死の崩壊
寸前まで近づいていた煙さんが爆散することで、俺は血肉を被り、そして心音撃を使ったことによるスタミナ消費で何歩か後退した。
よろけ、その場に倒れそうになるのを堪える。
「ハァ、ハァ……」
心音撃をこれ以上使用するのは避けた方が良さそうだ。
俺は両手を見つめ、思った。
能力を酷使しすぎている。医療室で回復していなければ今頃ぶっ倒れていることだろう。
とっさに心音撃を使ってしまったが、今のは音撃でも良かったかもしれない。クソ、無駄なスタミナ消費をしたか。
だが、確実に仕留めるという意味では正解だ。範囲攻撃の音撃は、達人レベルの敵になってくると仕留めきれなかったりする場合がある。決め手として俺は音撃をあまり信用していない。
「ハァ……、ハァ……」
呼吸を整えながら、俺は溜息さんの元へ歩み寄り、その場に片膝をついた。いつしか溜息さんはお腹を押さえながら仰向けになり、横たわっている。
「……強く、なったな」
「……でしょう」
口からは血を流す溜息さん。毒は、もう回り始めただろうか。
呼吸は荒く、流れる血は止まらない。
その様態をみて俺は再確認した。
溜息さんは助からないだろう。
溜息さんもそれが分かっていて、俺はそれ以上は何を言っていいのか分からなくなっていた。
これから死にゆく人に向ける言葉なんて……。
今だ硬直しているセンを見やる。
謎は多い。そしてやらなければならないことも多数思いつく。
森の中で戦闘音が響いていた。千薬さんと空蝉さんの戦いだ。
溜息さんのことは諦めて、まずはアジト内部に向かわなければ。
そう思ったが、足は動かなかった。
「行け。お前は、生きろ……」
俺の内心を悟ったのか、溜息さんは空をぼんやりと見上げながら言った。
すくっと、俺は立ち上がる。そうだ、行かないと。
俺は彼女に背を向ける。
「今まで、ありがとうございました」
そう言って走り出そうとした時、溜息さんがゴホッと咳き込んだ。
足が止まる。
同時に、森のどこかでドゴンという大きな音か響いて、続いていた戦闘音が止んだ。
そちらも気になったが、俺は溜息さんの方に視線を向ける。
すると、溜息さんは俺の方に首を向けていた。
「……死音、やっぱり一つだけ、いい……か……?」
「はい」
俺の返事を聞くと、溜息さんはゴロンと顔を反対方向に向け、言った。
「……じゃあ……キスしてくれ」
思わず聞き返しそうになったが、俺は二つ返事で頷く。
それくらい。時間がないこの状況でも溜息さんのためなら躊躇わない。
「思えば……、お前は私のこと、を、好きだと言ったのに……、あれ以来、してくれなかったな……」
あれ以来のあれとは、あの修行のことだろう。
……そう言えば、そんなことも言ったな。
俺はもういちど溜息さんの元に膝をつくと、その唇に自分のそれを近づけていく。
溜息さんの唇は血で濡れている。
丁度その時、森の奥から空蝉さんが現れた。
空蝉さんは負傷しているようで、右肩を押さえている。逆方向に撤退していく音を聞く限り、千薬さんは仕留めた訳じゃないらしい。
俺は目を瞑り、溜息さんに口づけをした。血の匂いに混じって、溜息さんのいい匂いがしていた。
ほんの数秒だけ唇を重ねて、俺は顔を離し、立ち上がる。
溜息さんは薄く微笑を浮かべている。
「……行きます」
「……ああ、じゃあな」
そう言って、溜息さんは目を瞑った。
脱力した。気を失ったらしい。
心臓は弱々しいが、まだ脈打っている。しかし彼女はもう目を覚まさないのだろう。
「…………」
空蝉さんが俺の元まで歩いて来た。
彼の右肩の傷は結構深い。
そして溜息さんの死を前にしては、流石の空蝉さんもいつものヘラヘラとした笑みを浮かべられずにいるようだ。
「どうしてキスしてるんだい?」
その割にはかなり野暮なことを聞いてきた。
「なんでって……」
「まあいいか。とりあえず治すね」
「は?」
空蝉さんは溜息さんの近くに片膝を付け、彼女のシャツを思いっきりめくりあげ、その傷口に手を当てた。
すると、その傷口が端からじんわりと塞がっていく。
「……!」
俺は目を見開く。そして理解が追いついた。人格が反転している。
そうか、これは……、千薬さんの治癒加速。この人……。
「まさか、千薬さんからコピーしてきたんですか……?」
「そうだよ。千薬が敵になるんならこの能力は必須だ。音支配は捨てることになったけどね」
空蝉さんに盛大な拍手を送りたくなった。思わず抱きしめたくなる。
それらを堪えて俺は目を瞠った。
完全に失念していた。千薬さんが敵になっても、空蝉さんが彼女の能力をコピーすればその穴は埋められる。
この人、最初からそのつもりで千薬さんと交戦を始めたのか。
初めて会った時はとんでもない粗大ゴミだと思ったが、ここに来てかなりキレているぞ。
「傷の方はまあ大丈夫そうだけど、毒の方が不味いね。一旦アジトに戻って解毒しないと、死ぬ。アジトの中はどうなってるんだい?
