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音使いは死と踊る  作者: 弁当箱
九章
117/156

白線の崩壊

 目を覚ますと俺は医療室のベッドに横たわっていた。

 体を起こし、周囲を見渡してみる。すると、かなりの負傷者が俺と同じようにベッドに横たわっているのが分かった。


 ズキンと頭と目の奥が痛んだ。能力の集中酷使で倒れてしまったのか、俺は。

 しかし限界まで能力を使った時のあの死にそうな感じがしない。まだ能力が使えそうだ。

 つまりこれは……、かなりの時間気を失っていたということか?


「あの、すいません」


 俺は医療室内を徘徊する医療担当の構成員を捕まえる。


「死音さん、目覚めたのですね」


「戦況を教えて下さい。俺が気を失ってからどれくらい経ちましたか? ……あと月離さんは、どうなりましたか?」


 一気に質問され、医療担当の女性は戸惑ったようにキョロキョロしたが、その後深呼吸し、落ち着いて話し出した。


「戦況については、現在最終防衛ラインまで撤退して、溜息さんと百零さん、あと生き残った構成員をそこに総動員して押さえています。

 死音さんが気を失ってからは一時間半程経っているかと……。

 あと、月離さんは……」


 あからさまに目を逸らし、俯いた医療担当の女性を見て、俺は彼が死んだことを悟った。

 空虚の感情が俺の胸を通り過ぎる。


 悪い人ではなかったのだ。最初のあの決闘では俺を殺そうとしたが、月離さんはただ一途に認めてもらいたかっただけで……。


 俺のことを助けてくれた過去もあった。


 俺はフゥと息を吐き、ベッドから立ち上がる。服は上着だけ脱がせられていて、シャツ一枚になっていた。


 なんにせよ、今するべきことがあるはずだ。月離さんのことを悲しんでいる暇などない。


「俺の上着はどこですか? 戦線に戻ります」


「今用意します……!」



ーーー



 最終防衛ライン。デリダ村中央に設けられた出入り口も、自衛軍によって、先程の地下駐車場の様に入り口が広げられていた。

 エレベーターがあるのは地下二階以降で、地下一階に降りるためには階段を使わなければならない。

 中央の出入り口と通路は広く、戦闘に適していた。


 しかしその広げられた出入り口は、現在百零さんの空間固定(ルウム・インペイル)の五面展開によって完全に塞がれている。


 音の感知によってそこまでの状況を理解した俺は、早足で廊下を歩き、中央出入り口へと向かっていた。

 依然この状況が続いているということは、二時間半以上にも渡って味方の援軍が来ていないということ。


 頭上を見ると電灯の数が制限されていることに気づく。

 地上デリダからの電気供給が切られ、アジト内部は予備電源に切り替わったみたいだ。

 かんばしい状況ではない。


 中央出入り口に辿り着くと、そこには生き残った構成員で人混みが出来ていた。

 人混みを掻き分け、俺は先頭に出る。


「死音、もう大丈夫なの?」


「ああ」


 先頭にはロールがいた。

 辺りを見回してみると、両手を突き出して能力を常時展開する百零さんと、その隣に立つ溜息さんがいて、他にも煙さんや顔面パンチさんなど、アジトの全戦力がここに集まっていた。


 固定された空間の、見えない壁を挟んで出入り口の先に見えるのは自衛軍の軍勢だ。ここからじゃ全体の数がどれくらいかは分からないが、やはりまだかなりの数が残っていると思われる。


