだ。
だけど俺は口を挟めなかった。
百零さん達も、ロールと同様に色んな疑問や思いが頭の中で渦巻いているのかもしれない。
俺にできることは、なんとか詩道さんを射程圏内に入れて、保険を掛けること。
俺は一歩を踏み出してみる。俺から発生した距離を詩道さんは感知しているはずだが、能力の使役はない。
「ロール」
百零さんの問を無視して、詩道さんはロールの名前を呼ぶ。
「詩道さん……」
「あなたのことは、本当の娘のように思っていたわ」
詩道さんがコートのボタンに手をかける。
その一連の仕草の中で彼女はポケットからライターを取り出した。
「……ハァ、ハァ」
彼女はとうとう立っていられなくなったらしく、ガクンとその場に膝をつく。
同時に、コートが脱げ落ちた。
どさりと、コートが落ちたにしては重い音が響く。
そちらに視線をやると、コートの内側には大量の爆薬が仕掛けられていた。
それに驚いている暇もなく、詩道さんはパチンと左手のライターに火を灯した。
「不味い……」
この状況、何をするかなんて誰でも分かる。
あの爆薬の量、この距離なら確実に巻き込まれるだろう。
いや、どんなに距離が離れていても、詩道さんの能力なら爆発は届いてしまう。
1秒ほどの間が空く。
さっそく遠くでは千薬さんと空蝉さんの戦闘音が鳴り響いている。
そんなどうでもいいことに意識を向けてしまう程、どうしようもない状況だった。
クソ、どうする……!
次の瞬間にはほとんどの人が背中を向け走り出していた。
詩道さんが導線に火をつける。
「全ては彼のために……」
彼女が何やら呟いたが、気にしている暇はなかった。
とっさに俺は叫ぶ。
「百零さん!」
百零さんの空間固定なら、爆発を防ぐことができるはず。
「分かってる……!」
間に合うか……!
ふと、俺は視界の端に突っ立っているロールを見つける。
「ロール!」
何を突っ立っているんだ……!
俺は足を止め、そちらに向かおうとしたが距離的に間に合うはずもない。
ロールは、詩道さんを挟んで反対側にいるのだ。
「ロール! 動け!!」
叫ぶ。
彼女は動かない。直後。
カッ!
そんな爆発が起こった。目を瞑る。
爆風によって、俺は後方へと吹き飛ばされた。
ボロい木造の家に叩きつけられて、俺はその場で大きく咳き込む。
だが大したことはない。
百零さんの空間固定が間にあったのだろうか。
やがて爆風とその地鳴りが収まると、俺はゆっくりと目を開ける。
そこには凄惨な景色が広がっていた。
壁に叩きつけられて死んでいる者、散らばる肉片。
詩道さんがいた場所を中心に、クレーターができている。しかし、3方向に渡って地面は削られていなかった。
ガラリと、隣の瓦礫が持ち上がって、そこから百零さんが現れる。
「……すまん。二面しか展開できなかった」
嘘だろ……。ってことは他のみんなは……。ロールは……。
俺は激痛の走る体をなんとか起こして、足を引きずりながら詩道さんのいた爆心地へと進む。
キョロキョロと辺りを見渡す。村の民家には火が上がっていた。
音の感知を広げる。
聞こえる心音は、俺と百零さんを覗いて僅か三人。
心音を辿って視線を移してゆくと、そこにはヒキサキさんが立っている。
そして、そのすぐ近くにロールが尻もちをついて呆然としていた。
そうか、ヒキサキさんの能力で爆発の進行方向を変えたのか。
だけど、そのせいで逆方向は悲惨なことになっている。あっちにいた人達は全滅だ。
まあ、彼が生き残るためには仕方なかったのだろう。
俺は肩を押さえ、足を引きずりながらロールの元へ進む。
ガラガラと、すぐ隣の崩れた民家の中から火矢さんが現れた。
「けほっ、けホッ……。クッソ、クッソ!」
彼女に目立った負傷はない。生き残ったのは、この五人だけか。
そう思っていると、燃えている民家の中から今度は裸のセンが現れた。
「今のはマジでビビったわ……」
そうだな、あいつは不死身だった。
ということは、生き残ったのはこの六人か。あとは空蝉さんと千薬さんの戦いがどうなるか、だ。
やがて、俺はロールの元まで辿り着く。
その5、6メートル程隣に立つヒキサキさんは、左手で顔の半分を押さえていた。
