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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
九章
118/156

歪んだ崩壊

 頭が真っ白になっていた。理解が追いつかず、視界がグワングワンと揺れる感じがする。

 一体何が起こっている……?


「煙テメェ……、何のつもりだ」


 空蝉さんは押さえつけていた煙さんの分身の首を折る。すると、その分身は白煙として霧散し、宙に消えた。

 俺を狙った分身が、空蝉さんから距離を取る形で数歩後退る。


「答える義理はないさ」


 煙さんはそう言って、顔面パンチさんの首からナイフを引き抜いた。彼はその場に倒れ、絶命。

 目を見開いたままの亡骸から俺は顔を横に背けそうになる。


 そして、もう一方の煙さんは、溜息さんからも荒々しくナイフを引き抜き、よろけた彼女に再度その刃を突き立てようとした。


「ぐゥ……ァ!」


 バッと、溜息さんはギリギリの回避をして、後退した先に膝を付く。

 溜息さんのシャツは血で真っ赤になっており、彼女は息を荒くしそれを右手で押さえていた。


「溜息さん……!」


 俺は彼女の元へ駆け寄り、そして叫ぶ、


「千薬さん! 治癒を!」


 俺は必死の形相で千薬さんの方に振り返ったが、彼女はいつもの落ち着いた表情でそこに佇んでいた。

 眉が自然と額の方へ寄って行く。


「千薬さん……?」


 俺から視線を外さないまま、彼女は苦笑いして言った。


「すまないな、死音くん」


 白衣の袖口からスッとメスが降りてきて、彼女はそのメスで自分の手首を切った。

 流れ、滴っていく血滴の軌道が形としてそのまま形成されていく。彼女の片手に鮮血の刃ができあがっていた。


「嘘でしょう……、千薬さんまで……?」


 息がどんどん荒くなっていく。

 視界の端のセンをチラリと見ると、彼女は千薬さんを凝視したまま怯えた表情でゆっくりと後ずさっていた。あの様子だと、あいつは敵ではない……?


 溜息さんの荒い息が俺の思考を焦らせていた。


 駄目だ、考えろ考えろ考えろ。

 どうすればいい? 俺は、どうすればいい?


「死音……」


 ふと、溜息さんが呟く。


「ハァ、ハァ。煙の、ナイフには……、毒が塗られてある、はずだ……。……私はもう、……ダメだろうな……」


「そんな……、馬鹿なこと言わないでください」


 少しずつ平静を取り戻しつつあったが、彼女のその言葉で再び頭が真っ白になった。


「ハァ……、ハァ……」


 溜息さんに合わせて、俺の呼吸も荒くなっていくばかり。

 彼女の致命傷は一目瞭然だった。


 千薬さんと煙さんを倒したとしても、溜息さんの治療は間に合わない。

 そもそも治療ができる千薬さんが敵なんだからどうしようもない。センもなぜか戦意を失っているようで、硬直したようにその場を動かなくなっていた。


 なんだ。何が起こってる。


 俺は煙さんと千薬さんを牽制しながら、真っ白になった脳内にこの場を切り抜ける算段を書き込んでいく。しかしその端から思考は白紙に戻っていった。

 俺の頬に涙が伝う。


 駄目だ。溜息さんはここで死ぬ。


 必死に考えたが、出た結論はそれだった。


「なあ煙……、どうしてなんだ……。教えてくれ」


 その時の溜息さんは、泣きそうな顔で煙さんを見上げていた。煙さんの持つナイフには、溜息さんの血がべっとりと付着している。


 傷は激しく痛むだろう。だけど彼女は顔を上げて煙さんの瞳を見据える。

 こんなにも余裕のない溜息さんは初めてだった。その瞳に浮べた涙を見て、俺はどうしようもない、泣き出したいような気持ちになる。


 溜息さんはこれまでずっと組織に尽くしてきたのだ。彼女の人生は、それだけで形作られている

 それがこんな結末なんて、流石にないだろ。


「溜息。お前のことは妹のように思っていた」


 煙さんは無表情のまま言った。

 溜息さんは目を細め、何かを悟ったような顔をする。そして彼女は目を瞑り、煙さんから視線を外して俯いた。


「……どうして。何が目的なんですか、煙さん、千薬さん」


 俺は問う。問わずにはいられない。

 煙さんだって、千薬さんだって、組織に最も尽くしてきたメンバーの一人じゃないか。


「答える義理は無い。だが、これは最初から決まっていたことだ」


 訳が分からない。頭ももう回らない。

 どうなっているんだ。

 無限回廊。詩道さんも敵……? アジトの中もやばい。2000人いた自衛軍はどこだ。敵は誰なんだ。溜息さんが死んでしまう。嫌だ。


 ……俺も、死ぬ……?