あと、煙は君が?」
「はい。
アジトの中については分かりません。センに向かわせようとしたんですけど……」
ちらりと視線を流す。センは申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。
俺と空蝉さんの視線が突き刺さり、センはしゅんとした様子で頭を垂れる。
「今から行ってきて」
「わ、分かった……」
すっかりAnonymousの下っ端になっているセンだが、先程の状況でセンも敵になっていたら、さらに不味い状況になっていただろう。
走っていったセンの背中を見ながら俺は思う。
「……千薬さんは?」
俺は一応確認しておく。
「逃げられた。というよりは能力をコピーした代わりにこの肩のダメージで手打ちだよ。ま、治せるんだけど」
やはり千薬さんとの決着はつかなかったのか。
やがて溜息さんの傷口は塞がり、空蝉さんは彼女の体を横抱きにして持ち上げた。
「僕達も向かおう」
「いや、待ってください」
俺は斜面になっている森の中の、木々の隙間からデリダ中央出入り口を見た。
戦闘が始まっている。百零さんの能力が切れたか、それとも中で何かがあったか。
煙さんの作戦はおそらくこうだったはず。
溜息さんや空蝉さん、ここに連れてきたメンバーをこっちに隔離してから始末、または足止めし、その間にアジト内部を殲滅する。
殲滅せずとも、撹乱すれば自衛軍が片付けてくれる。
しかし自衛軍の数が少ないのは、最初からいなかったということなのか……?
会議中に来た伝令は2000人を超えると言っていた。
煙さん自身も、圧倒的な敵戦力を匂わせるようなことを言っていた。
それが最初から嘘だったということか……?
思えば、Anonymous対策部署にそんな兵力があるはずがなかった。
地上デリダの構成員はしっかりと殲滅されている。
だが、地上の末端共を殲滅するのは少ない戦力でも時間があれば難しくない。
もしかすると、だから地下駐車場への入り口が見つかるのも遅かったのだろうか。
「残っている兵数はざっと見て150人、それ以下です。
とりあえずあれを殲滅するくらいなら、空蝉さん一人でもなんとかなると思います。当初の予定通り、挟撃してみませんか?」
「アジトの中がどうなってんのかも分からないんだよ。状況はめちゃくちゃだ」
「でも状況を整理するためには一旦あの雑兵を片付けた方がいい。
というか、そんなこと言ってる割には疼いてるんじゃないですか? あの人数と一気に戦うの」
空蝉さんは、人格が反転しても求めるものは変わらない。
圧倒的な戦闘欲。
「まあ、否定はできないね」
「ではお願いします。溜息さんと、アジトの中については俺に任せてください」
空蝉さんから溜息さんを引き受け、俺は彼女を負ぶった。
空蝉さんは何がおかしいのか、笑いながら俺の肩をパシッと叩くと、戦地へと飛ぶ。
それを見て、俺は先程の避難口へと走った。
詩道さんの無限回廊が展開されているのは、おそらくAnonymousの増援をここまで辿り着かせないためだろう。
この状況での無限回廊はこちら側にメリットがなさすぎる。
よって、詩道さんも敵だ。
つまり、ボスは詩道さんに足止めされているのだろうか。Anonymousの首領たるボスまでが敵だとは流石に考えにくい。
避難口まで辿り着いた俺は、近くの木に射出機のワイヤーを巻きつけ、それを伝ってなんとかアジトの地下二階まで降りた。
「ハァ……ハァ……」
溜息さんを担ぎながらだったので、かなり体力を使った。
