夢のまた夢
弦気の言葉に誰もが言葉を失っていた。
そして、如月大将は拳を震わせて弦気を睨んでいる。
眉間にシワを寄せ、いつ爆発するか分からない如月大将に総勢40人強の隊員達もわずかに構えていた。
一歩距離を詰めた如月大将に対し、弦気は軍服を跨ぎ同じ距離で合わせる。
背後の愛花に細心の注意を払い、殺気で周囲を威圧する。
そして、先に動いたのは如月大将だった。
「お前は……、とんでもない親不孝者だぞ! 御堂弦気ッ!!」
バチン!
一際大きな雷撃が弦気に飛来する。弦気はその干渉を受け流し、周囲に雷撃を四散させる。
いなされた雷撃は道路、住宅を削って煙を上げた。
「そんなこと知るものか……!!」
弦気は空を掴むように手のひらを胸の前に持ち上げ、それに力を込める。
そして、空間そのものを拒否した。
バリバリと弦気の手から裂けるような音が発せられる。彼を中心に小さな旋風が巻起こっていた。
「くっ! 総員! 阻止せよ!」
如月大将の命令で小隊が一気に弦気へと飛び掛かっていった。
「ぐぅ……ぅぅ、ぐ、ぬぅぅおぉぉぉ!!!」
弦気は叫び声を上げながら、その手を大きく振るう。すると、バリバリバリと耳が裂けるような響音を発しながら、弦気の振るった手の軌道に沿って、空間が歪んでいった。
直後、衝撃波が発生し、弦気に飛びかかった隊員が車道に投げ出されたビニール袋のように吹き飛んでいった。
「ハァ……! ハァ……! 今の俺と戦うということは、この規模の戦闘になるということだ……!」
息を切らしながら弦気は叫ぶ。
「チッ! 怯むな! 捕えろ!」
弦気は次々と飛び掛かってくる隊員の攻撃を捌いていく。
絶対不可侵の能力を持つ彼は一人一人の能力をそこまで警戒することはなかった。どちらにせよ自分のスタミナが切れた時が敗北を意味するだからだ。
如月大将も電撃を弦気に浴びせようとするが、彼は夢咲愛花を中心にして戦闘態勢を立て直すため、攻めあぐねていた。弦気にだけ攻撃を当てる技術は確かにある。しかし、それでも慎重に攻撃しなければならないのは事実だった。
バチン、その音が鳴る度に、コンクリートの地面に窪みが生まれた。
弦気は如月大将の電撃を寸前で回避する。
瞬間的な稲妻は本来なら躱せるスピードではなかったが、"狙い定められる"という干渉を察知することができる彼は、そのタイミングを図ることも可能だった。
これは同時に、愛花の存在が確かに如月大将の攻撃を鈍らせているのを弦気に確信させた。
あらゆる干渉を拒否する能力。
概念にすら作用する弦気の能力は、まさに絶対不可侵。如月大将はその脅威を再確認していた。
ガリと、歯が砕かれそうな音が如月大将の口元から出る。
「夢咲愛花の保護を優先しろ!」
如月大将がそう命令した瞬間、弦気は愛花を抱えて走り出した。
彼が半分近く削った小隊には、陣形に薄い部分が生じていた。結果、弦気は包囲を突破する。
弦気は愛花を肩に担ぎ、背後の空間を拒否することで先程と同じように歪ませる。
捻じ曲がった空間が元に戻ろうとする力は凄まじい。圧縮された空気が一気に放たれ、ズンと衝撃波が発生した。
衝撃波の勢いを利用して宙に加速する。
直接のダメージになる干渉は拒否し、彼は推進力を手に入れる。
「ハァッ……! ハァ……ッ!」
弦気の鼓動は激しく脈打ち、彼自身も張り裂けそうな痛みを感じていた。
空間を拒否するということはそこに存在している自分自身を拒否するということであり、これによる弦気への負担は当然計り知れない。
本来なら一発でスタミナ切れを起こす大技であったが、今の彼には絶対に倒れられない理由があった。
同時に彼は自分の内側にある底知れないパワーを感じていた。
愛花を抱えたまま彼は民家の屋根に着地する。
バチンという音と共に、電信柱の上に現れたのは如月大将だった。小隊を突破することはできたものの、やはり如月大将は振り切れない。
弦気は民家の上から如月大将を睨む。
「ハァ……、ハァ……」
「逃がさんぞ」
一面にビュウと風が吹き渡り、弦気の髪を揺らす。先程まで晴天であった空には、雲が掛かり始めていた。
「これは……」
不審に思った弦気が周囲を見まわすと、遠方の屋根に立ち、空に向かって能力を使役する能力者が数カ所で見受けられた。
