獰猛な音
観察室にいるギャラリーは俺達をはやし立てた。
強化ガラスの向こう側から黒犬さんと白熱さんの声援が聞こえてくる。
俺の5m程前に立つ月離さんはすでに戦闘準備はできているみたいだ。
密室の訓練室内にボスの声が響いた。
『死音、月離。
ロールを賭けた決闘のルールを説明する。
相手を戦闘不能にすれば勝ちだ。双方武器の使用を認めない。殺しはNG。
ハンデとして、月離は威力レベルC以上の攻撃を禁止する。制限解錠もなしだ』
月離さんはコクリと頷く。
ハンデとかあるのか。
まあ関係ない。一撃で終わらせないと負けが確定するんだから。
『合図はロールに掛けてもらおう』
『はぁ? 私? ……まあいいわ』
マイクがボスからロールに渡った。
それを見て俺はゴクリとつばを飲み込んだ。
そして月離さんを見据える。
『……始めッ!』
ロールの声。
――その声を、俺は爆音へと変えた。
が、その一瞬前に月離さんは耳を塞いでいた。
「なッ……!」
ドンッと地を蹴り俺の眼前まで来た月離さんは、俺の頬を捉えた。
視界が歪み、後方にダウンする。
その瞬間に、聞こえていた音が消えた。
黒犬さん達の声援や、訓練室外の音。
今や聞こえるのは俺の呼吸音だけだ。
「能力施錠。
お前の能力は施錠させてもらった。
これでもうお前に勝ち目はない」
マジかよ。
こんなにあっさり……。
「ロールの声じゃなければ今頃僕の鼓膜は破けていただろう。
速効にこだわりすぎたな」
「そんな……」
立ち上がり、後ずさる。
能力はいつ元に戻るんだ……。分からない。
とにかく、逃げ回るしか……。
「残念ながら逃さない」
視界が黒に染まった。
純粋に、目を閉じたのだ。いや、目を閉じさせられた。
そして開けない。
目を施錠された……!
トンと、強く踏み込む音。
直後、後頭部に衝撃。
気づけば俺は地面を這いつくばっていた。ポタポタと何かが垂れる。鼻血だ。
床に鼻を打ったのか。
もう降参するしか……。
「なんでこんなのがロールのパートナーなんだよ!」
「ぐっ!」
腹に蹴りを入れられる。一瞬息が出来なくなったが、なんとかふらつきながらも俺は立ち上がった。
目を瞑って立ち上がるのは簡単だ。
でも、今は何故かそれがとても難しく感じた。
立つのってこんなに難しかったっけ?
立った所に再び拳を貰い、俺は尻もちをつく。
攻撃は止まらない。
目の見えない俺は唸り声を上げながら月離さんの攻撃を受け続けた。
立っては蹴り倒され、這いずり回っては踏みつけられる。
「フハハハハハハハハ!! ロールに幻滅されるがいい!」
「ハァ……、ハァ……」
目は開けられないが、腫れているのがわかる。
鳩尾に拳を叩き込まれ、息ができず転がりまわった。
「……本当につまらない男だ。ロールはなんで……なんで……。
ダメだ。やっぱり殺そう」
「……っ!」
殺そう……? 殺しはなしって言ってただろ……!
反則じゃないのか!?
「じゃあ死ね」
その言葉を耳にした瞬間、俺の体に電撃のような物が走った。
月離さんの攻撃を、俺はグルンと後転倒立して躱し、立ち上がる。
そしてすぐさま抑制リングを外した。
ドクン、ドクン。
そんな音が聞こえた。
……これは、心臓の音だ。
聞こえる。戻った、能力が……。
目はつむったまま。
聞こえる。
丸聞こえだ。視覚なんてなくたって。わかる。
落ち着け……。落ち着け俺……。
――落ち着いて、殺せ。
「よくかわしたじゃないか」
「……あなたから、音が……聞こえます。心臓の音、……呼吸の音」
死ぬのは嫌だ……。
それなら、相手を殺すしかない。
「はったりだな。
そんなに早く僕の能力施錠が切れるわけがない」
シャッと襲った上段蹴りをしゃがんで躱し、俺は月離さんの懐に入った。
見えないけど、月離さんの驚いている顔が頭に浮かんだ。
俺は左手を月離さんの顔の前に持っていき、パチンと鳴らす。
「がァァ!」
鼓膜は潰した……、意識も飛ばしたか?