 ザンッと。千薬さんが俺の半径1メートルに踏み込んでいた。


「ッッ……!」


 一瞬の隙を突かれていた。無音世界の展開は間に合わない。アレも、このタイミングでの発動は難しい。マズい、判断が遅すぎる。

 鮮血の刃が眼前に迫っている。


 死んだ。


 そう思った時、ガキンと金属と金属がぶつかり合ったような音が響いた。

 目を見開く。

 俺の目の前に立ち、千薬さんの血刃を刀で受け止めているのは空蝉さんだった。


 血に濡れた羽織が視界にバサつく。

 彼は菅笠と肩の間から俺に視線を流し、言った。


「戦うぞ、死音」


 その言葉で脳内のスイッチがパチンと切り替わったのが分かった。

 真っ白だった紙に黒いインクが浸透していく感覚。


 そうだ。戦え。

 こんな状況でもやることは至ってシンプルだ。殺すか、殺されるか

 こいつらが俺を殺そうとしているのは間違いない。なら、お前らが死ね。


 ゆっくりと呼吸を重ねるごとに、これまでの"違和感"が点と点を繋ぐように、絡まってた糸が紐解かれていくように、俺の中で収束していった。


 俺達の第二防衛ラインにおける不可解なメンバーの配置。逆に袋のネズミになりにいくようなミスリード。


 他にも煙さんの意味の分からない采配は多かった。

 動機はどうでもいい。今、煙さんは何をしようとしている?