「全力を出すのにこれだけ手間がかかっていたら世話がないな……」
挑発は虚勢。弦気は焦っていた。まさか自分一人捕まえるために"雷雲"を形成させるとは。
如月大将が雨雲という媒体を手に入れたら、一巻の終わりである。
セントセリア全域に逃げ場はなくなり、転機の手段は無くなる。
ならば、ここで如月大将を倒すしかない。
そう考えた弦気は愛花を屋根の上に寝かせ、ホルダーの短剣を抜いた。
バチン。弦気は伸びた走った雷撃を既のところで躱す。しかし、雷撃の残滓が弦気のシャツを切り裂き、その腕を浅く切った。
シャツに血が滲む。
如月大将は弦気のスタミナが切れかけていることを確信する。
まだ能力の使役に余裕があれば、残滓くらい拒否すれば良い。しかし、それをしないということはもう些細なダメージを拒否する余裕がないということだった。
「くっ……」
弦気は顔をしかめる。
「先程の威勢はどうした! 弦気!」
弦気は考えた。
如月大将への接近は好ましくない。電信柱の上に立っている以上、彼には電線を媒体にした高速移動も可能だ。
距離を保たれて攻撃を食らい続ければ、死ぬ。
その上、時間もない。
「どうした!! 押し通ってみろ!! 御堂弦気!!」
バチン。弦気は再び襲った雷撃を回避する。
が、如月大将の狙いは弦気の足元だった。連続して放たれた雷撃は弦気の足場を襲う。
「しまっ……!」
部分的に屋根は崩れ、彼はバランスを崩した。
そこに如月大将の追撃。屋根から落ち行く弦気は、次々と飛来するその雷撃を全て拒否する。
そして地面に叩きつけられた。
「ぐぅ……!」
弦気はなんとか体を起こし、腕を抑えて立ち上がった。彼が押さえる右腕はプランと垂れている。落下の衝撃で、骨が折れてしまったのだ。
そして、今ので十数回の稲妻を拒否した弦気はスタミナ的にも限界を迎えてしまう。
「ハァッ……! ハァッ……!」
電信柱の上に立つ如月大将を、弦気は悔しげに睨んだ。
「ここまでだ! 弦気!」
ここまでなのか?
弦気は必死に脳を回転させたが、打開策というものは思いつかなかった。
「ハァ……! ハァ……!」
「大人しく投降すれば命までは取らんぞ。弦気」
元々勝てるはずはなかったのだ。相手は自衛軍七大将の一人、如月紋亥。
経験も、何もかもが桁外れである。
弦気は唇を震わせ、ぐっと拳を握りしめる。
いくら如月大将を憎々しげに睨んでみても、無駄なことだった。
彼は膝から崩れ落ちそうになる。
あっけない。結局俺は口だけか。
弦気が諦めかけた時、彼はその視界の端で立ち上がる人影を目にする。
そこは先程弦気が落っこちた屋根の上。そこにいるのは当然夢咲愛花であった。
彼女は強風に吹かれ、無造作に被された検査衣が飛ばされないように片手でそれを掴んで立っていた。
辺りをキョロキョロを見回し、状況を理解できていない様子の愛花。
「夢咲愛花。お前は施設へ帰らなければならない。検査の途中だ」
弦気同様、如月大将も目覚めた愛花に気づいていた。
「はい。ですが私はなぜこんなところに?」
愛花は小さく首を傾げる。そんな彼女の目にふと弦気が映った。
「弦気さん、そんな所で何をしてるのですか?」
弦気は目を見開いた。ここで自分が諦めれば、また彼女はあの施設での苦痛を強いられる。
そんなこと、あってはならないはずだ。
彼の目に光が灯る。
「こっちに飛べ! 逃げるぞ!」
「……? ですが、私は検査の途中で……」
「愛花!! 来い!!」
「……! はい……!」
愛花は返事をすると、ぴょんと屋根の上から飛び降りた。弦気は駆け出し、それを片腕だけでキャッチする。
「なっ! 弦気貴様! まだ……!」
「ぎぃぅ……うぉぉおおお!!」
バランスを崩し、転びそうになりながらも弦気は掛ける。
限界を超えて、能力を使役していた。
重力、空気抵抗、あらゆるものを拒み、彼は疾走を開始した。
中央街に向かえばまだチャンスはある。
上空の雨雲はすでに太陽を隠しており、セントセリア全域に広がりつつあった。
バチバチと帯電する雨雲を見て、彼は再び路地に進入する。
そこで、弦気は思わぬ人物に遭遇した。
「弦気! こちらへ!」
そこに待ちかまえていたのはかつて御堂龍帥の補佐を務め、優秀な転移能力者としても有名な女性。葉月だった。