 百零さんの能力によって戦いは硬直状態。あからさまな時間稼ぎだ。


「援軍はまだなんだな」


「ええ」


 やっぱりか。ってことはボスも詩道さんもまだなのだろう。


「あの……、死音? いや、やっぱりなんでもないわ」


 ロールが何かを言おうとしてやめた。

 一瞬考えたが、彼女が言わんとすることはなんとなく分かる。


「……月離さんのことは残念だったな」


 彼は結果的にロールを庇って死んだのだ。表情にこそ出ていないが、きっとロールは気に病んでいる。


「ええ……。

 ……月離が死音宛に言い残した言葉があるの」


 ロールは躊躇らうように口を開く。俺は頷き、言葉の続きを待った。


「クソ野郎、エンジェルを死なせるなって、……そう言ってたわ」


 思わず黙り込む。

 エンジェルを死なせるな、か。

 ロールが伝えるのを迷っていた理由が分かった。そんなこと自分で伝えたくはないだろう。

 だからこそ、月離さんはあえてロールに伝えさせたかったのだろうか。


 あの人は……俺の本質を深いところで理解していたような節があったから。


 ……今なら分かることが結構ある。

 いつか月離さんに、俺は他人の情を受けて自分だけ生き残るタイプだと言われたことがあった。

 その通りだと思う。俺は今でさえ、最悪自分だけ助かればいいと思っているのだ。


 そしてそれがおかしいことだとも思わない。

 確かに、月離さんのことは残念だった。だけど、自分を犠牲にしてまで他人を守るなんて……偽善とは言わない、でもそんな生き方は間違っているんじゃないだろうか。


 初めて会った時のロールも言っていた。

 パートナーになったばかりなのに、俺のために命を賭けられる、と。親友と俺が天秤にかけられても俺を選ぶと。


 Anonymousでは時に入りたての新人を守って死ぬ構成員がいる。

 白熱さんや、黒犬さんもそうだった。

 俺を守って死んだ二人のことは勿論尊敬しているし、思い出せば未だに涙が滲む。


 だけど彼らが命懸けで俺を守ったように。俺がそれを倣えるとは思えない。


「……そうか」


 できる男なら、嘘でもここで「君を死なせやしない」なんていうのだろうか。


 そりゃあ見殺しにしようなんて思わないし、できるなら誰も死なない方がいい。

 可能なら俺だって人を守りたい。


 ただ、本当に死を前にした時、自分より他人を優先する自信が俺にはないというだけなのだ。

 だから俺はロールと目を合わせず、誤魔化すように返事をするしかできなかったのだった。


「どうなるのかしらね」


 しばらくしてロールは言った。

 生き残った構成員の不安は見て取れる。

 二時間半も援軍がないのだ。それに加えてボスと詩道さんも帰還していない。

 不安になるのは仕方がない。


 ……そういえば、俺は煙さんに言いたいことがあったんだ。

 それを思い出した俺は、煙さんの元まで歩み寄り、彼の名前を呼んだ。


「どうした死音」


 俺の方を向き、そう言った煙さんと視線を合わせる。


「どうしてさっき、ちゃんとした指揮をとってくれなかったんですか。煙さんなら、撤退のタイミングくらい見極められたはずです」


 さっきの煙さんは戦いを傍観していただけで、最初の突撃と撤退の指示しかしなかった。

 それさえも適切な指示ではなかったのだ。


 もっと早く撤退していれば、通路ではなく駐車場に配置してくれていたら、死者数はもっと少なくて済んだだろうし、俺達は危険な戦いをせずに済んだ。

 危うく死ぬところだったんだぞ。


 俺に視線が集まっているのが分かる。場が少し凍りついていた。

 指揮である煙さんに異議を唱えるのは、誰もが躊躇いがちになっていることなのだ。だから俺も普段は言わないが、今回だけは別だった。


「それはな」


「はい」


「俺が今、お前らのことを捨て駒だと思っているからだ」


「…………」


 思わず絶句する。

 そういう事を言うのは士気に関わるんじゃないか。そう思って周りの構成員を見回すが、俺と同じような反応をしている者は極わずかだった。


 そうか。そういう意味でもここはそういう人達の集まりだったな。

 人を殺す仕事をしているのに、誰かのため、組織のために簡単に命を賭けられる。俺だけが価値観が食い違っている……追いついていない感じだ。


「勝利のためなんだ」


「……分かりました」


 そう言われると何も言えない。

 俺はペコリと頭を下げ、一歩後ろに下がる。

 煙さんの返事は、俺の問いに対する答えになっていなかったが、俺を黙らせるには効果的な言葉だった。

 ここで俺が食い下がってもメリットはない。敵が目の前にいるのだ。


「丁度いい。死音、お前が戻ってきたなら次の作戦に移る」 


 そう言って彼が呼び集めたのは、空蝉さん、溜息さん、顔面パンチさん、センの四人。俺を含めると五人だ。

 俺達は煙さんに引きつれられ、人混みの後ろに出る。


「次の作戦とはなんでしょう……?」


「完全に敵を引き付けることができているが、援軍の到着が遅れている。現状の戦力差は圧倒的だ。

 そこで、もう俺達だけで挟撃しようと思う」


 なるほど。それでこの火力のあるメンツか。俺が入っているのは謎だが。

 顔面パンチさんがいれば百人単位で一掃できる。

 

「どうやって敵の後ろに回り込むんだよ」


 顔面パンチさんが言った。


「避難用の出口を使って外に出る。死音がいれば、爆破の音を敵に聞きつけられることもないだろ。あとこのメンバーに加え、千薬も連れて行く」


 そういうことだったか。だが、それなら空蝉さんにもできる。

 煙さんは空蝉さんが音支配の能力をストックしていることを知らないのだろうか。


 ……まあ、言う必要はないか。地上に出られるなら出たいところだし。

 というのは、俺がこっそりレンガを呼ぶつもりだからである。いや、挟撃ならばもうレンガを呼んでも差し支えないのでは……?