俺は月離さんの髪の毛を掴み、そのまま押し倒す。
抵抗がなかったので、意識がないのが分かった。気絶している。
だけど、心臓の音は聞こえる。
……殺さないと。
危険じゃないか、こんな人。
視界は暗いまま。だけどまるで見えているよう感覚だ。
俺は腰のホルダーからナイフを取り出して、月離さんの髪の毛を掴み直した。
後ろで訓練室の扉が開く音が聞こえた。
そして何人かが駆け込んでこちらに向かってくる。
まずい、早く殺さないと……!
そう思ってナイフを首元に当てた所で、俺の右手はがっしりと何かに掴まれた。
ナイフを落とす。
すかさず左手でナイフを取り出そうとするが、左手も動かなくなる。
『そこまでだ、死音。お前の勝ちだ』
ボスの声だ。
目を開くと、俺はロールを含む数人に拘束されていた。
全員戦闘態勢で、俺が次動けば一瞬で制圧されるだろう。
「……なんで止めるんですか? 月離さんが俺を殺そうとした時は止めなかったのに」
『それはお前がやれると思ったからだ。
俺は最初からお前が勝つだろうと思っていた』
関係ない。
「俺を殺そうとしたんだから、殺されても文句ないでしょその人……」
『殺しは無しだ』
「意味わかりません」
体の節々が痛む。こんなにボコボコにされたんだぞ俺。
「死音、勝ったんだからいいじゃない。我慢しなさい。月離はこれでまた支部に飛ばされるわ」
ロールが言った。俺は月離さんから視線を逸らさない。
「落ち着きなさい、死音。何をそんなに熱くなってるのよ」
「……落ち着いてる。熱くなんかなってない」
「……アンタの気持ちは分かるけど、この先殺されそうになることなんてたくさんあるわ。アンタだってたくさんの人を殺すことになる」
ロールは優しい声でそう言った。
だけどそうじゃないんだよ。
「死にたくないからここに入ったんだよ俺は!」
俺は親指と中指を引っ付けて、パチンと音を鳴らした。
轟音。手加減はした。
俺を拘束していた奴らが怯んだ隙に、俺はナイフを手に取り、月離さんの喉元めがけて振り下ろした。
が、刃が届く前に、俺の体に衝撃が走った。
そして、壁に叩きつけられたところで俺の意識は途絶える。
ーーー
目が覚めると、俺はロールのベッドにいた。ロールのいい香りが鼻孔をくすぐる。
体は痛くない。おそらく千薬さんが治してくれたのだろう。
そして俺は先程の出来事を思い出していた。
トラウマってやつなんだろうか。
生にこだわりすぎてる。自分を殺そうとするやつを許せない。
いや、訳がわからなくなるんだ。
昨日攻撃された時はなんともなかった。ロールがいてくれたからだろうか。
「落ち着いた?」
「訳分からなくなってた、ごめん」
俺は体を起こし、椅子に座っているロールに視線を移す。
その時、指に抑制リングが嵌められていることに気づいた。
「仕方ないわ」
布団のシーツが俺の寝汗で少しだけ湿っている。枕もだ。
「悪い、汗でシーツ濡らした。洗った方がいいか?」
「別にいいわよそんなの。水飲む?」
「ああ、貰う」
布団から出ると、俺は自分のカバンからケータイを取り出した。
時刻は8時すぎ。
もうこんな時間か。
「はい」
テーブルの上に出された水を飲み干すと、俺は礼を言って椅子に座った。
カバンから新たに出したのは、教材。
「なぁ、今から勉強教えてくんね?」
ロールは嬉しそうな顔をして椅子をこっちに持ってきた。
ーーー
俺のパートナーは中々に良い奴らしい。
たまに粗暴で怖い時があるが、なんだかんだで優しい。
正直そろそろ惚れそうだ。
冗談はさておき、月離さんとの決闘から早くも4日経って、現在土曜日だ。
今日、俺はあれから久々にアジトに来ていた。
アジトに行かない4日間はひたすら勉強とトレーニングをした。
おかげでテストにはすでに自信がある。
そして、俺がそう公言したため、今日はロールが任務に連れて行ってくれるらしい。
実質これがパートナーでの初任務である。
任務内容は『葬竜の討伐』