父の補佐であった以上、弦気も彼女には幼少から世話になった過去があった。
「葉月さん!? なぜここに!」
弦気は困惑する。しかし、葉月には弦気を止めようという雰囲気はなかった。
葉月は弦気を先導し路地の突き当りを曲がると、彼の方に振り返った。
「弦気、今からあなた達を転移させます。こんな状況ですから、正確な転移ポイントを計算している暇はありません。さあ、私の手を」
「何を言っているんですか葉月さん! そんなことしたらあなたが……!」
「このまま弦気が捕まることの方が、私にとっては悔いになる。分かってください」
そう言って、葉月は愛花と弦気の手をとった。
「葉月さん……、この恩はいつか必ず……!」
「いえ弦気。あなたはあなたの正義を」
弦気の返事は間に合わない。
次の瞬間には景色が変わり、彼は愛花を抱えて荒野に立っていた。
セントセリアの外壁が彼方に見えた。その上空には雨雲。人工的に生成された真っ黒な積乱雲が、僅かに視認できる。
弦気は愛花をゆっくりと下ろすと、その場に崩れ落ちた。
「見つかりました」
愛花の発した言葉に弦気はハッとなる。
「GPS……! クソ……、愛花、チップがどこに埋め込まれているか分かるか?」
「いえ、そちらではありません」
弦気はなんとか体を起こして、問い返す。
「……どういうことだ?」
「あの人に、見つかりました」
「あの人……? あの人って誰だ?」
「観測者。彼女はずっと私を探していました」
「観測者だって……? そんな馬鹿な。街を出て、まだ一分も立っていないのに……」
「感知において人智を超越している彼女にはそれが可能です。
直ぐに、彼がやってきます」
愛花がそう言った直後だった。
彼の背後に大きな存在感が二つ現れる。
愛花は振り返らず、いつもの無表情でそこに立っていたが、弦気は振り返らずにはいられなかった。
「感謝しよう。御堂弦気」
「……!」
弦気の瞳に悪趣味な仮面が二つ映る。
Anonymous首領、ハイド。そして、そのパートナーである詩道。
「Anonymous……!」
口の中を噛み切り、弦気は地面の土を掴み、無理やりその体を立たせた。
「無理をするな」
「何を、しに来た!」
掴んだ土を投げる。が、そこにハイドの姿はない。
同時に、傍らに立っていた愛花の姿が消えていることに気づく。
「っ……!」
背後から肩にトンと手を置かれ、弦気は振り返ってその手を大きく振り払った。
「当然、夢咲愛花の回収をしに来た」
弦気が辺りを見回すと、いつのまにか愛花は詩道の隣に立っていた。
「ハァ……、ハァ……。愛花を……、返せ……」
「返せ、か。盗っ人猛々しいとはこのことだ。
……御堂弦気。その様子を見るに、お前は自衛軍を抜けたらしいな」
「それがどうした……!」
「……Anonymousに入る気はないか? どうせ行く宛もないのだろう」
「この鬼畜が……! 父さんを殺しておいて……! よくそんなことが言える!」
弦気は叫び、再び空間を拒む。しかし、彼にはもう能力を使う体力が残っていなかった。
空間の拒否は不発に終わり、弦気はその場に膝をつく。
「そうか。なら仕方ないな」
ハイドは踵を返し、詩道の元へ歩いていく。
弦気は地面に片手をつき、涙を流していた。
「俺には……! 殺す価値もないか!」
ハイドは足を止め、顔だけ弦気に振り向いた。漆黒のコートがなびく。
「そういうわけではないさ。断られたから殺すという結果を避けただけだ」
「クソッ……! クソォ……!」
「問を投げた訳ではなかったか」
ハイドは弦気から視線を外し、再び歩を進める。
弦気の涙が地に滲む。少女一人守れないその無力さを彼は嘆いていた。
同時に、目の前の親の仇より、少女を救いたいと思う気持ちの方が強いことを彼は自覚する。
自分の不幸より、彼女の不幸に彼は憤りを覚えていた。
そんな彼の耳に、愛花の声が響く。
弦気は顔を上げて愛花の方を見た。
「弦気さん」
「必ず、助けに行く……。必ず……!」
弦気は言い訳をするように声を張る。そんな弦気を見て、愛花はフルフルと首を横に振った。
「名前を呼んでくれた時、嬉しかったです」
「……!」
そうして愛花は、荒野に舞う砂埃に紛れた。悪と共に。
八章終