「やっと私の出番かよ」


 すっかりスーツが似合うようになったセンが言った。彼女は千薬さんの調教を受けて、すっかりAnonymousの一員である。


「煙さん、もうレンガを呼んでもいいですよね?」


「ああ、そうして欲しいところだ」


「で、どこから上に出るんだ煙」


「2番避難口だ。森林の中に出るあそこなら敵に気づかれにくいからな」


 溜息さんの質問に答える煙さん。

 2番出口か。大体の避難出口は撤退によって潰されてしまっているが、丁度いいところが残っているな。


「ここには俺の分身を一人残しておく」


 煙さんの体から出た白煙がゆらりと人体を形つぐり、そこにまた新たな分身が現れる。


「早速向かおう」


 そう言って歩きだした煙さんに、俺達はついていく。

 2番避難出口は一度地下二階に降りて、そこから廊下をずっと進み、その突き当りにあるところの起爆装置を作動させることで地上への脱出が可能となる。


「おい待てよ煙。流石にこのメンツは戦力過多なんじゃねェか? 挟撃にするならばこっちに残った方がいいと思うが」


 地下二階に降りた所で、空蝉さんが珍しくまともなことを言った。


「そうか?」


 煙さんが質問に質問で返すのは珍しい。

 空蝉さんは肩を竦めていった。


「このメンツに加えて千薬だろ? 明らかに戦力過多じゃねーか」


「むしろ少ないと思うぞ。他の奴らには言ってないが、地上の敵戦力はかなりのものだ」


「へぇ、そりゃあぶっ放し甲斐がありそうだ」


 顔面パンチさんが言う。


「かなりのもんって、どんくらいだよ」


「まあ、上がれば分かる」


 煙さんがはぐらかすくらいだ。相当いるに違いない。

 軽い絶望感を抱く。


「死音、怖いか」


 俺の前を歩いていた溜息さんが言う。

 怖いか怖くないかで言えば、少しは怖い。

 だけどやるしかない。踏ん切りはついている。


「そういう訳じゃ……」


 見栄を張ろうとすると、溜息さんが俺の頭にポンと手を乗せた。


「心配するな。守ってやる」


 口元を歪め、少し微笑んでみせる溜息さん。これをされるとすごく安心する。

 大丈夫だ。溜息さんがいる。


 そう思うと少しの恐怖は自然と薄れていった。


 地下二階中央廊下の突き当りに着くと、そこで俺達は千薬さんと合流する。

 千薬さんは医療担当としてついてくることになる。

 片手には大きな医療キットを手にしており、一応戦闘準備もしているのだろう、背中にはおそらく自分の血の入ったリュックを背負っていた。


「よし、行くぞ。死音は防音を頼む」


「はい」


 言われて音の相殺の準備をする。

 俺が頷いたのを見て、煙さんは壁の起爆装置を操作して、それを作動させた。


 ズン、と衝撃が走るが音は消音される。

 しばらくして煙さんが、突き当りの廊下に設置された水密扉のハンドルを複数回回した。するとプシュゥという音と共に扉が重々しく開かれる。

 中では土煙が舞っていたが、地上の光が差し込んでいるのが分かった。


「溜息、頼む」


 溜息さんは無言で頷くと、開かれた扉の奥に進み、ふわっと浮いて一足先に地上へと上がった。


「続け」