竜の討伐とはいえ、葬竜という魔獣は他の竜と比べて小さく、弱い。
葬竜の燃え尽きない骨が切れたらしいので、開発部が依頼を出したのだ。それをロールが受注してきた。
基本的に魔獣の討伐依頼は開発部からだ。
裏ルートでボスが持ってくる場合もある。
「どこまで行くんだっけ?」
「ツハラ高原よ」
ツハラ高原か。それなりに遠いな。
エレベーターがチーンという音を鳴らし、カフェに着く。
ロールはカフェのマスターのところへ、俺は入り口へ向かった。
「マスター、8番。狂い矢」
「C-47。左から3番目のトラック」
「ありがと」
マスターとのやり取りを終えたロールは入り口まで歩いてきた。
カフェ内は今日は人が多い。ほとんどアジトの人しかいないわけだが、カフェとしてもここはよく利用されるみたいだ。
「さ、行くわよ」
俺達はアジトを出た。
地点C-47に着くと、そこはレストランの駐車場だった。
ロールは言われたとおり左から3番目のトラックに乗り込むと、エンジンをかけた。
俺もトラックの助手席に乗り込む。
「お前こんなのも運転できるのか」
「まあね」
トラックはしばらくすると発進し、そのまま街を出た。
ーーー
廻転子猫。
ロールの能力の名前だ。
ロールは選ばれた人間だった。
世界でも”それ”を有する者は少ない。
そう、能力重複。
ロールは2つの能力を合わせ持つ。
2つ合わせて、廻転子猫だ。
一つ目の能力は、操作系『限定廻転』
ロールはあらゆる物を”一回転”させることができる。
回転速度はロールの意のままだが、上限がある。下限はない。
射程範囲は『ロールが触れているモノ』
触れたモノの、どこを回転させるのもロールの自由だ。しかし地面を触れたからと言ってその先の人間を回転させることはできない。
限定は少なくないが、それ以上に色んな応用法があり、ロールが第六位たる所以でもある。
そしてもう一つの能力。
強化系『捨て猫』
黒犬さんのような体質変化の強化型だ。
射程範囲に入った人間は、心理的引力でロールの元へと引き寄せられるという特殊な能力も持つ。
能力持続率とスタミナ消費があまり良くないらしいので、ロールはあまり使いたがらない。
そしてこれは噂によると、……猫耳が生えて、かなり愛くるしい姿になってしまうらしい。
俺はまだ見たことがないが、正直かなり見てみたい。
さて、ロールの凄さを再確認した訳。
そう、俺が出るまでもなく任務が終了してしまったからだ。
「楽勝だったわね」
トラックを運転するロールは言った。
荷台には首のねじれた葬竜の亡骸が積まれている。
「俺来る意味あったか?」
「なかったわ。帰ったら勉強ね」
高原をトラックが爆走する。
ロールも中々に危険な運転をしやがる。
そんな時、ふと後ろから何かが聞こえた気がした。
耳を澄ます。
……なんの音だこれは。
「どうかした?」
窓を下ろして、俺は後方を覗いてみた。
「!? なんだあれ!」
”それ”を見た俺は、すぐに顔を引っ込めた。
「ロール! なんか飛んでくる!」
「はぁ?」
ふと”それ”がフロントミラーに映った。
それは、トラックの荷台に乗せられる葬竜とは比べ物にならないほど大きな竜だった。
「刃竜……! 運が悪い!
ロケットエンジンを使うわ! 死音、対ショック姿勢よ!」
「ちょ! マジかよ!」
俺が対ショック姿勢をとった直後、ズドンと衝撃。
轟音を立てて景色が一気に流れた。
「死音! 追って来てるか見て!」
フロントミラーから逃れた刃竜。
轟音に紛れて咆哮は聞こえない。
俺は再び窓の外から後方を見た。
いない。
ゴオォォォォォォォォ!!
咆哮。
空を見上げると、そこに刃竜はいた。
「やばい! まだ追ってきてる!」
「チッ! 私が出るわ! 死音! 運転して!」
「ちょ! え!?」
ロールは窓を開けて、そこから外に出ていってしまった。
俺は焦って運転席に移動し、ハンドルを握る。
「アクセル全開よ!」
上からそんな声が聞こえて、俺はアクセルを思いっきり踏んだ。