 俺は一秒で思考を固めた。


「セン、動けるな?」


 俺は空蝉さんの背後で僅かに口を開いた。

 音はセンと空蝉さんだけに届く。


「このことを、アジトに戻って百零さんに伝えろ。あの人は味方だ」


 そうでなければ、煙さんが能力の常時展開で百零さんに激しい消耗をさせるはずがない。


 センはしばらくパクパクしていたが、コクコクと黙って頷くと、この場を去ろうとした。

 が、空蝉さんの前に立つ千薬さんが殺気を放つ。


「セン、じっとしていてくれ。お前は私のモノだろう……?」


 ピタリとセンの動きが止まり、彼女は再び硬直状態。

 クソ、使えない奴だ。


「ハハ。千薬こそ、今からその首を落とすから大人しくしてくれや」


「言うようになったな」


 バシンと弾けるように空蝉さんと千薬さんが動き出した。

 二人は一瞬で戦線を移し、森の中を駆けた。

 俺はセンに向かって言う。


「今だ! 行け!」


「違う……。ダメなんだ……。私の体にはあいつの血が流れていて、命令に逆らえば……ひどい目に合う」


「何言ってる、お前は不死身だろ!」


「無理なんだって、無理なんだってぇ……」


 センはガタガタと震えてそんな弱音を吐く。

 駄目だ。こいつは……、マジで使えない。


 センを諦めた俺は、残った煙さんに視線を移した。

 おそらく、溜息さんを刺したのが分身を作り出した本体。そして顔面パンチさんを刺した分身と、俺を刺そうとした分身が一体ずつ。

 合計三体だ。


 この状況。必然的に、俺が煙さんと戦ることになる。


「さあ……やりましょうよ煙さん」


 最初の不意打ちで、空蝉さんはともかく俺を殺れなかったのは大きな誤算だろう。

 空蝉さんに助けられた。

 不意打ちに焦ったが、冷静になってみれば決して絶望的な状況という訳ではない。


「生意気言うな、新人」


 彼らに視線を移していく。それぞれが臨戦態勢だが、こうなった以上決定打の無くなった煙さんは仕掛けてこなかった。

 彼らの攻撃方法は体術のみ。この距離なら音撃が早い。だが、安直な音撃も危険だ。煙さんが俺の音撃を警戒していないはずがない。


 本体に向けて心音撃を打つのもいいが、正直……アレが本体だという確信はない。最初の位置から一番近いからそう思っているだけだ。

 刺されそうになった時、背後で入れ替わっていた可能性もある。最悪、この中に本体はいないという可能性もあるのだ。

 いや……、それはないと信じたい。ここの状況は本体が確認したいはずだ。

 ならば、この三人のどれかが本体だ。


 つまり、1/3だ。外せば隙を突かれて死ぬ。


 そしてもう一つの懸念。

 無音世界発動のラグに追いつかれるという可能性だ。

 俺が無音世界を発動すれば、間違いなく瞬時に攻撃を仕掛けてくるだろう。

 煙さんには先程の地下駐車場での戦いで心音撃を見せてしまったからだ。

 どういう技か見きれない煙さんではない。


 この距離だと、安全策であるアレを使おうにも、一対一の肉弾戦になる可能性が浮上する。そうなれば不利なのは俺だ。

 能力上、体術の錬度がそのまま戦闘力の向上に繋がる煙さんは、能力無しの戦いで右に出る者はいない。ナイフ一本あれば、一瞬で俺を殺せるだろう。


 全ての技に隙がある俺は、一撃を凌がれたらそれがそのまま死に直結する。

 この戦いは、先手が負ける。


 ならばやはり距離を取るしかない。

 そうすれば、アレで仕留めることができる。


 俺はチラリと溜息さんに視線を向けた。心音と呼吸はまだ辛うじてある。

 死んではいない。だけど、間に合わないだろう。


「溜息さん。まだ意識はありますか」


「……あぁ」


 消え入りそうな声が返ってきた。

 その間に、三人の煙さんはジリと少しだけ後ろに下がる。


「今度は少しの間だけ、俺があなたを守ります。

 でも、命を助けることはできないと思います。ごめんなさい」


 はっきりと言った。平常心を保つ。

 今はただ冷静に、目の前の敵を見据えろ。乾いた目で。

 

「私、が……、最後のチカラで……逃がしてやる……。ハァ、ハァ。こっちへ来い……、死音」


 絞り出すような声は、聞いているだけで苦しい。

 この期に及んで俺を助けようとしているのか。少しは自分のことも考えて欲しい。


「聞いてください。

 ……俺はきっと、溜息さんがいなければここまで強くなれなかった……。

 できれば見ていてくれますか? 俺の成長を」


「……ハァ、ハァ、……駄目、だ。煙は……、お前が思っている程、弱くな、い」


 溜息さんが吐血しながら話す。

 同時に煙さんが動き出していた。溜息さんのことは無視するしかない。


 三人の煙さんは俺からゆっくりと離れていき、数十歩の距離をとる。

 そして彼は三角形で囲むようにして、包囲の有利を得た。


 にやりと笑った俺を見て、煙さんも口元を歪める。


「距離の有利を捨てるとはって顔だな」


 その通りだ。

 心の中で呟いた瞬間、三人の煙さんから白煙が上がった。これじゃどれが本体か分からない。カモフラージュか。

 白煙はまたたく間に俺の周囲を囲い、やがてその部分部分が形を作っていく。


 やがて、俺達の周囲を総勢100人を超える煙さんが囲んだ。


「……」


 流石にこの人数には俺も圧倒される。


「偉く……本気ですね」


 聞こえるかどうかの声で俺は呟く。


「お前は侮れないからな。俺の中でお前は、生きるためならどんなことだってする鬼畜、というイメージだ」


 言ってくれる。アンタは俺達をこんな状況に陥らせたイカれ野郎だろ。


「俺の分身は100人超。それぞれが同じ質量、同じ性質、同じ装備を持つことは知っているな?」


 当然だ。俺は沈黙をもって答える。

 煙さんの言葉には呑まれない。


「これだけ距離があれば、音撃は肉壁で対処ができる。音撃じゃなくても、お前があの単体爆撃を使える数は、命を削ってもあと三回といったところか?」


 単体爆撃、心音撃のことか。


「三回も使えませんよ」


「そうか。つまり俺は、少なくとも勝率98%以上の戦いをお前に仕掛けるわけだ」


 ニヤリと顔を歪める煙さん。

 笑いたいのはこっちだ。


「それは違いますよ煙さん」


 両手を広げてみせる。

 いつまでも掛かってこないのは、俺の余裕を見て様子をみているからだろう。早く掛かって来ればいい。


「なんだと……?」


「t波ってわかりますよね?」


「トルク波のことか」


 そうだ。トルク波……通称t波は、能力を使役する上で、それを司る脳の神経細胞が発する脳波の事だ。

 これがありとあらゆる事象に超常的な変化を与えているとされる。


 その波長は人によって様々だ。

 かつて白熱さんと黒犬さんと共に売りに行ったTADも、トルク波を利用した能力者の感知アイテムである。


「それがどうかしたのか?」


 質問にはその身を持って理解させてやる。



――無音世界(サイレントワールド)



 一切の音が消えた瞬間、100人を超える煙さんの軍勢が俺に向かって一斉に走ってきた。

 だが、恐るるに足りず。


 この技はかなりの集中力を要するが、心音撃に比べればほとんどスタミナを消費しない。

 なぜならば、聞いて、小さな小さな音を部分的に放つだけだからだ。


 t波は相殺してもなぜかその効力が消えることはない。


 だが、その発生部分に別の波長の音波を加えて掻き乱せば、その間だけ能力の発動を防ぐことができる。


 喰らえ。


 歪曲音(ディストーション)


 その瞬間、歪曲音の発動と共に、片っ端から煙さんの分身が消えていった。

 白煙を上げることもなく消えた煙さんの中に、一人だけ消えなかった煙さんがいる。

 本体だ。


 集中し、その心音を掴む。


 彼は目を見開き、驚いたような顔をしていたが、直ぐに最善を判断し、そのまま俺の元まで走ってくる。


「うおおおおおおおおお!」


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」



 ――心音撃。


 彼の体が血肉となって爆散した。

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