俺は息を整えて、再び走り出す。地下二階は静かだった。全ての構成員が中央出入り口付近に集められているからだろう。上は騒がしい。
まずは医療室へ向かう。
丁度地下二階にも医療室はある。俺が先程運び込まれた所だ。
その医療室の扉を開くと、先程と変わらない風景がそこに広がっていた。
医療担当の構成員が忙しそうに走り回っている。
俺は一番近くの空いてるベッドに溜息さんを寝かせると、近くの医療担当を呼び寄せて、溜息さんのことを任せる。溜息さんの治療と解毒を優先するように言う。
ここの人達は状況が何も分かっていないようだが、却って混乱するのも避けたいので、俺は状況を伝えないことにした。
すぐに医療室を出ると、俺は急いで地下一階の中央出入り口に向かう。
地下一階に音の感知を広げると、敵が押し寄せて来ているのが分かった。
廊下の先の方では自衛軍との混戦になっており、明らかにこちらの数が少ない。
その混戦の中で、センの赤髪を見つける。
彼女の能力は閉所では役に立たない。センも地上に回すべきだったか。
彼女をここに向かわせたのは俺ではないが。
「セン、状況は誰かに伝えたか?」
俺は遠距離からセンに音を届ける。
「この状況、それどころじゃねーよ!」
こいつ、本当に使えないな。
だけどこの状況だとこちらも煙さんに撹乱された可能性が高い。
それぞれが俺達の状況も察しているんじゃないだろうか。
俺はセンを無視して、廊下を引き返し、敵の少ない別の通路から進む。
敵味方の死体がゴロゴロと転がっているが、やはり味方のモノが多い。
上から見た敵兵力だと、あの状況でも負ける要素はほぼなかった。
煙さんの目的は、おそらく余裕で勝てる戦いに、めちゃくちゃな指示をして負けることだったのだ。
アジト内部の敵が目に見えて減っていくのが分かった。地上で空蝉さんが暴れ回ってくれているのだ。
敵の攻め手が緩んだ隙に、俺は一気に前線へと繰り出す。
すると、そこにはロールと百零さん、その他構成員が敵の侵入を最小限に押さえていた。
火矢さんとヒキサキさんもまだ生き残っている。
「ロール!」
「死音!」
名前を呼ぶと、こちらまで駆けて来たロール。
即座に百零さんが空間固定を展開し、俺、ヒキサキさん、火矢さん、百零さんを含めた複数の構成員がいる空間は一時的に絶対防御のシールドを得る。
「状況は?」
俺は聞く。
「煙が裏切ったのよ……! いきなり分身を増やして片っ端から殺していって……! ……でも途中で分身が全部消えたから、なんとか今は持ちこたえてるわ。状況は絶望的よ……」
なるほど、俺が本体を殺したからこっちも分身は消えたのか。
「ハァ、ハァ……。それで、この状況ってなわけだ。そっちは……大丈夫だったのか?」
百零さんは苦しそうに肩を上下させながら聞いてきた。
かなり消耗している様子で、この5面展開もあまり持たなそうだ。
「千薬さんも敵です。ついでに詩道さんも。
外は無限回廊が展開されていて増援はここまで辿りつけないようになっています
顔面パンチさんが死亡、溜息さんも重症を負いましたが、先程に医療室に運び込んで、多分……助かると思います」
俺が各所を省いて短く簡潔に説明すると、それぞれが苦々しい表情でリアクションをとってみせる。
「千薬さん……、それに詩道さんが敵って……、そんな……」
ロールが呟いた。
「とりあえず、これ以上の話は後にしましょう。一旦敵を片付けてから」
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