おそらく、自分の身を守るために大勢を死なせてしまったことを悔やんでいるのだろう。
「今のは、仕方ないことですよ」
こんな励ましが気休めになるかは分からないが、一応思ったことを俺はヒキサキさんに伝えた。
「ロール、立てるか?」
目の前に立って、俺はへたり込んでいる彼女に手を差し伸べる。
ロールは詩道さんのいた場所を呆然と見つめて、呟いた。
「詩道さん……どうして……」
それを見た俺は、ロールの手を引いて無理やり立たせると、彼女の頬を本気で殴った。
わざわざ立たせたロールは俺が殴ったことにより、再び地面に転がる。
「……殺すわよ」
彼女は俺を睨む。
「こっちのセリフだ。殺すぞ」
言うと、駆けつけてきた百零さんが俺とロールの間に割り込んだ。
「オイ、寄せよ死音」
「百零さん……。どいてください。ロールには言っておかないといけないことがある」
「だからって殴ることはないだろ。こんな状況で争ってどうする」
「こんな状況、だからこそですよ。この有様じゃAnonymousはもう終わりだ。だけど、それでも俺とロールはまだパートナーなんです」
地上に出る時、彼女を選んだのもパートナーだから。信用していたのだ。
百零さんはしばらく俺の目を見据えていたが、観念したように俺とロールの間から抜けた。
ロールは俯いて黙り込んでいる。俺は一歩進んで言った。
「俺達、あんまり良いパートナーじゃないよな」
「……そうね」
彼女の頬は赤く腫れていた。本気で殴ったのだから仕方ない。
「でもお前、初めて会った時俺に語ってくれたじゃないか。Anonymousにおけるパートナーの在り方を」
「ええ……」
俺は一応頑張ってきたが、ロールの理想にはなれないだろうといつからか確信していた。
自分の命に賭けてロールを守る自信がないから。
だけど、それでも俺は、誰かとロールが天秤にかけられた時、迷うことなくロールを選ぶ自信がある。
覚悟していても、その状況の目の前に立ったら行動できないことは仕方ない。
俺にも経験がある。
「……ごめんなさい」
謝罪を求めているわけではなかった。
俺は自分のことを棚に上げているだけだ。言いたいことは一つ。
これからもパートナーとしてやっていくなら、ロールにだけ分かっていて欲しいこと。
「自分が死んだらそこでお終いなんだよ」
駄目だ。俺も言いたいことがちゃんと口にできない。もっと分かりやすく、うまくまとめて伝えたかったのに。これじゃ何を言っているのか分からない。
口を半開きにしたまま次の言葉を考えていると、ロールの瞳からボロボロと涙が溢れ出した。
俺は考えていた言葉を諦めて、ロールに手を差し出す。
「……立てるか?」
「……うん」
差し出した手を掴み、立ち上がるロール。
すると、彼女は嗚咽を上げて泣きはじめた。
もしかすると、ロールは背伸びしていたのかもしれない。
優しいやつだし、ずっとこの組織にいたから、ある意味対応力が無く、精神的にも弱い所があったのだろう。
彼女を抱き寄せたかったが、そうしている場合ではない。
俺達は、ここから脱出しなければならないのだ。
遠方では空蝉さんと千薬さんの戦いが続いている。だが、掩護は必要ないだろう。
「そう言えば、ボスはどこにいるんだ」
ふと、ヒキサキさんが思い出したように言った。
俺も激しく移る状況の中で、すっかりボスの存在が頭から抜け落ちていた。
その通りだ。詩道さんの無限回廊が解かれているというのに、ボスは戻って来ていない。
なぜだ。
丁度、そんな疑問が浮かんだ時だった。
「頃合いか」
ボスの声だった。
その声に、俺達は振り返る。
同時に驚愕し、頭に新たな疑問が浮かび上がっていた。
振り返った先、
そこにいたのは確かにボスだった。
彼は元からそこにいたと言わんばかりの物腰で、静かに佇んでいる。
だが、漆黒のコートを羽織り、トレードマークである奇妙なマスクをつけたボスの姿はそこにはいない。
「なんで……」
俺達がそこで見たのは、白い軍服に身を包み、胸に三つの星を輝かせるボスの姿だった。
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