いつか見た崩壊
セントセリアとジーザ山を挟んで対角に、デリダという小さな村がある。
元々デリダは自衛軍の保護を受けていない独立した村で、そのため原始的な貧しい生活をしていたらしい。
Anonymousとこの村は、支部化させてもらう代わりに、定期的な物資と資金の援助をするという交渉が成り立っていた。 しかし、なし崩し的に次々と村人がAnonymousに加入していったことにより、完全に組織が占拠する村となったのである。故に上辺だけ村なデリダ支部は、優秀な支部として機能していた。
森に囲まれた村でありながら、それなりにセントセリアからも近いデリダは、ゲリラ的な活動もできる。
ボスがここを新しいアジトに決めたのは、そういった利点があったからだ。
アジトとして機能させるには色々と足りない部分もあったが、本部に所属する構成員が先の事件によってごっそりと削られたため、大きな問題ではない。
ボスは各支部をデリダに統合していく方針を発表した。
それから、半年が経っていた。
「あー、蒸し暑いわね」
タキシードの上着を肩にかけて、半袖シャツ姿のロールは俺の先を行く。俺はロールの後を歩いていた。
地下通路の床は土でどろどろに汚れていて、蒸し暑さと相まって変な臭いがしている。
昨日は雨だったから、みんながここをぬかるんだ土を踏んだ足で通ればこうもなるだろう。
俺達は任務を終えて、アジトに帰る途中だった。
掩蔽された地下駐車場から、現アジトであるデリダまでの距離はそこそこある。なので、村に帰るには駐車場に通じるこの地下通路を通らなければならなかった。
「しかし、たった半年でデリダもアジトとしては立派なもんになったよな」
あの事件でAnonymousはもうダメだと思ったものだが、これだけ強い根を持っているとは思わなかった。
多少の不便さはあるが、今や生活にはほとんど困らない。
デリダ村という殻を被った地下アジトは、すでに地下4階までの建設を終え、前のアジトに負けず劣らずの規模を完成させていた。
ツハラ支部とリンブラガル支部との統合によって人口もかなり戻っている。
しかし、アジトに住む人員を拘束してしまっているのが現状少し問題となっていた。これは土地的な問題もあって、簡単にアジトに出入りできなくなってしまった為だ。
セントセリアから近いと自衛軍の目につく可能性も上がる。
なので、ちょっとした気分転換で勝手に街へ出る、なんてことは許されなくなった。
各街に住んで、そこから可能な任務をこなすという構成員が増えたのはこのせいである。
だが、一種の改革としてAnonymousの回転率は上がっている。ボスはなぜか構成員を一箇所に集めたがっているみたいだが。
前みたいな襲撃を警戒しているのかもしれない。
「まあそうね。スレイシイドほど居心地はよくないけど」
「虫が多いのは勘弁してほしいよな」
「虫はいいんだけど、楽しみがないわね。外食も買い物も、するのに一々許可がいるじゃない」
確かに。物資班に取り寄せて貰うこともできるが、それで楽しいかどうかと問われると否だ。
「俺達は任務で頻繁に外に出られるだけまだマシだろ」
「そうね」
話しながら歩いていると、俺達は地下通路を抜けて、地下アジトに出た。
アジトに入ると、クーラーのおかげで一気に涼しくなる。ここに電気や水を引っ張ってくるのは一番大変だったらしい。
「じゃあ私は任務報告してから部屋に戻るわ。死音は先に戻って次の任務の準備でもしといて」
「わかった」
そう言ってロールは任務事務室に向かい、俺は階段を降りて部屋に向かった。
死んだ執行さんの穴を埋めたのは、ツハラ支部の管理事務を務めていたカフスさんだ。執行さんと違って観測者との接続はできないらしいが、優秀な管理役である。
新しいアジトではモニタールームと任務事務室は切り離されている。執行さんのように同時に管理できる人がいなくなったので、分担されたようだ。
です子さんが死んだことによって開いた穴は、まだ埋まっていなかった。今のところ候補もいないみたいだ。
百零さんは他の幹部メンバーに咎められたことで放浪をやめ、現在はこのアジトに定住している。
「あ」
部屋に向かう途中、俺は溜息さんの姿を食堂で見かける。
溜息さんは食堂の隅で一人、ご飯を食べていた。
溜息さんも任務帰りなのだろうか、スーツはやけにボロボロになっていて、髪の毛も少しボサボサだ。
現在立て直し期間のAnonymousにおける人手不足は否めない。強くて任務成功率も高い幹部の人達が酷使されるのは仕方のないことだった。