 煙さんが言ったので、今度は扉に近い俺が中に入っていく。

 するとフワッと体が浮いて、俺の体は地上へと浮上する。

 なるほど、溜息さんが重力を操っているようだ。


 穴から地上に飛び出すと、俺は優しく地面に降ろされる。

 着地して辺りを見回ると、そこはデリダ村に面した森林の中で、草木が視界一面に広がっている。

 振り返ると、穴から次々とメンバーが飛び出してきていた。


 全員が揃った所で、煙さんが進めと合図をする。

 俺達は森の中を、デリダ村の方向へ列を組んで進んだ。


「静かだな」


「なァに。これから悲鳴でうるさくなる」


 確かに静かだ。

 あと何か、音の聞こえ方も少しおかしい。なんだろう、この違和感は。敵がなんらかの広範囲能力を駆使しているのだろうか。

 小鳥のさえずりと木々のざわめきだけは絶え間なく聞こえてくる。


 不審に思いつつも進む。

 とりあえずは敵の位置を確認しなければ、そう思って俺は音の索敵を広げる。

 だが、感知できる敵の数が少ない。

 アジトの中央付近に集まっているのは確かだが、煙さんが脅かすような人数はそこにはない。


 感知のジャミング能力か……?

 だとしたら厄介だ。


 やがて村に差し掛かろうとした所で、俺達は足を止めた。

 山の奥から歩いてきたので、村を一望できるポジションにつけている。


 だが、俺達はそこで驚愕していた。


「……」


「こりゃあ、どういうことだ?」


 敵の姿がほとんど見当たらないのだ。

 アジト付近に固まっている敵は200……いやそれ以下か? とにかく少ない。

 聞いていた話とは違う。


 そんなことを考えながら、俺はふとレンガを呼び出さなければならないことを思い出していた。

 すぐに音を飛ばし、レンガ呼び出そうとする。


――が。


 音が届かない。


 音を聞くのではなく、ただ飛ばすだけなら、俺は飛距離に結構な自信がある。

 だが、俺が飛ばす音は半径およそ2キロメートル以内で打ち止めとなっていた。


 なぜ……?


 考える。おかしい。まるで音が行き場を失っているというか……、その場を行ったり来たりしているというか……。


 これじゃあまるで……。


「おいこりゃあ……」


 隣に立っていた空蝉さんも気づいたようで、顔を顰めていた。

 

「……詩道さんの、無限回廊みたいだ」


 思わず口に出していた。

 俺の体を白煙が包んだのはその瞬間だった。

 同時に、俺の体を空蝉さんが蹴り飛ばす。


 ゴロゴロと転がり、その先の木にぶつかった所で俺はすぐに立ち上がる。


 すると、俺の立っていた場所にはナイフを握る煙さんが立っていた。

 彼の体はまだほんのりと白煙をまとっている。

 ……分身だ。


 視線を移す。

 そこでは顔面パンチさんが、煙さんのナイフを首筋に受け、目を見開いていた。


 視線を移す。

 空蝉さんが、煙さんの分身をその場に押さえつけ、別の方向を睨んでいる。


 その視線を追う。

 そこには、煙さんの持つナイフを鳩尾に受け、立ったまま吐血する溜息さんの姿があった。


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