しかし、Anonymousは健在ということをアピールするためにも俺達には倍以上の働きが期待されている。
なので、溜息さんは疲労が溜まっているような感じがする。いや、いつも疲れているような顔をしているのだが、最近は余計にだ。
それに、です子さんの一件以来、寂しそうにしている溜息さんをよく見かける。
こんな忙しい時はです子さんも流石に溜息さんの任務を手伝っていたという。
「…………」
俺は食堂へ進み、溜息さんの前に立った。溜息さんは眼球だけを動かして俺の姿を捉える。
「死音か」
「こんにちは溜息さん。忙しそうですね」
「ああ。お前も頑張ってるらしいな」
「こっちは雑用ばっかりですよ」
「そうか。なら代わりにハイドに文句を言っておいてやる」
「いや、それは勘弁してください」
そう言うと、しばらく会話は途切れた。
俺は溜息さんの向かい側の椅子に座り、ポケットから取り出した端末で時間を確認する。
時刻は午後5時。次の任務へ出発するまではまだ二時間ある。
「で、何か用か? 死音」
「いえ、見かけたからちょっと話をしに来ただけです」
「なんだ。また修行でもつけて欲しいのかと思ったんだが」
「修行なんてする余裕は今のAnonymousにはありませんよ」
「それもそうだな」
「ところで溜息さん、今日はどんな任務に行ってきたんですか?」
「バサラ支部付近で大量発生した魔獣の駆除だ。中々に骨が折れたぞ」
うわ。絶対したくないなそんな任務。
「へぇ。流石溜息さんですね。この後も任務ですか?」
「ああ、この後のは大した任務じゃあないんだが……」
ふと、誰かが俺の後ろに立ったのを感じた。
「楽しそうに会話してるとこ失礼。溜息、ちょっといいかしら」
そう言って俺達の会話に隣から割り込んで来たのは詩道さんだった。
俺が振り向くと、詩道さんは夏場だというのに相変わらず暑そうな服を着ている。
「詩道か」
「お久しぶりです、詩道さん」
「久しぶりね、死音くん」
「席、外しましょうか?」
「いいえ、構わないわ」
言われて、俺は溜息さんの手前に居座る。
溜息さんはほんの少しだけ顔をしかめて詩道さんの方を見ていた。
「厄介事を持ってきたな、詩道」
「ふふ、よく分かるわね」
「そんな顔をしている」
「厄介事と言っても、組織としては朗報よ。ついさっき、空蝉の目撃情報があったの」
空蝉さん。
現在六人いるAnonymous幹部の一人。
百零さん以上の放浪グセがあり、アジトに戻ってくることはほとんどないという男。
アジトを再建するに当たっても戻ってくることがなかったので、最近では彼を見かけたら報告しろという指名手配的なものすら出ていた。
そんな空蝉さんが見つかったというのか。
「悪いが断らせてもらう」
溜息さんは立ち上がって言った。俺は眉をひそめる。
「ちょっと、まだ目撃情報があったってことしか言ってないじゃない」
「私に連れ戻してこいと言うんだろう。空蝉を」
「ええ、その通りよ。溜息にお願いできないかなと思って」
「大抵の仕事なら引き受ける気でいたが、これだけは断らせてもらう」
「え、空蝉さんってそんなにヤバい人なんですか?」
溜息さんの完全拒否っぷりを見ていると、俺は思わず口を挟まずにはいられなかった。
溜息さんは面倒臭がりだが、それでも仕事とあらばどんな任務でもしっかりとこなす。そんな溜息さんがここまで嫌がるというのははっきり言って異常だ。
「そういうわけじゃないのよ。ただ、性格に難ありというかちょっとした二重人格というか……。
場合によってはかなり体力を使う任務になるわ」
「なるほど。そういうことですか」
「死音くん行ってくれるの?」
「いや、え……?」
「馬鹿言うな。死音はあいつと会った事がないんだぞ」
「だから溜息に頼みたいのよ」
「こんなのは百零辺りに任せておけばいい仕事だ」
「百零は今出払ってるのよね」
言われて、溜息さんは再び椅子に座って腕を組んだ。
彼女は少しだけ頭をもたげ、決意したように詩道さんの方を向く。
「…………分かった。じゃあ私が行こう」
「ほんと……? 流石溜息だわ」
「その代わり」
「……その代わり?」
「死音も連れて行く」
「ちょ、俺はこの後ロールとの任務があって……」
「分かったわ。任務は私が再分担しておきましょう」
俺の言葉を遮って、詩道さんが言う。
そしてそれに続くように、詩道さんの陰から現れた新たな人物がこの状況に輪をかけた。
「待って詩道さん。それ、私も行っていいわよね?」
言いつつ、金色の髪をかきあげたロールを見て俺は思う。
厄介な事になったらしい。




